つれづれに:漂泊の思ひ(2024年1月22日)
つれづれに:漂泊の思ひ
どうして衝動的にどこかに行きたいと思ったのかはわからないが、心の中で何かがぷつんと切れてから、ときどきどこかに行きたくなった。その頃、松尾芭蕉のおくのほそ道を読んでいたこともあって、冒頭の文章が何か自分の中にあるものを引きだすような、そんな感じがした。高校の古文の教科書を見ても反応しなかったが、中学生くらいから詠んでいた和歌が冗長な感じがして、俳句を詠みたい気になっていた時期でもある。芭蕉の残した文章がすっと入って来るような気がした。
月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをづづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すゆるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別所に移るに、
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家
芭蕉の文章に私の意識の深層の何かが反応を起こしたような気がするが、伏線はある。生きても30くらいだろうと思いながら、余生を過ごすのはそれなりに大変だった。受験勉強をしていい大学に入り、いいところに就職をして、と考えられればよかったのだが、そうは行かなかった。1浪しても受験勉強ができず→「夜間課程」に通い始めた。学費は安かったが、→「牛乳配達」ではきつかった。家庭教師を頼まれてから、少し余裕が出るようになった。(→「家庭教師1」)その頃読んだ立原正秋(↓)の新聞の連載小説が引き金で、本も読むようになった。→「古本屋」にもずいぶんと通った。芭蕉を読んだのもその頃である。生き存(ながら)えるのかもわからないのに、小説を書くという意識だけが心の奥深くに潜むようになった。ある日、伊豆に出かけた。立原正秋の住む鎌倉に行く前に、なぜか伊豆に寄ってからにしようと考えた。川端康成の伊豆の踊子の影と、おくのほそ道の漂泊の思ひがあったような気がする。(→「露とくとく」)