速達便

2020年1月20日2000~09年の執筆物随想

概要

宮崎医科大学大学祭すずかけ祭実行委員会の委員から依頼があって書いたものです。

本文

速達便 

英語科  玉 田 吉 行

四国に住むムアンギさんから速達便が届いた。中にはある論文のゼロックスコピーと一冊の本が入っていた。

サイラス・ムアンギさんはケニアのギクユ人で、かれこれ20年のつき合いになる。70年代の半ばにナイロビ大学の学生として京都大学法学部に坂本竜馬の研究に来ていたと聞く。政治が専門らしい。76年に、現大統領の金大中氏や詩人の金芝河氏の死刑に反対する「韓国に関する国際緊急東京会議」に出席した同郷の作家グギ・ワ・ジオンゴさんの世話をしたために国のブラックリストに乗って以来、祖国に帰れないでいる。今は、四国学院大学で平和学や女性学を担当しているらしい。

動物王国やサヴァンナのイメージが強いケニアは恐ろしい国である。アパルトヘイト下の南アフリカの人に「ケニア人が何か出来ることはありませんか」と聞いたら、「そちらこそ大変ですから」と言われてしまったと、いっしょに行なった「アパルトヘイトを巡って」というシンポジウムでムアンギさんはケニアの惨状について紹介していた。

コピーはある歴史学会で発表されたもので、永年政治犯を閉じ込めていた悪名高いロベン島が、実は遠い昔はハンセン病患者の隔離施設に使われていた史実を掘り起こして、ハンセン病と人種差別の関係を論じたもので、本はケープタウンのカラード居住地区第6区についての思い出を綴った著者からムアンギさんに託されて私に寄贈されたものである。しかし、著者について私は知らない。日付けは18-02-1999とある。

ケープタウンでの知り合いは2人だけである。一人は、作家アレックス・ラ・グーマ夫人のブランシさんと、亡命先のカナダでお会いした学者のセスゥル・エイブラハムズさんである。第6区はブランシさんがかつて住んでいた所で、1966年に政府は5万人の住人を一掃して白人居住地区にしようとしたがうまく行かず、以来更地のままだと聞く。恐らく、ラ・グーマの編註書2冊と翻訳書を日本で出版した日本人として、ブランシさんが著者に私のことを紹介して下さったのだろう。

20年もつきあっていると、2年以上も前に託された本を速達便で届けるアフリカ流にも、驚かなくなった。もちろん、今回のカメルーン騒動も、さもありなんである。92年に家族で2か月半ハラレに滞在した時に、充分免疫が出来たせいかも知れない。

お礼の手紙を書きたいのですが、著者と住所について少し教えてもらえませんか、と近々ムアンギさんに手紙を書こうと思っている。もちろん、速達便でである。

執筆年

2002年

収録・公開

宮崎大学医学部すずかけ祭第27回パンフレット 43ペイジ

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