『ナイスピープル』理解6:アフリカでのエイズの広がり
概要
エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の6回目で、アフリカでのエイズの広がりです。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)
『ナイスピープル』(Nice People)
本文
アフリカでのエイズの広がり
前号で紹介したアラバマ大学のハーン博士が「・・・ウィルスに感染した人が都会へ出て、大勢の客を相手にする女性と関係を持てば、そこから更に多くの人が感染し、病気はどんどん広がっていきます。感染経路さえあれば、感染の拡大は時間の問題でした。」と推論した通り、瞬く間にアフリカ大陸でHIVウィルスの感染は拡大しました。
『ナイスピープル』の26章で初めてのエイズ患者が主人公のムングチ医師のリバーロード診療所を訪ねて来るのが1984年の12月、著者が『ナイスピープル』の覚え書きに使ったオーストラリアの新聞が発行されたのが1987年6月の設定です。その覚え書きには次のように惨状が記されています。
(ナイロビ発)中央アフリカと東アフリカでは人口の4分の1がHIVに感染している都市もあり、かつてない大惨事だと思われています。
この命を脅かす病気は世界で最も貧しい大アフリカ陸には、特に厳しい脅威となっています。専門知識や技術を要する、数少ない専門性の高い職業人の間でもその病気が広がっているからです。
アフリカの保健機関の職員の間でも、アフリカ外の批評家たちの間でもある意味、エイズの流行でアフリカの何カ国かは「国そのものがなくなってしまう」のではないかと言われています。(「モンド通信」No. 3、2008年12月10日)
著者紹介の載っている『ナイスピープル』の背表紙
『ナイスピープル』が出版されたのが1990年です。CDCの調査班がコンゴでエイズ患者を確認した1980年代初頭から僅か十年余りで、東アフリカでも既にエイズが社会に深刻な影響を及ぼしていたことがわかります。南部アフリカの事態は更に深刻で、感染率が30%を超えたと報じられる国も出てきていました。感染率が1%に満たない先進国もありましたから、南部アフリカの感染率の高さは際立っていたことになります。もちろん、瞬く間に感染が拡大したのにはわけがあります。長年の西洋諸国の搾取によって食うや食わずで体力のない多くのアフリカ人を免疫機構を破壊するウィルスが襲い、侵略者が収奪品を運ぶために建設したまっすぐな道路を伝ってウィルスの感染は爆発的に広がっていったのです。天然痘撲滅のために1980年代初頭に一斉に行なわれた同じ針を使ってのワクチンの接種も感染拡大の一因となりました。都会を走るトラックの運転手は先々で売春婦と接触し、ウィルスを運びました。短期契約の男性労働者ばかりが住むコンパウンド(ホステルとも呼ばれます)周辺が感染の温床となりました。セックスワーカーから感染した男たちが村に戻って配偶者に感染させていたのです。免疫不全症・性感染症であるエイズは、貧困であえぐアフリカ人の住む町や村を容赦なく襲ったわけです。
そんな南部アフリカジンバブエの状況を、インディペンダント紙の記事「エイズ流行病、南部アフリカの息の根を止める」(1995年7月30日)は次のように報じています。
この病気による死者が、サハラ以南のアフリカでは年間に30万人を数えており、世界保健機構(WHO)によれば、5年以内には死者が90万人に達すると予想される割合です。ジンバブエでは、総死者数が2000年までに100万人(現人口の約10分の1)を超えると予想されています。5年後には、死者の数が200万人に達する可能性もあります。性的に一番活動的な人口の25~40%が感染していると思われます。あと10年以内にジンバブエの平均寿命は55歳から35歳に下がるという予測もあります。
しかし、ジンバブエの厚生相スタンプスさんが言うところの「流行病の最盛期」についての厳しい統計は、話の一部に過ぎません。若い女性の数が急激に減ることによって、ブヘラのような農村地域は未曾有の経済的、社会的危機に陥る可能性があります。若い女性が農業の生産と、子供や病人や年配者の世話の責任を負っているからです。・・・
しかし、売春婦や、男性が複数の相手を持つことが広く受け容れられている文化では、女性に焦点を当てる「同僚教育」は的外れだと、批評家は指摘しています。WHOは、感染している女性の感染していない男性への感染率が1000分の1であるのに対して、コンドームをつけないセックスで感染している男性が感染していない女性に感染させる可能性は100分の1であると推計しています。既婚女性は、特に影響を受けやすいのです。アフリカでは、HIV陽性の女性の80%が一夫一妻制であるのに対して、HIV陽性の男性の80%に複数の相手がいると考えられています。国連開発計画は、「大抵の女性のHIV感染の主な危険因子は結婚していることである。」と最近の報告で述べています。
ムランビンダの売春婦は、顧客と寝るとき平均10ジンバブエドル(当時約250円)、約80ペンス、1晩約2ポンドの料金を取ります。エイズ防止キャンペーンによって売春婦たちが顧客の多くにコンドームを使うのを納得させたという人もいます。しかし男性の間では、特に5万人強の国軍の間ではコンドーム装着への抵抗感は依然として強く、医療関係者は、国軍のHIV感染率は少なくとも50%と推計しています。・・・
ジンバブエの地図
20年前にエイズは、ザイールやウガンダのような中央アフリカの国々からケニア、ルワンダ、タンザニア、マラウィ、ジンバブエを通る輸送経路を下り始めたと医療関係者はみています。優れた輸送路、出稼ぎ労働者の歴史、それに男性が複数の性交渉の相手を持つ文化があるために、ジンバブエは特にその影響を受け易いのです。次の標的は南アフリカで、推計では一日当たり550人もの人が感染していると言われています。
1986年までムランビンダ教会病院の年間報告には、エイズの名前も出て来ませんでした。現在、ブヘラ地区の医療役員代行として働いているグレンショウさんは、病院のスタッフの25%がHIV陽性者だとみています。「私が特に感じるのは、田舎の方ではどの家の周りでも墓の数が増えているということです。何よりも悲しいのは、エイズという病気が日常の生活の一部になってしまっている、つまりマラリアのように、もう一つ別の死因として受け容れられてしまっているということです」、とグレンショウ医師は悲しそうに言いました。・・・
1992年に私はジンバブエに行って2ヶ月半の間、首都のハラレで家族と暮らしました。このあと、『ナイスピープル』の翻訳を一時中断して、その時に感じた私の「ジンバブエ滞在記」を連載したいと考えていますが、その前に、アフリカのエイズ問題をどう捉えるかという基本姿勢と、南アフリカについて少し書いておきたいと思います。
●メールマガジンへ戻る: http://archive.mag2.com/0000274176/index.html
執筆年
2009年9月10日