つれづれに

つれづれに:台風9号

来るときは突然である。台風9号らしい。すぐ近くに来ているようだ。さっきまで、暴風雨のなかで、雨合羽を着て作業をしていた。雨も風も強かった。午前中に畑で作業をするつもりをしていたが、なかなか体が動かず、畑に出たのはやっとお昼過ぎ。大根の芽を土に埋めたり、オクラや茄子を針金で固定したり、物干しも解体して地面に寝かしたり。物干しも飛んだことがある。去年はガレージの補修で梯子から落下して捻挫、痛みを「堪能」して松葉杖生活で難儀した。もう一年になるわけか。雨も風も、今は一時収まっている。このまま収まるとは思えないが、今回は短くて済みそうである。寝ている間に通り過ぎて、起きたときには青空が見られるようにと祈るばかりである。

先週は、「歩くコース②の2」、「山頭火の世界④ー防府②」、「アングロ・サクソン侵略の系譜30:在外研究」を書いて・・・。自転車で買い物に行く途中に稲刈りをやっているのを見て、先に「つれづれに:超早場米」か。

突然の台風で、そんなモードがぷつんと切れてしまった。三十何年か前に宮崎に来て以来、すっかり台風にも馴染んだようである。何年か前に大阪に大きな台風が来て関西空港で車が流される映像を見たとき「台風が来たら外に出たりせんけどなあ」とつい思ってしまったから。「警報が出てますけど」と小学校に電話したら「警報くらいで休みにはなりません」と言われた。住んでみると、わかる。何回かすごいのがやって来た。ちょうど大根の芽が出た頃に大きいのが来て全滅、再度撒き直した種から芽が出た頃に大きいのが来てまた全滅、清武の農家の人が頭を抱えていた姿が今も目に浮かぶ。大学のある清武や田野地区では、霧島の灰が堆積して出来た豊かな黒土と霧島降ろしの寒風を利用して切干大根を作る。冬の風物詩になり、名物にもなっているが、太らせて量を増やすためにたっぷり化成肥料を撒いているのをみているので、土産に持って行くのは気が引ける。

もう八月である。(小島けいのカレンダー8月↓)

つれづれに

 歩くコース2の①・・・

コース1の二つ目の三叉路

1のコースは左折、2のコースは直進

歩くコース2の①で、木花神社に寄る一番長いコースである。

コース1では二つ目の三叉路を左折したが、コース2ではそのまま歩いて高台の道をほぼまっすぐに進む。左右に10軒足らずの人家がある。家と家との距離がかなりあり、神社までは少し距離がある。途中に畑もある。西米良大根をくれた人が、かなり広い畑で作業をしているところを時々見かける。梅の木も何本かあり、季節には道に梅がころがっている。「持って帰りますか?」と聞かれた梅はおそらくこの辺りの樹になった実のようである。そのまま歩くと、木花神社に高台から入る道に行き着く。

高台から入る道

神社には右手の道をそのまま進む。両側は竹林になっている。左の道の坂を下ると県道に出る。写真を撮っている時、たまたま車が坂道を登っていた。神社には下の南側からも入れる。県道からの坂道で、県道脇に幡が見える。坂道の途中にも幡と掲示板がある。

坂を上ると、鳥居と階段がある。坂道も階段もかなり急だ。自転車を押して登った時は難儀した。途中に車で来る人のために駐車場がある。

境内への正面入り口の鳥居

木花神社に寄るようになったのは偶然で、信仰心があるわけではない。高台の道を歩いている時にたまたま見つけて立ち寄ってみたのが始まりである。あとで木花駅舎の中の大きな観光案内写真にあるのをみつけた。境内で人に会うことはめったにないが、わりと有名な神社らしい。無人だが、氏子が世話をしているようである。西米良大根をくれた人が軽トラックに草刈り機を積んで高台から神社に入るところを見かけたことがある。地元の名士で、有力な氏子かも知れない。節目には人が集まっているようだ。(②に続く)

つれづれに

つれづれに:山頭火の世界③ー防府①

山頭火ブームに便乗して、あちこちで地域起こし政策の一環として山頭火を利用しているようである。防府市もその一つ、前回紹介した生家跡も今はきれいに整備されて観光の名所になっているらしい。

去年の春に、大分に住む卒業生が研究室に寄ってくれたとき、『アフリカの蹄』の作者帚木蓬生(ははきぎほうせい)にインタビューした地元の新聞記事5回シリーズと山頭火のパンフレット類を置いていってくれた。その中の一枚に「山頭火ミュージアム時雨館」の案内ちらしがあった。昭和五年(1930年)に熊本から宮崎まわりで大分に行ったときに、湯布院の湯平(ゆのひら)温泉に立ち寄っている。その温泉地に造ったらしく、入館料は100円とある。その卒業生は東京の大学になじめずに地元の大分に戻り、仮面浪人のつもりで大学に在学していて、単位とは関係なく3年次に取ってくれた僕の教養の科目で遭った。四年の後期に開講した「種田山頭火の世界」にも一度遊びに来てくれた。

移転後の山頭火ミュージアム

最近会ったときに、今度は防府市の「山頭火ふるさと館」の案内や企画のちらしを持って来てくれた。大分からは、山口は近いらしい。山頭火が生まれて育った山口県防府市が放っておくわけがない。

山頭火ふるさと館の案内ちらし

本名種田正一、明治十五年(1882年)、山口県佐波郡西佐波令村(現在の防府市)生まれである。大地主の家に生まれたようで、資料を整理して世に伝えた大山澄太が以下のように、当時の家の様子を語ってくれた老人の話を『俳人山頭火の生涯』(彌生書房)の中で紹介している。

