つれづれに:ボイラー(2022年10月27日)
つれづれに:ボイラー
昨日は給湯器のボイラー(↑)が壊れて大変な一日だった。「つれづれに」を更新できなかった。日英の1860のあと、南アフリカとジンバブエ(↓)とガーナの1860に続いてコンゴ1860を書くつもりで準備をしていたが、落ち着いたのが夜半過ぎになってしまった。
日本の技術はすごいなあとよく思う。今回もそうである。宮崎にいっしょに来た子供たち二人が学校に馴染めなくて、下の息子の表情が日に日に険しくなったとき、ラブラドールの三太(↓)に友だちになってもらった。家族とラブといる時は優しい表情だった。自治会を辞めたら村八分にされたり、教授になったこともあって大学の近くに引っ越しをすることになったとき、ラブを優先して家を購入した。今の家である。住み始めてもう20年余りが過ぎた。神宮の不動産屋さんに任せて探してもらったが、見かけより住み心地はよかった。前に住んでいた人は、大事にお金をかけて家を作ったようである。住んでみるとわかる。引っ越す前の11年前に新築したようだから、30年余りになるが、壊れたのはそのボイラーである。ファンが故障したようで、見に来てくれた人は「部品があれば変えられるんですが‥‥」と気の毒そうに言っていた。
一ッ葉の海の三太(小島けい画)
「十年くらいで壊れることもありますから、よくもった方ですね」とも言われた。毎日世話になった方としては、よくも30年余りももってくれたものだと感心する。日本の技術の高さに感謝である。床面の暖房と太陽熱温水器(↓)と併用していたので、当時としてはかなり高価な設備である。太陽熱温水器は不具合だと連絡があって取り外してもらった。床暖房は最初から使わなかった。風呂の追い炊きの部分は故障したので、ボイラーは風呂の給湯器だけを使っていたわけである。いよいよ寿命らしい。
写真は残っていないが、こんなイメージだった
それがなぜ一日仕事になったか?先ずは故障を修理してくれる店である。以前何軒かに頼んでみたが、きちんと対応してくれる所がなかなか見つからなかった。その度に嫌な思いをした。この前やっと便座の工事で世話になった店の対応に満足して、今回もその店に依頼した。その店は「取り扱いは出来ますが、ガスの取り扱いが出来る店の方が早いですよ」と勧めてくれた。それでガスの店に電話をすることになり、事情を説明をした。まさか当日に来てくれるとは思わなかったが、夕方に来て丁寧な対応をしてくれた。今朝は見積書を持って来て、工事の段取りまで手配してくれた。なかなかこうは運ばないので、有難かった。ただ、給湯器は使えないので、大きな鍋を二つ使って、沸かした湯を風呂場までせっせと運ぶことになった。最初「たらいにでも‥‥」とか「浴槽に30センチほどで‥‥」とか妻は言っていたが、普通に入れるように湯を沸かして浴槽まで運んだ。時間がかかった。おかげで気持ちよく風呂に入ることが出来たが。湯を運びながら「スイッチ一つで便利な生活に慣れてしまってるなあ」としみじみと感じた。30年ももってくれた日本の技術に感謝することしきりである。
日本の技術について思う時は、いつも鉄砲伝来のことを思い出す。ポルトガル人が種子島(↑)に残していった火縄銃(↓)から1年後には一万丁の銃を作っていたと言う。それだけの製鉄技術と戦のために銃を購入できる経済力があったということだろう。1570年代には戦で銃が使われ、長篠の戦いでは信長が堺商人に銃を集めさせて勝利している。世界で最大の銃撃戦だったらしいので、世界有数の武器保有国だったわけである。日本には資源がなくて取るものがないので侵略されなかったという人もいるが、戦っても勝てない相手だったのも事実である。鎖国している間に、西洋は奴隷貿易で儲けた資本で産業革命を起こして産業社会に変貌してしまった。経済規模が拡大されるにつれて武器の精度や強度も増して行き、今や事後処理の出来ないウランを使って核開発で凌ぎを削っている。ソ連や北朝鮮が兵器で使えば、日常が破壊されるのは間違いない。自然災害も突然やって来るが、核の人的災害も案外突然やって来るかも知れない。
侵略の意図を持ってアジアにも来たが、人的な力の限界を知っていたポルトガルは南米と中米で好き放題しながら、アフリカやアジアで貿易の拠点を次々にこしらえていた。日本も来ている。マカオで拠点を作ったポルトガル人は明船に乗って日本に来ていたようで、遭難をして種子島に漂着した。流れ着いたのは種子島の最南端門倉岬から300mほどの海岸線らしい。1543年9月に中国の商船がこの付近に漂着して、乗っていたポルトガル人が鉄砲を島主種子島時堯に献上したようだ。小学校で鉄砲伝来のことを聞いた気がする。観光用に「ポルトガル海軍記念碑」(↓)が建っているらしい。ずいぶん前から行ってみたいと思っているが、いまだ行っていない。
火縄銃を見て改造銃が拵えられたのは種子島(↓)に砂鉄からの製鉄技術があったからだが、島根県奥出雲や滋賀県近江などにも優れた製鉄技術があり職人がいたからでもある。職人の技術が今も生活を豊かにしてくれているわけである。ボイラーが壊れて大変な一日だったが、改めて日本の技術に感謝した一日でもあった。
柿が色付いているのに、なかなか思うように剥いて陽に干せないでいる。一昨日15個を剥いてやっと116個(↓)になった。まだ200ほどありそうなので、熟しすぎて落ちてしまうまでに終われるかどうかは怪しい。
2022/10/25現在合計116個、作業継続中