ビジネス英語 I-1(2)

10回目の授業でした。

<今回>は

善福くんと田村さんの発表と、あとの残りをどうするのがいいのか、みんなは何が一番楽しめて、役に立ちそうなんか、という話。

善福くんも田村さんも、二回目。この前よりだいぶしっかりと準備してたね。

善福くんのときに、これからどう工夫すればええかとか、発表のレベルを上げるには、みたいな話もしました。それは次回みんなに意見を言ってもらうつもりの、これからの授業内容についてとも重なります。

折角授業料を払ってもらって、或いは一生懸命バイトして授業料や生活費の足しにしてがんばっている人には、折角の機会を自分のために自分について考え、将来どう生きたいのか、どう生きるのかなどについて考える場にしてほしいと本気で思ってるから、ね。

自分のためによりいい授業にいっしょにして行くのにどうしたらええか、いっしょに考えよう。いろいろ意見を聞かしてや。今日話をしたように、必要なら修正するし、準備もするし。後期もあるしねえ。

先週、先々週の授業の時に、このままやったらあかんと感じたんで。

<次回>は

先に今後どうするかをみんなで考えてから、やな。

一応配った過去問(サンプル問題Test 1の半分、Part 1, 2, 5, 6)と、『金のフレーズ』⑥~⑨のプリントは持って来といてや。方針が決まったら、それを使ってやるかも知れへんから。

また、来週に。

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トーイックの試験はどうやった?ほんまにスコアのばしたい気持ちがあって出来ることはしようと思ってる人は、いつでも力になるで。いつでも連絡して来ぃや。そのために、新学部の英語を手助けしてと言われて、退職後も専任のポジションを作ってっもらって今もいるんやから。ま、先はなごうないと思うけど。ま、まだいるうちに。

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三週続きの東京が終わって、小休止。7月の4週目に今度は三泊四日で行くことにして、授業のあと生協で予約しました。台風が来てキャンセル、という最悪の事態にならんかったらええけどね。

今まで4回ほど、台風で飛行機が飛ばなくてキャンセルせんとあかんかったことがあったから、さすが、南国宮崎。でも当事者としては、やっぱり勘弁してほしいわ、という心境やなあ。

最初にアンケートを取りに来た教育の4年生黒木くんのゼミの担当者東條さんが鎌倉のお菓子を持って御礼に来はったんで、その御礼に吉祥寺の東急で買った洋菓子を持って行ったら、その吉祥寺で育った人で、近くの井の頭公園で育ちました、ということでした。世間は狭いもんやなあ。長女が大学で通った渋谷や、吉祥寺辺りが好きで、今も井の頭公園のすぐ横で暮らしています。大都会にありながら、広い緑の豊かなすてきな公園で、泊まったホテルから毎日公園に出かけて散歩しています。ゆくゆくその近くに引っ越すかも。ま、予定は未定やけど。

英語 Ra1(2)

10回目の授業でした。

<今回>は

先に、1995年のエボラ出血熱騒動のCNNの映像を見てのListening Comprehension Practiceをやったけど、僕の解説の英語やニュースの内容は大体わかったかいな。

次回CNNの聞き取り(河野多恵さん)、新聞記事(伊藤さん)をやると、意味内容や歴史背景も少しはわかるやろかなあ。

コンゴとエボラ出血熱については書いて雑誌に発表したことがあります。読むとわかりやすいんやないやろか。このブログにも載せてあるんで。↓

「医学生と新興感染症―1995年のエボラ出血熱騒動とコンゴをめぐって―」

CNNのmp3を参考ファイルに置いておきます。聞き取りの用紙を使ってやってみてや。

配ったエボラ出血熱騒動・コンゴ(当時はザイール)のプリントの解説も少々。

少し解説したのをまとめると

1960年 ベルギーから独立(初代首相ルムンバ)

