つれづれに:大学院入試2(2022年6月10日)

つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:大学院入試2

2度目の大学院入試である。厳密に言えば、大学の6年目に一度(→「大学院入試」、5月10日)、卒業してから一度、卒業した大学の修士課程の入学試験を受けている。それから教職大学院の修士課程を修了する年に関西で三つ、その次の年に東京で一つ博士課程を受験したが、全敗だった。卒業してから2度目に受けた時は、書いた答案をすべて消して出て来ている。どうも入試とは相性がよくないようである。

高校の教師はおもしろくて充分に楽しかったが、そこが居場所だとはとても思えなかった。新任の一年目に初めて「職員室入って自分の席に歩いて行くときに、先は長くなさそう、もって2年くらいやろなあ」(→「新採用一年目」、5月18日)と思ったが、なかなか踏ん切りがつかなかった。初めての卒業生を送り出した頃に、このままずるずると行ってしまわないかと焦り始めた。書くための空間を確保するには大学が一番よさそうに思えて、大学はどうやろ?と妻に聞いてみたら、よさそうねと賛成してくれた。一年目の学年末に結婚してすぐにいっしょに住み始め、次の年には子供も出来ていた。ずいぶんと課外活動に時間も取られて、土日も含め、家事や育児があまり出来なかったのに、妻は合ってない姿を見るのも辛いので、早く高校を辞めて欲しいと言ってくれた。ぼんやりと30までかなと考えていた30の坂も、既に通り過ぎていた。大学の職を探すためには、最低限修士号は要るので準備が必要だが、授業(→「初めての授業」、5月15日))に、「ホームルーム」(5月24日)に、課外活動の「顧問」(5月30日)にと、毎日が一杯一杯だった。リチャード・ライトの分厚いBlack Power(→「リチャード・ライトと『ブラック・パワー』」、→“Richard Wright and Black Power”)を開いて読もうとしたら、活字が躍って見えた。給料が同じで五分の一くらいの仕事量なら、教員になる前にやったように、併行して「大学院入試」(5月10日)の準備も出来たとは思うが、手を抜かない限り不可能だった。ちょうどその頃、兵庫の山の中に教員再養成のための大学院大学(↓)がスタートし、教員の経験が5年あれば受験可能で、教諭のままで修士号が取れることを知った。

あと一年で条件は満たせそうである。担任よりも顧問の方が生徒との距離も近くなるので、毎日接している生徒には少し後ろめたい気もしたが、どこかで断ち切らないと、と気持ちを整理した。試験は神戸の甲南女子大学(最初の写真)であり、出身大学の教師の推薦書も要るらしかった。準備を始めた。

次回は、分かれ目、か。

移転先の新校舎