つれづれに:ロシア語(2022年4月5日)

つれづれに

ロシア語

六甲山系が背後に見える木造2階建ての講義棟(同窓会HPから)

ロシア語を取ったのは入学後4年目である。大学でバスケットボールを再開してから近くの中学校でコーチの真似事をするようになり、そちらを優先して2年留年していたからである。

5回目くらいに初めて授業に出たら、受講生が私以外に二人、人数は申し分なかった。(→「第2外国語」、4月4日)当てられても素直に謝ったあとは黙っているつもりだったのだが、成り行きとは言え、最初から思いとはまるで違う方向に進んでしまった。

6時過ぎに少し遅れて入って来た担当者が、開口一番「京都産大の授業が終わったあと、名神高速を百キロ以上でぶっ飛ばして来たんだが。」と息せき切ってしゃべり始めた。どうやらロシア学科の専任らしかった。そのうち「私は世界的な学者で、名前も知れ渡っている。」と言い始めた。従って、私は忙しい、専任の教授だがⅡ部にも授業に来てやっている、それも世界的に有名な学者がである、だから少しくらい遅れても仕方ない、私にはそう聞こえた。偉くない人が偉そうにする、あれか。ひとことすみませんと言えば済むのになあ、そんな風に考えているうちに授業が始まった。当てられて、訳すように言われた。ひと月以上も経ってから、準備もせずに授業にのこのこやって来た、それがどうにも我慢ならなかったようだ。その通りだから、私としては謝るしかない。

「初めてですいません、やって来ていません」

「やって来てない?おまえ、昼間は何をしてるんだ?」

「昼間は、寝てますけど」

(授業から帰ったあとも興奮して寝られずに夜中じゅう起きて本を読んでますので)を、意図的にとは言え、省いたのがよろしくなかったらしい。夜中じゅう起きてるんやから、昼間寝んともたんやろ。

「若いのに、惰眠を貪るとは何事か!」

烈火のごとく怒り始めた。ここで止めればよかったが、ぷいと壁の方を向いた。火に油を注ぎたかったらしい。怒りは収まらず、怒鳴り続けていたようだった。次の時間からが、大変だった。

大人数だと避けようもあるが、3人だけである。初回のこともあるし、自分で責任を取るしかない。購読?どこまで進むかわからないけど、準備するしかない。母音の数が13もあるみたいやし、格の変化も煩雑そう、言われっぱなしも癪に障るし。準備に毎回何時間もかかった。根に持つとは相手も大人げない、授業ではいつも喧嘩腰で、細かいことろまで質問して来る、初修やねんから、そんなとこまで知らんやろ。二十数回も続いた。最後のころ、冬場だったと思うが、授業前にいっしょに授業を受けていた女子学生が二人、揃って私の席までやって来た。

「またやってもらえませんか?」

「?」

「あのう、最近やってくれはらへんので、進むのが早くて、早くて。このままやったら、試験範囲がどんどん広がって試験の時に大変そうなんで、またやってくれませんか?」

事務局・研究棟への階段(同窓会HPから)

毎回毎回体力を消耗し、必要以上に気も遣ったが、授業はなんとか終わった。単位は無事取ったものの、あまり後味はよくなかった。のちに早稲田の博士課程の試験に第2外国語が要るのがわかって、ロシア語も考えたが、役に立ちそうになかった。結局、フランス語で受験した。

ロシア語の人の話を書いていると、無意識のうちの自分の思い上がりを思い知る。市立大学の教員は地方公務員で、公務員は全体の奉仕者である。人の税金で給与をもらっているので、「専任だが夜の授業もしてやっている」は思い上がりである。自分がいるところに学生が来ていると思っているのかも知れないが、学生がいるから職にありつけているのだけだ。勘違いも甚だしい。そういう人は教えてやっていると思って疑わないのかも知れないが、たかだか第二外国語の購読である。教えてもらわなくても、自分で出来る。概ね、教師がやれることは知れている。生得的な能力に僅かな刺激を与えてその能力を引き出すきっかけを作るくらいにはなっても、それ以上でも以下でもない。そもそも、人が人に何かを教えられるなんて考えること自体がおこがましい。そうわかっていながら、時間と手間をかけて授業の準備をして資料を配り得意げに授業をすると、何だかやったような気になってしまう。たかが英語教師で、学校を出れば、ただのおっちゃん、今はただのおじいちゃんなんやから。

次は一般教養、か。

旧暦では、春分から数えて15日目頃、今年は今日4月5日が清明の始まり、清らかで生き生きとした様を表わす「清浄明潔」を略したものらしい。宮崎では散りかけているが、桜の季節でもある。白木蓮も終わり、紫木蓮が咲き始めた。

紫木蓮が咲き出した