1963年 コンゴ危機(ルムンバが惨殺され、モブツが担ぎ出される

1976年 第一回のエボラ出血熱騒動

1995年 二回目のエボラ出血熱騒動

1996年 モブツがモロッコに逃げ、カビラがキンシャサに(ザイールが崩壊、カビラが新しいリーダーに担がれる)

そのあたりの情勢については、今日配ったなかにテキスト("Zaire’s turmoil")を入れてあります。2冊目の英文の3章今日的問題の一つとして取り上げました。一つはエイズ、もう一つは今日配ったプリントの中の英文"My stay in Harare, 1992″です。

モブツ政権を倒して大統領に推されたローラン・カビラ

<次回>は

今日やれなかった南アフリカの残りと、1992年にジンバブエに行ったときの話、それからCNNの聞き取り(河野多恵さん)、新聞記事(伊藤さん)、どっちも発表してもらえる時間が取れるとええけどね。

ジンバブエの首都ハラレで借りて暮らした家

ジンバブエ大学で仲良くなったアレックス・ムチャデイ・ニョタくん

配ったプリント

* 名誉白人についての記事

* ジンバブエに関して("My stay in Harare, 1992″ B4表裏、「ジンバブエの旅」「アフリカは遠かった」B4表裏 )

* CNNニュース(聞き取り)B4表

* 新聞記事B5表("Ebola virus returns Zaire into world’s spotlight")

*  歌の解説(服部くんの “Music in KENYA & TANAZANIA"

* エボラとコンゴ(地図が表紙のB4表裏6枚、貴重な英文も入れてあるんで、読んでや。)

初代首相のパトリス・ルムンバ

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課題も集めました。量が少ないのや時間切れでしっかり出来てないと思ってる人は、少し時間をかけて再提出してもええで。最終期限は最終授業の時。

今日も繰り返し言ったけど、仮説を立ててインプットした情報を使って論理的にものを述べるという作業は、大学ですべきことの一つ。

出した課題の評価を知りたい人はメールをしてくれたら、時間を打ち合わせて、実際の課題を前にしていろいろ話を出来ると思うよ。いつでも連絡してや。

来週に、また。

続モンド通信・モンド通信

私の絵画館:パンダ(小島けい)

2 ジャカランダのある風景(小島けい)

3 ほんやく雑記⑤:オハイオ州デイトン(玉田吉行)

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1 私の絵画館:「パンダ」(小島けい)

少し前、上野動物園のシャンシャンが2歳の誕生日をむかえたと話題になっていましたが。
私がこのパンダの絵を描いたのは2009年<花のカレンダー>を全国発売していただいた時です。
花の絵に加えパンダの絵も描いて送って下さい、と言われました。それまでパンダをきちんと見たこともありませんでしたが、慌てて2枚のパンダを描きました。
そのうちの一枚、この絵が<カレンダーにもれなく3枚入るパンダトレカ>となりました。青空を背景とするもう一枚の絵も私は好きでしたが、他のクリエイターさんたちと重なっていないからでしょうか、こちらが私のトレカとして選ばれました。
大好きな笹の葉のなかで小枝にのって遊んでいるパンダの子供を、想像して描きました。無邪気でのんびりした様子が、今も愛らしいなあ・・・と思います。

(「2019年小島けいカレンダー「私の散歩道ー犬、猫ときどき馬」6月に収載)

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2 ジャカランダのある風景(小島けい)

* この花のことを以前<花のエッセイコンクール>に書いたことがありました。

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5月の終わり頃から6月にかけて、私の住む住宅地でも、空に向かって高くのびた枝にうす紫色の美しい花が咲きます。ジャカランダです。

”昨日今日明日、変わりゆく私”と谷村新司がねばっこくも魅惑的に歌う「三都物語」を聞くと、ああ、あの花だ、といつも思います。一本の木なのに、白・薄紫・紫と三色の花が同時に咲く。この花を、アフリカのジンバブエでは「昨日今日明日」と呼びます。

