2000~09年の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の5回目で、アフリカを起源に広がったエイズです。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

アフリカを起源に広がったエイズ

 エイズ患者が出始めた1981年の夏、私はサンフランシスコに行き、坂道を走るケーブルカーを眺めていました。それが初めてのアメリカ行きだったのですが、まさかその街がエイズ騒動の渦中にあったとは夢にも思いませんでした。

サンフランシスコのゴールデンゲイトブリッジ

患者が出始めた当初、その病気は男性同性愛者の病気だと騒がれていましたが、事態はその域を遙かに超えて、エイズは静かに深く、世界じゅうに広がり始めていました。

当初CDC(米国疾病予防センター)も男性同性愛者に焦点を合わせていましたが、既に異性間の性交渉による感染は報告されていました。病気のルーツを探るためにジョセフ・B・マコーミック博士は調査団を組み、コンゴからベルギーに行っていた研究者の情報を元にコンゴの首都キンシャサに飛び、キンシャサ総合病院(通称ママイェモ病院)で同じ症状の患者を発見しました。調査に同行したシーラ・ミッシェル医師は当時の模様を次のように話しています。

CDC

「患者たちの苦しみようは見るのも辛いほどでした。私たちが知っているエイズの症状と一致する患者があっという間に10人、20人と見つかりました。当時はまだ男性同性愛者の病気という考えがアメリカでは優勢でした。ところが、現地の患者を調べてみると、半数は女性だったのです。これを見て、一般の人にも感染する病気かも知れないと私たちは考え始めました。」(2006年NHKBSドキュメンタリー「エイズの時代<4回シリーズ>(1)未知のウィルスとの闘い」)

調査から戻ったマコーミック博士は政府に調査結果を報告しますが、すぐには信じようとはしませんでした。結局、政府がエイズの原因解明やワクチンについての会見をしたのは、パスツール研究所がHIVを発見してから1年以上も後の1984年4月のことでした。

パスツール研究所

研究者は誰もがウィルスが見つかりさえすればそれを叩くことは容易で、科学の力で薬を開発し、ワクチンも出来ると考えていましたが、実際には事態はもっと深刻でした。ウィルスに感染してもすぐには発症せずに、知らずに他人に感染させる長い潜伏期間があったからです。当時の人たちは、巨大な氷山の一角しかみていなかったわけです。その間にも、エイズウィルスは静かに社会に広がってゆきます。アメリカで最初のエイズ患者が見つかった時には、既に25万人の感染者がいましたし、血友病患者が初めてエイズの診断を受けた時、既に半数がHIVに感染していました。1980年代半ばまで、死者の数は毎年倍増していきますが、打つ手は殆んどありませんでした。

マコーミックの調査班は病気のルーツの追跡を更に続け、その病気がかなり以前から流行していたことや、遺伝子を解析してアフリカ中部に生息する霊長類のウィルスが関係していることを突き止めました。マコーミック博士は次のように語ります。

「アフリカの中央部には狩猟採集民族の子孫が今も暮らしています。そしてその多くが今も森の中で狩りをして生活しています。そうした人々が霊長類特にチンパンジーと接触したのです。そしてその中にウィルスに感染していたものがいたのでしょう。獲物を解体する過程で血液と接触しウィルスが人間に感染したのです。このような感染はアフリカ中部の様々な場所で起きていた筈です。しかし爆発的な流行には至りませんでした。」(「未知のウィルスとの闘い」)

コンゴ

最初人間の免疫機構はチンパンジーのウィルスに打ち勝ちましたが、ウィルスは感染の度に適応しながら変異して、人間の免疫機構に入り込むことに成功したのです。アラバマ大学ジョージ・ショー博士は「HIVがチパンジーのウィルスに由来することは間違いありません。チンパンジーの病気が人間に感染した例はいくつか報告されていますが、エイズほど大々的に流行した病気は他にはないと思います。人間、猿、そしてチンパンジーに感染するレトロ・ウィルスを私たちはヒト免疫不全ウィルス、或いはサル免疫不全ウィルスと呼んでいます。そしてそれを同じ一つのグループに分類しています。恐らく1930年代その前後10年の間に起きたと考えられています。」と推測しています。
ウィルスの遺伝子からその起源を辿り、特定の種類のチンパンジーを突き止めたアラバマ大学のベアトリス・ハーン博士は「チンパンジーのウィルスが人間に感染したあと、どのようにして爆発的に流行するウィルスに変わったのかはまだ解っていません。しかし、生物学的な見方をすれば、一つの推測が成り立ちます。ウィルスが短期間に多くの相手に感染したということです。たとえば、チンパンジーのウィルスに感染した男性がたくさんの相手と性交渉を持てば、次々と感染が起こりウィルスは複製されていきます。」との推論を立てています。

