『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語(23)第23章 一匹狼の医者

2020年3月7日2010年~の執筆物ケニア,医療

概要

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳を連載した分の23回目です。日本語訳をしましたが、翻訳は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、経済的に大変で翻訳を薦められて二年ほどかかって仕上げたものの出版は出来ずじまい。他にも翻訳二冊、本一冊。でも、ようこれだけたくさんの本や記事を出して下さったと感謝しています。No. 5(2008/12/10)からNo.35(2011/6/10)までの30回の連載です。

日本語訳30回→「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(「モンド通信」No. 5、2008年12月10日~No. 30、 2011年6月10日)

解説27回→「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(「モンド通信」No. 9、2009年4月10日~No. 47、 2012年7月10日)

本文

『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―

 第23章 一匹狼の医者

ワムグンダ・ゲテリア著、玉田吉行・南部みゆき訳

    (ナイロビ、アフリカン・アーティファクト社、1992年)

第23章 一匹狼の医者

ンデュクの見方には拒否反応を感じました。薬の費用と家賃に水道代と電気代、それと私自身の給料を除けば、診療所を手放す必要もありませんでした。儲けるのは実業家で、私は実業家ではありませんし、医者で、商品を売る人間ではありません。もしこのリバーロード診療所の所有者が違ったように考えていたとしても、それはその人の問題で、減刑でもない限り、その人にはカミティ刑務所での服役があと2年もありました。政府は医者が二重の業務に就いてはいけないと決めましたので、自分たちの診療所で働くか政府の病院で働くかしかありませんでした。ケニア中央病院で仕事をしながら個人の診療所にもこだわりを見せる私のような場合は、少しうるさく言われました。私自身はリバーロード診療所で2年間働くことを選びました。患者には特に性病の治療をより安く受ける資格があることと、50シリングや100シリングや300シリングもの現在の治療費は非人道的で、ソーホー地区での売春や、ニューヨークハーレムのストリップ劇場やポルノ映画や雑誌が性を売りものにして儲けているという点では殆んど変わりはないということを証明したいと思いました。

リバーロード診療所が非常に有名になり、気が付くと私は時には10時間から12時間も働くことがありました。もっと高い治療費を取る医者たちの意に反して、20シリングという安い治療費にも関わらず、診療所が資金不足になることはありませんでした。毎日1000シリングかそれ以上の収入がありました。労働者、店主、バーのホステス、新聞売り、靴磨きの少年、あらゆる職業の男女など、医療の手助けを必要としてる人たちを診療所が呼び込みました。

私はアイリーンに週末と平日の仕事が終わってからと祝日に手伝ってくれるように頼みました。私が診察をしたり処方箋を書いたりしているあいだ、アイリーンは注射をしたり、薬を出したりして大いに助けてくれました。私の信念は、こういう病気に関して何も恥じることはないというのを患者に気付いて欲しいということでした。私がどれだけ淋病と梅毒、軟性下疳とトリコモナス病を撲滅する役に立っているかは分かりませんでしたが、もしケニアじゅうの医者と病院がこの方針を取れば、脅威を抑えられるのにと心から思いました。

ケニア周辺地図

ある日、シティタイムズの記者が電話をかけてきて、インタビューを申し込んで来ました。個人の診療所の宣伝はケニア医師会の規則に触れると説明したのですが、その記者は診療所の宣伝はせず、その点は記事の中でもはっきりさせると約束しました。性感染症には思い遣りが必要で馬鹿にしてはいけないという私の主張を記者は繰り返すだけでした。記者が訪ねて来た四日後に、マインバ夫人が診療所にやって来ました。私をナイロビ医療界のドンキ・ホーテと呼んでいる新聞記事を私に見せました。記事は私の見方をうまく伝えてはいましたが、ナイロビの性感染症の患者をすべて一人で処置し切れるのか、ましてや国中となると、という疑問も投げかけていました。また、記者が記事の中で指摘していたとおり、診療所のドアに書かれた「性病専門医」のせいで逃げ帰る性感染症の患者がいたのも事実です。性病専門医の診療所に入っていくのを人に見られるのが怖くて帰った人もいたわけです!その他に、特に勤務医がやっている個人の開業医の医療費が高くなっていると記者は非難していました。

シティタイムズの記事の1週間後、ボイスオブケニアの記者から、テレビに出て診療所と私の仕事について視聴者が知りたがっている質問に少し答えて欲しいと頼まれました。個人の診療所なのでテレビに出ることは出来ないと説明しましたが、記者は私の説明を無視して、リバーロード診療所の所有者ではなく、ジョゼフ・ムングチ医師として出演してもらうつもりですと説明しました。初めてのテレビ出演でした。ヤードスティックとシチズンとシティタイムズのジャーナリストたちがずらりと並んでいました。

