つれづれに:アメリカ1860年(2024年2月1日)
つれづれに:アメリカ1860年
50年ほど前に見た→「下田」の港がずっとずっと前の1860年辺りと私の中で繋がりをみせるとは、夢にも思わなかった。きっかけは30を過ぎてから、小説を書く空間を確保するために探し始めた大学の職と、そこでやった似非(えせ)研究の過程で、半世紀ほど経った頃に私の意識下で何かと何かが突然結びついたからである。正規の職を得てからは給付された研究費や思わず交付された外部資金なども使いながら、何十年かをあれこれ続けたことが、おそらくその誘因らしい。
似非研究の始まりはアメリカの歴史だった。思いの前提が崩れたのと挫折が重なって、人生そのものが怪しくなっていたのだから、歴史がどうのという段階ではなかったが、書くための空間を確保するにはと考えると、仕方がなかった。その時の慣例からすると、どこかの修士に行ったあと博士課程を終えて、担当者にどこかの口を世話してもらうか、何かの学会に入っていわゆる学術的な論文を書いて業績を積むか、そのどちらかの選択肢しかなかった、と思う。
案の定と言うか、確信があったわけではないが、よそものには博士課程の壁は厚かった。(→「大学院入試3」)京都の旧帝大を出たゼミの人と繋がっていれば、その友人に紹介してもらって博士課程の門も開いたのかも知れないが、生憎(あいにく)、外国語大学(→「夜間課程」、↓)に入りながら英語もしなかったし、30くらいまでだと思っていたからそもそも人生設計もなかった。つまり、業績を積み人の伝手(つて)を頼って大学の口を待つしかなかったのである。後に医学科の教授会に出ることになったが、同じように1票を持ってはいたが、周りにそんな人は誰もいなかった。
→「黒人研究の会」が生まれた大学に行ったのは、運がよかった。公民権運動のころは盛会だったようが、入会時にはすでに会員も減り、月例会と年1回の会誌(→「『黒人研究』」、↓)がやっとだった。しかし月例会での研究発表は何とか欠かさず続いていた。アフリカとアフリカ系アメリカに関する各1本ずつの発表を、誰かが自発的にやっていた。私のような似非研究とは違って、本物の研究のようだった。そこでは、白人優位・黒人蔑視の意識はなく、この500年余りのアングロサクソン系中心の蛮行を正当化するために捏(ねつ)造された白人の歴史ではなく、虐げられた側(the oppressed)から見た歴史が基軸だった。
修士論文のテーマに選んだアフリカ系作家の作品を読んでみると、歴史を知らずには到底作品を理解できるようには思えなかった。その後辿(たど)った歴史で、1860年がアメリカの歴史の潮目だったと感じたのである。いつの時代も、金持ち層(the rich)がやりたい放題である。アメリカも同じだ。イギリスの金持ちがもっと儲(もう)けようと大規模な奴隷貿易を始めて、近代の歴史を大きく変えた。奴隷貿易の資本蓄積で産業革命が可能になり、資本主義が加速し、結果的には産業が軸の大量消費社会が生まれてしまった。
奴隷貿易で莫大な利益を得た代々の南部の荘園主(従来の寡頭勢力)と、奴隷貿易で生まれた産業社会で潤う北部の産業資本家(新興勢力)の二つの金持ち層の力が拮(きっ)抗するようになったが、その潮目が変わったのが1860年だった。南部の寡頭勢力の代弁者民主党と、北部の新興勢力の代弁者共和党が争った選挙で、リンカーンを担いだ共和党が勝利してしまったからである。(→「米1860」)
奴隷制より連邦統一が最高目的だったリンカーンは、選挙のあと選挙前と違う発言をした。奴隷解放を信じてリンカーンを支持した共和党員ホーレス・グリーリが公開状を出して、質問をした。『ニューヨーク・トリビューン』の主幹で熱心な奴隷制反対論者だった人の、まっとうで素朴な疑問だった。リンカーンは「この戦いにおける私の最高目的は連邦を救うことであって、奴隷制度を救うことでもなければ、それを擁護することでもない。」と返事した。儲け続けるために、金持ち層が連邦統一を望んだからである。リンカーンはその人たちの願いを実現するために大統領候補に担(かつ)がれた代弁者に過ぎない。
→「本田さん」は私とは違って本物の歴史学者である。東大を出て一橋にいた人が、私のゼミの担当者の友人だったようで、幸い研究会の月例会で本田さんの話を聞くことが出来た。岩波新書『アメリカ黒人の歴史』は当時から会員にも好評で、南北戦争と公民権運動が主体の話もわかりやすかった。その本は新版も出て、今も健在である。授業でも、参考図書の1冊にさせてもらった。
2月に入ったので、カレンダーをめくった。今月は妻が通う牧場(→「COWBOY UP RANCH」)の馬ベティと→「水仙」である。今年は水仙を何度か摘んで来て、いい香りを楽しませてもらっている。庭には新たな水仙が咲き出してはいるが、そろそろ水仙も終わりのようである。