つれづれに

つれづれに:年老いたライリー

 ヒューズは詩人だが、小説や自伝、児童書や民話、劇やミュージカルの台本、フォト・エッセイやドキュメンタリーなどかなり広範囲の作品を残している。この「黒人史の栄光」(↑、“The Glory of Negro History,” 1964)でも物語風の歴史のなかにたくさんの詩や歌や奴隷体験記などを盛り込んでいる。「深い河」「下り行け、モーゼ」「ジェリコの戦い」「そっとお行きよ」はすでに紹介したが、別のスピリチャル「静かに軋れ、素敵な四輪馬車」と「年老いたライリー」の2曲についても書いておきたい。表だった歴史には残らないような奴隷の話と歌である。ここでも白人の歌詞「天国に」(home)は奴隷たちには自由の地(to the North, to freedom)で、四輪馬車(chariot)は自由の地、北部に運んでくれる四輪馬車(the chariot of freedom)だった。

静かに軋れ、素敵な四輪馬車

素敵な四輪馬車よ、静かに軋れ / そして私を天国に連れて行っておくれ。 / 静かに軋れ、素敵な四輪馬車 / 私を天国に連れて行っておくれ・・・・・

SWING LOW, SWEET CHARIOT

Swing low, sweet chariot,  / Comin’ for to carry me home. / wing low, sweet chariot / Comin’ for to carry me home…….(註:Swingは命令形。Comin’ for to carry me home= Coming to carry me home)

後に、北部に逃亡した人たちが、組織的に協力して南部に戻って戻って奴隷を北部に運ぶようになっていくが、最初は一人で逃げた。そんな逃亡奴隷の一人を歌い、語り継がれている歌が「年老いたライリー」である。「とうもろこし畑を七面鳥のように」逃げたライリーという名前の奴隷と臭いを嗅げないラトラーという名前の猟犬についての歌で、言い方は悪いが、何となく軽快で、微笑ましい感じの曲である。しかし実際には、逃げる老人も猟犬も命がけだ。

年老いたライリー

ライリーは川を渡った。 / こっちだ、ラトラー、こっちだよ! / 年老いたライリーは川を渡った。 / こっちだ、ラトラー、こっちだよ! / ライリーはとうもろこし畑を七面鳥のように行ってしまった。 / こっちだ、ラトラー、こっちだよ! / ライリーはとうもろこし畑を七面鳥のように行ってしまった。 / こっちだ、ラトラー、こっちだよ! / 年老いたラトラーは私が角笛を吹くとやって来る。 / こっちだ、ラトラー、こっちだよ! / 年老いたラトラーは私が角笛を吹くとやって来る。 / こっちだ、ラトラー、こっちだよ! / プゥーッ、プゥーッ、プゥーッ! / こっちだ、ラトラー、こっちだよ! / プゥーッ、プゥーッ、プゥーッ! /
こっちだ、ラトラー、こっちだよ…

OL’ RILEY
Riley walked de water. /  Here, Rattler, here! /  Ol’ Riley walked de water. / Here, Rattler, here! / Riley’s gone like a turkey through de corn. / Here. Rattler, here! / Ol’ Riley’s gone like a turkey through de corn. / Here, Rattler, here! / Ol’ Rattler come when I blow my horn. / Here, Rattler, here! / Ol’ Rattler come when I blow my horn. / Here, Rattler, here! / Tootl Toot-toot! / Here, Rattler, here! / Toot! Toot-toot! / Here, Rattler, here . . .(註:OL’ RILEY=Old RILEY, walked de water=walked across the river)

「静かに軋れ、素敵な四輪馬車」はテネシー州のある黒人女性が歌い出したといわれる。スピリチュアルの一つで、テネシー州のフィスク大学で1870年代に活動していた「ジュビリー・シンガーズ(↓、the Jubilee Singers)」によって広められたスピリチュアルの一つである。ウェブでもたくさんの資料や動画がたくさん紹介されている。フィスク大学は有名な黒人大学で、黒人研究の会でいっしょだった人が、在外研究のために滞在していたと聞いたことがある。