ジンバブエの首都はハラレは、色鮮やかな花々が咲き乱れる南半球の街です。

「昨日今日明日」のように、宮崎においてもさりげなく咲く花も多いのですが、ひときわ印象に残っているのは、大きな街路樹としていたる所に植えられていた「ジャカランダ」です。
花が心に残るのは、その花とともに出逢った人々が忘れられない時のように思います。私にとってのジャカランダも、素朴なショナの人たちとの出逢いと重なります。
アフリカで暮らす。それだけを目的に、私たちは白人の老婆から家を借りました。五百坪ほどの家には、庭番のゲイリーと大きな番犬のデインがいました。ゲイリーは背の高いショナ人で、犬のエサ代よりも安い給料で雇われていました。けれど敬虔なクリスチャンである彼は、不平は言わず、誠実で正直でした。


ゲイリーと私たちが親しくなった頃、八月の冬休みを利用して、田舎から家族がやって来ました。ガレージの裏のベッドも何もない部屋で、彼らは家族が一緒に暮らすことのできる貴重な日々を、遠慮がちに楽しんでいました。
奥さんのフローレンスはほっそりとした美人です。私はモデルを頼み、毎日絵を描きました。十四歳の娘と十歳の息子は、同年齢のウォルター・メリティーそして末っ子のメイビィと、朝早くから日が暮れるまで遊び続けました。


庭は広い芝生で、真ん中に特別大きな木がありました。ジャカランダです。五人は遊び疲れるとその木陰の椅子で、時には木の枝でひと休みします。そこが遊びの本拠地でした。
肌の色も言葉も違う五人の子供たちが、どっしりと枝を広げたジャカランダの下で、まるで兄弟のように笑いころげ走り回る。それは、外の世界の白人と黒人の格差・対立などを忘れさせるほど、平和で美しい光景でした。
ジャカランダのある風景で、今一つ忘れられない場面があります。ウォルターとメリティーの通うルカリロ小学校を訪問した時のことです。

ルカリロ小学校
吹き渡る風で乾いた土がむき出しの丘に、小学校はありました。資金不足のため、屋根や床のない校舎もあり、むろん門や塀もない。ただ二本の若いジャカランダの木が、アーチのように入り口あたりに立っていました。その薄紫の花のずっとむこうに小さな校舎。と、そこから全生徒職員がいっせいに、私たちめがけて駆け出してきます。その後の握手ぜめ。私たちは、村を訪れた初めての外国人でした。
アフリカでの生活は予期せぬことの連続でしたが、ショナの人たちとのいい出逢い、珍しい花々との出逢いに恵まれた日々でもありました。
そして、ジャカランダの花が街を薄紫に染める頃、私たちはその街を去りました。

ジャカランダ

宮崎市在住・装画家(四十九歳)

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2 ほんやく雑記⑤:オハイオ州デイトン      玉田吉行

概要

ほんやく雑記の5回目で、オハイオ州デイトン出身の詩人ポール・ダンバー(Paul Laurence Dunbar, 1872–1906)の“Little Brown Baby”という詩を取り上げます。表現の仕方と、時代背景の理解の大切さについて書きました。

「ほんやく雑記」の連載(「モンド通信」)用に2016年に書きましたが、編集洩れしたようですので、今回の「続モンド通信」に掲載しています。「ほんやく雑記」は「モンド通信」が発行されなくなってたち切れになりましたが、近いうちに「続モンド通信」で再開しようと思っています。

本文

ほんやく雑記の5回目です。

前回はアレックス・ラ・グーマの『夜の彷徨』(A Walk in the Night)の舞台になったケープタウンの第6区を取り上げ、ほんやくをする人の気持ちの大切さについて書きましたが、今回はオハイオ州デイトン出身の詩人ポール・ダンバー(Paul Laurence Dunbar, 1872–1906)の“Little Brown Baby”という詩を取り上げます。表現の仕方と、時代背景の理解の大切さについて書きたいと思います。(写真:ポール・ダンバー)

わが子と戯れる父親について詠んだ短かい詩は、次のように始まります。

 

輝く瞳の愛しいわが子よ、

こっちに来て、パパのお膝にお座り。

閣下、何をしておられたのでありますか?お砂のパイでもお作りでしたか?