第二次大戦後、アフリカでは急激な都市化現象が起こり、森の中で暮らしていた人が都会に移り住むようになりました。ウィルスに感染した人が都会へ出て、大勢の客を相手にする女性と関係を持てば、そこから更に多くの人が感染し、病気はどんどん広がっていきます。感染経路さえあれば、感染の拡大は時間の問題でした。

1959年にコンゴでエイズによる最初の犠牲者が出ました。60年代に入ると、アフリカの中部で亡くなる人が増えて来ました。コンゴが独立したとき、ベルギー政府はベルギー人官吏8000人を総引き上げして独立過程を混乱させ、傀儡の軍事政権を作ることを目論みました。政府はその穴埋めに、ハイチからフランス語が話せる人たちを招きます。60年代、70年代のモブツ独裁政権の圧政に耐えかねたその人たちは、HIVに感染しているとは知らないまま国から出てヨーロッパや北アメリカに渡るか、ハイチに帰国しました。

ハイチ

ショー博士はエイズの流行について、次のように総括しています。

「過去百年間で人類に最も深刻な影響を与えた出来事、それはエイズの流行であろうと私たちは考えています。この恐ろしい病気の蔓延は、アフリカでたった1匹のチンパンジーがたった1人の人間に感染させた、そのほんの1回の出来事からすべてが始まっているのです。」(「未知のウィルスとの闘い」)

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執筆年

  2009年8月10日

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  →モンド通信(MomMonde) No. 13

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  →『ナイスピープル』を理解するために―(5)アフリカを起源に広がったエイズ

2000~09年の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の4回目で、1981年―エイズ患者が出始めた頃(2)不安の矛先が向けられた先です。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

本文

1981年―エイズ患者が出始めた頃(2)不安の矛先が向けられた先

 前回はエイズ患者が出始めた1980年初頭の状況を紹介しましたが、今回は政治や行政の対応の遅れや混乱によって被害を受けた人たちについて書きたいと思います。

男性同性愛者と麻薬常用者

未知の病に対して政治や行政が充分な対応を出来なかったこともあって事態は混乱の度を増して行きますが、その混乱によって助長された不安の矛先は社会的弱者に向けられました。サンフランシスコでエイズ患者の治療に当たっていたポール・ボイルバーディング医師と、政治家の偏見と闘った米保健福祉省エドワード・ブラント次官補は当時の政治状況について次のように述懐しています。

医師:「エイズは患者に激しい苦痛を与えます。それだけでなく特定の人たちがこの病気に罹りやすかったため、社会的な差別もつきまといました。当時この病気の患者はほとんどが男性の同性愛者と麻薬常用者でした。政治家にとって喜んで援助を与えたいと思う人たちではなかったのです。特に当時は保守政権だったので尚更でした。」

次官補:「・・・対策について議論を始めると大きな論争になりました。性に関する論争は往々にしてこうなるのですが、つまり男性同性愛者が自分で蒔いた種なのに何故国民の税金で助けなければならないのかというわけです。当時はまだ大部分の人たちが男性同性愛者と麻薬常用者の病気であると信じていました。」(2006年NHKBSドキュメンタリー「エイズの時代<4回シリーズ>(2)広がる差別」)

最初に標的にされたのは男性同性愛者でした。患者が大都市に集中し、その大半が活動的な男性同性愛者だったからです。米国疾病予防センター(CDC)も男性同性愛者の生活様式に原因があると考えていました。寛容が美徳と言われるほど自由な雰囲気で知られるサンフランシスコ市当局でさえ、男性同性愛者の溜まり場である娯楽施設バスハウスを一方的に閉鎖しました。強硬な抵抗にあって、二ヶ月後には営業が再開されていますが、マスコミはエイズを同性愛者免疫不全症と呼び、エイズが男性同性愛者の病気だという誤解が更に広がりました。

