つれづれに

つれづれに:ジェリコの戦い

長谷川 一約束の地』ヨルダン川」から

 故郷に戻りたい、間にヨルダン川(↑)が流れていて渡れそうもないが、誰か奴隷の状態から救ってくれる人が現れてくれないか、その願いが「下り行け、モーゼ」(Go Down Moses)、ヨルダン川が「深い河」(Deep River)の歌になった。旧約聖書(The Old Testament)の2章「出エジプト記」(Exodus)の話である。

ポール・ロブソン

 モーゼがヘブライ人たちをエジプトから連れ出したあと、約束の地カナンにジョシュアも含め何人かを偵察に出した。戻って来た人たちはカナン攻略は無理だと反対したが、ジョシュアは神の導きに従って行くべきだと言った。モーゼから約束の地への許可を得て、モーゼの死後ジョシュアは意志を継いで民を率いてヨルダン川を目指した。激流に行く手を阻まれたが、神の奇跡が起きて川は干上がり、一行は川を渡りきった。ジェリコの街では壁に阻まれるが、司祭の角笛の先導でジェリコの街を6日間周回して城壁を打ち崩し、ジェリコ攻略を果たした、というのが「ジェリコの戦い」(Joshua fit the battle of Jericho)という歌になった背景らしい。モーゼたちが約束の地に辿り着くのに40年かかったらしいが、どこかに駐留していたということか。

ジョシュアはジェリコのいくさを戦った ジェリコ、ジェリコ / ジョシュアはジェリコのいくさを戦った / そして、砦の壁は崩れ落ちた

Joshua fit the battle of Jericho / Jericho Jericho; /Joshua fit the battle of Jericho / And the walls came tumbling down.

ギデオンのような強者の話をしてもいい / サウルのような戦士の話をしてもいい / しかし、ジェリコの戦いでの / あの雄々しいジョシュアに敵うものは誰もいない

You may talk about your kings of Gideon, / You may talk about your men of Saul / But there’s none like good old Joshua / At the battle of Jericho.

ジェリコの砦に向って / ジョシュアは槍を手に行進した / 「さあ、雄羊の角笛を吹き鳴らせ」、とジョシュアは叫んだ / 「戦いの行方は私の手の中にある」

Up to de walls ob Jericho; / He march’d wid spear in han’ / "Go blow dem rams" horns, ÅhJoshua cried, / "Kase de battle am in my han’."

雄羊の角笛が鳴り始め / 笛が響き始めると / ジョシュアは子供たちに叫ぶように命令した / そして、あの朝 / ジェリコの壁は崩れ落ちた

Den de lam’ram sheep horns begin to blow, / de trumpets begin to soun’, / Joshua commanded de chil’en to shout, / An’ de walls come tumblin down. / Dat mornin’

「ジェリコの戦い」は合唱曲としても歌われていて、ウェブには合唱コンクールの動画がたくさん置かれている。小学生が歌う映像もある。ジャズのスタンダードナンバーとしても定着しているらしい。

教室では「下り行け、モーゼ」と同じく、ゴールデンゲイトカルテット(↓、Golden Gate Quartet)の曲を聴いてもらった。やはり軽快である。最初の何年かは、学年全体が入れる大きな教室で、台車に載せたテレビといっしょに持って行っていたカセットテープレコーダーの出力を大きくして聴いてもらっていたので、低い音も教室に響いていた。「ジェリコの壁は崩れ落ちた」(de walls come tumblin down)を繰り返すところでは、如何にも壁が崩れ落ちる感じさえした。

この「ジェリコの戦い」も「深い河」もヒューズの「黒人史の栄光」には入っておらず、紹介されているのは「下り行け、モーゼ」だけである。しかし、スピリチャルやゴスペルなどのブラックミュージックを紹介するうえで、どうしても聴いてもらいたかった3曲だったので、解説も交えながら3曲を続けて聴いてもらった。