 「年老いたライリー」は資料も少なく、リード・ベリー(↓、Lead Belly)の曲が聴ける程度である。当時はもっと人に歌われていた曲だろう。『有名なアメリカの黒人』、『有名なアメリカの黒人音楽家』、『有名なアメリカ黒人の英雄』という自伝も書いているので、数多くの歌や話の中から「黒人史の栄光」の中に相応しい曲を選んだわけである。ヒューズの優しい気持ちが伝わって来る。

つれづれに

つれづれに:そっとお行きよ("Steal Away")

 アフリカから無理やり連れて来られて毎日重労働を強いられる奴隷たちが白人の歌の歌詞を借用して、主に西アフリカのリズムやビートを加えて自分たちの思いを後の世代に伝えたが、白人の歌詞も時には白人とは違う意味で使っていた。白人の「深い河」(→「深い河?」)に出て来るヨルダン川(Jordan River)は、その人たちにはアフリカ大陸と北アメリカの間にある大西洋(Atlantic Ocean)だった。後には、奴隷州と自由州の間に流れるオハイオ川(↓)や、アメリカとカナダの境にある5大湖に準えた。

 ヒューズが「黒人史の栄光」(↑、“The Glory of Negro History,” 1964)の中で紹介している「そっとお行きよ」(Steal away)の「イエスさまのもとに」(to Jesus)や「天国に」(home)も、その人たちには自由を保障してくれる「北部に」(to the North)という意味合いを持っていた。

そっとお行きよ

そっとお行きよ、 / そっと忍んでお行き、 / そっとイエスさまのもとに忍んでお行きよ、 / そっとお行きよ、 / そっと天国に忍んでお行き、 / ここに永く留まる必要もありませんから・・・・・ / 神さま、神さまは私をお呼びになります。 / 神さまは雷で私をお呼びになります。 / 雷の音が私の魂の中に響きます。 / 私はここに永く留まる必要もありません。 / そっと忍んでお行きなさい. . . . . .

STEAL AWAY

Steal away, / Steal away,  / Steal away to Jesus. / Steal away, / Steal away home. / I ain’t got long to stay here. . . . . / My Lord, he calls me. / He calls me by the thunder. / The trumpet sounds within-a my soul. / I ain’t got long to stay here. / Steal away . . . . . . /

<註>within-a=within この接尾aは発音上のなまりで特別な意味はないが、元はin, on, forなどの意味があったと考えられる。

 誰も奴隷になりたかったわけではないので、多くの人が逃亡を企てた。テレビ映画「ルーツ」の主人公キンタ・キンテ(↑)も奴隷市で隣の農園にいるのを知ったファンタに会うために逃亡した。ファンタに会う前に奴隷狩りに捕まり、奴隷調教しに鞭打たれてトビートいう英語名を無理やり言わされた。それでも懲りずに逃亡をしてファンタに会いに行った。「凍える下りここに残り暖かくしていたいのよ」と断られ、また奴隷狩りに捕まった。今度は足首を切断されて、危うく死ぬところだった。クンタに限らず、多くの人が逃亡をした。最初は一人で、そのうち集団で暴動を起こした。ナット・ターナーの暴動は有名である。白人ジョンブラウン(↓)は兵器庫を襲い、黒人といっしょに武装蜂起して奴隷社会を震撼させた。

