つれづれに

 

金芝河さん4

『不帰』の扉写真

 金芝河(きむじは)さんの4回目で、金さんが風刺詩の中で描いた農民安道(アンドゥー)と、会議でのグギさんのスピーチの日本語訳を紹介しようと思っていたが、かなりの量になりそうなので、グギさんのスピーチは、次回に。
グギさんは『作家、その政治とのかかわり』の「十一章 韓国内の抑圧」のなかで、七十四年の大統領緊急措置令で死刑を宣告された金芝河さんの風刺詩「根も葉もなき噂」を、朴政権の国家をあげてのテロ行為を見事に描いている作品として引用している。小心な農民安道(アンドゥー)の口を借りて、抑圧されている国内の理不尽さを風刺したわけである。グギさんが引用した英語訳からの私の日本語訳である。「小心な農民安道(アンドゥー)は、ソウルに出て仕事を探していました。栄えているように見えるこの近代都市の隅々を回っても仕事が見つからず飢え死にしかけた時に、安道は自らの両足で立ち、生まれて初めて世の中に反抗して『くそっ、なんていう世の中だよ!』とつぶやいたのです。
安道は朴の秘密警察に尋問され、国に対する流言飛語流布罪で起訴され、裁判所に投げこまれます。ここで、その詩を引用させて下さい。」(「十一章 韓国内の抑圧」)

「口からその言葉が飛び出るやいなや
手錠が安道の手に架けられ、安道は
法廷に引っ張り出された。
三度小槌を打ち鳴らし、
判事は訊問を開始した。
『罪状は何か?』
『罪状は自らの両足で立ち、
根も葉もない噂を広めた罪でございます。』
『うむ、実に大罪である。』
『被告は、自らの両足で地面に
立ち、根も葉もなき噂を広めることによって、
自らの両足で地面に触れる罪を
犯し、その体を休める
罪、心を沈める罪、
貧乏な身分にもかかわらず立ち
上がろうとした罪、
考えながら時間を浪費
した罪、恥ずかしさも感じないで空を見上げた
罪、空気を吸い込み胸廓を広げた罪、
自らの身分を忘れ、特権階級に
だけその権利が与えらている直立の姿勢を取った罪、
一瞬も休むことなく更に生産し、輸出し、建設する
という国家の政策を傲慢にも回避した
罪、頭に『不』のつく罪状三件、『無』七件、『反』七件、『非』九件を
犯した罪、
罪もない人々を誤った方向に
導く根も葉もない噂を考え出した罪、
同じ噂を声に出そうとした罪、同じ
噂を声に出した罪、同じ噂を広め
ようとした罪、同じ噂を広げた
罪、祖国を蔑ろにした罪、母国の
言葉の名誉を汚した罪、祖国を
ある動物に例えた罪、祖国を
ある動物だと見做す世界をつくる
可能性を生み出した罪、資本投資の土壌を掻き乱した
罪、社会の混乱を助長し、社会不安を
引き起こした罪、人々の心を
扇動した罪、生きることに
倦み疲れた罪、現にあるしきたり
から逃れようとした罪、
敵を助けたと思われる罪、反
体制の思想を心に抱いた罪、
テレパシーの手段で反政府組織を
作ったと思われる罪、
反政府暴動陰謀の
罪、強靭な精神力を
もった罪、そしてその上に世論操作
特別法を犯した罪。』
『有罪。』と判事は宣告し、
改めて小槌を三度打ち鳴らした。
『よってここに厳粛に
憲法に則って以下の如く宣告する。
根も葉もなき噂を思いつき
人々に広めることがこれ以上出来ぬように、
被告の身体より頭を一つと、
傲慢にも自らの両足で
地面の上にこれ以上立てぬように、足を二本と、
被告に似たもう一人の扇動的な人間を
生めぬように、陰茎一本と睾丸二個とを、
本廷閉廷後ただちに切断すること。
そしてそののちも、被告が抵抗を試みる
危険性が極めて高いので、
被告の両手は背中で縛り、
濡れた革の胴着を着せ、喉に
硬くて持続型の発声防止装置を
詰めこんで、本日よりむこう
五百年のあいだ独房に拘禁すること。』

『いやだ!』被告が叫び声を上げる。
ぱさっ。
『ああ、俺の一物(いちもつ)がない!』ぱさっ、ぱさ。
『おお、おお、俺の睾丸(きんたま)がない。』ぽろっ。
『首が、おお俺の首がない。』ばさっ、ばさっ。
『いやだ、足が二本ともない。』手錠、革の胴着、発声防止装置。
そして同志安道は荒々しく
独房に放りこまれた。」

