『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語(24)
概要
横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳を連載した分の24回目です。日本語訳をしましたが、翻訳は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、経済的に大変で翻訳を薦められて二年ほどかかって仕上げたものの出版は出来ずじまい。他にも翻訳二冊、本一冊。でも、ようこれだけたくさんの本や記事を出して下さったと感謝しています。No. 5(2008/12/10)からNo.35(2011/6/10)までの30回の連載です。
日本語訳30回→「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(「モンド通信」No. 5、2008年12月10日~No. 30、 2011年6月10日)
解説27回→「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(「モンド通信」No. 9、2009年4月10日~No. 47、 2012年7月10日)
本文
『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―
第24章 1982年
ワムグンダ・ゲテリア著、玉田吉行・南部みゆき訳
(ナイロビ、アフリカン・アーティファクト社、1992年)
第24章 1982年
1982年7月に卒業したあと、私たちは医師住宅を明け渡す予定でした。町の中心部に近ければ、若い医者向けの二間のアパートなら月3000シリングが妥当なところでした。もっと安い部屋が見つかるイーストランドのブルブル地区に引っ越すつもりだと言うと、メアリー・ンデュクは本当に嫌そうな顔をしました。
ナイロビ市街
「ジョゼフ、あなたは事務員でも助手でも看護師でもないのよ。もう医者なんだから、住む場所を選ぶ時も医者らしくしないとね。私たちみたいな秘書でもイーストランドには関わりたくないって思ってるのが分からないの?」と、ンデュクは言いました。
「どうしろと言うんだい?ムサイガに住むような金は僕には無いよ。」と、私は言い返しました。
「ングモかナイロビウェストかンゴング通りかパークランズみたいな中のレベル辺りから始めたらいいわ。」
「じゃ、ケニア中央病院の近くで、20000か、3000シリングくらいの物件を見つけてくれよ。」と、こんなに熱心なんだからンデュクはきっと見つけてくるだろうと考えながら私は言いました。医師住宅よりもいいとは言わないまでも、8年間働いてきた優秀な性病専門医として同じくらいの住まいは必要でしたから、ある意味ではンデュクが言うのも当然でした。
2日後、ンデュクは、かなりいい話を持って来ました。ンデュクの3部屋の家に一緒に住み、家賃を半分私が払うという話です。それだと月に2000シリングになりました。私は1982年7月15日にンゴング通りのンデュクの部屋に移りました。私だけが使う部屋を一つもらい、その部屋に持ってきた荷物を置きました。台所、風呂、居間、貯蔵庫は共用で、特に決めたわけではありませんでしたが、二人はンデュクのベッドを使いました。食費とコンドームは私が払いました。食事は大抵ンデュクが作り、事実上、一つの家庭を築いたようでした。
7月31日、私はンデュクをウェストランドのゼブラホテルに連れて行き、12時までそこに居て、車で家に戻りました。
町じゅうにけたたましい叫び声が大きく響き、朝の4時頃にンデュクは私を起こしました。騒ぎは6時まで続き、ラジオから軍歌が流れ始めましたとき、何かがおかしいと思いました。6時半には、ラジオから軍が政府を掌握したという不運な声明が流れました。町中まで車で移動するのが危険だと思い知らされて、私たちはンゴング通りで動けなくなりました。私たちは一日じゅうラジオを付けて他の人と同じように部屋に閉じこめられていましたが、空軍の一部の不満分子による反乱を粉砕して政府が事態を完全に掌握しているので、市民は平静に行動し、略奪行為をしないようにという夕方6時のニュースを聞いて、ほっとしました。月曜日の朝、出かけるのが怖くなっていましたが、診療所に行くことにしました。独立記念高速道のハイレ・セラシエ交差点に着いたとき、事態はまだ正常ではないと知りました。治安隊に銃を突きつけられて戻るように言われ、私たちは引き返しました。事態が治まって安心して町の中心部に行けるようになったのは一週間あとでした。
