つれづれに

 

採用試験

白浜海岸(去年の秋)

 一昨日は久しぶりに強い雨にやられた。基本的には毎週金曜日にマッサージをしてもらうために白浜に通っているが、この一年半ほど奇跡的に一日も往復時に雨が降らなかった。海岸線は特に風が強いので、普段は通る砂浜沿いの歩行者・自転車専用道路には入らなかった。

今年の立夏(りっか)の始まりは5月5日、旧暦ではすでに夏、21日の小満(しょうまん)まで続く。青空にこいのぼりが泳ぎ、一年で最も過ごしやすい季節だと言われる。庭の畑も夏模様に変わっている。

今回は2度目の高校の教員採用試験についてである。一度目は入学後6年目に、急遽受験を決めて(→「百万円」(4月30日))、取り敢えず受けてみることにした。「受けてみるものである。採用試験の方では、一般教養と英語の試験があるのがわかった。英語にリスニングがついていて、聞こえたのは、廃品回収のマイクから聞こえる業者の声だけだった。教養は準備なくても行けそうだし、購読と英作文で充分だろう、それが感想だった。」(→「教員採用試験」、5月2日)そして、一年間準備した。(→「購読」、5月5日、→「英作文2」、5月7日)英語をしたのは初めてである。

Theodore Dreiser, An American Tragedy

 8月に試験があった。1次の筆記試験は何故か西寄りの姫路西高であり、2次の面接試験は東よりの県庁近くの会館であった。一回目の試験でリスニングがあったと書いたが、準備をしなかったのは比率が極端に低かったからか。リスニングについてはほとんど言われていなかった時代だから、ひょっとしたら問題になかったかも知れない。一般教養は軽く過去の問題に目を通したように思う。大学院の第2外国語もそうだが、極端に悪くなければ大丈夫、そう考えていたようである。要は、授業に困らないくらいに英語が読めて、書ければいいんやろ、と信じ込んでいたんだろう。英文和訳も英作文も、書けたと思う。1次は予定通り合格、問題は2次の面接だった

姫路西高

 次回は、面接、か。

つれづれに

英作文2

事務局・研究棟(同窓会ホームページから)

 大学入学後の授業科目の一つとして→「英作文」(4月2日)を書いているので、今回は英作文2である。採用試験と大学院を受けて(→「教員採用試験」、5月2日)、修士の準備に購読と英作文をやれば採用試験の方も行けるだろうと思ったので、先ずは購読について聞きに行き、次は英作文について聞くために別の人の研究室を訪ねた。→「英作文」(4月2日)

どの教科だったかどの学年だったかは忘れてしまったが、後に言語学、特に英文法ではわりと名前が知られているなと思ったくらいだから、英文法の時間ではなかったように思う。淡々と涼し気に授業をしていた印象が残っていたので、研究室に足が向いた。その人は大学院や教員採用試験などについては何も触れなかったが、黙って話を聞いたあと、英作文の本を2冊と文法に関する助言をくれた。2冊は「英作文」と「日記式英作文研究」、文法に関しては「現代英語学辞典」(成美堂)と「擬声語雑記」を薦めてくれた。もちろん、どれも初めて聞いた名前だった。

 「英作文」は岩田一男、「日記式英作文研究」は渡邉秀雄という人が書いたようで、「現代英語学辞典」といっしょにすぐに手に入った。どちらも大学入試関連で売れっ子だったようだが、私は受験勉強に縁がなかったので名前も見たことがなかった。本を薦めてくれ人も、出版社から頼まれて参考書の類を書いていたかも知れない。本屋に新本はあったようだが、すべて古本屋で手に入れた。

乾亮一の「擬声語雑記」は探すのに少し時間がかかった。市河博士還暦祝賀論文集第2輯 に入っていた。東大系の学術論文集らしく、数はそう出回っていなかったように思う。普通は図書館で借りるところだろう。

 検索していたら、市河博士還暦祝賀論文集第2輯 収載の「擬声語雑記」と並んで→「Native Sonの冒頭部の表現における象徴と隠喩」と→「『言語表現研究』」が写真入りで載っていた。勝手に載るんだ、とウェブの怖さを感じた。

渡邉秀雄という人のは面白かった。実践型で、「あいつを見たら腹が立つをThe sight of him angers meと書けないと、てんで話にならない」、と書いていたのが新鮮だった。無生物が主語になる英語の特徴を理解する必要性を強調していたようだが、実際はangerを動詞で使っている英文を見かけたことがないような気がする。いま絵のブログを英訳して載せているが、この辺りで、日本語と英語の違いを意識して、たくさんの英文に接したから、わりと構えず英語訳が出来ているような気もする。

 次は、採用試験、か。

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山陰

津山城跡:『こころのふるさと行く』219頁

 The Scarlet Letterの文庫本を持って列車で出かけ、津山駅に降り立った。辞書を使い、3ケ月もかけて1026ページのAn American Tragedyを読み終えたが、先が見えなかったからだ。津山、松江、津和野に行くためでもあった。→「購読」(5月5日)

 津山に行ったのは立原正秋の『こころのふるさと行く』を読んだ時からいつか行ってみようと思っていたからである。

『心のふるさとをゆく』外箱表紙

 立原正秋の悪影響については奈良西大寺の秋篠寺(→「伎藝天」、4月23日)と奈良県五條市の栄山寺(→「栄山寺八角堂」(4月27日)の中で書いた。「旅」という雑誌に書いた14編を集めたものだが、他にも出かけた所もあるので書いてみようと思っている。

栄山寺八角堂(『心のふるさとをゆく』口絵)