グギさんの使った英語訳を日本語訳するのは少し骨が折れた。詩は手に余る。詩で何とかすっと心の隙間に入り込んで来たのは、萩原朔太郎と種田山頭火くらいなもので、他はどうにも手が出なかった。もし遺伝子は配列で決まっているとしたら、たぶん、詩に対する感覚の遺伝子情報は私にはないようである。元々無理だと諦めてしまえばいいものを、本の中に一部含まれている詩を除いて日本語訳するわけにもいかない。本当に苦肉の策である。
ただ、韻文はリズムもあり、英語訳の工夫を出来る限り反映させようと腐心したが、実に心もとない。キムさんの風刺の幾分かでも伝われば幸いである。
次回は金芝河さん5、グギさんのスピーチ、か。

『金芝河(キム・ジハ)民衆の声』(サイマル出版会)より

 昨日の海は雲一つなしというわけではなかったが、久しぶりの晴れた空で少し風のあるきれいな海だった。サーファーもそこそこ、観光客もだいぶ戻った感じだった。

曽山寺浜から、青島がはっきりと見えている

つれづれに

 

金芝河さん3

『不帰』の扉写真

 金芝河(きむじは)さんの3回目である。
グギさんが「東京で開催された韓国問題緊急国際会議」と書いた川崎市の会議については、招待者の一人として参加したグギさんが書いた「十一章 韓国内の抑圧」の日本語訳の一部を是非紹介したい。折角2年もかけて日本語訳したので、少しでも読んでもらえれば嬉しい限りである。

グギ・ワ・ジオンゴ『作家、その政治とのかかわり』

 「八月十二日から十四日にかけて東京で開催された韓国問題緊急国際会議に参加していた人たちは、金大中(キム・デジュン)や民主化運動の指導者たちが俄に軟禁されたという報せを聞いて、皆一同に大きな衝撃を受けました。
会議の重要な決議の一つは、韓国の軍事独裁者朴正煕(パク・チョンヒ)の「虎の檻」の中で今まさに朽ち果てようとしているすべての市民の指導者、学生、宗教家、作家、大学の教員や、他の無数の政治犯の即時釈放を求めて呼び掛けることでした。会議はまた、四万二千人のアメリカ軍や核兵器要員の退きあげを要求し、民主主義的な諸権利と、言論、組合、集会と宗教の自由を求める運動と平和裡の南北統一を支援することを表明しました。
会議は、小説家小田実を代表とする日本の作家グループの支援のもとに『民主主義と南北統一を求める国民会議』によって召集され、アルジェリア、オーストラリア、カナダ、イギリス、フランス、香港、マレーシア、メキシコ、シンガポール、韓国、スリランカ、タイ、アメリカ合衆国と西ドイツのすぐれた学者や作家が出席しました。その中には、ハーヴァード大学教授でノーベル生理学賞を受賞したジョージ・ウォールドのような著名な人もいました。ほかにも、横浜市長の飛鳥田一雄、歌手のジョーン・バエズ、小説家のノーマン・メイラーや言語学者のノーム・チョムスキーなども支援者として会議に参加しました。
私は東アフリカから参加したただ一人の作家でしたが、会議は私の目を開かせてくれる体験でした。すでに私は、ソウルとピョンヤンで同時に発表された一九七二年七月四日の共同声明文を読んでいました。そこには、外国人ではなく朝鮮人が主導権を握ること、平和的な手段を採ること、統一は社会制度の違いを超越することという南北統一の三原則が述べられていました。また、続いて出された一九七二年十月十七日の韓国内の戒厳令や『韓国の運命を一枚の紙切れに委ねることは出来ないし、統一が百年以内に達成されることはないだろう』という朴の冷たい声明についても読んでいました。そしてまた、カトリック信者の詩人で、世界でも一流の作家のひとり金芝河(キム・ジハ)の投獄についても聞いていました。その詩人の罪状は、朴には気にいらないものでしたが、それでもなお民衆の間で圧倒的に人気のある詩を書いたというに過ぎませんでした。英語に翻訳されて『民衆の声』(ミンジュンエソリ)の題で出版されている詩のなかに、自由でいたいと願う韓国の人々の総体的な決意だけでなく、民衆の悲痛な叫び声が聞こえてきます。恐るべき韓国中央情報局が一九七三年に日本のホテルから金大中を誘拐したことも私は読んでいました。あの人の罪状は?票の不正操作や脅迫があったにもかかわらず、大統領選で朴を負かしそうになったからなのです。もしアメリカの支援がなかったら倒れかけていた、国民に人気のない南ヴェトナム政府を支持する四万二千人のアメリカ陸軍と核兵器要員についても私は知っていました!

