英語 Ra2(2)

12月17日

11回目、今年最後の授業でした。

来週、再来週は休みで、次回は1月7日(課題提出)、13回目は16日(水、月曜日振替)、14回目は21日(月)、28日(月)が最終日です。

次回から、授業についてのコメントを聞きたいと思っています。最終日に全員でもええんやけど、8~9人を4回にわけて言ってもらえると嬉しいです。授業の内容(アフリカ、アフロアメリカ関係、トーイック、課題など)について、質問、要望、提案などがあれば遠慮無く。来年も担当予定なので、その時のためにも参考に出来ればと思っています。

今日は何曲か聴いてもらって、Slaveryを最後まで。今回も濟陽くんがやってくれた箇所の日本語訳を貼っときますので、参考にしてや。

Paul Robesonが歌うアイルランド民謡Danny Boy(イギリスに渡って特にシェイクスピアのオセロ役(黒人)でヒットしてヨーロッパで有名になったこともあってヨーロッパの民謡も歌っています)、ゴスペルの女王マへリア・ジャクソンが歌うメドレーSummertime(たぶんジャズナンバー), Sometimes I Feel Like a Motherless Child(たぶんスピリチャル)、それからクロマティのゴスペルの映像の冒頭とメンフィスのマへリア・ジャクソンの映像、公民権運動の時に始まったソウルの映像(ブルーズブラザーズから)。

マへリア・ジャクソン

あと、ゴスペルの映像を何本かと、ブルース、ジャズを何曲か紹介出来たら。公民権運動の時にWe Shall Overcome、そのあとWe Are the World、までかな。

歴史については、南北戦争→占領政策→反動→公民権運動と続きます。次回はさっと話をして、関連の映像も観てもらうつもりです。出来れば、公民権運動時代の映画を一本観てもらえたらええんやけど、ね。

トーイックに関しての例文のプリント④も、次回、各グループの割り当てを決めて、少しでもやろ。④の残りに目を通しておいてやな。

濟陽くんがやってくれた箇所の日本語訳です。

There were many escaped slaves who fought against their slave owners together with other abolitionists, black and white, in the North.

北部にはたくさんの逃亡して来た奴隷がいて、黒人や白人の奴隷制廃止論者と一緒に奴隷主と闘いました。

Harriet Tubman, the great conductor of the Underground Railroad to freedom, a nurse for the Union soldiers in the Civil War, a spy for the Union Armies, went back and forth in the South to rescue slaves.

自由への地下鉄道の偉大な車掌で、南北戦争では北部の兵士のための看護師や北軍のスパイも務めたハリエット・タッブマンは南部へ行き来して奴隷たちを救いました。

ハリエット・タッブマン

Frederick Douglass ran away when he was twenty-one. He got a job in New England, began to make anti-slavery speeches and eventually became one of the Great American abolitionists, founding a paper called 'The North Star,’ writing and speaking for freedom. People in bondage keenly wanted a kind of Moses to lead them to freedom and there appeared their Moses, John Brown. He was a white man, old and tall, with a flowing beard, a Bible in one hand and a gun in the other.

フレデリック・ダグラスは21才のときに逃亡しました。ニューイングランドで職を得て、奴隷制に反対する演説を始めました。そして、やがてはアメリカの偉大な奴隷廃止論者となって「ノーススター」紙を創刊し、自由を求めて本を書いたり、演説もやりました。捕らわれの境遇にいる奴隷は、解放して自由にしてくれるモーゼのような人物を切望していました。そこにモーゼのような人物ジョン・ブラウンが現れました。ジョン・ブラウンは白人で、年老いて背が高く、流れるようなあごひげを生やし、片手には聖書を、もう一方の手には銃を持っていました。

フレデリック・ダグラス

In 1859 John Brown and 22 other members, black and white, marched on the government arsenal at Harpers Ferry, Virginia, intending to seize the arms and give them to the slaves. Some were killed and the rest were taken prisoner. John Brown’s uprising was a failure in so far as freeing the slaves then went. But it shook the empire of slavery to its foundations. It gave courage to the bondsmen and struck terror into their masters. John Brown was hanged. But it was only a matter of time before the Civil War began.

