1月19日(火)3-4(10:30:-12:00)13回目でした。
小島けい2021年カレンダー「犬、猫、ときどき馬」1月ノアちゃん(白浜在住)
①英文(BLACK POWERを読みながら)映像:南北戦争直後のプランテーションの様子→再建期・反動(「ルーツ」のKKK、選挙演説)→1954年の公立学校での人種差別違憲最高裁判決→1957年リトルロック高校事件(「アーカンソー物語」)→1963年アラバマ州立大学事件→ワシントン大行進
公民権運動の英文は目を通すと流れがわかり易いと思います。日本語訳→BLACK POWERの日本語訳
この辺りはメールマガジンに書いたことがあります→「アフリカ系アメリカ小史④公民権運動」(「モンド通信 No. 70」、2014年6月10日)
<次回>
①映像:「招かれざる客」
来週、また。
BLACK POWERの日本語訳
BLACK POWER ブラック・パワー
Following the First World War there were 70 lynchings within a year. In 1919, there were 25 bloody race riots in the United States. In some towns returning black soldiers were beaten and forced to discard their uniforms. Mobs burned homes of black people. Segregation grew. In the violent Chicago race riot, millions of dollars worth of property was destroyed and many people were killed.
第一次世界大戦のあと、一年間に70件もの私刑が行われました。1919年には25件もの血生臭い暴動が合衆国で起こりました。帰還した黒人兵が殴られ、無理やり制服を脱がされた街もありました。暴徒が黒人の家に火をつけました。人種隔離はひどくなりました。激しいシカゴの人種暴動では、何百万ドルもの価値がある資産が破壊され、多くの人が殺されました。
Civilized men believed violence should be no solution to their problems, so the N.A.A.C.P. (the National Association for the Advancement of Colored People) kept working for equal enforcement of the laws of the Constitution, particularly for the black citizen who did not have legal equality or full protection by the police. Little by little, black people have seen these objectives come more and more into being, largely through the Supreme Court’s affirmation of the great provisions of the Constitution.
教養のある人たちは暴力で問題を解決すべきではないと信じていましたので、N.A.A.C.P.(全米黒人地位向上協会)は憲法の条項を平等に施行するように、特に法的に同等ではなく、警察に充分には守ってもらえなかった黒人市民のために働き続けました。主に憲法の偉大な条文を最高裁判所が支持する形で少しずつ、それらの目標が実現していきました。
In those states where the tax money of black people was spent for beautiful state universities to which blacks could not go, the lawyers of the N.A.A.C.P. convinced the Supreme Court that this should not be , and in 1954 the Court declared it wrong. The right of all children to a full and equal education without discrimination was upheld. Though there were big clashes between blacks and whites in some high schools and universities, black students were finally able to attend the former white schools.
黒人が納めた税金が自分たちが行けない美しい州立大学のために使われていた州では、N.A.A.C.P.の弁護士が最高裁判所にそれが違憲だと訴え、1954年に裁判所はそれが違憲だという判決を出しました。子供たちが人種差別されることなしに完全で平等な教育を受ける権利が支持されました。高校や大学で黒人と白人との間で激しい衝突がありましたが、黒人生徒はとうとう以前の白人学校に通えるようになりました。
Again, through the N. A. A. C. P., restrictive covenants denying black people the right to buy homes anywhere were broken down. Segregation in interstate travel was declared against the national interest. The Urban League had great effect in opening up to black workers employment in plants, factories, offices, and shops where formerly no black people had worked.
再びN.A.A.C.P.を通じて、黒人がどこでも家を買えるという権利を否定する土地制限契約が破棄されました。州を越えて旅行をする際の人種隔離は国の利益に反するという判決が出されました。都市同盟は以前は黒人労働者が誰も働けなかった施設や工場や事務所や店で黒人が雇われ働くようになる道を開くのに大いに影響を与えました。
Meanwhile, books by black writers began to be published in increasing numbers, and to be translated abroad. Black music, from jazz to the symphonies of William Grant Still, has been heard around the world. Joe Louis became the heavyweight champion of the world, Jackie Robinson became a member of the Dodgers, and black music is still traveling.
一方では、黒人作家の本がますます出版され、国外で翻訳され始めました。ジャズからウィリアム・グラント・スティルの交響曲まで黒人音楽は世界中で聴かれるようになりました。ジョー・ルイスはヘビー級の世界チャンピオンになり、ジャッキー・ロビンソンはドジャースの一員になり、黒人音楽はなお広がり続けています。
In the so-called 'Civil Rights Movements’ many black people were active in the struggle for equal rights. Resistance took various forms, ranging from a bus boycott, to student sit-ins, a freedom ride and so forth.
いわゆる「公民権運動」では、多くの黒人が平等な権利を求めて活発に戦いました。抵抗はバスボイコット運動から学生の座り込み運動、バス乗り入れ運動など、様々な形を取りました。
These acts were led by some outstanding men, including Malcolm X and Martin Luther King Jr.
