つれづれに:ゴンドワナ(2022年7月29日)

2022年7月28日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:ゴンドワナ

ゴンドワナ大陸

 2年後のサンフランシスコの「MLA(Modern Language Association of America)」ではラ・グーマで発表することに決め、資料を探し始めた。「ミシシッピ」(7月22日)の本屋さんのリチャーズさんから本Alex La Gumaが届いて急にいろいろと回り始めた。カナダに亡命中の著者のエイブラハムズさん(↓)に手紙を書いた。その頃にはすでに誘われていた出版社の雑誌に記事を送っていたので、まだ南アフリカの歴史もよくわからないのに、同時並行でラ・グーマについても書いていたわけである。

 出版社の人とは先輩に薦められて「横浜」(7月20日)で会ったきりだったが、ある日、先輩から「出版社の人があんたにも書いてくれ言うてるで。貫名さんの追悼号に、あんたも書いてみるか?」と言われた。先輩はすでに出版社の雑誌にも記事を書いて、何本か活字になっているようだった。貫名さんとはゼミの短い間しかいっしょにいなかったので書けるほど知っているわけではなかったが、何とか書いて出版社に送った。(→「がまぐちの貯金が二円くらいになりました」、1986年)それがゴンドワナ(↓)だった。

 ゴンドワは大昔の大陸のようで、ウェブで調べれば、約 5 億 5千万年前に、南半球にあった大陸で、今の南アメリカ、アフリカ、インド、南極、 オーストラリアとマダガスカル島などが集合しており、そのうちゴンドワ大陸が浸食して日本列島が出来たらしい。雑誌に書かせてもらうようになって時々横浜の出版社に行くようになったとき「どうしてゴンドワナなんですか?」と聞いてみたが、答えてもらえなかった。他の質問も大概答えてもらえなかったが、自分で考えるようにということだったのか。よく話に出る縄文時代や縄文人やツングースの侵略などと深い関りがありそうなのは確かだが、億単位の歳月の広がりを言われても、私の理解の範疇を越えている。悪い頭では到底処理不可能である。

 知らないことだらけだったので、先ずはラ・グーマの作品と南アフリカの歴史とエイブラハムズさんのAlex La Gumaを読んだ。作品は出ているものはすぐに手に入れて、初版本などは神戸市外国語大学の黒人文庫から借りて来た。作品は『夜の彷徨』(A Walk in the Night, 1962)、『まして束ねし縄なれば』(And a Threefold Cord, 1964)、『石の国』(The Stone Country, 1965)、『季節終わりの霧の中で』(In the Fog of the Seasons’ End, 1972)、『百舌鳥のきたる時』(Time of the Butcherbird appeared, 1979)の5冊にさっと目を通した。歴史についてはThe Struggle for Africa(↓、1983)の中の “The Struggle for South Africa"と野間寛二郎著『差別と叛逆の原点』(1969)、吉田賢吉著『南阿聯邦史』(1944)、ラ・グーマについてはエイブラハムズさんのAlex La Gumaを繰り返し読んだ。

 ラ・グーマの本は、本人が意図していたように小説というよりも物語で、イギリス英語にケープカラード(ケープタウンに住む『カラード』ーアパルトヘイト下で4つに分類されていた混血の人たち)特有の表現やオランダ系白人の言葉アフリカーンスなども混じっているので、読むのには難儀した。日本でも翻訳されているものや、ラ・グーマの本や人物について書かれた記事もあったので、色々と資料を集めた。非常勤で行っていた桃山学院大学の図書館や神戸市外国語大学の図書館も利用した。貫名さんが購入したと思われるラ・グーマの初版本は、貴重なものである。黒人文庫に入れられているが、今はなかなか入館するのも難しい。十年ほど前に卒業生枠で入ろうとしたが、すったもんだの末に何とか入れてもらったくらいである。誰にでも気軽に閲覧出来るはずの公共図書館だが、古くて傷みやすいというのが入館を拒む理由だった。調べてみて、改めて先人たちの僅かな痕跡を見たような気がした。もっとも、欧米志向の国でアフリカの資料を集めるのは至難の業である。そもそも集めるための元の資料がほとんどない、というべきか。僅かな手がかりを元にラ・グーマについて書きながら、2年後のMLAの発表の準備を続けた。
次は、UCLA、か。

And a Threefold Cord(神戸市外国語大学の黒人文庫の東ドイツ版)