男性同性愛者の中には、麻薬常用者もいました。ヘロインやコカインを常用する人は特定の場所で注射器と針を借り、日に何回か注射をして打ち終わったら返却、注射器と針はそのまま次の人に貸し出されていました。ニューヨークブロンクス地区で治療に当たっていたジェラルド・フリーランド医師が指摘するように「血液感染の病気を拡大させるのにこれほどうってつけのシステムはなかった」(「エイズの時代―(1)未知のウィルスとの闘い」)わけです。注射器と針の回し打ちも、ニューヨークなど大都市の麻薬常用者の間でエイズが爆発的に広まる原因の一つになりました。注射器と針の貸し出しが危険であるという噂が流れると、麻薬依存症患者の通う病院には怯えた人たちが殺到しました。感染によってたくさんの人が行き場を失ない、社会の不安はますます拡大して行きます。

麻薬常用者

血友病患者 血友病患者にも被害が及びました。

1981年の暮れに診察を受けた赤ん坊の患者は大量の輸血を受けており、輸血を受ける人は誰でもHIVに感染する可能性が出てきました。その感染因子が輸血用の血液に入り込めば大きなパニックが起こることが予測されました。血友病の患者が治療に使用する血液製剤は、何千人もの提供者からの献血や売血で集めた血漿を材料に作られていたからです。しかも、血液を提供しているのは生活のために500ccの血を10ドルで売る貧しい人たちで、その中には注射で麻薬を打っているエイズ感染の危険性の高い人たちもいました。男性同性愛者も献血の対象から外されませんでした。予測された危惧は現実となり、血友病治療に用いられる血液製剤のほとんどすべてが汚染されてしまい、多くの血友病患者がHIVに感染してしまったのです。

事態を重くみたCDCは血液銀行の経営陣、同性愛者の代表、公衆衛生関係の役人を集めて迅速な対応を求めましたが、予測に反して、時期尚早であると反対に遭いました。血液銀行がウィルス検査に膨大な費用がかかることを懸念したうえ、献血者の選別に反対していた人たちを敵に回したくないと判断したからです。適切な対策が取られるまでに、それから二年の歳月が必要でした。3万5000人を超すアメリカ人が汚染された血液や血液製剤でHIVに感染しました。テネシー州ではHIVに感染した血友病患者の少年が子供たちの保護者によって学校から追い出されたり、フロリダ州ではHIVに感染した血友病患者の兄弟が住む家が焼かれるなど、各地で多くの排斥事件が起きました。

ハイチ人社会 フロリダからCDCに症例報告のあったハイチ人も被害を受けました。ハイチでは1970年代後半から1980年代にかけて、若者の間で原因不明の病気が急増していました。コンゴからHIVに感染したことを知らずに帰国した人たちが感染を広げていたようで、フロリダで最初のエイズ患者の治療に当たったマーガレット・フィッシュル医師は感染経路の調査結果を「ハイチに休暇を過ごしに来る男性同性愛者がいました。アフリカに行くハイチ人もいました。麻薬も使用されていました。ウィルス感染経路について言えば、ハイチ人もアメリカ人もまったくと同じであるということが確認出来ました。」と述べています。

ハイチ

1960年にコンゴが独立した時、独立過程を混乱させて政治介入を狙うベルギー政府は高級官吏8000千人を引き上げました。そのとき招かれたフランス語を話せるハイチ人が、アメリカの傀儡として独裁政権の座に居座っていたモブツの圧政に耐えかねて1970年代の半ばに大量に国外に去っていますが、その時期にハイチに戻った人たちが感染の原因になっていたのです。ハイチでは三年余りの間に、あらゆる層に病気が蔓延しました。その頃、貧困を逃れるためにたくさんのハイチ人が国を離れていますが、フィッシュル医師が診断したのはその頃ボートピープルとしてフロリダに流れ着いた患者だったというわけです。

CDCは医療機関に対してハイチからの移住者に注意せよという警告を出し、マスコミもCDCの警告を報道して影響は拡大しました。ハイチ人社会全体が非常に憤慨しましたが、ハイチの観光産業は打撃を受けました。アメリカではハイチの製品が売れなくなり、アメリカに住むハイチ人にも被害が及びました。

しかし、その間に、エイズは既に世界的な流行の域に達してしまっていたのです。

次回は、すでに広がりを見せていたアフリカの状況を紹介したいと思います。

執筆年

  2009年7月10日

収録・公開

  →モンド通信(MomMonde) No.12

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  →『ナイスピープル』を理解するために―(4)1981年―エイズ患者が出始めた頃(2) 不安の矛先が向けられた先

2000~09年の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の3回目です。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo.46(2012年6月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

1981年―エイズ患者が出始めた頃(1)