これらの運動はマルコムXやマーチン・ルーサー・キング・ジュニアを含む優れた指導者に導かれました。
Malcolm X gave emphasis to the self-consciousness of black people like Steve Biko in South Africa and had a profound influence, especially on intellectuals and the younger generation.
マルコムXは南アフリカのスティーブ・ビコのように、黒人の自己意識を強調し、特に知識人や若い世代に深い影響を与えました。
REFERENCE 6 参照6
Just before his assassination in New York on Friday 21, 1965, Malcolm X talked about Afro-American history, in which he referred to the invented term 'Negro’:
ニューヨークでマルコムXが暗殺される直前の1965年21日金曜日に、アフリカ系アメリカ人の歴史について話しましたが、その中で、巧妙に作り出された「ニグロ」という言葉に言及しました。
“The worst trick of all is when he names us Negro and calls us Negro. And when we call ourselves that, we end up tricking ourselves. . . .We were scientifically produced by the white man. Whenever you see somebody who calls himself a Negro, he’s a product of Western civilization – not only Western civilization, but Western crime. The Negro, as he is called or calls himself in the West, is the best evidence that can be used against Western civilization today. One of the main reasons we are called Negro is so we won’t know who we really are. And when you call yourself that, you don’t know who you really are. You don’t know what you are, you don’t know where you came from, you don’t know what is yours. As long as you call yourself a Negro, nothing is yours. No languages – you can’t lay claim to any language, not even English; you mess it up. You can’t lay claim to any name, any type of name, that will identify you as something that you should be. You can’t lay claim to any culture as long as you use the word Negro to identify yourself. It attaches you to nothing." (Malcolm X on Afro-American History)
「中でも最も質(たち)の悪いのは、白人が私たちにニグロと名前をつけ、私たちをニグロと呼んでいることです。そして私たちが自分自身をそう呼ぶ限りは、自分たちをだますことになってしまいます……私たちは科学的に白人たちによって作られました。自分自身をニグロと呼ぶ限りは、その人は西洋文明の産物であり、西洋文明だけではなく西洋の罪の産物なのです。西洋でニグロと呼ばれ、自分でも自分のことを二グロと呼ぶのは、今の西洋文明に反して使われる最適な証拠です。私たちがニグロと呼ばれるのは、自分たちが本当は何者であるかを知ろうとしないからでもあります。そして自分自身をそう呼ぶとき、自分が本当は何者なのかを知りません。自分が何であるか、どこから来たのか、何が自分のものなのかも知りません。自分自身をニグロと呼ぶ限り、自分のものは何もありません。どんな言葉も自分の言葉だとは言えません。英語も自分言葉だとは言えません。自分が混乱するだけです。名前は自分のお存在を証明してくれるものですが、どんな名前も、どんな種類の名前も自分の名前とは言えません。自分自身を証明するためにニグロという言葉を使う限りは、どんな文化も自分の文化だとは言えません。自分をニグロと呼ぶ限りはあなたが属するものは何もありません。」(マルコムXによるアフリカ系アメリカ人の歴史)
Martin Luther King Jr. delivered his 'I Have A Dream’ address at the Lincoln Memorial in August, 1963. (See Appendix Afro-America 2) On that day more than 250,000 people, black and white, marched against racial discrimination in Washington. It was just a hundred years since Lincoln had signed the Emancipation Proclamation.
マーチン・ルーサー・キング・ジュニアは1963年8月にリンカーン記念堂で「私には夢がある」という演説を行ないました。(付録アフロ-アメリカ2を参照)その日、25万人以上の黒人や白人がワシントンで人種差別に反対してのデモ行進を行ないました。それはリンカーンが解放宣言に署名してからちょうど100年後のことでした。
クラス名簿(Zoomではある方がよさそうやから、学生支援課でもらったファイルからコピーしたよ。)
2020年後期 クラス名簿(48名)(2020年10月6日現在)
61200043 | イケムラ ヒロト | 工学部環境応用化学科 | ||||
池村 広飛 | 1年 | |||||
