つれづれに:堀切峠下海岸道路補足②(2021年12月2日)

つれづれに

つれづれに:堀切峠下海岸道路補足②

堀切峠下海岸道路の補足の後半、青島、青島港、ホテルサンクマール近辺で、撮って来た写真の数が多いので、少し長くなりそうである。写真を撮ったのが金曜日で人はそう多くなかったが、第2派の時だったか第3派の時だったか、サーファーが海に入ることを禁じられ、他県からの訪問自粛が出された時に比べれば、だいぶ観光客も戻って来ているようだ。AOSIMA SUIKOENのそばから歩行者自転車道路に入り、曽山寺浜の上を通る橋を下ってしばらく行くと、左手に曽山寺浜に続く青島の砂浜、右手に子供の国が見える。ホテルにも客が戻って来たのか、砂浜ではファーフィンの実演指導を受けるボディースーツの高校生の集団(↑)、子供の国の川では一人用のボートに乗る高校生の集団(↓)が見えた。普段にない光景だった。

海水浴シーズンに間に合わせてきれいに掃除された砂浜に、シーズンが終わったあとの台風や暴風で流木やごみ(↓)が毎年流れ着く。もちろん曽山寺浜でも木崎浜でも状況は同じで、夏の海水浴シーズンの前にはブルドーザーできれいにされる。護岸工事は国土交通省の管轄のようだが、流木除去の作業は県の土木課が担当らしい。実際に作業をしているのは、請け負った土建業者だが、費用は県民税からだろう。

なぜか春と秋の自治会の一斉清掃の時には、二年に一度木崎浜の掃除の割り当てがある。各班4人の割り当てだが、4人を確保するのが年々難しくなっている。役員が回って来た時、すること自体を減らそうとして、そんな遠い木崎浜の掃除はやめませんか、本来はサーファーがするべきことで、元々お節介なんやし、減らせる一つやと思うんですけどね、と提案したが、ま、いいやないですか、という人がいて、実際は提案がやんわり「却下」された。することになっていること自体を見直そうと言う意見に基本的には大体が賛成している役員会でも、である。何やら協議会と何とか連合会からの要請を遠い昔に引き受けて、そのままになっているらしい。会長になって張り切る人がいると、することが増えて、増えたまま引き継がれる。会長をやりたくて仕方がない人、むやみに張り切る人が一番、たちが悪い。一度実施された行事は、おいそれとは廃止されない。自治会構成員が高齢化して、会長や役員のなり手が少なくなっているというのに、いざ何かを廃止しようと提案しても、実際には廃止されない場合が多い。できれば自治会と関わりたくないが、災害時だけ出て行くのも気が引ける、その思いだけで退会出来ないままである。日向灘沖大地震が起きないとは言えないし。

青島神社に行く橋の見える辺りの砂浜には今の所、流木やごみは見当たらない

と思ったが、青島神社に行く橋の手前に流木が見えた

青島神社の参道の入り口の角の一番大きな土産店は青島屋と言うらしい。工事が始まり、掲示で宮崎交通の管轄だと知ったとき、一番いい場所にこんな大きな新しい建物が出来たら他の店、やっていけんねんやろか、と思ったが、青島屋は元からあって、改装されただけですよと聞いた。看板がAOSHIMAYAになっている。歩行者自転車道路を通り始める前は、白浜に行く途中で、毎回この店の前を通り過ぎていたのに、何を見てたんやろ。

長くなったので、青島屋の続きと、青島港、サンクマール近辺は、次回の③に。

ブロッコリーが実をつけ始めた。年末には食べられそうである。ある時期まで希釈した酢を撒いても蒔いても虫の勢いに勝てなくて、葉っぱはこの惨状である(↑)。それでも、実をつけている。たぶん7度か8度くらいに下がった辺りから、虫を見かけなくなり、酢も撒かなくてよくなった。蚊取り線香も要らなくなった。10月までは冬野菜を蒔いても、大きくしようとしてもうまくいかないのに、11月に入ると俄然勢いがつく。10月までに葱やレタスの種を蒔いても、芽は出ても勢いがない。消えてしまう場合も多い。しかし、今はすごい勢いである。夏野菜のオクラと胡瓜の二期作を試みてみたが、芽は出て実はなるものの勢いがない(↓)。もうすぐ霜が降り出すと、枯れてしまう。自然に逆らって抗ってみても、所詮ホモサピエンスの浅知恵の域を出ないようである。