貧しさの ゆゑにぞ寒き 冬の風

2019年5月2日1976~89年の執筆物随想

解説

高校教師5年目、4回生を3年間担任して一回り、7回生で2回り目に入りました。学年主任も同じ学年の人たちにも馴染めず、たえず腹を立てていたように思います。「教える」とか「指導する」とかを微塵も疑わない教員には、お前らが何を教えるねん、お前らが何が指導やねんと憤り、何をしても中途半端に思える生徒にはするんやったらちゃんとやれよと腹を立て、うちの子に勉強するように言って下さいという保護者には、冗談やないやろと呆れ返り、ずーっとそんな日が続いていたように思います。

久し振りに Wright の Black Power を開いたら目がちかちかして、このままでは死ぬより酷い状態になってしまうと感じ、高校を辞める決心をしました。

結局は、高校に在籍のまま教員再養成の大学院に行くことを決めました。

その学年にいた「淳ちゃん」とは、クラブのバスケットでも一年しかいっしょに付き合えませんでしたが、卒業後、家に訪ねてくるようになりました。宮崎への引っ越しを手伝ってくれ、引っ越しの日には見送りにも来てくれました。宮崎に来てからも、「鹿児島のおばあちゃん」の家から遊びに来てくれました。

しかし、ある日、相談もなく、手の届かないところに逝ってしまいました。

「貧しさの ゆゑにぞ寒き 冬の風」

ドングリの実表紙

兵庫県立東播磨高等学校第7期生文集

「どんぐりの実」(1981年)4ペイジ

本文

貧しさの ゆゑにぞ寒き 冬の風     我鬼子

身にしみる冬の風です。何をやっても、自分の無能さが、思はれます。三十までに、これだけはやりたいと思って居たことのかけらも出来ずに、それぢゃ、死ぬまでにと、自分をなぐさめてみても、それもだうか、わかりません。

執筆年

1981年

収録・公開

兵庫県立東播磨高等学校第7期生文集「どんぐりの実」 4ペイジ

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