61200254 | ソネ ケンセイ | 工学部環境応用化学科 | ||||
曽根 健聖 | 1年 | |||||
61200375 | ニシムラ ハルヒ | 工学部環境応用化学科 | ||||
西村 春陽 | 1年 | |||||
61200430 | ハマカワ コウヘイ | 工学部環境応用化学科 | ||||
濱川 光平 | 1年 | |||||
61200441 | ハヤシダ カズヤ | 工学部環境応用化学科 | ||||
林田 和也 | 1年 | |||||
61200476 | ヒダカ ユウセイ | 工学部環境応用化学科 | ||||
日高 祐誠 | 1年 | |||||
62180110 | カワノ シヨウヤ | 工学部社会環境システム工学科 | ||||
河野 匠哉 | 3年 | |||||
62200062 | イワモト ソウマ | 工学部社会環境システム工学科 | ||||
岩本 颯真 | 1年 | |||||
62200109 | オオツカ コウキ | 工学部社会環境システム工学科 | ||||
大塚 恒輝 | 1年 | |||||
62200213 | クラヅメ トシナリ | 工学部社会環境システム工学科 | ||||
倉爪 駿成 | 1年 | |||||
62200259 | サトウ リヨウセイ | 工学部社会環境システム工学科 | ||||
佐藤 瞭成 | 1年 | |||||
62200471 | ミヤジ ユウト | 工学部社会環境システム工学科 | ||||
宮地 優人 | 1年 | |||||
63200027 | イイヤマ タカト | 工学部環境ロボティクス学科 | ||||
飯山 貴冬 | 1年 | |||||
63200030 | イガラシ レン | 工学部環境ロボティクス学科 | ||||
五十嵐 廉 | 1年 | |||||
63200319 | ナカシマ リク | 工学部環境ロボティクス学科 | ||||
中島 陸 | 1年 | |||||
63200373 | ホリタ ヒデオミ | 工学部環境ロボティクス学科 | ||||
堀田 英臣 | 1年 | |||||
63200401 | ミヤ ヨシエ | 工学部環境ロボティクス学科 | ||||
宮 佳恵 | 1年 | |||||
63200425 | モタニ ケンタ | 工学部環境ロボティクス学科 | ||||
茂谷 健汰 | 1年 | |||||
63200508 | ワタナベ タクヤ | 工学部環境ロボティクス学科 | ||||
渡辺 拓哉 | 1年 | |||||
64200222 | カミヤ ヒョウ | 工学部機械設計システム工学科 | ||||
神谷 彪 | 1年 | |||||
64200271 | ソノダ コウダイ | 工学部機械設計システム工学科 | ||||
園田 高大 | 1年 | |||||
64200299 | タカハシ コウジ | 工学部機械設計システム工学科 | ||||
高橋 輝至 | 1年 | |||||
64200356 | ニシダ ツバサ | 工学部機械設計システム工学科 | ||||
西田 大翼 | 1年 | |||||
64200387 | ハヤシ ジユンヤ | 工学部機械設計システム工学科 | ||||
林 隼矢 | 1年 | |||||
64200518 | ヤガサキ リユウヘイ | 工学部機械設計システム工学科 | ||||
矢ケ崎 龍平 | 1年 | |||||
64200523 | ヤマガ トモヤ | 工学部機械設計システム工学科 | ||||
山鹿 友也 | 1年 | |||||
65160180 | サイトウ タイチ | 工学部電子物理工学科 | ||||
齊藤 太一 | 4年 | |||||
65200186 | クロギ アヤミ | 工学部電子物理工学科 | ||||
黒木 彩心 | 1年 | |||||
65200371 | ナガタ ジユンペイ | 工学部電子物理工学科 | ||||
永田 惇平 | 1年 | |||||
65200384 | ナカタケ キヨウタ | 工学部電子物理工学科 | ||||
中武 杏太 | 1年 | |||||
65200409 | ハシグチ リト | 工学部電子物理工学科 | ||||
橋口 理斗 | 1年 | |||||
65200418 | ヒグチ レン | 工学部電子物理工学科 | ||||
樋口 蓮 | 1年 | |||||
66190222 | キリハラ ヒロキ | 工学部電気システム工学科 | ||||
桐原 拓希 | 2年 | |||||
66190253 | クリタ ワタル | 工学部電気システム工学科 | ||||
栗田 亘 | 2年 | |||||
66200060 | オゼキ タイセイ | 工学部電気システム工学科 | ||||
尾関 泰正 | 1年 | |||||
66200183 | タムラ リユウスケ | 工学部電気システム工学科 | ||||
田村 竜佑 | 1年 | |||||
66200288 | ニシカワ リヨウ | 工学部電気システム工学科 | ||||
西川 遼 | 1年 | |||||
66200332 | ヒガシ コウシロウ | 工学部電気システム工学科 | ||||
東 香士朗 | 1年 | |||||
66200451 | モリ カイヤ | 休学 | 工学部電気システム工学科 | |||
森 海也 | 1年 | |||||
67200018 | アマキ ダイスケ | 工学部情報システム工学科 | ||||
天木 大介 | 1年 | |||||
67200146 | オシカワ リヨウ | 工学部情報システム工学科 | ||||
押川 陵 | 1年 | |||||
67200184 | カワバタ アオイ | 工学部情報システム工学科 | ||||
川畑 葵 | 1年 | |||||
67200212 | クシマ リュウヤ | 工学部情報システム工学科 | ||||
櫛間 龍也 | 1年 | |||||
67200230 | コバヤシ リヨウスケ | 工学部情報システム工学科 | ||||
小林 良輔 | 1年 | |||||
67200294 | スギモト ダイチ | 工学部情報システム工学科 | ||||
杉元 大地 | 1年 | |||||
67200333 | タナカ シンノスケ | 工学部情報システム工学科 | ||||
田中 慎乃介 | 1年 | |||||
67200368 | トダカ ヨシヒコ | 工学部情報システム工学科 | ||||
戸高 快彦 | 1年 | |||||
67200528 | ヨシオカ シユン | 工学部情報システム工学科 | ||||
吉岡 駿 | 1年 |
<今日>