1859年にジョン・ブラウンは黒人、白人を含む22名と一緒に、ヴァージニア州のハーパーズフェリーにある政府の兵器庫に行進しました。武器を奪って奴隷たちに与えるつもりでした。何人かが殺され、残りは捕らえられました。ジョン・ブラウンの蜂起はそのとき奴隷を解放するという点では失敗でしたが、その蜂起は奴隷制の根幹から揺るがしました。その蜂起は奴隷に勇気を与え、奴隷主に恐怖を与えました。ジョン・ブラウンは絞首刑にされましたが、南北戦争が始まるのも時間の問題でした。

ジョン・ブラウン

The European capitalists used the profits from the slave trade and from slave labor in America to develop their own industries. Gradually the industrial capitalists grew more powerful than those capitalists who invested in trade. While the slave traders and the plantation owners wanted to keep slavery, the industrial capitalists’ main interest was to buy workers on a 'free labor market.’ The capitalism of free competition was turning into monopoly capitalism.

ヨーロッパの資本家は奴隷貿易やアメリカでの奴隷の労働によって得た利益を自分たちの産業を発展させるために使いました。産業資本家が、奴隷貿易に投資した資本家よりも次第に力をつけて行きました。奴隷商や荘園主が奴隷制を維持したいと思いましたが、産業資本家の主な関心は「自由な労働力市場」で労働力を買い集めることでした。自由競争の資本主義が独占資本主義へと変貌して行きました。

また、来年やね。

ビジネス英語 I-2(2)

12月10日

10回目でした。その日のうちに書いたつもりが、前日になりました。水曜日から金曜日まで東京に行ってたせいか、ずいぶんと日にちが経ったような気がするなあ。

もう少し実り多いものになるかと思っていたけど、もう一つやったね。機械も、お互いの発表も、スカイプでの遣り取りも。

折角グループで発表をして来たんで、もう一回、今度はビジネスに関しての発表をやらへんか。折角発表には好都合の大きな部屋を使ってるし。

具体的には、僕から提案を出そうと思ってるけど、みんなもいっしょにやってみたい内容を考えて具体的な案を出してくれるとありがたいけどね。いっしょにやろ。

グループワークをしてるときに、個人の面接も出来たらと思っています。あしたも含めて5回あるんで、お互いのためになる時間になるとええなあ。

トーイックに関しては、折角例文のプリントも配ってあるんで、少なくとも④の残りは、グループで例文作りをやってもらえたらと思っています。それも、授業の時に。

あしたの授業で、また。

英語 Ra2(2)

12月10日

10回目でした。その日のうちに書いたつもりが、前日になりました。水曜日から金曜日まで東京に行ってたせいか、ずいぶんと日にちが経ったような気がするなあ。

最初に、Deep River, Go Down, Moses, Joshua Fit the Battle of Jericoを聴いてもらい、クンタが売り飛ばされるAuctionと農園から逃亡して奴隷狩りに捕まえられ、鞭打ちされる場面を観てもらいました。(ちょっと曖昧、授業前に誰かに聞いて確かめんとね)

Paul Robeson

それから、A Short History of Black AmericansのSlave Tradeを橋口くんが、Slaveryを濟陽くんがやってくれ、途中で時間切れ。次(あした)はその続きから。

読んだあと、今度は映像と歌をたっぷり紹介出来るとええね。

スピリチャルやゴスペルなどの教会音楽→ソウル→ブルース(→ジャズ→アメリカンポップス、ラップなど)くらいまではいろいろ観て、聴いてもらいたいなあ。折角大きな部屋で気兼ねなしに聴いてもらえるんやしね。

