Native Sonの冒頭部の表現における象徴と隠喩

2019年5月4日1976~89年の執筆物アフリカ系アメリカ,リチャード・ライト

解説

高校を辞め、大学を探し始めて4年目、私立の短大とか大学とか話はあるものの決まらず、結局大阪工業大学の嘱託講師(見かけは常勤、実際は非常勤)と他の非常勤をかけもちし、週に16コマの授業を持っていた頃です。

修士論文で取り上げた作品の中でも、ライトの出世作『ネイティヴ・サン』(Native Son, 1940)を、特に擬声語を手がかりに、テーマに表現をからめて考えてみました。「Richard Wright, “The Man Who Lived Underground” の擬声語表現」(1984)を書いた時に、他の作品でもテーマにからむ重要な場面で擬声語の表現が意図的に用いられていると予測し、『ネイティヴ・サン』や『ブラック・ボーイ』(1945)のような主要な作品で同じように書けないかと考えるようになっていました。

『ネイティヴ・サン』を最初に読んだ時は、その展開の早さや勢いを感じながら、2日か3日で一気に読んだ記憶があります。その印象は、やっぱり使われている言葉遣いとも密接に関係があったのだと、この小論を書きながら思いました。英語を母国語としている人たちが、この文章で分析しようとしているように感じて、意識的に擬声語を用いたのかどうか自信はありませんが、今までにない視点だと思います。

1981年と86年にシカゴに行きましたが、この小説の舞台になったサウス・サイドには行きませんでした。81年は初めてのアメリカ行きで余裕がなかったうえ、ミシガン通りでパレードを眺め、この小説の初版本を手に入れようと古本屋をまわるだけで精一杯でした。86年は、シアーズタワーに登り、前年にミシシッピ大学であったシンポジウムでの発表者シカゴ大学のSterling Plumpp さんに会うだけで終わってしまいました。英語もあまり聞けないのに、電話をかけて自宅のマンションに会いに行きました。

本文

Native Sonの冒頭部の表現における象徴と隠喩

Ⅰ. はじめに

リチャード・ライト(Richard Wright, 1908-1960)の『ネイティヴ・サン』(Native Son, 1940)を読んで衝撃を受けた人は多い。出版直後に一部で発禁書扱いを受けた事実からも、その衝撃の度合いがわかる。それらは、人種の問題をはらむ時代背景の中で、その書が提起した問題の大きさなどによるが、同時に、物語の展開や構成、或いはその表現の工夫などに負っている点も見逃せない。

ライトは本の書き出しに大層苦心したらしく、いざタイプライターの前に座ってはみたが、なかなか書き出せない模様を次の如く描いている。

…, when I sat down to the typewriter, I could not work; I could not think of a good opening scene for the book. I had definitely in mind the kind of emotion I wanted to evoke in the reader in that first scene, but I could not think of the type of concrete event that would convey the motif of the entire scheme of the book, that would sound, in varied form, the note that was to be resounded throughout its length, that would introduce to the reader just what kind of an organism Bigger’s was and the environment that was bearing hourly upon it. Twenty or thirty times I tried and failed; then…1

そこには、テーマと深く関わり、作品全体にわたって絶えず繰り返される組み立ての骨組みと主調音の如きものを読者の心に植えつける出来事を冒頭部に据えたいという意図が読み取れる。

惨々苦心した挙句、ライトは主人公ビガー・卜一マス(Bigger Thomas)が鼠を殺すシーンを選んだ。本人は鼠を登場させるかどうかについて相当悩んだようだが、その辺りの経緯についてライトは以下のように述懐している。

I went back to worry about the beginning….One night, in desperation…I sneaked out and got a bottle. With the help of it, I began to remember before. One of them was that Chicago was overrun with rats. I recalled that I’d seen many rats on the streets, that I’d heard and read of Negro children being bitten by rats in their beds. At first I rejected the idea of Bigger battling a rat in his room; I was afraid that the rat would “hog" the scene. But the rat would not leave me; he presented himself in many attractive guises. So, cautioning myself to allow the rat scene to disclose only Bigger, his family, their little room, and their relationships, I let the rat walk in, and he did his stuff.2

冒頭の場面に於いて、犯罪を生んだその街の中の、主人公が日常生活を営む一室と、その中で展開される人間関係を、鼠を<スタッフ>の一員に加えることによって象徴的に凝縮させようとしていることがわかる。本稿では、ライトの意図が作品の中でどう生かされているかを、キー・ワーヅを中心に考えてゆきたいと思う。

Ⅱ. i)  “their little room" (「小さな部屋」)

物語が始まる「小さな部屋」を特殊なものとしてではなく、サウス・サイドでは極くありふれたものとしてライトは選んでいるが、先ず、その背景を知る為に、『1200万の黒人の声』(12 Million Black Voices, 1941)から少し引用しておこう。

When the white folks move, the Bosses of the Buildings let the property to us at rentals higher than those the whites paid.