 北部に逃げて、後に布教活動に励んだサジャナー・ツゥルース(↓)も逃亡奴隷の一人で、ヒューズは次のように紹介している。

「名前について言いますと、神さまがサジャナーという名前を下さいました。人々に原罪について語り、私自身であると説くために国中を旅して歩く運命にあったからです。のちに神さまにもう一つ名前が欲しいと言いました。他の人たちには苗字と名前があったからです。それで、人々に真実を伝えなければいけませんでしたので、神さまは私にツゥルースという名前を下さいました。私には5人の子供がいましたが、みんな奴隷として売られてしまいました。その子たちがどこにいるのか私にはわかりませんし、子供たちも私がどこにいるのかを知りません。しかし私が北極星を見、子供たちも北極星を見ます。それで幾分か気分が楽になるのです。今私は真実を探しながら世界を回っています。神の小さな物ごとではなくて神についての偉大な教えについて考えています。私は真実を求める布教者です。」ツゥルースにとっての真実とは自分のためだけではなくすべての人のための自由だった。そして、暗闇の中で、深い森の中で次のように歌うハリエット・タブマンにとって意味するものと同じだった。

 ("'Now about my name, the Lord gave me Sojourner, because I was to travel up and down the land showin’ the people their sins and bein’ a sign unto them. Afterwards I told the Lord I wanted another name, ’cause everybody else had two names. And the Lord gave me Truth, because I was to declare the truth to the people. I’ve had five children, and I’ve seen ’em most all sold off into slavery. Where they be, I don’t know – and my children don’t know where I be. But I look at the stars, and they look at the stars, and somehow I feels better. Now I walks the world lookin’ for truth. I think of the great things of God, not the little things. I’s a sojourner lookin’ for truth!’ Truth to her was freedom not just for herself, but for all. That’s what it meant to Harriet Tubman, too, in the dark, in the deep woods, singing:") <註>showin’=showing, bein’ a sign=being an evidence (or symbol), ’cause=because, I’ve seen ’em most all=I’ve seen them most of all=I have seen almost all of them, Where they be=where they are, I feels better=I feel better, I wals=I walk, I’s=I is (am)

「そっとお行きよ」は有名なスピリチュアル一つで、この歌は1925年頃にナット・ターナー(↓)が作ったと言われている。その後、地下鉄道運動の逃亡の際に合図として使われた。

つれづれに

つれづれに:モーゼ?

ゴールデンゲイトカルテット

 アフリカから奴隷とし連れて来られた人たちは、白人の聖歌隊(Choir)が歌う「深い河」のヨルダン川(↓、Jordan River)を大西洋(Atlantic Ocean)に準えたが、「下り行け、モーゼ」(Go Down Moses)の「モーゼ」を誰に準えたのか?

長谷川 一約束の地』ヨルダン川」から

 ヒューズは「黒人史の栄光」(↓)で、多くの逃亡奴隷が北部で奴隷制廃止論者と闘っていたことを紹介したあと「そして奴隷を自由へ導こうとするモーゼのような人が現われた。(And there came a kind of Moses intending to lead the slaves to freedom.)」と書いて、続けている。

「ジョン・ブラウン(↓)は雷と地震をもたらした。(John Brown brought the thunder and the earthquake. )」

白人黒人を含む総勢僅かに23人で、バージニア州ハーパーズフェリーの連邦政府の兵器庫を襲い、武器を奴隷たちに与えた。ジョン・ブラウンの功績をヒューズは「ジョン・ブラウンの蜂起は奴隷を自由にするという点では失敗だった。しかし、奴隷帝国を根底から揺さぶった。奴隷に勇気を与え、奴隷主に恐怖を植え付けた。(John Brown’s uprising was a failure in so far as freeing the slaves then went. But it shook the empire of slavery to its foundations. It startled the world. It aroused the conscience of the nation. It gave courage to the bondsmen and struck terror into their masters. 」と書き、歌を紹介している。

ジョン・ブラウンは奴隷が自由になるようにと望んで死んだ。 / ジョン・ブラウンは奴隷が自由になるようにと望んで死んだ。 / ジョン・ブラウンは奴隷が自由になるようにと望んで死んだ。 / しかし魂は行進し続けている。 / 栄光よ、栄光よ、ハレルヤ! / 栄光よ、栄光よ、ハレルヤ! / 栄光よ、栄光よ、ハレルヤ! / ジョン・ブラウンの魂は行進し続けている。

JOHN BROWN’S BODY

John Brown died that the slaves might be free. / John Brown died that the slaves might be free.  / John Brown died that the slaves might be free,  / But his soul goes marching on.  / Glory, glory, halleluiah!  / Glory, glory, halleluiah!  / Glory, glory, halleluiah!  / His soul goes marching on!