『金芝河(キム・ジハ) 民衆の声』(サイマル出版会)

 私が知らなかったのは、国内での弾圧や無残に人々の命を軽視する程度についてだったのです。その程度から言えば、朴政権は恐らく世界でも唯一南アフリカと並ぶ最も厳しい政権の一つだと言えるでしょう。それは病的なまでの反共思想の上に繁栄する警察国家で、有権者の支持を巧みに操作して地盤を固めており、アメリカ軍の支持も受けているのです。私はまた、民主主義の回復を求めて力強く運動が展開されていることもよくは知りませんでした。その運動は、主義や主張にこだわらない色々な人たちの様々な形での広がりと、南北統一に向けてのその人たちの係わりの深さを見せています。韓国のあらゆる年令の、あらゆる違った考え方の人たちからそのことを聞き、その表情や身振りから人々の苦しみと真剣さを看て取らなければなりませんでした。今の私には、その背後にある、人々の間で広く支持された団結と情熱を理解することが出来ます。
朴は一九六一年の軍事クーデターによって政権を握り、張勉の自由主義政権を終わらせました。張勉は民主的な選挙で首相に選ばれ、六十年に李承晩(リ・スンマン)独裁政権が崩壊したあと執務を行なっていました。つまり韓国は、四十五年に永年の日本の植民地支配を脱したあとの短かい期間を除いて、平和と民主主義と自由を知らなかったということになります。朴は軍事力を主張して、北朝鮮人民共和国からの想定し得る攻撃に対抗するために強力な政権を打ち建てる必然性を公然と説きました。朴はただちに反体制勢力を抹殺するために色々な手段を取りました。反国家派と思われる組織を支援する陰謀や扇動や組織的な宣伝活動を禁止するために国家保安法が可決されました。共産主義的と政府が判断する方針に沿って活動していると思われるか、その疑いがある組織を厳しく罰するために、あるいはそのような組織に他人を勧誘したり、その組織を称賛したり、組織に助成したり、いかなる方法であれ組織に利益を供与していると疑われる者をすべて処罰するために、反共法も施行されました。
この二つの法の下に、汚職や縁故腐敗、失業や低所得や国民の生活条件について国を批判した自由主義者や作家、宗教的指導者の大多数は刑務所と拘禁によって沈黙させられてしまいました。しかし、もうすでに充分に厳しい統制が、いわゆる七十二年の維新憲法(ユシンホンポップ)の宣言によって更に強化されました。この基本法の第五十三条では、緊急時の権限を担い、諸法令によって支配する権利が朴に与えられました。七十四年一月八日の大統領緊急措置令第一号によって、維新憲法の拒否や批判あるいは中傷を禁じました。同日発令された第二号では、緊急措置令に違反する犯罪を裁く緊急時の軍事法廷の制度を作りました。七十五年五月十三日の第九号では、噂の流布、憲法の反対、学生の集会、緊急措置令に対するすべての批判を禁じました。政府は、いや、つまり朴は、違反した者を学校や職場から追放し、出版を禁止したのです。法令は再度修正され、その人の所在が国の内外にかかわらず、国に対する名誉毀損罪が導入されました。この法律の下に、アメリカの中央情報局のように世界的な情報網を持つ韓国中央情報局によって、多くの韓国人がヨーロッパと日本から誘拐されています。」
金芝河さんは七十四年の大統領緊急措置令で死刑を宣告されたわけです。グギさんは朴政権の国家をあげてのこのテロ行為を見事に描いている作品として金芝河の風刺詩「根も葉もなき噂」を上げ、その中の小心な農民安道(アンドゥー)を紹介しています。私はグギさんが引用した英語訳を日本語訳したわけです。韓国語を英語訳した際と、その英語訳を私が日本語訳した際に金芝河さんの込めたニュアンスをどの程度まで汲み取れたかは甚だ怪しいのだが、朴政権の理不尽さと金芝河さんの風刺詩のニュアンスの幾分かでも表現できていればと願うばかりである。
次回は、金芝河さん4、か。安道(アンドゥー)を描いた風刺詩と、会議でのグギさんのスピーチの日本語訳を紹介したい。

『金芝河(キム・ジハ) 民衆の声』(サイマル出版会)より

つれづれに

 

