つれづれに:想像力(2024年4月16日)
つれづれに:想像力
宮崎医大講義棟、3階右手厚生福利棟に研究室があった
医学生の英語の授業で、→「独り言」で準備したり面接をさせてもらって喋(しゃべ)ることに慣れたあと、→「衛星放送」を利用してたくさん英語を聞いた。英語を使う環境で長く暮らせば一番いいのだろうが、現実にはそうもいかない。英語を使う環境を作り出して、使えるようにするしかない。
NHKBS1:BBCニュース
その点では、事務室も臨床や基礎の講座が持てあます国費留学生を、英語が苦手な事務と忙しすぎて構う時間のない医者から、英語科だという理由だけでたらい回しされたのは、実際に英語を使いたかった私には歓迎すべきことだった。国費留学生は優秀である。経済的にも恵まれている。臨床でも基礎でも国費留学生を受け入れれば、大学は高く評価してくれる。化学の教授が退官した時、補充しないという意見もあったが中国人の教授を採用した。中国からの留学生を毎年たくさん受け入れるので、執行部の評価は高かった。それで引き受ける講座も多いのだが、留学生の面倒を見る積極的な気持ちと時間の余裕がない、それが現実のようだ。私にはお互いに英語が第2外国語というのもよかった。気楽に話が出来た。電話は身振りや雰囲気を読めないので、対応が難しくて苦手だったが、何度も電話で話をして苦手意識が薄くなった。珈琲を淹(い)れながら、留学生とは、いろいろ話をした。
英語をよく使うようになって、聴きながら自然と相手のことを理解する術(すべ)に慣れて来た。日本人同士の会話でもそうだが、全部を完璧に聞かなくても、流れで大体はわかる。分かり難いときは、聞けばいい。英語を修得する過程で、その当たり前のことが英語では基軸というか、根底に流れる意識というか、その辺りがどうも違うような気がして来た。
表層の言葉から即座に判断して、真意を理解するための想像力が要る。書かれたものは何度も読み返して吟味(ぎんみ)できるが、話はその場で消えるのでその範囲で理解するためには雰囲気や相手の表情や、その場の状況を理解するのは不可欠である。いくら聞いても、その想像力が身につかなければ、実際に使いこなせるようにはならない。
その原点は→「サンフランシスコ」とメンフィスでの経験だろう。1981年に初めてアメリカに行ったとき、電話をかけるのが億劫(おっくう)だった。携帯電話の時代ではなかったので、サンフランシスコ空港から公衆電話でホテルに電話したかった。しかし出てきたのはたぶん交換手、向こうで早口で何かを言っている。慌ててしまった。あとから考えれば、空港は市外にあって公衆電話の料金が足りずにあと何ドル足して下さい、と言っていたようだ。制度に不慣れだっただけだが、状況からコイン不足が予測出来れば、数字だけを集中して聴けばよかったわけである。
歩いたメンフィスの通り
メンフィスでは、背の高い黒人から通りすがりに、突然話しかけられた。私にはペーパーに聞こえたから「ペーパー?」と聞き返したら、怒り出して口に指をいれて上から「あぃむはんぐり」と言われた。咄嗟(とっさ)のことで訳がわかわからなかったが、→「ミシシッピ」の線路脇であからさまに聞かれた「ぎぶみーまね」と同じだと、感じた。メンフィスは大きな街である。その大通りで昼間に初対面の相手に金をくれと言われるとは思っていなかったからわからなかったのだが、それでも紙はないだろう。ちょっと考えればわかるはずだ。想像力の欠如というところか。
州都ジャクソンからプロペラ機でミシシッピナチェズ空港へ