つれづれに:サンフランシスコ2(2022年8月3日)

2022年8月2日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:サンフランシスコ2

 初めてのアメリカが「サンフランシスコ」(6月19日)だった。1981年の夏で、同じ時期にエイズ患者が出た(↑)という歴史的な出来事があったことも全く知らなかった。アメリカも5回目、初めての英語による発表である。サンフランシスコまで5歳の息子にはきついからと、「ハワイ」(8月1日)を経由した。ワイキキの浜(↓)に出て、ホテルのテラスから夕陽を眺めた。真冬のクリスマスイブに日本を出て、真夏のクリスマスの朝にホノルルに着いた。サンフランシスに着いたのは夜で、夜霧のサンフランシスコではなかったが、細かい雨が降る晩秋の雰囲気だった。

 「MLA(Modern Language Association of America)」は文学や語学の全米でも大きな学会で、毎年会場を持ち回りするようで、その年はサンフランシスコ(↓)だったわけである。日本でもそうだが、会場の持ち回りに合わせて家族旅行を楽しむ人もいる。名目があれば、大学の研究費も使いやすいからである。私は学会自体が苦手なので余程のことがない限り行かなかったが、周りでも全国大会は必ず行く人が多かった。精勤に行けば実益も兼ねて全国を巡ることが出来るというわけである。アメリカの場合は日本と比べ物にならないほど広いし、長期休暇を取って旅行に出かける率が高いそうなので、その傾向はより強いのではないか。サインフランシスコは気候も極端な暑さや寒さとは無縁のようだし、行ってみたい場所も多い。

ゴールデンゲイトブリッジ

 夏にラ・グーマの話を聞きに行ったエイブラハムズさん(→「1」、→「2」、7月30日~31日)も夫婦(↓)でサンフランシスコに来ると言っていた。カナダはアメリカに近いから、アメリカの学会とも深い繋がりがあるようだ。次の年にエイブラハムズさんが主催した会議にはアメリカからの参加者も多かった。エイブラハムズさんやグギさんのように亡命して大学の職にいる人も多い。もっともサンフランシスコには二人でMLAには行くけど「ヨシの発表には行かないでおくよ。アメリカのアフリカに関する発表の程度はわかってるから、聞きに行くのも気の毒だしね」と、にやーっと笑いながら言っていた。南アフリカだけでなくアフリカや世界情勢についての基本的な素地が欠けているのを、3日間で見抜かれてしまっていたわけである。その後数十年間南アフリカを皮切りにガーナ、コンゴ、ケニアなどの歴史や情勢を詳しくみていくに連れて、全体像を把握するだけでも時間がかかるものだと嫌でも思い知らされた。

 学会がホテルを借り切って、会場として使用し、会員はホテルに宿泊、料金は大幅に割り引きされていた。普段泊まるホリデイインよりも更に豪華な(↓)だった。案内された部屋はかなり広い二部屋続きのスウィートルームだった。きっと手違いだと思うとフロントと交渉して、二部屋の少し小さい方の部屋を使うことになった。元々部屋を使う予定だった人が変更を知らされずに部屋をノックして一悶着あったが、なんとか一件落着である。部屋には大きなダブルベッドが二つ、子供たちは大はしゃぎだった。

 初めての英語の発表なので、少し準備もしたかったが、とてもそんな雰囲気ではなかった。ようやく子供たちが寝た後、一人で廊下に出て、長椅子に座り、発表予定のペーパーを小さな声を出して読んだ。しばらくしてそっと部屋に戻り、翌朝まだ眠っている3人を起こさないようにそっと部屋を出て、会場に向かった。会場には2年前にシンポジウムに誘ってくれた人も伯谷さん(↓、左側)も、部屋の前の方に座っていた。私を見つけた伯谷さんが立ち上がり「よく来てくれましたね」と言いながら近づいてきた。いよいよ英語での発表である。
次は、MLA、か。