旧宮崎大学の教育学部はエバーグリーン大学と交換留学制度をやっていて、ある年、非常勤の英語の授業で知り合った工学部の学生がその大学のジョシュアという学生を紹介してくれた。授業で「ジェリコの戦い」を聞いてもらっていたので、その学生とあったとき、最初に"Did you fight the battle of Jericho?" と聞いたら、「古いこと知ってますね」と言われた。それから二人はその年、よく医大の研究室まで遊びに来た。工学部の学生は京大の文学部を受けたが不合格で「4月に入ってから入れる大学はないかと文部省に電話したら、宮城と宮崎を言われて、宮崎に来ました」と話していたが、翌年特別に準備もしないでまたセンター試験を受けた。東京外大のモンゴル語学科に入学して、東京に戻って行った。ジョシュアくんは帰国して大学に戻ったと聞いた。

医学科で授業を始めた時はまだ自分のテキストがなかったので、非常勤の頃にやっていたアフリカ系アメリカの歴史や音楽の内容が多かったが、徐々にアフリカ全般、南アフリカやコンゴやケニア、エボラ出血熱やエイズなどの医療問題も絡んでくるようになった。その流れの出だしが、スピリチャルやゴスペルなどのブラックミュージックだったかも知れない。

つれづれに

つれづれに:畑再開

 街に行ってたので、更新するのが夕方の6時を過ぎている。平和台の餃子屋さんと街中のお茶屋さんに2か月に一度くらい通っている。どちらも顔馴染になっている。20キロ強の距離だから、この前行った南の方の内海と同じくらいの距離だろう。今しばらくは行けそうだが、先はわからない。コロナがこれほど続くと誰が思ったか。

これくらいの気温になると、やっと畑に出る気持ちになって来る。少し前に、畑を再開した。生い茂った草を取り除いて、何とか大根を蒔いた。去年の枯れた鞘(↓)を枝に付いたまま残していたので、鞘から種を採って撒いた。少々小粒だが、すでに芽(↓)が出て大きくなっている。気温が高いので、芽が出るのが早い。元々寒冷野菜なので、冬なら芽が出るのに少し時間がかかる。三か月ほどで出来るので、周期は早い。

 ただ、温かくなってくると、薹が立って硬くて食べにくくなり、花も咲いてしまう。それに、出来るときは一斉なので、二人ではそんなに食べきれない。だから昔の人は、保存用に干し大根(↓)や切り干し大根にしたんだろう。農家の知恵である。それがこの辺りの名産にもなっている。自転車で空港辺りや清武の町に出かけるときによく見かける。清武川の河川敷でも作業が行われている。霧島降ろしが吹く頃が風も乾わいていいらしい。

 干すと小さくなるので、量が要る。だから人工的に作られた化成肥料が大量にまかれる。なかり太くなる。医科大の周りでは切り干し用の大根が作られているので、この時期になると白い肥料の粒を撒く人をよく見かけた。台風の時期に種を蒔くと、芽が出た頃に雨風に叩かれてやられてします。台風が多い年に3回も種を蒔く作業を強いられた人が頭を抱えて立ち尽くしているのを見かけたことがある。今年は大きいのが来て、山間部にかなり被害が出たが、最近はまともに来ていないので助かっている。台風が来てもいいことは一つもない。以前神戸から宮崎まで来てくれた人を生産者市に連れて行ったら、切り干し大根(↓)を買っていた。ほとんど化成肥料ですけどね、と言っても、構わず買っていた。

 少し気温が下がったとはいえ、10月のこの時期はこのままだとまだ虫にやられてしまう。いろいろ試してみた末に、今は10倍ほどに希釈した酢を撒いている。雨が降ると流れるので、根気よく撒き続ける必要がある。11月に入ってさらに気温が下がると、ある時期から酢を撒く心配をしなくて済むようになる。冬野菜全盛である。

