続モンド通信23(2020/10/20)
続モンド通信23(2020/10/20)
1 お知らせ:2021年カレンダー(小島けい)
2 私の絵画館:ロバとポニー、走る!(小島けい)
2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~②:ぼちぼち いこか(小島けい)
3 アングロ・サクソン侵略の系譜20:アフリカ史再考:②「アフリカシリーズ 」(玉田吉行)
**************
1 お知らせ:2021年カレンダー(小島けい)
寒くなって参りましたが、皆様・犬ちゃん、猫ちゃんたちもお元気でしょうか。
例年より、絵の完成が2ヶ月半も遅くなりましたが。10月14日13枚の絵が出来上がり、現在カレンダーの製作会社で進行中です。
2021年のカレンダーが届きましたら、皆様のお手元にお送りさせていただきますね。
2021年のカレンダー表紙
=============
2 私の絵画館:「ロバとポニー、走る!」(小島けい)
すっかり秋になりました。ススキの穂が風に揺れる頃になると、せいたか秋のキリン草の黄色が目立つようになります。
いつからかアレルギーの元?とか言われ、あまり評判はよくありませんが、私は今も好きです。
これまでも、時折絵に登場しています。
<秋立ちぬ>では馬(サンダンス)と。
<ノアと三太と合歓の花>では猫・犬と。
そしてこの絵では、ロバのパオンちゃんと、ポニーのファニーとぶりちゃんと一緒に描きました。
鳴き声が大きすぎるため、一頭だけ牧場から離れたトンネルの中で暮らしていたパオンちゃんでしたが、時々脱走しては、牧場にいる二頭と楽しそうに広馬場を走ることがありました。
あまりに嬉しくて、そんな時ロバは顔を空に向けて走るのですよ。
ある秋の日の一コマです。
=============
3 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~②:ぼちぼち いこか(小島けい)
私はほぼ毎日、午後から夕方にかけて絵を描きます。そのため、その後から寝るまでの数時間が、めまぐるしい忙しさとなります。人間の夕食やおかず作りの他に、一度にたくさん食べられない猫たちに、2時間おきくらいに3回ほどごはんをあげます。
寝る頃にはさすがに疲れていますが、少しクールダウンをしないと、うまく眠れません。そこで毎日<ロデオボーイ>に乗ります。馬の動きを模したマッサージ機のようなものですが、それで15分ほど揺ら揺らすると、不思議に血圧も下がります。
乗っている間両手はヒマですので、しばらく前から、すぐ横の絵本の棚から本を取り出して見始めました。
長い間見返すこともなかった絵本たちですが、改めて見てみると、今ではお話よりも絵の方が気になり、新たな発見があったりします。
たくさんの絵本のかで、絵も内容もすっかり忘れているのに、題名だけははっきり覚えていた本があります。それが<ぼちぼち いこか>です。
訳者のいまえよしともさんの翻訳が、あまりにもぴったりの関西弁でしたので、なんとなく日本人が書いた本だと思い込んでいましたが。<マイク・セイラーさく><ロバート・グロスマンえ>ということでした。
12年間、毎年個展に間に合うよう7月末の〆切りにむけ、追われるように絵を描き続けてきました。今年、絵の完成が大幅に遅れてくると<こんなに遅くなっていいのかしらん?>とあせりの気持ちが出てきました。
その度に、わざと目につく場所に置いたこの本を横目に見ながら<そうそう、ぼちぼち いこか、ですよ>と自分に言いきかせました。
何とか今年の絵は描き終えましたが。ほこりをかぶった本棚から再生したこの一冊、この言葉は、きっとこれからも私の大切な拠りどころになるのだろう・・・・と思います。
=============
4 アングロ・サクソン侵略の系譜21:アフリカ史再考:② 「アフリカシリーズ」
「アフリカシリーズ」
「アフリカ史再考」の2回目です。