「この塀が七八間ばかりと、あの西側の二階建の一棟とが、昔の大種田の頃の残りで、その外は皆、あとで建てたものばかりであります。さあ屋敷はどの位ありましょう。八百坪あまりでしょうな。今はその跡にこうして十四五軒も住んでおり、私もその一人なのですが。へえ、何しろ大きい庄屋さんでして、母屋は高い草葺の屋根で、その裾に瓦のおだれが四方に出ておりました。大きな樹がたくさん植えてありましてのんた、わしらは正一さんと一緒によく蝉をとって歩いたものでした。わしの方が三つ歳上で、わしはもう七十六になりますが、あの頃の盛んであった大種田の屋敷の様子はまだはっきり覚えておりますのんた。それは大したものでした。ここから三田尻駅まで十町ばかりありましょうか、そこをのんた、大種田の人々は他人の土地をふまずに駅へ歩いて出るというようなことでしてのんた。ちょいとこちらへお出ませ、へえ、あんたは伊予の松山の方からやって来られたのでしたか。そうです。お母さんは、とても美しい人でしたが、正一さんが十一歳の時に、井戸に飛びこんで自殺せられました。その井戸は、たしかこの辺であったと思います。すぐに土を入れてつぶされましたが。あの時、わしや正一さんは、納屋のような所で、芝居ごっこをして五六人で遊んでおったのです。「わあ」と皆が井戸の方へ走って行ったので、わしらもついて行きましたが、猫が落ちたのじゃ、子供はあっちへ行け。と言うてよせつけてくれませんでした。

正一さんかな、とても善い人で、あれが悪いと言う者は一人もなかった。学校では、はじめはあまりよう出来ざったと思うが、中学へ上った頃からとてもよく出来るようになって、いつも一番だったということですが、わしらはその頃から、別々の道を歩くようなことになり、それからのことは少しも知りません。俳句をやることも、山頭火という名も一向知らずにいましたようなわけです。」

七八間 一間(いっけん)は尺貫法の長さの単位。約一・八一八メートル。/ おだれ 尾垂れ、屋根の庇 (ひさし)。/ 十町 一町(いっちょう)は、町を単位として一単位の土地面積。一〇段。三〇〇〇坪。

裕福な家に生まれたものの、家庭環境には恵まれなかったようである。のちに、行乞の旅の途中に妹を訪ねた時、「兄さんすまんことですが、のんた。近所の家が起きぬ間に、早く去んでおくれ、ほいと、ほいとと言われると困るからのんた。御飯はもうちゃんと出来ちょる。」と妹に言われたようである。(NHKドラマスペシャル「山頭火 何でこんなに淋しい風ふく」では、山頭火をフランキー堺が、妹を林美智子が演じた。)

その時に詠んだ句↓

うまれた家はあとかたもないほうたる

ふるさとはちしやもみがうまいふるさとにゐる

雨ふるふるさとははだしであるく 山頭火

山口県現防府市の生家跡地

「防府②」に続く。

つれづれに

南瓜の花が・・・

南瓜(かぼちゃ)の花が夜に咲くとは気づかなかった。朝カーテンを引いたら、窓からたくさんの黄色い花が咲いてるのが目に入った。すぐに写真を撮ろうとしたが、カメラがまだ寝ている妻の所にあって、撮れなかった。日が昇ってから撮ろうとしたら、花がすぼみかけていた。そうか、花は夜に咲くんや。長いこと南瓜を作っているのに、気がつかなかった。そう言えば、昼は花が閉じていたような気もするが、目には実しか入らなかったらしい。

実も二つ大きくなっている。写真を撮っている最中に、ミツバチが花の中に隠れた。花の蜜を吸うときに花粉がついて、その花粉で別の花が受粉するようだ。花も蜜蜂も共存しながら生きている。

オクラの花も咲いている。きれいな淡いクリーム色だ。この花も夜に咲くようである。知らないことだらけである。野菜の繊維質のあとに、ねばねばしたものを食べるのが胃にやさしい気がして、先ず思いついたのが納豆。効能はよく知らないが発酵食品で、豆蛋白、肉も魚も苦手は僕には貴重な蛋白源である。それと長芋である。そのとき、「オクラもねばねばしてるね」、と妻から言われた。それから作るようになった。匂いがきついような先入観があったが、作ってみると無臭で、ほんとうにねばねばしている。店先で一番よく見かけるオクラは実も短いが、収穫してからすぐに変化するので、宅急便で二日かかる東京には送れないことが判明した。何年か前に種のコーナーで見つけた鞘つきオクラは、細長くて大きく、実も柔らかい。日持ちも多少長い気がする。種を採って二期作をやってみるつもりである。

二階の部屋のベランダから、南瓜が見える。まだ竹の柵の横棒を入れてないが、勢いは止まらないようだ。一昨日、ピーマンやオクラに巻き付いていたのを丁寧に剥がして、竹の柵の中に入れた。茎さえ折らなければ、そのまま芽を伸ばす。本当に強い野菜である。肥料はまったくやらないし、水もほとんどかけないが、これから冬にかけてたくさんの実をつける。楽しみにしてくれている人もいるので、またいそいそとお裾分けしそうである。お化け胡瓜も、種が採れるほど十分に大きくなった。そろそろ種を取り出して、その種でこちらも二期作を試みるつもりである。

2階のベランダから見下ろす南瓜

また南瓜の話を挟んだが、次は歩くコースか、山頭火の続きかになりそうである。