金芝河さん2

『不帰』の扉写真

 金芝河(きむじは)さんの2回目である。
出版社の社長さんからグギさんの『作家、その政治とのかかわり』の日本語訳を頼まれたのは1990年代の終わりか2000年に入った頃だったと思う。

グギ・ワ・ジオンゴ『作家、その政治とのかかわり』

 南アフリカの作家アレックス・ラ・グーマの『まして束ねし縄なれば』(1992年、→「日本語訳『まして束ねし縄なれば』」、2021年6月)の次にグギさんの分の日本語訳を頼まれた。どちらも反体制の作家で、投獄されたという共通点もある。二人とも国内に滞在できる政治情勢ではなかったので、グギさんはイギリスからアメリカに、ラ・グーマはイギリスからソ連、キューバに亡命をしていた。日本も含め西側諸国は南アフリカの白人政府を「正式に」認め国交もあったが、東側諸国はアフリカ人を「正式な」外交官として迎え入れていた。ラ・グーマはソ連ではたくさんの読者がいた人気作家だったと聞く。

『まして束ねし縄なれば』(表紙絵:小島けい画)

 南アフリカやケニアや韓国に限らず、「正常」とは思えない政治情勢が日常茶飯事の国は驚くほど多い。ネルソン・マンデラは1964年に終身刑を言い渡された同じ法律で1990年に無条件で釈放され、大統領になっている。ガーナ(当時はイギリス領ゴールド・コースト)のクワメ・エンクルマも牢獄から出て選挙で選ばれ、一足飛びに初代首相になった。ケニアも恐ろしい国である。最も住み心地のよかったホワイトハイランド、後の首都ナイロビを南アフリカからの英国人入植者が奪いに来た時、たくさんの民族集団が一丸となって闘い、何とか勝利したが、そのあと、民族集団の中では多数派ギクユ人の指導者ジョモ・ケニヤッタが、権力や富に目敏い金持ちの取り巻きと悪知恵を働かせて、西側諸国、特にアメリカや日本と手を組んでしまった。(→「ケニアの歴史(3)イギリス人の到来と独立・ケニヤッタ時代 」、2021年11月)それまでナイロビ大学の教授でロンドンを拠点に世界的な作家でもあったグギさん(↓)は、その集団から弾かれてしまった。体制を批判し始めたために、国内にいられなくなって亡命せざるを得なかったわけである。ケニヤッタに「ケニアは民主主義の国だから帰国は自由です、赤い絨毯を敷いてお待ちしています、もちろん命の保証はありませんが」とまで言われたらしい。(→“Ngugi wa Thiong’o, the writer in politics: his language choice and legacy”、「言語表現研究」2003年)日本もおかげで、自民党は鼻高々に大手を振ってODAの予算をつけて海外協力隊を派遣できるし、大企業や商社のために日本人学校を設立、運営できる。他の国も事情は似たり寄ったりである。

小島けい挿画(『アフリカとその末裔たち』)

 韓国も死刑宣告を受けて獄中にいた金大中(キム・デジュン)が、選挙で選ばれて大統領になった。金芝河さんも金大中と同じ時期に死刑宣告を受けている。ソウル大を出たインテリが書いた詩は反体制の象徴で、影響力も強く、体制側には極めて不都合だったわけである。
金大中や金芝河さんの死刑に反対して日本で世界中から人が集まって会議が開かれたのを私が知ったのは1980年代の半ば頃で、大学の職を探していた時期である。1982年にアフリカ系アメリカ人作家リチャード・ライトで修士論文(→“Richard Wright and His World”)を書いた後、ライトのイギリス領ゴールド・コースト訪問記『ブラック・パワー』(↓)を読んでいるときに、アフリカの歴史を知る必要性を感じ始めていた。(→「リチャード・ライトと『ブラック・パワー』」、「黒人研究」、1983年)

 日本でも大都会では南アフリカのアパルトヘイト政策と政界や財界の結びつきを非難して、反アパルトヘイト委員会が中心になってイトウヨーカドウやダイエイなどを相手に不買運動が展開されていた。二階堂進や石原慎太郎が政財界を結ぶ役目を演じて悪名を振りまいていた。不買運動の余波を受けて、南アフリカの安いワインや缶詰は地方の量販店にごっそりと流れていた。ちょうど宮崎に来た1988年は不買運動の激しかったころで、自転車で通う途中で見つけた量販店に入って南アフリカ産のフルーツ缶が山積みされているのをみて、さすが陸の孤島やと感心したことがある。(→「アフリカ・アメリカ・日本」、「ゴンドワナ」7号、1987年)
 グギさんは『作家、その政治とのかかわり』のなかで「東京で開催された韓国問題緊急国際会議」と紹介しているが、会議は1981年に神奈川の川崎市で行われている。会議に出席した先輩から、「その時来てたラ・グーマの写真(↓)があるけど、要るか?」と言われ、一枚もらったことがある。アフリカの作家での発表を薦められて(→「リチャード・ライト死後25周年シンポジウム」(2019年3月)、1987年のサンフランシスコでの→「MLA」(2月20日)の相談をした時に他の資料といっしょに渡してくれた。会議があった時期、私は高校から教諭のまま教職大学院に行っていたが、金芝河さんの死刑宣告も緊急国際会議も、知らなかった。