「アフリカシリーズ」は1983年に放送された8回シリーズの番組(各45分)である。イギリスのタイムズ誌の元記者で後にたくさんの歴史書を書いた英国人バズル・デヴィドスンが案内役で、日本語の吹き替えで放送されている。20年ほど前に「アフリカシリーズ」でインターネット検索をした時は、番組内容の案内が載っていた気がするが、今は過去の番組紹介「NHKアーカイブ」にも入っていないようだ。
40年足らず前のもので、前半でヨーロッパ人の侵略が始まる以前のアフリカ大陸を紹介している。後半では人類の歴史を大きく変えた奴隷貿易→アフリカ分割・植民地支配を経て、第二次世界大戦後の多くのアフリカ諸国の独立闘争後に再構築された新しい形の搾取体制を丹念に紹介して、今こそ先進国はアフリカから搾り取って来た富を返すべき時であると結論づけていている。アフリカに対する意識が当時とそう変わったとも思えない大半の日本人には、今でもその提言は充分に傾聴に値するものだ。
8回の内容は「第1回 最初の光 ナイルの谷」、「第2回 大陸に生きる」、「第3回 王と都市」、「第4回 黄金の交易路」、「第5回 侵略される大陸」、「第6回植民地化への争い」、「第7回 沸き上がる独立運動」、「最終回 植民地支配の残したもの」である。
アフリカシリーズは当時放映されたものをビデオに録画し、DVDにして保存してある。高校を辞めたあと非常勤で世話になっていた大阪工業大学のLL教室でダビングさせてもらったもので、米国テレビドラマ「ルーツ」(1978年)と併せて、英語などの授業で使って来たとても貴重な資料である。
前半は古くからアフリカ大陸には黄金の交易網が張り巡らされていてヨーロッパともペルシャやインドや中国とアフリカ内陸部とも繋がっていたという壮大な物語だ。その豊かな大陸が1505年のポルトガル人によるキルワの虐殺から始まるヨーロッパ人の侵略に悩まされ、現在に至っているというのが後半である。
白人優位・黒人蔑視
500年に及ぶ侵略の過程で、ヨーロッパ人は自分たちの行為を正当化するため白人優位・黒人蔑視の意識を浸透させて来た。デヴィドスンは番組の冒頭で今は観光名所になっているジンバブエの遺跡グレートジンバブエを紹介しながら、発見当初のヨーロッパ人の反応について次のように語っている。
「アフリカの真ん中の石造りの都市、発見当初、アフリカにも独自の文明が存在したと考えるヨーロッパ人はいませんでした。文明などあるはずがないという偏見がまかり通っていたのです。初期の研究者はこれをアフリカ人以外の人間が造ったものだと主張しました。果てはソロモン王とシバの女王の儀式の場だという説まで飛び出したものです。」(「第1回 最初の光 ナイルの谷」)
グレートジンバブエ(1992年たま撮影)
しかし、歴史を見る限り古くからヨーロッパ人とアフリカ人の関係は対等で、ルネッサンス期以前のヨーロッパ絵画を解説しながら、デヴィドスンは「人種差別は比較的近代の病」と断言している。
「18世紀、19世紀のヨーロッパ人は祖先の知識を受け継ごうとはしなかったようです。 それ以前のヨーロッパ人は、例えば、西アフリカに中世ヨーロッパにひけをとらない立派な王国がいくつもあることをよく知っていました。しかも、そうした王国を訪れた貿易商人や外交官の報告には、人種的な優越感を臭わせる態度は全く見られません。人種差別というのは、比較的近代の病なのです
この違いを何より語っているのはルネッサンスまでのヨーロッパ絵画です。ここには 黒人と白人が対等に描かれています。非常に未熟な人間という、後の世の言葉を思わせるものはありません。美術の世界だけではありません。中世では広く一般に、黒人は白人と対等に受け入れられていました。例えば、中央ヨーロッパで崇拝されていた聖人聖モーリスは、13世紀に十字軍に加わって殉教した騎士ですが、彼はエジプトの南ヌビアの黒人です。」(「第1回 最初の光 ナイルの谷」)
奴隷貿易
そしてその人種的偏見を生んだ大きな原因の一つとして奴隷貿易をあげ、デヴィドスンは次のように述べている。