市内じゅうで起きた略奪やレイプや商店の被害の報告は聞いていましたが、金曜日の朝に私が街で見たものの凄まじさは想像していませんでした。どの店も押し入られて、大量の商品が盗まれていました。段ボール箱、砕けたガラス、鉄板、打ち破られたドアなど、あらゆる種類のごみが通りじゅうに散乱していました。診療所は裏の窓ガラスが壊れただけで、何とか被害を受けなくて済んだようでした。しかし、ワナンチ薬局ではものが盗まれ、パテル外科は押し入られていました。私たちはいつも通りに診療所を再開しました。アイリーンは売春と女遊びを認めるのは難しいと私には言いましたが、最近は診療所での仕事がとても気に入っているようでした。私はアイリーンに、好んで売春婦になったり女遊びをする人の病気だけを治療しているわけではないと言いました。診療所に来る患者は、生活の手段を奪われて売春をせざるを得ない社会犠牲者です。女を買う男性も、田舎の妻から遠く離れて性に飢えてもナイロビの至る所で増えつつある様々な種類の宿屋で安くて手短なセックスで性欲を満たすしか方法がない犠牲者でした。
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性器全体に乾癬様皮疹が見られる明らかに症状の進んだ梅毒の男性患者の診察を私は終えました。ペニシリン・ベンザチンを二・4メガユニット処方し、隣りの部屋に行って注射を受け、薬をもらうように患者に言いました。そのあとすぐにその背の高い黒人患者が看護師の部室に入ったとき、私はアイリーンが叫び声を上げるのを聞きました。それは何とも奇妙な運命のいたずらでした。私が急いで部屋に入ったとき、アイリーンがナイフのように鋏を構えてそれ以上近づいたら刺してやると患者を脅していたからです。
「ムングチ先生、こいつは女を痛めつける獣よ。」と、アイリーンが叫びました。
「この人が何だって?」
「レオナルドの豚野郎よ!」
と、アイリーンは金切り声を上げました。その時、私は4年前にレオナルドという男に殴られたと打ち明けられたのを思い出しました。そうか、これがアイリーンを傷つけ、男性恐怖症にしてしまったあの183センチの大男なのかと思いました。心の中では怒りが煮えたぎっていましたが、特に医療に関係のある場合、復讐は神に任せるべきだとも分かっていました。
「頼むから、鋏を置いてくれないか。」と、私は出来るだけ落ち着いてアイリーンに頼みました。
「今回は奴も君を傷つけたりはしないから。」と私は言い、その日はもう仕事は出来ないだろうと思ってアイリーンの仕事を引き継ぎました。レオナルドは気が動転しているのか少し精神的な病があるのか、一言もしゃべりませんでした。ただ、自分の性器を指差して、食べ物に気づいた飢えた犬のように舌を巻いて何か呟きましたが、私には意味が分かりませんでした。私はそれぞれの尻に注射をしましたが、男は黙って従っていました。1週間後にまた来るように言いましたが、男は理解出来ないようでした。男は2度と現れませんでしたが、病気は治ったような気がしました。
私は出来るだけアイリーンを慰めましたが、レオナルドを見て、長い間心の奥に閉じ込めていた恐ろしい記憶がまた蘇ったと分かりました。私は心理療法の専門家にアイリーンのことを話そうと決め、何年も前の出来事についてアイリーンが気持ちを整理出来ればいいのにと祈りました。
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メアリ・ンデュクとの同棲は2ヶ月しか続きませんでした。年式の古い私のフォードエスコートをンデュクが嫌がったので、診療所に行くのにンデュクの車を2人で使うこともありました。一緒に住んでいても誰にも縛られない自分の生活があり、お互いに別々だと私はンデュクに言い聞かせました。ンデュクの私生活にも干渉するつもりはないとも強調しました。ンデュクは子供が欲しいと言い出しましたが、私ははっきりとまだ子供は欲しくないと言いました。お互いの理解の仕方は違いましたが、相変わらず二人は一緒の家に住み、同じベッドに寝ていました。メアリ・ンデュクは取り憑かれたように子供を作ろうとして、私を種馬にしようとしているのが分かりました。ある晩、ンデュクはもうコンドームには堪えられないと文句を言い、私よりも使いものになる男を見つけると脅してきました。私は2人の間に子供を作る気はないし、勝手に男を作ればいいと念を押しました。ンデュクは悪態をつき、モンバサの淫売漁り、金持ちおば様の燕と私を呼びました。マインバ夫人とのことは誰も知らないと思っていましたが、金持ちおば様という言葉が出て来たので、ンデュクは知っていると思いました。