会議でのラ・グーマ

 次回は、金芝河さん3、か。その川崎での会議からである。
 今日は朝から雨である。あらゆる生命が満ち満ちて、太陽の光を浴び、万物がすくすく成長していく季節、さすがに小満(しょうまん)の時期だけはある。長雨が続くと地面が乾かなくて難儀をするが、この程度の雨は有難い。明日はマッサージで白浜に出かけるが、金曜日は3週続きの雨だったので、久しぶりに晴れた海がみたい。

先々週の雨の曽山寺浜、青島が霞んで見える

つれづれに

 

つれづれに:金芝河さん1

『不帰』の扉写真

 最近新聞で、韓国の詩人金芝河(きむじは)さんの訃報を読んだ。出版社の社長さんからグギさんの評論『作家、その政治とのかかわり』の日本語訳を頼まれた時、その中にその人の詩が含まれていたので、いっしょに日本語訳をした。韓国についても金芝河さんについてもよく知らなかったので、妻の書棚にあった『金芝河(キム・ジハ) 民衆の声』(サイマル出版会)と知り合いから借りた『現代文学読本 金芝河』(清山社)、金芝河著『不帰』(中央公論社)、姜舜訳『金芝河詩集』と、韓国の歴史の本を何冊か読んだ。初めて知ることも多かった。妻の書棚の本には、ひらがなの旧姓と1975.1が記されてあった。結婚前に買って読んだようだ。山之口獏で修士論文を書いたそうで、本棚には、誌と絵画の本と絵本が多かった。

グギ・ワ・ジオンゴ『作家、その政治とのかかわり』

 出版社の社長さんはグギさんとケニアでも日本でも会い、日本語訳も何冊か出していて、翻訳出版も続けていた。いつか同時通訳の役が回って来そうで、その準備もしてはいた。出来れば避(よ)けたかったが、案の定、『作家、その政治とのかかわり』の話がさりげなく舞い込んで来たのである。身に余る光栄と言いたかったが、そんな力量もないし、グギさんもケニアもほとんど知らない。ケニアの事情や歴史も知る必要があるし、先ずはグギさんの本を読まないといけない。考えるだけで、気の遠くなるような話で、予測される大変さの方が大きかった。

小島けい挿画(『アフリカとその末裔たち』)

 グギさんは多作で、果てしなく分厚い本もあり、読むだけでも大変である。ギクユ語なら最初から諦めるが、運悪く英語版が揃っている。作中に使われているギクユ語については同郷のムアンギさんに聞くしかない。大阪工大で一時期いっしょに非常勤をして、明石の家に来たこともある。結局、日本語訳に丸々2年ほどかかった。グギさんがギクユ語で書き始めた経緯や新植民地支配下にあるケニアの政治情勢に加えて、韓国軍事政権下の金芝河に、アフリカ系アメリカ文学と思想まで含まれていた。一つでも大変なのに、手に余る、そんな感じの2年間だった。日本人一般のアフリカへの関心や常識を考えても、間違ってもアフリカの本が売れるわけがない。出版に二百万か、三百万か要ると言われた。払う人もいたようだが、出せずに未出版のままである。

ムアンギさん、先輩(左側二人)と、1988年大阪工大で

 時事コムの訃報である。(↓)

金芝河氏(キム・ジハ、本名金英一=キム・ヨンイル=韓国の詩人)韓国メディアによると、8日午後4時(日本時間同)ごろ、江原道原州の自宅で死去、81歳。1年余り闘病生活を送っていた。全羅南道木浦出身。ソウル大美学科卒。朴正熙政権下の1974年、民主化運動関係者が次々逮捕された「民青学連事件」で死刑判決を受けたが、後に無期に減刑、釈放された。代表作は「長い暗闇の彼方に」。他にも邦訳が多数ある。

『金芝河(キム・ジハ) 民衆の声』より

 次回は、続きの金芝河さん2、か。