台風のあと、大根が急騰していたが、大根そのものが生産者市にもなくなっている。もちろん値段を出せば手に入るが、400円ほどもする。普段は百円前後、一番出回る時期は50円前後になる。量販店に北海道産の百円台の大根が常時置いてあるので、それを東京の息子夫婦に送ろうと思って買いに行ったが、なかった。工夫して、この時期大根を作りたい気もするが、暑さと蚊には勝てないだろう。夏に種を蒔いてみたら芽が出たので、工夫の余地はある。やはり問題は暑さと蚊である。

去年の大根

 柿も例年に比べて動きが少し怪しい。色付いて剥いても熟れ過ぎてぐちゃぐちゃになるか、辛うじて枝を残して吊るしても重さに耐えかねて落ちてしまう。今までこういうことはなかったので、暑すぎた影響かも知れない。20~30個ほど落ちてしまったが、まだ400個近くはあるので大丈夫だろう。1週間前に2個干した分が落ちないでぶら下がっている。一昨日あらたに3個干した分は2個が落ちてしまった。昨日は9個干したが2個が落ちてしまった。残っているのは10個である。

 二日前には雨が降ったので、少し雨に濡れた。朝に急いで部屋に入れて、ドライヤーで乾かした。そのままだと、雑菌にやられるのか真っ黒になってします。寒い地域では雨の降らない寒風に乾せるので、いいのが出来る。この辺りは暑い上に、湿気も高く、雨も降る。雨のたびに柿を出し入れするのも手間である。最近は、重さも応える。発酵食品などもそうだが、手間と暇がかかる。何とか出来上がりそうだが‥‥。落ちても、心配はいらない。まだ400個、充分にたくさんである。手に余る。

つれづれに

つれづれに:すすきにこすもす

 気温が下がって一気に秋の気配である。金曜日は久しぶりに内海の南風茶屋に行き、帰りにすすきを採って来て、玄関の壺(↑)にこすもすといっしょに入れた。すすきで一番印象に残っているのは大分県飯田高原の九州芸術の杜で個展(→「小島けい個展 2009に行きました。」)をしたときに見た周りの景色の中である。こすもすとすすきがあちこちに咲いていて、風に揺れていた。九州芸術の杜のオーナーは牧場も持っていて、牧場の周りにもすすきとこすもすが一斉に咲いていた。夕暮れ時に撮った写真(↓)である。10日間ほどギャラリー夢(→「<ギャラリー夢>に行ってきました!」)の2階に泊めてもらった。夜は真っ暗で、星がこの上なく美しかった。まわりにはあけびもあちこちになっていた。採るとすぐに勢いをなくすので、採って持っては帰れなかったが。子供の頃からあけびに馴染んでいる人は、あけびを見ると「おいしそう!」と言うが、私の場合、妻の絵の材料だったので「食べるもの」と繋がらない。芸術の杜が遠くなかったら、続けていたかもしれないが、熊本まわりでも延岡まわりでも、電車でも5時間、実際には東京より遠い。今年も東京世田谷のCafe & Gallery Roomerで、個展の予定である。(→2022年個展案内)今年もコロナの影響で本人は自宅待機で残念だが、はや10年目である。

 猛烈な暑さの時期が何とか過ぎて、朝晩の気温も下がってくた。吉祥寺の娘が昼間でも11度でダウンを着ているとズームで言っていたので、間もなく秋が一気に来そうである。季節は確実に過ぎている。

こすもす(小島けい画)

 最近なかなかこすもすを気軽に採れるところがなかったが、今日道端の雑草の中に咲いている秋桜(↓)を見つけた。百本以上もありそうなので、気兼ねなしにもって帰れそうである。昨日は剪定鋏を持っていなくて、少しだけしか摘めなかったが、蕾を3本持って帰り、前に妻が絵に使うために採って来ていたあけびの葉とすすきといっしょに入れた(↑、上の写真)

