概要
(概要作成中)
本文(写真作業中)
執筆年
2010年2月10日
(概要作成中)
2010年2月10日
横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳を連載した分の14回目です。日本語訳をしましたが、翻訳は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、経済的に大変で翻訳を薦められて二年ほどかかって仕上げたものの出版は出来ずじまい。他にも翻訳二冊、本一冊。でも、ようこれだけたくさんの本や記事を出して下さったと感謝しています。No. 5(2008/12/10)からNo.35(2011/6/10)までの30回の連載です。
日本語訳30回→「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(「モンド通信」No. 5、2008年12月10日~No. 30、 2011年6月10日)
解説27回→「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(「モンド通信」No. 9、2009年4月10日~No. 47、 2012年7月10日)
『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―
(14)第14章 ドクターGGの娘(後半)
ワムグンダ・ゲテリア著、玉田吉行・南部みゆき訳
(ナイロビ、アフリカン・アーティファクト社、1992年)
(14)第14章 ドクターGGの娘(後半)
ムンビはホワイトキャップ3本とピルスナーを2本を抱えて戻ってきました。慣れた手つきで蓋を開けると、父親の診療台の上に置きました。ムンビは診療用のベッドに腰を掛け、私は椅子に座りました。ビールで神聖な場を汚しているような気がしました。ムンビは、少しずつピルスナーを飲みながら私を見つめると、右足をぶらぶらと動かし始めました。諦めずにまた、さっきの質問を蒸し返したい様子でした。
ホワイトキャップ
「ねえ、どうして結婚してないの、って聞いたのよ。」
「出来ないんだ。」
「どうして?」
「奥さんと何をすればいいか、分からないからさ。」
「人は、奥さんたちと何をするの?」
「妊娠させて、子どもをこしらえ、成長を見届けるんだよ。」と、私は答えました。
「で、あなたはそれが出来ないわけね。」
「そうだよ。」
「あたしが教えてあげられるわよ。」と、ムンビが挑むように言いました。
「その気になった時にはね。」と私は言い返しました。
「お父さんがあなたはカンバ人だと言ってたわね。カンバ人はこういうことにかけては有名なんでしょ。」
「僕はカンバ人だけど、他の人みたいにうまく行かないみたいだね。」
私は女性の前では気恥ずかしく、いい関係が出来ると確信するまでいつも待ってしまう方で、探りを入れたり、言い寄ったり、けしかけたりする積極的なムンビのようなタイプはどうも苦手でした。
私たちは飲み続けました。私はホワイトキャップを3本、ムンビもピルスナーを1本空にして、ムンビが注文したローストビーフを食べてから、診療所を閉めました。二人はママ・ンジェリのバーに向かいました。20日にしては珍しく客がたくさん入っていました。一度、性感染病の治療をした4人の男性と、私がンデル診療所で診察していたときに来たことがある3人の女性がいるのが見えました。
「先生、どこ行ってたんですか?」と、ジェイムス・ムラウワが店の奥から叫びました。
「やあ、ムングチ先生、私らに会いに来たんですか?」と、私には誰だか分かりませんでしが、大きな声が響きました。
「せんせ、ンデルへようこそ。マダム、マダム、ムングチ先生にビールを1箱持ってきてくれよ!」と、ドクターGGは酔っ払いながら席から立ち上がり、自分の娘と私に向かって手招きをして大声で言いました。
ホワイトキャップが12.5リットル入ったケースを仕事に忠実なウェイトレスが目の前に置きました。それから、ウェイトレスがメイドの役をして、宴会が始まりました。ドクターGGは、誰もケースに触れないうちに全部飲むように、と私に言いました。つまり、全部私1人で飲め、という意味です。私は黙ってそれに従いましたが、翌朝まで店に残っても、 12リットルものホワイトキャップを全部飲むのは到底無理だと充分にわかっていました。
「賞を貰ってもいいくらいの美人の娘がいるのが分かっただろ?」と、GGは結構重大な予言をしていることに自分では気づかないまま、私をからかいました。のちに娘といっしょにママ・ンジェリに来たあと私とムンビとの間で起きた出来事によってその予言が証明されることになるのですが。
接するようになってわかったのですが、ジェイムズ・ムワウラは冗談ばかり言っている人で、まわりは陽気に笑ってはいましたが、かなり際どい冗談も言ったりしました。ジェイムズは、自分の妻とうまく行かないことにひどくこだわっているようで、離婚を模擬法廷にかけました。「ある男が結婚についての嘆願書を裁判所に提出しました。」と、ジェイムズは言いました。