 今回は、エイズ患者が出始めた1980年初頭の状況について書きたいと思います。前回、エイズの特徴として、「エイズはウィルスが原因で起こる極めて質の悪い病気で」「……社会的偏見がつきまとうことなどが特徴です。」と書きましたが、エイズに社会的な偏見がつきまとうようになった経緯について少し触れておきたいと思います。

エイズ患者が最初に出たのは米国西海岸のロサンゼルスで、1981年の春のことです。今は病気の原因がわかっていますが、当時患者を診た医師は得体の知れない病気に相当悩まされたようです。当時の状況を簡潔にまとめた英文記事があります。1994年に横浜で開かれた国際エイズ会議の特集記事です。第1回の国際エイズ会議は1985年に米国のアトランタで開かれました。ロサンゼルスでエイズの症例が報告されてから4年後のことです。それから第10回の横浜会議までは毎年行なわれ、それ以降は隔年で開催されています。1998年のジュネーブ会議(スイス)、2000年のダーバン会議(南アフリカ)、2004年のバンコク会議(タイ)などについては、違う機会に詳しく紹介したいと思います。1994年8月8日の英字新聞「デイリー・ヨミウリ」に掲載された「エイズの発見の歴史」です。

*******************

「エイズ」という言葉が使われるようになって10年余りが過ぎましたが、人類は未だ、この疫病を征服できないままでいます。エイズという命名がなされる以前に、自分の体に何が侵入したかもわからないまま多くの人が死にました。
1981年の春、ロサンゼルスの医師のグループが5人の患者の治療に悪戦苦闘していました。その患者は、肺の感染症の一種で、免疫システムが問題ない人には通常起こり得ない日和見感染症の症状を示すニューモシスティスカリニ肺炎(PCP)に苦しんでいました。

ロサンゼルス

この5人の患者には2つの共通点がありました。 1つは患者が男性の同性愛者であることで、もう1つは、全員が臓器移植を受けた後拒絶反応を防ぐために免疫抑制剤を投与された患者と同様の症状を示したことです。
この医師達は米国疾病予防センター(CDC)が発行する「罹患率と死亡率」(MMWR)の週間報告の6月5日号にそれらの症例を報告しました。

MWR

その後すぐに同様の報告が相次ぎました。ニューヨークの医師のグループが翌月のMMWRで、ニューヨークの20人の患者とカリフォルニアの6人の患者について報告しました。それらの患者は毛細血管の上皮に生じる腫瘍であるカポジ肉腫を発症していました。これは1979年1月から2年半の間に発症していました。更にこの26人の男性はすべて同性愛者でした。また、別の報告によれば、上の報告とは別のカリフォルニアの10人の患者がPCPを患っているということでした。これらの患者もすべて同性愛者の男性でした。

カポジ肉腫の患者

この状況に驚いて、CDCは1981年にジェイムズ・カレンが率いる特別調査チームを発足させました。これがこの未知の疾患に対する系統的研究の始まりでした。この調査チームは、1978年に最初にその症状を示したのはニューヨークのカポジ肉腫の患者だったということを突き止めました。そして、この疫学的研究の焦点を男性の同性愛者に絞りました。

ジェイムズ・カレン

この特別調査チームは、症状がTリンパ球の減少によって引き起こされたことを発見しました。Tリンパ球は病原体の侵入から人の体を守る細胞免疫で重要な役割を果たします。
調査チームは最終的に、この疾患が血液あるいは精液によって感染するという結論を下しました。この疾患が後天性免疫不全症候群(AIDS)と命名されたのはその時です。
一方、患者のタイプはかなり多様になってきていました。1981年末に、ニューヨークの医師が静脈注射による麻薬常用者が同様の症状を患っていることを報告しました。ハイチからの移民もまたそのリストに加えられました。
総計216人の症例が1982年の6月の時点でCDCに報告されていました。84%は男性の同性愛者で、9%が静脈注射による麻薬使用者、2%がハイチからの移民、5%が女性でした。その内、88人は既に亡くなっていました。
この頃、幼児とエイズ患者の配偶者の女性がこの疾患にかかり始めていました。
エイズがあるウィルスによって引き起こされることが完全に証明されたのは、1983年の春のことです。この年、フランスのパスツール研究所の研究者グループがアメリカの雑誌の「サイエンス」5月20日号にエイズウィルスを発見していたことを発表しました。
そのちょうど1年後、アメリカの2つの医学研究グループが、エイズ患者の血液からエイズを引き起こすウィルスを単離したと発表しました。この別々に発見されたウィルスは、後に同じものであることが確認され、現在、一般にヒト免疫不全ウィルス(HIV)と呼ばれています。