歌は白人女性で詩人・社会運動家のJulia Ward Howe(1819-1910)が作詞し、The Battle Hymn of the Republic(1861)はJohn Brown’s Bodyとともに南北戦争中に軍歌としても流行歌としても歌われた。日本の「権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた」のメロディーになっている。

白人が主導して奴隷が武装蜂起したという衝撃は大きく、2年経たないうちに南北戦争が始まった。「シカゴ」のミシガン通り(↓)で聞いた「共和国の戦いの賛歌」は教会だけでなく、南北戦争の戦場でも歌われたのである。ヒューズは第一部をこの曲で締め括っている。

共和国の戦いの賛歌

私はこの目で神さまが神々しく到来される姿を目の当たりにした。 / 神さまは怒りの葡萄(ぶどう)が蓄えられている酒蔵からどしんどしんと歩いて来られる。 / 神さまは目にも止まらぬ速さで剣をお抜きになって運命的な稲妻をお放ちになった。 / 神さまの真実は行進し続ける。 / 栄光よ、栄光よ、ハレルヤ・・・ /

BATTLE HYMN OF THE REPUBLIC

Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord.  / He is trampling out the vintage where the grapes of wrath are stored.  / He has loosed the fateful lightning of his terrible swift sword.  / His truth is marchin’ on.  / Glory, glory, halleluiah . . .

授業では「下り行け、モーゼ」はゴールデンゲイトカルテットの曲で、「ジョン・ブラウンの屍」はポール・ロブソンの曲を聴いてもらった。ロブソンの声量豊かな低音はもちろん、最後に軽快に流れる行進曲のピッコロの音色が広い講義室に響き渡った。

つれづれに

つれづれに:深い河?

長谷川 一約束の地』ヨルダン川」から

 アフリカから無理やり奴隷として北アメリカに連れて来られた人たちは英語もキリスト教も強要されて、自分たちのアフリカの言葉を奪われた。もちろん抵抗する人もいたが、そのうち日曜日には教会に行くようになった。教会では白人の聖歌隊(Choir)が歌う讃美歌(Hymn)などの教会音楽を聴かされた。「深い河」もその一つで、歌詞は旧約聖書「出エジプト記」から来ている。

深い河 故郷はヨルダン川(↑)の向こう岸/ 深い河 主よ / 河を渡り 集いの地へ行かん Deep river, my home is over Jordan, / Deep river, Lord, / I want to cross over into campground. / 福音の恵みを求めて / すべてが平穏な約束の地へ / 深い河 主よ / 河を渡り 集いの地へ行かん Oh don’t you want to go to that gospel feast, / That promis’d land where all is peace? / Oh deep river, Lord, / I want to cross over into campground.

ポール・ロブソン

 モーゼが神から使命を受け、エジプト(↓)のヘブライ人を連れ出し、辿り着いた約束の土地カナンの東の境界がヨルダン川だったわけである。故郷に戻りたいと願うヘブライ人にとっては、ヨルダン川は故郷に戻る前の障壁だった。

 白人のスピリチャル「深い河」を聴いたとき、奴隷たちはエジプトに捕らわれたヘブライ人たちの境遇を自分たちの今に準えた。故郷のアフリカ大陸に戻りたいが、その間には深くて広大な大西洋がある。奴隷にはそれが「深い河」、歌詞のヨルダン川(Jordan River)で、アフリカ大陸と北アメリカの間にある大西洋(↓、Atlantic Ocean)だった。