南北戦争(北部の産業資本家と南部の寡頭勢力の労働力の奪い合い)→公民権運動(南北戦争の妥協の産物奴隷解放の実質化=公民権を求めて闘った)は、年明けになるね。

この前もすすめたけど、歴史を英語で読むのは、たぶんこの時間くらいしか将来機会がないと思うので、この機会に是非。課題図書にも入れてあるLangston HughesのThe Glory of Negro Historyは著者本人の朗読もあるし、誰にでも読みやすいように詩人が書いてくれた文章なので、お薦めです。音声はCDに入れてあり、本文もプリントにしてあります。

Langston Hughes

トーイックに関しては、折角例文のプリントも配ってあるんで、少なくとも④の残りは、グループで例文作りをやってもらえたらと思っています。さっと解説したあと、各グループに割り当てるんで、出来れば④の残りに目を通しておくとええな。

橋口くんと濟陽くんがやってくれた箇所の日本語訳を貼っときます。

A Short History of Black Americans," in Africa and Its Descendantsアフリカ黒人小史、『アフリカ、その末裔たち』(1刷)

(2刷)

SLAVE TRADE 奴隷貿易

By the early 1500’s, black people were going to the New World. The first blacks went to America as explorers, not as slaves.

1500年代の初め頃までには、黒人は「新世界」に行くようになっていました。最初の黒人は、奴隷としてではなく探検家としてアメリカに行きました。

In 1619 twenty Africans were unloaded in Jamestown, Virginia. That was the year when the roots of slavery began in the United States. Slave ships filled with captured black men and women began to sail across the Atlantic Ocean to the American shores.

1619年に20人のアフリカ人がバージニアのジェイムズタウンに積み荷として陸揚げされました。それが合衆国の奴隷制度の元が始まった年でした。捕われの身となった黒人男女で一杯の奴隷船が大西洋を横断してアメリカの岸へと航海を始めました。

In the slave trade the merchants’ profits and the products from America were exchanged in Europe for guns and cloth which were brought to Africa and exchanged for slaves. These humans were sold in America where they produced the goods to be brought to Europe. This was the so-called 'triangle trade’ or 'triangular trade.’ The riches of capitalists grew while Africa suffered. This slave trade continued for three and a half centuries and brought millions of Africans to America.

奴隷貿易では、商人の利益とアメリカでの産物がヨーロッパで銃や布と交換され、それがアフリカに持って行かれて奴隷と交換されました。その人たちはアメリカで売り飛ばされ、そこで産物を作って、その産物がヨーロッパに運ばれました。これは「三角貿易」または「三角の貿易」と呼ばれました。資本家の富は増え、アフリカは苦しみました。この奴隷貿易は3世紀半の間続いて、数百万人ものアフリカ人がアメリカに運ばれました。

European, above all English and American capitalists had gained enormous profits from the trade in slaves and the work performed by the slaves. Slavery was an essential part of the international capitalist market. By this trade the first large-scale collection of wealth was accumulated, speeding up development towards capitalism. The 'triangular trade’ was one of the foundations of the Industrial Revolution in Europe.

ヨーロッパ人、とりわけイギリスやアメリカの資本家が奴隷貿易と奴隷がした労働から莫大な利益を得ました。奴隷制は国際資本家市場の要の部分でした。この貿易によって大規模な初期の資本蓄積がなされて、速度を上げながら資本主義に向けて進んで行きました。「三角貿易」は、ヨーロッパの産業革命の土台の一つになりました。

For Africa the consequences of the slave trade were ruinous, not only in terms of the boundless suffering of the millions who were taken as slaves, and their descendants, but also for those left behind. In the Middle Passage sometimes whole groups of  Africans, taken on deck at night for air, would leap into the sea – committing mass suicide rather than go into slavery.

アフリカにとっては、奴隷貿易のもたらす結果は、奴隷として連れ出された何百人もの人々とその子孫が被った際限ない苦しみという意味だけではなく、後に残された人たちにとってという意味でも壊滅的でした。中間航路では、外気にあてるためにデッキに連れて出されたアフリカ人たちが集団で海へ飛び込むこともありました。奴隷にならずに集団自殺をしたのです。

SLAVERY 奴隷制度

 As soon as they were landed and sold some would run away into the forest and join the indigenous people who were already living there. Thousands of Africans were brought by force to America to plant cotton, rice, corn, and wheat, to build the roads and clear the forests, to do all the hard work that went into the early building of America.