「では、黒人に対する白人の人種的偏見はどこから生まれたのでしょう?歴史が示す大きな原因の一つは奴隷貿易です。
かつてヨーロッパ諸国はアフリカ西海岸に堅固な砦を築き、そこを根城に何千万という奴隷の積み出しを競い合いました。大砲は海に向けられていました。アフリカ大陸の内側には彼らの敵はいませんでした。敵は水平線にふいに現われる競争相手の国の船だったのです。
むろん、人種差別や人種的偏見の犠牲者はアフリカ人だけに限りません。しかし私は、アフリカ人はどの人種よりも酷い目に遭って来た、そしてその原因は奴隷貿易という歴史にあったと考えます。情け容赦のない奴隷貿易で、300年もの間、黒人たちは無理やり故郷から引き離され海の彼方の白人社会に送り込まれました。囚われの身となった黒人は一切の人間的権利を奪われました。家畜同然に売買される商品と見なされ、どんな虐待行為も認められていました。
奴隷貿易の出現で、アフリカ社会の秩序は崩壊していきました。損なわれたのはそれだけではありません。黒人と白人の間にあった互いを尊重するという関係も打ち砕かれたのです。
恐怖の奴隷貿易はずーっと昔になくなり、今はアフリカを知る新しい時期に来ています。黒人を劣ったものと見る古い考えは何の根拠もありません。ここで素直な目でアフリカを根本から見直してみる必要があります。そうするとどんな姿が見えて来るでしょうか。近年、考古学の発展で今まで知られていなかった事実が次々と出て来ました。それはここアフリカに彼ら独自の、長い多彩な歴史があったことを示しています。このシリーズではアフリカを一つの舞台と見て、そのダイナミックなドラマを捉えていきたいと思います。」(「第1回 最初の光 ナイルの谷」)
奴隷を運んだ帆船(アメリカ映画「ルーツより」
経済的譲歩
そうした長い歴史的な背景を踏まえ、難しいことは百も承知のうえで、先進国は今までのアフリカについての見方や関係を改め、今まで搾り取って来た富をアフリカに返すべきだと次のように結んでいる。
「援助を待つだけでなく、自力で立ち上がる、どんなにささやかでもこれは今アフリカで一番大事なことです。かつては自給自足し、豊かな生活内容を持っていた人々が飢餓地獄に置かれている。これは一つには自分たちの食料を犠牲にし、輸出用の作物を作っていた植民地時代の延長線上にあるためです。
そしてもう一つ、アフリカ諸国が都市の開発に力を注ぎ、巨大な農村をなおざりにしていることも上げなければなりません。
しかし、これと取り組むには先進国の大きな経済的譲歩が必要でしょう。飢えている国の品を安く買いたたき、自分の製品を高く売りつける、こんな関係が続いている限り、アフリカの苦しみは今後も増すばかりでしょう。アフリカ人が本当に必要としているものは何か、私たちは問い直すことを迫られています・・・。
奴隷貿易時代から植民地時代を通じて、アフリカの富を搾り取って来た先進国は、形こそ違え今もそれを続けています。アフリカに飢えている人がいる今、私は難しいことを承知で、これはもうこの辺で改めるべきだと考えます。今までアフリカから搾り取って来た富、今はそれを返すときに来ているのです。」(「最終回 植民地支配の残したもの」)
アフリカの歴史について英文書を2冊書き、英語などの授業で使って来た。ウェブでも案内をしている。①Africa and Its Descendants 1『アフリカとその末裔たち1』(門土社、1995)(https://kojimakei.jp/tamada/works/africa/africatoday1.doc)、②Africa and Its Descendants 2『アフリカとその末裔たち2:新植民地時代』(門土社、1998)(https://kojimakei.jp/tamada/works/africa/africatoday2.doc)である。 ↓
次回③は、ヨーロッパ人の侵略が始まる前のアフリカについて、である。
(宮崎大学教員)