 秋篠寺の伎藝天

 松江と津和野は少し距離があり、泊りがけでないとゆっくりしないが、津山は昼から出かけてもその日のうちには着く。新幹線の通らない地方は単線が多く、時間はかかるが、急ぐ理由もない。辞書なしに本が読めればそれでいいのだから。

複線の姫路までは快速電車、乗り換えて単線の姫新線で津山まで、途中で乗り換えて3時間ほどである。津山駅には夜の11時過ぎに着いた。The Scarlet Letterと下駄を枕に、駅のベンチに初めて寝袋を広げた。構内から誰もいなくなったようだったので、眠り始めた。人の気配がして目を開くと、初老の男性が横に立っていた。誰かを迎えに来たがいなくて帰ろうとしたが、寝袋で寝ている私が気になって声をかけてくれたらしい。子供さんと姿が重なったのかも知れない。しばらく話をしているうちに、今日はうちで泊まりませんか、息子も外に出て一人暮らしなので気兼ね要りませんから、どうぞとも言われた。初めての寝袋なんやけど、という気もしたが、無碍に断る理由もないので、結局ついて行った。一人暮らしで、と言いながら食事を用意してくれた。一緒に食べながら、少し話をした。「妻を亡くし、息子も家を出ている」ような話だった。予想しなかった一日目となった。

次の日は朝から『心のふるさとをゆく』の中に紹介されていた津山城跡(最初の写真)を訪ねた。山城らしかった。今は2005年に築城400年の記念事業で城(↓)が再現されているらしいが、その時は城跡だけで、あまり人も見かけなかった。初めての寝袋計画も頓挫したので、松江から津和野まで鈍行列車に乗ることにした。ずっと曇り空だった。これから雪になるようだから、山陰で暮らすのは大変そう、そんなことを考えながら、列車の中からどんよりした空をながめるだけで、ほかは何もしなかった。こうしてがたんことんと、曇り空が続く。同じ光景が延々と続きそうだな、と列車の窓から眺めていた。その日は、たぶん津和野のユースホテルに泊まり、次の日、津和野の街を歩いただけで帰ったような感じがする。結局、寝袋も使わず、The Scarlet Letterも読まなかった。帰り途は記憶に残っていないので、おそらく山陽本線か新幹線を使って戻ったんだと思う。それから、憑きものが取れたように、わからないまま辞書なしで残りの本を一気に読み終えた。

次回は、英作文、か。

2005年に改築された津山城(津山市観光案内から)

つれづれに

 

購読

 採用試験と大学院を受けて、修士の準備に購読と英作文をやれば採用試験の方も充分行けると思えたので、先ずは一年生の英作文の時間に『坪田譲治』をテキストに使ってくれた人の研究室を訪ねた。→「英作文」(4月2日)、→「教員採用試験」(5月2日)

事務局・研究棟(同窓会ホームページから)

 初めてではなかったので名前は憶えてくれてたようで「玉田くん、あなた、26人中飛び抜けて一番でしたねえ」とにやにやしながらその人が話し始めた。へえー、そうなんやと思っていたら、「あなたは元気があるから、定時制の高校の教員は出来るんですがね」と付け加えた。要は、あまりにも英語の力がないのを同情していたわけである。好きな人に同情されるのは、人に金を借りて生きるくらい、よくない。

六甲山系を背にした講義棟(同窓会HPから)

 研究室を訪ねる前に「試験の準備はしよう」と決めていたので、何からやればいいかを聞いた。本を読んでみますか、と何冊かを紙切れに書いてくれた。教員採用試験、院の試験を受けるとして、先ずは読むことですね、と言うことだろう。今回は『坪田譲治』ではなく、何冊かのアメリカ文学の書名が並んでいた。

Nathaniel Hawthorne, The Scarlet Letter

Theodore Dreiser, Sister Carrie

An American Tragedy

William Faulkner, Sanctuary

Light in August

John Steinbeck, Grapes of Wrath

名前は聞いたことはあったが、もちろん読んだことはなかった。そもそも英文書を読んだのは、ゼミの発表で取り上げたTo Kill a Mockingbird(『アラバマ物語』)だけである。それもほんの少しだ。

今回は図書館を利用することにした。どれも分厚い本だった。特にAn American Tragedyは辞書並みで、1026ページもあった。一番分厚いAn American Tragedyから読み始めた。一応研究社の英和大辞典はあったので、辞書も引いた。しかし、知らない言葉が多すぎて、毎日毎日かなりの時間を使ったのに、3ケ月もかかった。大きな辞書がぼろぼろになっていた。しかし、と考えた。こんな調子なら、一生に何冊読める?試験には間に合わんやろ。

下駄履きで、寝袋とThe Scarlet Letterの文庫本を持って、津山、松江、津和野に列車で出かけた。立原正秋の『こころのふるさと行く』を読んだとき、行ってみようと思っていたこともあるが、今回はThe Scarlet Letterを辞書なしで読んでみるか、と思いながら、姫路経由の列車に乗り、夜の11時過ぎに津山駅に着いた。それが最終列車のようで、構内から誰もいなくなった頃にベンチに寝袋を広げて眠り始めた。初めての寝袋である。

 次回は、津山から津和野へ、か。

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ナサニエル・ホーソーン、1804年生まれ、『緋文字』(1850)

セオドア・ドライサー、1871年生まれ、『シスター・キャリー』(1900)、『アメリカの悲劇』(1925)

ウィリアム フォークナー、1897年生まれ、『サンクチュアリ』(1931)、『八月の光』(1932)、ノーベル文学賞(1949)を受賞。

ジョン・スタインベック、1902年生まれ、『怒りの葡萄』(1939)、ピューリッツァー賞(1940)・ノーベル文学賞(1962)を受賞。

映画『怒りの葡萄』