「裁判長、まさか自分の妻がアナルセックスをするなんて思ってもいませんでした。」と、ジェイムズ(訴訟人)は唸るように言いました。
「確かに。でも裁判長、アナルセックスのことは事実かもしれませんが、こういったことは相手があっての話でしょう。大体、結婚した相手の下着の中身が蜥蜴(とかげ)の尻尾ほどだとしたら、一体何が期待出来ると言うんですか?」と、被告人は開き直って言い返しました。
原告に仮判決が出ました、とムワウラが締めくくりました。まわりはムワウラが右手の小指を立てて判事の目の前で振りながら原告の真似をするのを見て腹をよじって笑いました。
「そうです、裁判長。もしこの小さな道具が大事な女性に与えられるすべてだとしたら、あなたなら何を期待されますか?」
そのムワウラもジョン・オコスには到底太刀打ち出来ませんでした。ジョン・オコスはみんなと別の話を始めました。ある日シーク派の男二人がフロリダというバーに行って一晩の相手にギクユの女を買いに行った話です。ワンジクは相当酔っているようでしたが、ジェシーは、女をベッドに連れて行く前にとことん酔わせてしまえと相棒を急かせていました。それが、男二人との口約束をワンジクが確実に受け入れる唯一の方法だったからです。2倍の額200シリングで、女を両方で楽しむという約束でした。
「性病は大丈夫?」と、まだ商売女を買った経験のない若い方が不安そうに聞きました。
「女の脚を開いたら、入れる前にあそこに檸檬(れもん)の汁を何滴か垂らせばいいのさ。」と、ジェシーは、連れの男に言いました。二人は、身内と一緒に借りているパークランドのアパートに車で帰ると、ワンジクをベッドに仰向けに寝かせ、檸檬(れもん)を切り始めました。ジェシーは、相方がショーツを脱がせるのを手伝いました。ショーツは簡単に脱げました。しかし、男がいざ檸檬(れもん)を垂らそうとすると、それまでぐったりとして動かなかったように見えた女が、
「女のあそこってサンブサ(アジア人がよく食べる三角の挽き肉パイ)みたい?」と言い出したので、男は危うく卒倒するところでした。
みんなで酒を飲み、笑い、そして夜遅くまでしゃべりました。腕時計を見ると夜中の12時でした。ドクターGGはいつの間にかいなくなっていましたが、娘の方はすっかり酔って、ずっしりと重い頭を私の膝の上に載せていました。店の客も、ママ・ンジェリの充血した目と何度となく出る欠伸を見て、もう閉店の時間だと気が付きました。
ナイロビ市街
「ウェケサ警部補の車ブラック・マリアで夜のドライブをしたくなかったら、もうお開きにしなよ。」と言って、ママ・ンジェリはみんなに合図を送りました。
「出ましょ。」とムンビは言い、大きく欠伸をしながら、きれいな両手を広げました。飲み切れなかったビール9本は取っておくようにママ・ンジェリに言い、私はムンビの手を取ってンデル診療所の方に歩き始めました。これから二人が何をするかは言うまでもありませんでした。
診療所ではすでに寝床が準備されていました。床にはマットレスにきれいなシーツがかけられ、毛布と枕も置かれて、酔って朦朧とした二人のためにすべてが整えられていました。テーブルや椅子や診療台まで、ドクターGGの診療用の家具はすべて部屋の隅に押しやられていました。誰がこれをすべて準備したのかと思わず聞きそうになりましたが、そんな野暮なことは聞かないでもっとうまく立ち回れよと誰かに言われたような気がしました。私は着ているものを全部脱ぎました。赤道近くの蒸し暑い気候のイバダンで学んだ寝かたです。ンデルの寒さにはまったく合ってはいませんでしたが、ドクターGGの娘も同じように服を脱ぎ始めました。黒いスカートと赤いブラウスを取り、蹴って白い靴を脱ぎ捨てましたが、下着はつけたままでした。
「お医者さんの手にかかるわけね、ほんと!」と、からかうように言いながらムンビは床の上の硬いベッドにもぐりこんで来ました。ンデルの患者を診るようになって以来、この町の誰ともセックスをして楽しんだことはありません。美人のバーのホステスが何人も診療所に来て、腰の痛みや原因の分からないひどい生理痛を不安そうに訴えるのを眺めることは出来ました。診察してみると淋病であることが多く、ペニシリンの注射を大抵は患者の尻に打ちました。誘われる時があっても、医者として患者と医師の関係は大事にしたかったので、医者の仕事に徹しました。
その夜自分に何が起こったのかについて、はっきりとは確信が持てません。覚えているのは、二人ともすっかり酔った状態で、ムンビがモンバサで学んだに違いない恋愛術で、私を最高に楽しませてくれたということです。イバダンで恋愛をしていた日々が二流だったと色褪せてしまう程でした。栄養学のコースを1年間一緒に取ったウガンダ人の看護師グレイディズときちんとした恋愛関係にあったのはウガンダにいた5年間のうちのたった1年間でした。残りの4年間は、モコラの売春宿で2ナイラを払って女とその場だけの関係を持っていただけでした。ですから、尻を撫でたり、躊躇心を捨てないと出来ないような単純な行為を私が恋しく思っても何の不思議もありません。つまり私は、ムンビがその方面に関して間違いなくかなりの経験を積んでいると思いました。