司会者が番組の主旨を述べ、ジャーナリストが各自の自己紹介をしたあと、口火を切ったヤードスティックの記者の最初の質問で活発な質疑応答が始まりました。

「ムングチ先生、薬局も医療機器メーカーも葬儀屋でさえも儲けていますが、医者なのにどうしてあなたは稼ごうとされないんですか?」
「リビングストン博士もシュバイツァー博士もヒポクラテス自身も病人を診て儲けようとは思いませんでした。一旦儲けようと考え始めれば、処方箋も時間も医療技術もおろそかにして、患者を手術半ばで投げ出してしまう可能性もあります。医療行為では利益優先の考え方が一番嫌われると医療人なら誰でも知っていますよ。」
「あなたの言われた人たちは、貨幣経済以前の時代、経済的な利益がなくても社会奉仕をする余裕があった時代に生きていました。今の時代なら、リビングストンやシュバイツァーのような人たちは飢え死にしています。」と、シチズンの記者が言いました。
「私は飢え死にしていませんよ。恋人はジャガーに乗れと言いますが、それはまた別の話ですよ。」と、私は素っ気なく答えました。みんなが笑いました。
「ムングチ先生、他の医者はあなたの2倍も3倍も、中には五倍も性感染症の患者に治療費を請求していますから一匹狼の医者だと言われていますね?あなたはどうやりくりをしているんですか?」
「たくさんの患者で、1日に50人も診ています。経済学者が言う『規模の経済利益』をリバーロード診療所はうまくあげているんだと思いますね。」と、私は自分の弱点を誰かに教えているとは知りませんでした。
「では、ムングチ先生、あなたは規模の経済を通して儲けているんですか?」と、シティタイムズの記者は「儲け」を強調しながら聞きました。
「儲けてはいませんよ!性感染症の患者は、自分で支払って受ける治療で規模の経済の恩恵を受けることが可能なんですよ!」と、私は腹を立てながら言いました。「儲け」を非難しながら診療所で10時間も働いてこの国の底辺の人たちに尽しているのですから、私は認められて当然だと最初からずっと信じていましたが、私が拒んで来た動機を持ち出す記者がいました。私はひどく侮辱されたと感じました。

インタビューはようやく終わりました。司会者は特に感染症との闘いに勝つには私一人では限界があるのではないかと心配してくれていたようですが、私のインタビューがよかったと感謝してくれました。司会者の言ったとおりでした。そのインタビューの後、何百人もの患者が診療所に押し寄せ、閉めていた7時を夜中に変更しましたが、それでも対応出来ませんでした。私は憔悴し切ってしまい、自分の仕事の将来に疑問を感じ始めました。私が言い出した低料金のせいで、大きな病院しかさばけないような圧倒的な数の患者で診療所は溢れ、息も絶え絶えになりました。噛み砕ける以上のものを私が口の中に入れてしまったのは確かです。ある日、マインバ夫人が診療所にやって来て、お尻のできものが疼くように痒いと言いました。診察してみると、膣トリコモナス症にかかっていました。夫人は、夫と私以外には誰ともセックスはしていないと言いました。私も夫人とンデュクだけだから極めて清廉潔白だと言いました。
「夫は私と寝ることも忘れてしまってるわ。」
「どういう意味ですか?」
「だから、私とは寝ないのよ。」と、ユーニスは言いました。
「旦那さんと僕の2人だと言ったと思うけど。」
「あなたは、ちゃんとしてくれるわ。夫は無理やり別の所でって言うのよ。」
「なんだって。」
「だから私、ずっと下痢がとまらないわ。」
「断わるべきだよ。」
「断われないわ、あのひと、家から私を追い出すもの。最近の夫、すっかり獣で、ほんとに恐ろしいわ。」
刑法には自然でない行為と呼ばれる禁止行為も含まれますが、禁止されている行為の一つが肛門性交でした。バジョン家では生理中に夫にその部分を使わせていると聞いたことがありましたし、以前に読んだ米国人の性行動に関する多くの文献によると、同意した男女の間ではその種の性行動は受け入れられているようでした。特に配偶者が関係している場合、肛門性交に関する同意した成人の法律的な立場は少し複雑で、警察に通報してマインバ夫人を救える可能性はありませんでした。職業上、そういう夫婦間の問題を警察に通報するのも医者としては出来ませんでした。私はマインバ夫人に、下痢になるだけでなく、直腸炎のような他の病気になる可能性もあるので、どんな手段を使っても夫のやり方には従わないように言いました。夫の気持ちが全く涸れてしまったと聞いて、私は夫人が気の毒になりました。2人に更に致命的な病気が襲いかかる可能性があることも知らないで、マインバ氏は妻に肛門性交を強いて完全に満足していました。

ナイロビ市街