「どういう意味だよ?」と、私は尋ねました。
「ナイスピープルランデヴーであなたが女と一緒にいるのを十回は見たわ。」と、ンデュクは食ってかかってきました。
「君はナイスピープルランデヴーで何をしてたんだい?」
「私にも金持ちのパトロンがいるってことね。」
「愛人はイアン・ブラウンだけだと思ってたけど。」
「ブラウンさんは愛人じゃないわ。私の愛人は陪席判事よ。」と、ンデュクは自慢そうに言いました。
「そいつの名前は何だい?」
「ご主人様と呼ばれているわ。」と、ンデュクは私を馬鹿にして言いました。私はそろそろ言い合いするのも止めにしないと、と思いました。
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言い合いをした3日後、私が家に帰ったとき、メアリ・ンデュクのプジョーの横にベンツが停めてあるのに気が付きました。ミスター「ご主人様」は本当で、ンデュクの部屋に来ていると考え、私のフォードエスコートを青いベンツ250の隣に停めました。
2人の警備員が戸の所に立っていて、中に入ろうとする私を止めました。私は逆らって、自分の家に入るのを邪魔されるいわれはないと言いました。私が不法に持ち主の部屋を占拠しているので中に入れないようにと持ち主から命令を受けていると二人は説明しました。
「どの持ち主だって?」と、私はひどい剣幕で尋ねました。
「白人です、その人、中にいますよ。」と、警備員の一人が答えました。白人という言葉を聞いたとたん私はかっとなり、それ以上話を聞かずに大きな警備員を押しやって戸を開け、居間に入って行きました。
「ンデュク、どこにいるんだい?」と、私は呼んでみましたが返事はありませんでした。2階のンデュクの寝室から声がしましたが、敢えてそこに踏み込まない方がいいと感じました。代わりに、2人が言い争う声をじっと聞きました。
「嫉妬深いアフリカ男が振る舞ってるみたいね。」と、ンデュクが明らかに泣きながら突っかかっていました。
「だが、その男を私の家に入れるなと言っておいただろう?」と、男が英語で言い返しました。非常にもの静かで、落ち着いている感じでした。
「あの人は家賃を半分払ってくれてるわ。だから不法侵入者とは違うから、もし出て行ってもらうなら、退去通知を出さないといけないわね。」
メアリ・ンデュクは賃貸契約法をしっかりと理解していたようです。
それ以上は我慢が出来ませんでした。私は物置き場から手斧を探し出し、敵と向き合うために階段を昇りました。イアン・ブラウンに会ってはいませんでしたが、メアリ・ンデュクの話と持っていた写真から、緑色の目を見たとき、この男に違いないと感じました。背が高く痩せ型で、極端に長い鼻をしていました。ハンサムとは言えませんが、身に付けている金の時計やネックレス、濃い青色のスーツと服に合った靴から、金持ちであるのは確かでした。
「二人とも、今すぐ出て行ってもらえませんかね。」と、私はイアン・ブラウンの顔を睨みつけながら怒りを込めて言いました。
「ムングチ先生、ここは私の家でね。」と、イアン・ブラウンは言い返しましたが、声が少し震えているのが分かりました。
「お前の家かどうかは関係ない。殺される前に出て行けよ。」
持っていた手斧でブラウンに切りつけることも出来たでしょうが、私は普段は自分が紳士だと信じていました。男に対する嫌悪感と男がンデュクと居たことに金持ちであることに対する嫉妬が入り混じって私は息が詰まりそうでした。怒りに震えながら立っているような感じでした。「お前を殺す」という言葉を聞いたとたんに鞭で打たれたように体をびくっとさせて慌てて寝室から飛び出し、ンデュクも追いかけて行きましたから、ブラウンは危険を感じ取ったのでしょう。その事件のあと、ンデュクとの同棲は続けられませんでしたが、運良くミリマニの高級住宅街で同じくらい居心地のいい部屋が見つかりました。家賃は1000シリング増えましたが、ンデュクとイアン・ブラウンのような男から自由になるために払うのなら極めて適切な価格でした。
執筆年
2010年12月10日