アフリカ人の中には陸揚げされて売られるとすぐに森に逃げ込み、元からそこに住んでいた現地の人たちと合流するものもいました。何千人ものアフリカ人が力ずくでアメリカに連れて来られ、綿、米、玉蜀黍(とうもろこし)、小麦を栽培し、道路を建設したり、森林を伐採するなど、初期のアメリカの土台を作ったあらゆる過酷な労働を強いられました。

Each slave was sold off to a separate plantation, for plantation owners wanted to keep them from communicating with each other through the same African language. In addition, they tried to prevent the slaves from learning to read and write English, too. When the owners found some slaves trying to read and write, they often punished them severely.

奴隷はそれぞれ別々の農場に売られました。奴隷同士が互いに同じアフリカの言葉で意思の疎通がはかれないようにしたいと荘園主が望んでいたからです。それに、奴隷が英語の読み書きを習おうとするのも邪魔しようとしたのです。荘園主が読んだり書いたりしようとする奴隷を見つけると、厳しく罰することもよくありました。

No man wanted to be a slave. Many tried to escape from slavery. Thousands ran away alone. Some slaves rebelled against their slave masters.

誰も奴隷になりたくありませんでした。多くの人々が奴隷制度から逃れようとしました。何千のも奴隷が一人で逃亡しました。奴隷主に反乱を起こした人たちもいました。

In 1800, a young black, Gabriel, organized a revolt in Virginia that involved thousands of black men and women. But on the day when the uprising was to have started, a great storm and a flood wrecked their plans. The leaders were discovered, and some thirty-five others were put to death by the slave owners. They died silently.

1800ガブリエルという若い黒人がヴァージニアで数千人に及ぶ黒人男女が関わった反乱を起こしました。しかし、その反乱が始まる予定だった日に激しい雨が降って洪水となり、計画が頓挫してしまいました。首謀者は見つけ出され、およそ35人もの人たちも奴隷主に殺されました。その人たちは黙って死んで行きました。

In 1831 another great slave rebellion broke out in Virginia, led by Nat Turner. In this insurrection, some sixty slave owners were killed. More than a hundred blacks lost their lives before this uprising was suppressed. Seventeen slaves were put to trial and hanged. As slaves became increasingly restless, they revolted more and more. In increasing numbers, too, they were escaping to the North.

また1831年には、ヴァージニアでナット・ターナーに率いられて大規模な奴隷の反乱が起きました。この暴動では60人ほどの奴隷主が殺されました。そして暴動が鎮圧されるまでに100以上もの黒人が命を亡くしました。17の奴隷が裁判にかけられて、絞首刑にされました。奴隷の不満が募れば募るほど、ますます反乱を起こしました。北部へ逃亡する奴隷の数も増えていきました。

 

英語 Ma2(4)

試験の問題について

25×2=50でええやろか(15章の時は20×2=40)

エイズはimmune systemに関わる病気でもあるけど、sexually transmitted disease (STD)でもあるという側面も大事なんやけど、エイズの薬は史上最大規模のお金にまつわる問題でもあるという側面を考えたことがあるやろか。

それと、得てして西洋の医学、特に第二次世界大戦後無条件降伏したあと押しつけられたアメリカ医学の基本は対処療法が主流で、病気にならないようにどうすればいいかという視点が欠落している場合が多いんやけど、エイズについても言えるので、貧困もエイズの大きな要因だと言った南アフリカの大統領タボ・ムベキをこぞってけちょんけちょんに叩いたのは西洋のメディア、ムベキの言ったことがそんなにけちょんけちょんに叩かれるような内容やったんやろか、そんな話もしたいと思っています。短い時間やけど、授業でも言ったように、みんなの意識下に響くような話が出来るといいねえ。

