つれづれに:海岸道路(2024年3月16日)

2024年3月17日つれづれに

つれづれに:湘南

 『海岸道路』の一節である。

「鎌倉を中心にして海岸道路は左右にのびていた。左は江之島、茅ケ崎(ちがさき)を経て大磯、小田原に至り、右は逗子(ずし)を経て葉山に至る道である。海岸道路にはいたるところにホテルが建っていた。これらのホテルは夏場は混むが、いくつかのホテルは季節はずれになるとひっそりとしてしまう。したがって予約なしに行っても、いつでも泊まれる。海岸道路ぞいに朝まで営業しているレストランが何軒かあり、深夜、東京からわざわざバーのホステスをつれてくる男達もいた、これらの男達は、ひとむかし前は、ホステスををつれて横浜の″南京街″にくりだした連中である。その頃ホステスは女給とよばれていた。

地元のある人達は、この海岸道路を有閑道路とよんでいた。よくも深夜これだけの人間があつまるものだ、と思うほど、どのレストランもまいばん満員だった。」

主人公も朝まで営業しているレストランの常連で、有閑道路脇のホテルに泊まる。海岸道路を見て歩くには、江之電が便利だった。

 鎌倉と藤沢間を走る江之島電鉄である。ウェブで検索して見つけた1970年代の写真(↑)では、電車と併行して走っている海岸道路と江之島が見える。

 鎌倉から電車に乗り、途中で稲村ケ崎、腰越(こしごえ)、江ノ島の駅で降りて海岸道路を歩いた。『海岸道路』のほか、『春のいそぎ』、『はましぎ』、『恋人たち』の主な舞台である。

 私の日常は方埒(ほうらち)な生活とはまるで無縁だったが、生きても30くらいまでかなあと、ぼんやりと過ごしていた先の見えない無為な生活に、主人公の無為な世界を重ね合わせて、大根のところでは理解できる気がしたのか。

 しかし、小説を書き出せなかった。書き出すばねがないと感じたからだが、突然の母親の借金騒動であらぬ方向に動き出してしまった、というのが正直なところだ。その後、結婚して子供も出来てと、また思わぬ方向に展開して、小説どころではなかった。このままでは書けそうにないと言う気持ちが高じて、先ずは書くための空間をと、大学の職を思いついた。元々貧乏だから自分一人ならそれでもよかったが、妻や子供に強いる気にはなれなかった。返すあてもなく金を借りて、借りてまで生きてはいけないと思った感情に似ている。