「あんたはわたしのお医者さんじゃないのよ、連れてってよ!」と金切り声を出しながら、私の髪の毛をくしゃくしゃにして引っ張りました。
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2010年2月10日
(概要作成中)
2010年1月10日
横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳を連載した分の13回目です。日本語訳をしましたが、翻訳の出版は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、経済的に大変で翻訳を薦められて二年ほどかかって仕上げたものの出版は出来ずじまい。他にも翻訳二冊、本一冊。でも、ようこれだけたくさんの本や雑誌を出して下さったと感謝しています。No. 5(2008/12/10)からNo.35(2011/6/10)までの30回の連載です。
日本語訳30回→「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(「モンド通信」No. 5、2008年12月10日~No. 30、 2011年6月10日)
解説27回→「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(「モンド通信」No. 9、2009年4月10日~No. 47、 2012年7月10日)
『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―
(13)第14章 ドクターGGの娘(前半)
ワムグンダ・ゲテリア著、玉田吉行・南部みゆき訳
(ナイロビ、アフリカン・アーティファクト社、1992年)
(13)第14章 ドクターGGの娘(前半)
私の研修は1年以上前に修了していました。ンデル診療所で13ヶ月ほど働き、今はリバーロード診療所の専従で、すでにケニア中央病院では働いていませんでした。たとえ私に支給する額を増やさないためにギチンガ医師が約束してくれる給料を受け続けても、私はケニア中央病院では働かなかったでしょう。生活は上々でしたし、車の運転免許も取り、中古車も手に入れてタラまで帰ることも出来ましたから。
タラにはこの2年間半も帰っていませんでした。自分の生誕地に帰るのに二度と乗り合いバスには乗らないと決めた誓いをしっかりと守りました。再びタラに帰る時は、私は自分の車での凱旋帰還にするつもりでした!
しかし、両親や兄弟姉妹が、必要があって私に会う時は、いつもナイロビででした。大抵の場合は、お金が足りないか、作物の出来が悪いか、学費が必要な時かでした。母だけはこちらへの注文が少ない人で、私に何かをせがむことはありませんでした。母が唯一私に望んでいたのは、私が立派な大人になってナイロビの悪い女を相手にせずに、子どもを10人産んでくれる素直なカンバ娘と結婚することでした。私に会うと、いつも母はそう言いました。
パテル医師が来てくれて私は難を逃れましたが、かなりの出費になりました。実際には、リバーロード診療所の資金を私が使ったのですが。私には無料でギチンガ医師の診療を受ける資格が与えられていて、そのギチンガ医師が私の母を診ることに同意したのだから、同じ目的であればギチンガ医師の資金を使うことは何の問題もない、とその時はそう屁理屈をつけました。最終的にはギチンガ医師は、自分の診療所があるンデルを母に紹介したのですから。振り返ると、これが雇い主を欺いて犯した最初の盗みだったことを認めざるを得ず、私の心は掻き乱されました。
「自分で出来た治療なのに、4ブロックしか離れていない婦人科医のパテル医師に250シリングも払ってしまった・・・しかし、それが人生・・・」と、私は独り言を言ってこの件を記憶の底深くにしまい込みました。
ナイロビ市街
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1月の第3週目の初めに、ドクターGGが20歳ぐらいのきれいな女性と一緒にリバーロード診療所にやって来ました。
「私の娘のムンビだ。この若手の先生が、家族がみんなずっと会いたがっていたムングチ先生だよ。」と、私が驚いて覗き込む様子を見て、ドクターGGが言いました。
ムンビの引き締まってとてもきれいなチョコレート色の体と明るい目に私はすっかり魅せられました。それは、メアリ・ンデュクの色と違って、ムンビ独特の色合いでした。GGに6人の子どもがいることは知っていましたが、それまでに誰とも会ってはいませんでした。ドクターGGはよく子供の話はしていましたが、何故か子供を私からは遠ざけていました。モンバサで働くムンビについては特によく話していましたので、一番お気に入りの娘であることが分かりました。キタレの学校に通う男女の子どもが2人、ヴォイに住む長女と長男はすでに独り立ちしていました。ワンブイは看護婦で、キラグはトラック運転手でした。カリユキだけが母とンデルに住んでいましたが、一日の大半はキャディとしてシゴナクラブで過ごしていました。GGの奥さんには、時たま老人といっしょに飲みに来ていた地元のパブでよく会いました。