土曜日に医学科の部屋に寄ったとき、事務室にも行ってみたらすでに印刷してくれてたんで、東くんからみんなの手元に行ってると思う。解説を簡単にしときます。

エイズに関しては①エイズの歴史、②HIVの増幅のメカニズム、③抗HIV製剤、④エイズへの包括的アプローチとアフリカ問題を軸に、映像や雑誌などの記事を使っていろいやろうと思っています。

記事については*をつけた3種類を誰かに要約解説、あるいは日本語訳してもらおうと思っています。もちろん、各自必ず目を通して来る方が、お互いに理解度が深まると思います。
*の3つ(*1~*3)、誰かやらへんか。やってくれる人はメールで知らせてや。(先着順、決まったらブログに書いときます。授業でする順番は*2→*1→*3

①History

“History of AIDS Discovery"*1(1994年の横浜の世界エイズ会議の期間中にThe Daily Yomiuriに掲載された特集記事の一つ)
2AIDS01_LA_14_Paris(ドキュメンタリー『エイズの時代』[2006年]に登場する医師のインタビューのtranscription)

②Mechanism of HIV Replication

3 人の免疫の仕組み・HIV構想図(大学教員向けにつくられたエイズに関する冊子『エイズ 教職員のためのガイドブック ’98』の中から)
4 9 The Immune System and Mechanisms of Defense 6~9(2年次で使うガイトンの『生理学』と高校の生物の教科書の橋渡しのような本Human Biologyから)
[この中の“9.10 Immune deficiency: The special case of AID" (pp. 6-9)*2

③Anti-HIV drugs

5エイズ治療元年・HIV治療「一日一錠」に(朝日の新聞記事)
6Targeting a Deadly Scrap of Genetic Code (Newsweekの記事)
(記事の真ん中にある“Disrupting the Assembly Line"*3
7ERII2B(1996年のエイズ元年以前、1994年にエイズ=死であったころに抗HIV製剤AZT(アジドジブジン)を使うしかなかった小児科医の苦悩を描いたERの場面)
8Gore’s humanitarianism loses out to strong-arm tactics(抗HIV製剤が大統領選を左右するきっかけになったNatureの論説記事と、小論文入試の時代の小論文問題↓)
9エイズが問う「政治の良心」(NatureのEditorialの記事)
10平成十四年度後期<小論文試験問題>

④Holistic approach and African issues

<アフリカのエイズ問題を包括的に捉える>
11As They See It The Development of the African AIDS Discourse(エイズを包括的に捉えるように提言した、アフリカ経験の長いアメリカ人医師が書いた本から)
12Efficiency Expert ERNEST DARKOH(抗HIV製剤とビジネスとを結びつけてエイズと戦うケニア人医師の紹介記事)
13Mr. Darkoh(国境なき医師団の草分け貫戸朋子がケープタウンのダルコーさんを訪ねてやったインタビューのtranscription)

今はCGもたくさん出てて、理解を助けてくれるみたいです。このブログの掲示板にもリンクを貼ってあるけど、ここにも貼っときます。

HIVに関しての動画のアドレスです

How HIV Causes Disease

HIV life cycle: How HIV infects a cell and replicates itself using reverse transcriptase

How HIV attacks human

それぞれ聞き取ってtranscriptionも作ってるんで、必要ならどうぞ。かなりわかりやすいし、耳でも理解を深められてなかなかいいよ。

医学科で授業をして教授でもあったから(研究も求められるから)文学とエイズをテーマに2回科研費をもらいました。どっちも報告書を作ったけど、今回初めの分をこのブログの書いたもののなかに載せました。2回目のは時間がなくて載せられなかったけど、pdfでホームページ→「「ノアと三太」のトップページに置いてあり(→「科研費(2009~2011)」)ダウンロード出来ます。

1回目の分→「(2003~2006) 科研費報告書」

結構時間がかかったけど、何とか。
課題は、まだ読めてないけど。