涎掛けを見てごらん、パパと同じくらい汚れているね。

お口を見てごらん、きっと、糖蜜だろうね。

マリア、こっちに来て、この子の手を拭いてやってくれないか。

蜜蜂が来て、この子を食べちゃいそうだから、

ねばねばして、甘いからね!

Little brown baby wif spa’klin’ eyes,

Come to you’ pappy an’ set on his knee.

What you been doin’, suh – makin’ san’ pies?

Look at dat bib – you’s ez du’ty ez me.

Look at dat mouth – dat’s merlasses, I bet;

Come hyeah, Maria, an’ wipe off his han’s.

Bees gwine to ketch you an’ eat you up yit,

Bein’ so sticky an’ sweet goodness lan’s!

 

そのあと父親は、一日じゅうも笑みも絶やさない可愛いわが子を見つめながら、突然からかい始めます。「パパはお前なんか知らない、きっといたずらっ子だと思うよ」「戸口からこの子を砂場に投げちゃおう」「この辺りに、いたずらっこなんて要らないから」「この子をお化けにやっちゃおう」「お化けよ、お化け、戸口から入っておいで」「ここに悪い子がいるから、食べてもいいよ」「父さんも母さんも、もうこんな子は要らないから」「頭から爪先まで飲み込んじゃって下さい」と脅された子供は、ぎゅっと父親にしがみついてきます。そして、最終連です。

 

ほらほら、やっぱり、ぎゅっとしがみついて来ると思ったよ。

お化よ、もう帰っておくれ、もうこの子はあげないないから。

もちろん、迷子でもないし、いたずらっ子でもないよ。

父さんを許してくれるいい子で、遊び相手で、喜び。

さあ、ベッドに行って、お休み。

お前が、いつも平穏無事で、こうして素敵なままでいられたらどんなにいいだろうね。

お前がこのまま私の胸の中で、子供のままでいられたらどんなにいいだろうね。

輝く瞳の愛しいわが子よ!

Dah, now, I t’ought dat you’d hub me up close.

Go back, ol’ buggah, you sha’n’t have dis boy.

He ain’t no tramp, ner no straggler, of co’se;

He’s pappy’s pa’dner an’ playmate an’ joy.

Come to you’ pallet now – go to yo’ res’;

Wisht you could allus know ease an’ cleah skies;

Wisht you could stay jes’ a chile on my breas’

Little brown baby wif spa’klin’ eyes!

 

アフリカ系アメリカ人の言葉(いわゆる「黒人英語」)で書かれたこの詩はなかなか難しいですし、仕事帰りの父親が小さなわが子と戯れる様子は微笑ましいのですが、最後の仮定法の二行に来ると、ちょっとほろっとしてしまいます。

ダンバーは早くから詩を書いて白人の編集者に認められて国際的に有名になったそうですが、33歳の若さで亡くなっています。ダンバーの生きた頃は、アフリカ系アメリカ人には厳しい時代でした。奴隷貿易で大儲けをした南部の荘園主と、奴隷貿易で蓄積した資本で産業革命を起こしてのし上がった産業資本家が、奴隷制をめぐって南北戦争で殺し合い、法的に奴隷制は廃止されたものの、経済力の拮抗する対立の最終決着はつかず、結局アフリカ系アメリカ人は奴隷から小作人に名前が変わっただけ、苦しい生活は変わりませんでした。1890年代に入ると「奴隷解放」によって自由を夢見て南部から北部へどっと人が押し寄せますが、安価な単純労働しか求められないアフリカ系アメリカ人には厳しい現実は元のまま。特に本来なら知的労働者になるべき人たちには特に厳しい時代です。

