つれづれに:青島→白浜(2023年7月25日)
つれづれに:青島→白浜
→「白浜に」(↑)
→「白浜に2」(↑)
→「青島と少年」(↑)
の続きである。「今日も白浜に手入れをしてもらいに行って来ました」と1回で短く書くつもりが、4回になるとは思わなかった。たぶん、「白浜」の最終回である。
白浜の鍼灸整骨院を見つけたのは偶然である。宮崎は利用できる温泉が多い。今の家に引っ越しをしてからは、青島の温泉に出かけることが多かった。ただ、ときたま知り合いと出くわすことがあって、その確率の低い温泉を探して、少し南の白浜のホテルサンクマールに行くようになっていた。
白浜から見たサンクマール、今回撮った写真である
サンクマールでは、夜勤明けの卒業生といっしょになったことが1度あったが、誰も合わなくて済むし、2階の大浴場から一望できる日向灘も素敵だったし、サウナも人が少なくて快適だった。ただ、湯の温度が下がり、かなりぬるくなってからは行かなくなった。湯がぬるくなるのが、鍼灸整骨院を見つけた後だったのは幸運だった。
ホテル正面玄関
いつものようにサンクマールの湯に浸かって自転車で帰っていると、左手に鍼灸整骨院の看板が目に入った。何度も通っていたので気がついてもいい筈だったが、そのとき目にしたのが初めてだった。無理が祟って→「体の悲鳴」を感じたとき、たまたま弟に薦められたマッサージ屋さんに出かけて→「手入れ」をしてもらって、また普段の生活が出来るようになった。明石からバスで通った。気がつけば、30代で半分が白髪だった頭も元に戻っていた。そのあと、宮崎の話が決まったので、それからは2ケ月に1度くらいの割合で、飛行機でその人に手入れをしてもらうために通っていた。しかし、その人が60代で亡くなってしまった。そのあと、揉んでもらえるところを探したが、指まで入れてしっかり揉んでくれる人は見つからなかった。有名な野球選手も来たことがあると宣伝するスポーツマッサージの店にも行ってみたが、表面をなぜるだけだった。唯一、有名な渋谷の交差点の近くの人が指までいれて揉んでくれたが、東京は距離があり過ぎた。たまに出張したときに世話にはなったが、その間も、通える範囲で何とかいい人が見つかればと探していた。看板を見つけたとき、さほど期待をしてはいなかったが、一度揉んでもらうことにした。
「指まで入れて揉んでもらえますか?」
言ったのはそれだけだったが、きっちりと筋肉の間に指を入れて揉んでもらえた。奇跡の出遭いのように感じた。その後、2週間に一度の割合で通うようになった。揉んでもらったあとは、近くのサンクマールで温泉に浸かった。湯がぬるくなったあとは、旧パームビーチホテルの温泉に寄るようになった。コロナ騒動が始まってからは温泉には行けずじまいだが。
鍼灸整骨院の前の浜が白浜である。他よりも白いから白浜と呼ばれているが、今は砂浜の砂がそう多くないし、叢(くさむら)や流れて来た枯れ木などで砂の見える部分が少ない(↓)ので、白浜だと実感するのが難しいほどである。海水浴場の海開きの前には、ブルドーザーで砂の移動をさせている。青島から少し離れているせいもあってか、海水浴客は例年そう多くない。地元の人が仕切っているらしいが、採算が取れているのか心配になるほどである。最近は週に1度手入れをしてもらっている。原稿で稼げるようになれば、もう少し頻繁に通うかも知れない。それだけ歳を取って、恢復力が劣って行くということだろう。しかし、揉んでもらえる人に出遭えたことに感謝したい。
今日は8時台に雨が降り始めた。そう多くはないが、これで今日も水遣りをしなくて済む。ほんとうに恵みの雨である。こういう風に水を撒く手間を省いてくれる程度ならいいが、そのうち外に出てはいけないほどの雨風ややってくる。すでに先日も台湾や沖縄が台風にやられたという報道があった。雨のために出るのが遅くなったが、10時台にまた歩きに出た。今日も木花神社→農産物店→木花駅→木花小中学校脇を歩いて来た。1時間余りである。今日も2箇所でどくだみを摘んできた。汗もかけたし、風呂に浮かべて汗を流すとしよう。
砂の多い部分を探して取った
同じ日に撮った青島の砂浜のこの写真と比べると白っぽい気がするが‥‥