つれづれに: 歴史をどう見るか(2021年9月11日)
つれづれに: 歴史をどう見るか
九月も中旬になり、彼岸花が咲き始めた。この頃に山頭火は山口の其中庵に移り住んだようだ。最初に詠んだのが彼岸花の句。
うつりきてお彼岸花の花ざかり 種田山頭火
春先に、ある人からメールで「歴史を正しく理解するとはどういうことなのでしょうか。」と聞かれた。科研費をもらっている手前何かしないわけにもいかなくて企画したシンポジウムに参加してくれた人に送ったお礼に対する返信メールの中でである。→「2021年Zoomシンポジウム」(「続モンド通信27」、2021年2月20日)
当時はようはわからんかったけど、
その後、
赴任した頃の→「宮崎医科大学 」(続モンド通信17、2020年4月20日)
『……闇は光です この眼に見えるものはことごとく まぼろしに 過ぎません 計測制御なる テクニカル・タームをまねて 「意識下通信制御」なるモデルを設定するのは またまた 科学的で困ったものですが 一瞬にして千里萬里を飛ぶ 不可視の原言語のことゆえ ここは西洋風 実体論的モデルを 御許しいただきたい 意識下通信制御を 意識下の感応装置が 自分または他者の意識下から得た情報を 意識下の中央情報処理装置で処理し その結果を利用して 自分または 他者の行動を 制御することと定義するとき 人の行動のほとんどすべては 意識下通信制御によるものだと考えられます 少なくとも東洋人とアフリカ人には あてはまるはずです 私たちの行動のほとんどすべては 意識下の原言語できまるのであって 意識にのぼる言葉など アホかと思われるほど 些末なことです その些末を得意になって話しているのが ほかならぬ 学者文化人であって もう ほんまに ええかげんにせえ と 言いたくなります……』
『……最近の学生は とくに 医学生は 頭の良い子ばかりだそうです なにしろ なんかの方法で 受験勉強をしなかった子は いないというのですから 〝学問〟に対する その真摯な態度と勤勉に 驚かずにはいられません これは頭の良い両親の指導のもとに 水平方向に 己れの行く末を見つめ かっちりと計画がたてられる 頭の良い子であることを意味しています 鉛直方向によそみをすることなど 思いもよらぬ 天才少年です しかし〝頭の良い〟学生たちと〝頭の悪い〟シン先生 この両者に虹の橋はかけられないと絶望するのは早すぎます 学生たちの 眠っている 意識以前に 無言で語りかけてください 意識下通信制御です そうすれば シン先生の学生のなかから 医者や医学者ではなく 医家が 必ず 生まれることを かたく 信じてください そして もちろん 学生に 好かれるように行動するのではなく いつも 御自分からすすんで 学生のひとりひとりが 好きになるようにつとめてください 〝良い頭の〟学生は 医学生の責任だとはいえません 親はもちろん あらゆるものがよってたかって腕によりかけ 作りあげた〝高級〟人形であっても 愛着をもってやれば ある日 ぱっちり眼を開き 心臓が鼓動をはじめ 体のすみずみに しだいに ぬくもりがひろがっていくことが 必ずあることを忘れないでください それと 医学部の学生は 最優秀と考えられていますが 実際は 外国語も自然科学も数学もなにもかも まったくだめだということを 信じてください 子どもだから仕方のないことですが 世評がいかに 無責任ででたらめなものであるかを シン先生も 四月になれば いやというほど思いしらされるはずです たとえば 英語は 百分講義で英文科三ページがやっとのところを 医学部は十ページをかるがるとこなすのですが その医学部のひとりひとりをじっくり観察すると こいつ ほんまに 入試をくぐってきたんかいな と思う奴ばかりです それでもうんざりして見捨てたりせず この愚劣なガキどもの ひとりひとりからけっして眼をはなすことなく しっかりと 見守ってやっていただきたい なにしろ まだ人類とはならぬこども なのですから』