HIV

*******************

1981年の夏の終わりには、100を越す発症報告がCDCに寄せられました。特に同性愛者の多い都市で多発しており、マスコミはその病気を同性愛者免疫不全症と呼び始めました。患者は病気の原因さえ分からず肉体的にも苦しいのに、最初から世間の偏見とも闘わなければならなかったのです。患者は世間の冷たい視線に晒されて、孤立してゆきます。
NHKBSドキュメンタリー「エイズの時代」(2006年)は、ロザンゼルスで「患者の治療に悪戦苦闘」した医師二人に取材して、当時の状況を見事に検証しています。次回はその「エイズの時代」を中心に当時の状況を紹介しましょう。
1993年のアメリカ映画『フィラデルフィア』は、エイズで解顧された弁護士(トム・ハンクス)が、エイズ恐怖症の弁護士(デンゼル・ワシントン)助けを借りて、裁判で不当解雇をめぐって社会の差別や偏見と闘うという姿を描いて話題になりました。

<ミニ解説>
「日和見感染症」……正常の宿主に対しては病原性を発揮しない病原体が、宿主の抵抗力が弱っている時に病原性を発揮しておこる感染症です。(サイトメガロウイルス感染症など)(「国立感染症研究所感染症情報センター」http://idsc.nih.go.jp/about/index.html
「ニューモシスティスカリニ肺炎(PCP)」……病原体ニューモシスティス・カリニ(環境中に常在する微生物)により引き起こされる肺炎。具体的な症状は、発熱、倦怠感、息苦しさ、乾性咳など。(「通信用語の基礎知識」http://www.wdic.org/
「カポジ肉腫」……ウイルス性の感染症で、皮膚に紅色の斑点ができ、内部組織が破壊される皮膚がん。(「通信用語の基礎知識」http://www.wdic.org/

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(3)第4章 アイリーン・カマンジャ」「モンド通信 No. 8」、2009年1月10日)
「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(1) 著者の覚え書き・序章・第1章」「モンド通信 No. 5」、2008年12月10日)

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執筆年

2009年6月10日

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モンド通信(MomMonde) No.11

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『ナイスピープル』を理解するために―(3)1981年―エイズ患者が出始めた頃(1)

2000~09年の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の2回目で、エイズとウィルスです。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

エイズとウィルス

 今回は、『ナイスピープル』の主題となっているエイズについて少し書きたいと思います。

エイズはウィルスが原因で起こる極めて質の悪い病気です。免疫機構がやられること、ウィルスが体内に侵入すると死ぬまで除去出来ないこと、感染しても無症状の期間が長いこと、性感染症であること、社会的偏見がつきまとうことなどが特徴です。

元々人間には外部から侵入してくる細菌やウィルスなどの外敵とたたかって自分の体を守る免疫機構という機能が備わっていますが、エイズでは、その機能がやられてしまいます。HIV(ヒト免疫不全ウィルス)に免疫機構をやられて、普通では罹らない病気になるのがエイズなのです。

HIVの構造式

人がどうしてエイズという病気にやられるのか、また、どのようにHIVに感染するのかなどを少し詳しく見ていきましょう。

エイズ(後天性免疫不全症候群)はHIV(ヒト免疫不全ウィルス)によって引き起こされる病気です。性的接触や薬物乱用者の注射針の使い回しや、汚染された血液や血液製剤などの輸血を通して、体液(特に血液と精液)が交じることによって感染して行きます。免疫機構が正常に働く人なら普通は起こらないカリニ肺炎のような日和見感染症が特徴の免疫系の症候群です。従って、エイズは免疫不全症候群にも、性感染症にも分類されています。主人公の医師ムングチは性感染症の専門家ですから、エイズ患者がムングチの診察を受けにきたのもうなずけます。

血液の中の白血球は外から侵入してきた異物を排除して体を守る働きをしていますが、白血球の中でも、HIVは主にCD4という受容体(レセプター)を持つ陽性T細胞に侵入します。(陽性T細胞は病原体の侵入から人体を守る細胞性免疫機構で重要な役割を果たしています。)HIVにやられてCD4陽性T細胞の数が減少しますと、本来人間に備わっている免疫力が低下してさまざまな日和見感染症の症状があらわれるのです。(アメリカのテレビドラマ『ER緊急救命室』などでも、ERに来た患者が咳などをしていると肺炎→エイズ、の可能性があると疑われる場面がありますが、日和見感染症の一つカリニ肺炎を疑っているのです。また、首筋にかさぶたが出来ていれば、カポジ肉腫という日和見感染症→エイズ、という具合です。)