 こすもすも最初の頃にたくさん描いて何枚も絵になり、カレンダーにも残っている。(→「秋桜」)花そのものもたくさん描いているが、猫ちゃんや犬ちゃんとの組み合わせも多い。色がやさしいからかも知れない。この3年の10月はこすもすで、すべて注文してもらった絵である。2020年の分は、大分の個展に行っている時に、店(→「<夢色工房>をお訪ねしました!」)にカードを置いてもらっていたが、えらく気に入ってくれた人がいて、その人の結婚のお祝いである。今は愛媛に住んでいるらしい。犬の名は寅次郎。馬は牧場のぼんちゃんである。一番下は娘の友人の母親から頼まれたもので、今月の絵である。

「私の散歩道2020~犬・猫・ときどき馬~」10月

「私の散歩道2021~犬・猫・ときどき馬~」10月

「私の散歩道2021~犬・猫・ときどき馬~」10月

つれづれに

つれづれに:白鷺

 一昨日見つけたこすもすの写真を撮りにでかけた。先にいつも出かける生産者市場に行った。清武川の橋を渡ったところにある。胡瓜がなくなり、大根もあと少しになっていたからである。8時から開いているが、その時間に行くのは難しい。今日も10時前になった。大根は跡形もなかった。台風のあと大根そのものが出回らなくなっている。量販店に野菜を置くようになって、北海道産が100円台後半の値段で出ていたが、そこもなくなっている。あるのがわかったからだろう。

清武川の橋を渡る時に、白鷺がたくさん川の中にいるのが目についた。冬場にはよく見かける。たぶん白鷺だと思う。折角カメラを持って行ってたので、川の中の白鷺を撮ろうと、渡った先の堤防の上を西に少し行って河川敷に行こうとしたとき、白鷺が一斉に飛び立った。

 近くで撮るには、じっと待って気配を感じさせないようにするしかないだろう。時間的に余裕がなかったので、飛び立って行った先の写真を撮った。近くの繁みに最初から数羽停まっていたが、そこに合流するようだった。待機(↓)して危険が去ったら、また元の川中に戻るのだろう。白鷺の邪魔をするつもりはなかったが、写真を撮るのも難しいものである。

 白鷺はよく見かけるが、姿が美しい。小さい頃に住んでいたところから電車で1時間ほどのところにある城が白鷺(しらさぎ)城(↓)と呼ばれている。小学校の1年生の遠足で連れて行かれた時は、改修中だった。その後も改修されて再公開されたとニュースで言っていた。大学までの写真は一枚もないが、小学校1年生の城を背景に撮った集合写真の残像はある。60年以上も前のことである。

 その堤防に黄色い彼岸花が咲いていたので、2枚写真に撮った。堤防下の家の人が植えたもののようで、写真を撮っているのをちらっちらっと控えめに見ていた。気軽に声をかければよかったのだが、声を掛けそびれてしまった。

 前から黄色いハイビスカスを撮りたいと思っていたので、会社の前に自転車を停めて、撮った。お盆前から咲いていて、他のハイビスカスはほぼ終わってしまっているが、そこのはまだ勢いがあった。赤の花が多い。最近はところどころで、黄色の花も見かけるようになった。

 写真を撮り終わって道路の向かいを見たら、見慣れない看板がかかっていた。新しく生産者市が出来たようである。自転車を停めて中に入ろうとしたら、年配の男性から「ハイビスカス、お好きですか?」と聞かれた。「ああ、持主さんでしたか?黄色のハイビスカスは珍しいですよね」と答えた。写真を撮っているところを向かいから見られていたわけである。店先で薩摩芋を焼いて売っていたので、向かいの会社の年配の人が店を開いたようである。経営者が引退した雰囲気だった。「まさかないやろな」と思いながら店に入り探してみたら、大根があった。150円である。まだ知られていないが、知られるとすぐに品切れしそうである。すぐ近くのエ―コープが新装開店して盛況だから、品物さえしっかりとしていれば、人は来るだろう。着眼点は悪くない。また利用できそうである。そのあとこすもすの写真を撮りに行った。