つれづれに:『怒りの葡萄 』1(2026年2月27日)

つれづれに

つれづれに:『怒りの葡萄 』

 →「アメリカ文学」、→『アメリカの悲劇』、→「『緋文字』」の次は1939年に出たジョン・スタインベックの『怒りの葡萄 』である。

「採用試験」と→「大学院入試」の準備のために教えてもらったアメリカ文学のリストにあった小説は8冊だった。最初に一番分厚かった『アメリカの悲劇』を読んだが、辞書を引いて3ケ月もかかった。このままではどうにもならないと思い『緋文字』を持って津山と津和野に行って来たが、結局1ページも読まなかった。しかし、帰ってから今度は同じ作家の『シスター・キャリー』と『緋文字』を辞書なしで一気に読んだ。少し文字に馴染めたのか、辞書なしでもそれなりに読めるもんだという感触があった。

 それからフォークナーの2冊を読んだが、おもしろくなかった。5冊とも、もう一度読むことはないという本だった。1985年にミシシッピ大でのライトのシンポジウムに行ったとき、その前の年にフォークナーのシンポジウムがあったとローカル新聞の記事で知った。どちらも→「ミシシッピ」出身だとも書いてあった。→「ライトシンポジウム」の参加者は1500人ほど、フォークナーは1万人だったとも書いてあった。僕はライトが好きで、フォークナーの本を読んでおもしろくなかったので、そうなんだという反応しかなかったが、アメリカの白人層には人気があるようだった。日本の外国語大のアメリカ文学専攻の教授が8冊のうち、2冊もリストに入れて読むように勧めたのだから、何かあるんだろうが、僕にはそう思えなかっただけである。

 しかし、『怒りの葡萄 』はおもしろかった。英語に馴染み始めただけでなく、書き方が性にあってたのかもしれない。主人公の生き方や、逆境にも大地のように動かない母親や、主人公一家についていった説教師の言葉に納得がいったからかもしれない。やはり本は分厚かったが、何日間かで一気に読んだ。

 文字に馴染み始めたのは、同時に英作文をやり、大学院用にアメリカ文学史と英文法もやっていたからだろう。ほとんど座りっぱなしで、何らかの形で英語をやっていた。2階にあった僕の部屋から、夢を見ながら英語を言ってるのが聞こえたと、ずっとあとになってから姉か上の弟かに聞かされた。

自転車で遠出したり、朝起きぬけに10キロほど川の堤防を走って海まで行くこともあったから、体力があるのを当たり前だと思っていたんだろう。おまけに、立原正秋の本を読んでから、風姿花伝や茶の本を読み、100グラム3000円もする煎茶を飲んで、暖房も入れずに着物で正座をして本を読んでいた。体が冷えると、木刀を手に外に出て素振りを繰り返す。今思うと、別世界である。当然、体はばりばり、よく壊れなかったものである。やり出すと止まらない性格は基本的にかわらないが、生憎、今は体だいうことをきいてくれない。