カポジ肉腫の患者

HIVの物質的な実体は、遺伝子情報の断片、たんぱく質の殻に覆われている9種類の遺伝子です。白血球(宿主細胞)に侵入し、その宿主細胞を自分自身のウィルス工場に変えてHIVを次々と産生することによって生き延びます。HIVの増殖の過程を簡単に書けば、次のようになります。

① HIVは、感染に対する生体の防御つまり外部から侵入してくる異物を排除する仕組みを調整する宿主細胞(主にT細胞)にある受容体に取り付きます。細胞の膜の上でタンパクの殻を脱ぎ捨て、遺伝物質(RNAという核酸)と逆転写酵素(RT)と呼ばれる酵素をT細胞の中に放出します。
② ウィルスのRNAは逆転写酵素によって逆転写/または「変換」されます。
③ ウィルスのDNAは、インテグラーゼと呼ばれる酵素によって宿主細胞の染色体に組み込まれます。
④ 感染した細胞は、新たなウィルスのRNAを産生します。ウィルスタンパク質が、翻訳と呼ばれる過程を通して、RNAからつくられます。
⑤ ウィルスのタンパク質はプロテアーゼによって小さく切断されます。
⑥ 新しくつくられたタンパク質とRNA遺伝子は集まって、新たなHIVを多数形成します。
⑦ 新しいHIVはその宿主細胞膜(人間の細胞膜です)を被って出芽し、その宿主細胞を殺し、移動してはまた別の宿主細胞に感染してその細胞を殺し、感染者の免疫機構の能力を奪います。

HIVの増殖過程図(Human Biology: Benjamin Cummings, 2010)より

HIVは自己複製出来ませんので人間の細胞の力を借りるわけですが、自己複製にはDNAの二本鎖が必要です。しかし、HIVには一本鎖のRNAしかありませんので、酵素を使ってRNAをDNAに変換し、その一本を鋳型にして二本鎖のDNAを作ってそれを人間の細胞のDNAに組み込むというわけです。あとは人間の細胞の道具を使って完全な姿になって出芽して完了です。何とも厚かましい話です。何とHIVを包む一番外側の膜は人間の細胞から作られるのです。しかも、最大の問題は、HIVに狙われる対象(=宿主細胞)が人の免疫機構を司る細胞、つまり侵入してくる外敵と戦う武器(抗体)を作るように指令を出す役目をしている細胞だということです。

宿主細胞から出芽するHIV

ウィルスは「正確に言うと生物ではありません。」と言われます。秋山武久著『HIV感染症』には次のように書かれています。「ウィルスが生物かといわれるといささか躊躇される。それはウィルスが増殖するためには、全面的に宿主細胞の助けを借りなければならないからである。宿主細胞の工場と酵素を拝借し、ウィルスが自分で提供するものは遺伝子だけである。すなわち遺伝子に記録された青写真だけを与えて、それに従って宿主細胞に働くことを指令する……感染に際して、核酸(遺伝子)のみを包んだウィルス粒子が解体されて、自らの遺伝子を宿主細胞に注入し、宿主にウィルス核酸やウィルスタンパク質を別々に合成してもらい、再びウィルス粒子として再構築する……こうなると、ウィルスは自立した生物とはいい難い。といって、完全な無生物というには気がひける。生物でも無生物でもないというのが正解」(南山堂、1997年)

HIV

しかし、「生物でも無生物でもない」と言われても、HIV(ヒト免疫不全ウィルス)は、宿主細胞である人間の細胞の中に侵入して自己を増やして、現にたくさんの人間を殺しています。

③の段階でウィルスが染色体の中に組み込まれますとそれ以降は異物として認識されなくなりますので、ウィルスは人間が死ぬまで体内に生き続けることになります。従って、現在開発されている抗HIV製剤で治療を始めることが出来たとしても、死ぬまで飲み続けなければならないわけです。

体を守る免疫機構をやられる点でも、いったん入り込まれるとウィルスを排除する方法がない点でも、エイズという病気は実に厄介な病気です。

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執筆年

  2009年5月10日

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  →モンド通信(MomMonde) No.10

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  →『ナイスピープル』を理解するために―(2) エイズとウィルス