小作人(a sharecropper)、Twelve  Million  Black  Voicesから↓

炎天下の綿摘み作業、Twelve  Million  Black  Voicesから↓

Richard Wright’s Twelve  Million  Black  Voices (1941)

merlassesは砂糖黍の絞り滓、口のまわりをべとべとにして汚くしているのは、長くて汚い仕事から戻って来た俺といっしょ、今は俺の胸の中で何とか平穏にいてもらえるが、大きくなって仕事があっても安い辛い仕事ばかり、カラーラインを越えようものなら、白人のリンチ。このまま、俺の胸の中にいてくれたらなあ、という切なる父親の願いに、ほろっとしてしまいます。人種差別反対を声高に唱えるより、「現在事実の反対の仮定」を意味する「仮定過去」を最後に二つ並べた表現の妙は、心にじんと迫ります。

アメリカ文学会の会誌か何かでLittle brown baby wif spa’klin’ eyes が「きんきら目玉の小さな褐色の赤ちゃん」とほんやくされているのを見かけて違和感を覚えたことがあります。「きんきら」「目玉」「赤ちゃん」は論外ですが、それより「褐色の」が気になりました。

次回は「ほんやく雑記(6)イリノイ州シカゴ」です。(宮崎大学教員)

執筆年

2016年(「モンド通信」の連載洩れです。)

ダウンロード

2016年7月用ほんやく雑記5(pdf 286KB)

英語 Rb1(3)

もう11回目、トーイック対策の2回目やったけど、そんなにやれんかったねえ。ま、しかし、最後は自分がやるかやらへんかやから、な。サンプル問題の Par1~Part7と解説、Part1, 2, 5, 6、全体の半分は印刷した分を渡したんで、あした一日、やれるとこまで繰り返してやりや。

名前を読んでからコメント(赤嶺くん、有馬さん、安藤くん、市谷さん、岩井くん、太田くん、甲斐くん)、そのあとサンプル問題、最後まではいけなかったけど。

<次回>からコンゴとエボラ出血熱の話。

南アフリカの週間新聞のエボラ出血熱の特集記事

先ずは2006年くらいのアメリカのテレビドラマERの映像を45分ほど。アメリカの医師カーターがコンゴの北東部のキサンガニの診療所にボランティアに行ったという想定。そこは紛争地帯。アフリカについての知識はそうないと言う点では、日本の大学生とよう似てると思う。まずは、見てくれ、というところです。

その背景を知るために、新聞記事やニュース、ドキュメンタリーなどを使っていろいろやってみたいと思っています。独立・コンゴ危機→植民地時代→植民地争奪戦・アフリカ分割と辿り、可能ならヨーロッパ人が来る前のアフリカの話も出来たら。

1995年の第二回のエボラ出血熱騒動時のCNNニュースの音声ファイルを参考ファイルに置いておくんで、聞き取りのシートを使ってやってみてや。次回は聞き取りをやってくれる人と、その時の新聞記事を読んでくれる人を聞くんで、積極的にやってくれると嬉しいです。

コンゴの初代首相パトリス・ルムンバ

後期は、奴隷貿易→アメリカの奴隷制→南北戦争→反動期→公民権運動と大まかに見てみたいと思います。言葉を奪われた人たちが自分たちのリズムやビートを伝え続けたアフリカ系アフリカ人の歌、ゴスペルなどの教会音楽→ブルース→ソウル、ジャズ→アメリカンポップス→ラップなどもいろいろ聴いてもらえたらと思っています。

ゴスペルの女王マへリア・ジャクソン

ジャズシンガービリー・ホリデイ

トランペッタールイ・アームストロング

あしたあさっては三週続きで東京、今回は吉祥寺に一泊です。

また、来週に。