 奴隷たちにとって「深い河」の意味は時代とともに変わってゆく。南北戦争のころは、奴隷州と自由州の間に流れるオハイオ川(↓)が「深い河」だった。有名なストウ(Harriet E.B. Stowe, 1811-1896)の『アンクル・トムの小屋』の中に出て来る川で、奴隷売買の話を立ち聞きした若い母親イライザが逃亡中に息子抱いて裸足で流氷の上を渡ったオハイオ川である。奴隷州であったが北部との結びつきが強く、中立策をとったケンタッキーと、自由州のオハイオの間を流れていた。北極星を見ながら北部に逃亡するとき、オハイオ川が「深い河」だった。その後、アメリカとカナダの境の5大湖が「深い河」になった時期もあるようである。

 南北戦争が起きたのは、それまで独占していた富を巡って国が真っ二つに分かれて利害が対立したからである。いわゆる市民戦争 Civil War で、この時期の戦争は南部と北部が戦ったので南北戦争と言われる。南部は大農園主が富を独占し、議会制民主主義を利用して民主党を作り、代弁者を首都ワシントンに送って16代まで大統領を独占していたが、奴隷貿易の蓄積資本で産業革命を起こしてから事態は変化して行った。産業化に成功した産業資本家が北部で台頭し、共和党を作って民主党と拮抗するようになっていた。1860年の総選挙でリンカーン(↓)が大統領になって、南部は奴隷制を守るために南部諸州連合を作って合衆国を離脱し、南北戦争となった。産業資本家には労働力が必要で、南部にいる奴隷は魅力的だった、奴隷制を廃止すれば北部に奴隷が労働力として流れる。そのためには奴隷制を廃止する必要があった。南部の寡頭勢力は基盤の奴隷制を廃止するわけにはいかない。それが原因だが、銃で殺し合いをして片方が殲滅するまで戦えば、お互いに被害が大き過ぎる。形だけ奴隷を解放して、戦争を止めるしかない。それだけ双方に力の差がなかったということになる。従って、奴隷解放宣言は形式的なもの、奴隷には土地もなく、食べるものもなく、仕事もなく、結局奴隷から名前が小作人(share-croppers)に変わっただけだった。現物支給の低賃金、他に道はなかったのである。北部に行こうにも、体制側の番犬として雇われた貧乏白人の警ら係やKKK(奴隷狩りや奴隷監督や奴隷調教人をしていたような人たち)に阻まれて、実際には移動も叶わなかった。

北部の連邦諸州(自由州)はメイン、ニューハンプシャー、ヴァーモント、マサチューセッツ、ロードアイランド、コネティカット、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルヴェニア、オハイオ、ミシガン、インディアナ、イリノイ、ウィスコンシン、アイオワ、ミネソタ、カンサス、オレゴン、カリフォルニアの19州である。1980年代に6度渡米したが、私が行ったのはニューヨーク、ニュージャージー、オハイオ、イリノイ、カリフォルニアの6州だけである。

奴隷州ではあったが北部との結びつきが強く、中立策をとった境界州はデラウェア、メリーランド、ケンタッキー、ミズーリ、ウェストヴァージニア(1861年にヴァージニアから分離、63年に州昇格)の5州である。

南部のアメリカ連合国加盟(奴隷州)はヴァージニア、ノースカロライナ、テネシー、アーカンソー、サウスカロライナ、ジョージア、フロリダ、アラバマ、ミシシッピー、ルイジアナ、テキサスの11州で、通常、ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、ジョージア、サウスカロライナの5州は「深南部」(Deep South)と言われる。私はテネシー、ミシシッピー、ルイジアナに少し行っただけである。わずかに9州しか行っていない。アメリカはとても広い。

1864年アメリカ地図

 国内でも行っていない県は多い。北半分はほどんど行っていない。行ったからどうと言うことはないが、さまざまな人が暮らしているわけである。生きても30くらいやろと早々に諦めなければ、行ってみたいという好奇心に動かされて、多くの人がやっているように大きな学会を利用して公費で全国を回っていたかも知れない。あとからなら何とでも言える。

十年余り暮らした明石はほぼ日本の真ん中、明石城を軸にした城下町だった