「ギチュアさん、どうぞよろしく。」と、私は手を差し出しながら言いました。私の手をとったムンビの手の温もりが、じかに伝わってきました。医者の表向きの挨拶は辞めにして、一人の女性として扱って下さいねと言わんばかりに、ムンビはゆっくりと私を見つめました。
「父があなたについて色々と話してました。」とムンビは言いました。「ンデルに私がいますから、来て下さいね。」と付け加えました。
ムンビが真面目な気持ちで間違いなくはっきりと誘いかけているのを感じ取りました。私はギチンガ医師が持って来ていた薬の中からドクターGGの分を取り出して渡しました。それから新しいレントゲン器材室を案内したあと、次の週末にGGの家を訪ねると約束しました。特にナイロビに来て以来、月末を除いて土曜の午後は休みで、週末はほとんど寝て過ごしていました。
「お会いするの、楽しみにしてますね。」と、二人が出て行くときに、多分私はウインクだと思ったのですが、ムンビは私にウィンクをして行きました。
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ナクル行きの路線バスが、いつも降りるガソリンスタンド脇の停留所に止まりました。私はバスを降りて、何度も通いなれたた道を2キロほど、ンデルまで歩きました。この道にはすっかり馴染んでいましたので、文字通り目隠しされてもレースコースロードから、ウェストランド、ンシル、キノオ、ムシガ、最後にザンベジモーテルと、停留所を順番に言い当てることが出来たと思います。
ナクル
ナイロビとナクルを結ぶバスの乗客は千差万別で、色んな包みや荷物を抱えていました。その人たちを見ながら、私は色んなことを感じました。女たちは野菜を売りに毎日ナイロビまで行って、夕方、家で必要な砂糖や料理に使う脂身や加工品などを持って帰りました。男たちは毎日ンデルからナイロビまで出て行って建設現場で働き、稼いだ金はマジェンゴのバーやクラブや売春宿で使ってきました。養う妻や子供のいる男たちのなかは、家族を食べさせて着物も買ってやり、子どもを学校にやってやれるだけの稼ぎを家に持って帰る者もいました。ザンベジからンデルまで歩いている間、こんな思いが次から次へと胸に浮かんでは消えました。ンデルに着いた時は2時になっていました。
ドクターGGの娘ムンビは診療所でしっかりと私を待っていました。ムンビの父親は帰宅していましたが、私が診療所で自分の代わりを務めるように娘に頼んでいました。しかし、もう2時を回っていたので診療所を閉めて、ママ・ンジェリのバーでローストした牛肉を食べながら酒を飲むのもいいし、肉が焼ける間、診療所に酒を持って行って飲んでもいいしと思いました。ムンビは、土曜の午後をどう過ごすかについてはすっかり決め込んでいたようで、すでにお酒を飲んでいました。
私は無関心を装って「でも、5時には出るよ。」とムンビに言って、診療所を閉めるかどうかはムンビの判断に任せました。
「あら、だめよ。ここだったら、立派な宿泊所になるわ。」と、ムンビは自分の父親の診療用のベッドを撫でながらからかうように言いました。私はその思わせぶりな態度があまり気に入りませんでした。後で分かるのですが、ムンビはどうしようもなく自分勝手なところがあるのです。ムンビが私と何をしようとしているかは明らかで、それを思うと居心地が悪くなりました。
「どうしてまだ独身なの?」と、ムンビが言い出しましたので、私はますます居心地が悪くなりました。
色んな人から聞かれるその話題を避けたくて、ムンビに「ホワイトキャップを1本買ってきてくれないかな。君は自分が飲みたいものを買えばいいよ。」と言いました。50シリングほど手渡すと、ムンビは診療所を出て行きました。私自身も、30歳にもなってどうして結婚のことを考えないんだろう、と考え始めていました。ケニア中央病院のアイリーンも、同じ質問をしてきたことがありましたが、その時は「じゃどうして、君もまだ結婚してないんだい?」と逆に聞き返して相手にしませんでした。
ホワイトキャップ
人は3つのために結婚をする、と結婚の宣誓を行う前に牧師が言ったのを聞いたことがあります。連れ添うために、子どものために、そして楽しみのために。私はメアリ・ンデュクとはすでに充分楽しんでいました。今の所、子どもは要りません。それに、あらゆる問題を抱えてリバーロード診療所に来るたくさんの患者たちが私の連れ合いでした。
ナイロビ市街
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2010年1月10日