And the Bosses of the Buildings take these old houses and convert them into “kitchenettes," and then rent them to us at rates so high that they make fabulous fortunes before the houses are too old for habitation….they take, say, a seven-room apartment, which rents for $50 a month to whites, and cut it up into seven small apartments, of one room each; they install one small gas stove and one small sink in each room….because there are not enough houses for us to live in,…we rent these kitchenettes and are glad to get them….Sometimes five or six of us live in a one-room kitchenette,…3

逃亡中のビガーが屋根から窓ごしに見た一室…そこにはベッドが二つあり、一方のベッドに裸の黒人の子供が三人、睦み合う両親を見ながら座って居る様子を見て、自分にも経験のある見慣れた光景だと目を逸したのだが…も、或いは弁護士マックス(Max)が法廷で、施設もひどく鼠すら巣食っているのに、どうして法外な家賃を取るのかと、所有者ドールトン氏(Dalton)に詰め寄った一部屋式アパートも、そしてこの「小さな部屋」も、紛れもなく上の引用文に示された “キッチンネット"(簡易台所式一部屋アパート)に他ならない。ライトはこの「小さな部屋」に、あるイメージを投影しようとしているが、特に,(1)騒々しい、(2)穢ない、(3)狭い、という点を象徴的に強調していると思われる。以下、その3点に焦点を当てながら、少し詳しい検討に入ることにしよう。

(1) 騒々しい……<騒々しさ>を文字から読者の聴覚に訴えるのに、この場面でライトは音に関する言葉、特に自然音を模した擬声語をことのほか多く使用している。ライトが擬声語を意図的に用いるのは何もこの作品だけに限ったことではないが、それでも読者は先ずBrrrrrrriiiiiiiiiiiiiiiiiiinng! という書き出しの語にはっとさせられる。本文を少し引用してみよう

Brrrrrrriiiiiiiiiiiiiiiiiinng!

An alarm clock clanged in the dark and silent room. A bed spring creaked. A woman’s voice sang out patiently.

“Bigger, shut that thing off!"

A surly grunt sounded above the tinny ring of metal. Faked feet swished dryly across the planks in the woonden floor and the clang ceased abruptly.

“Turn on the light, Bigger."

“Awright," came a sleepy mumble. 4

次の行でその見慣れない語が目覚し時計の音を表わしていると気付くのだが、同時に、その音を表現し換えた動詞clangと6行後の名詞clangからその金属音が大きく響いたことがわかる。Brrrrrrriiiiiiiiiiiiiiiiiinng ! という表記から、何か尋常でないものを感じるが、ライトは『長い夢』(The Long Dream, 1958) の中でも、よく似た表記を使っている。6才の主人公が、葬儀屋の父親から寝ずの電話番を頼まれ、呼び寄せた友人と地下室から夜道を通る白人女性を脅した際に、その女性の驚き様に逆に不安を覚え始めた次の場面に於いてである。

They entered the office and stood in the dark.

Brriiiinnnnnnnnnnng!

The phone’s metallic ringing shattered the dark and the boys’ muscles grew stiff. They could hear one another’s breathing.

Brrriiiiiinnnnnnnnnnnnnng!

“Oh Lawd. I got to answer." Fishbelly whispered stickily….

Brriiiiiiiinnnnnnnng! Brrriiiiiiiiiiiinnnng! 6

電話の音にその表記が使われたわけだが、時計の場合と少し違う。ここでは「轟く餘音を表はすのに適切」7 な鼻音 [N] がより長く記されている。余音に力点が置かれたのであろう。死体置場を併設する地下事務所の、比較的広いコンクリートの空間に、真夜中,突然鳴り渡った電話の音が余音を残さないわけはないのだが、それでも微妙に異なる電話の表記の中に、無邪気な少年でさえ「白人女性」の前ではリンチの被害を免れないという南部特有の、あの不安感に揺れる少年の心の綾を表現しようとする作者の工夫のあとが感じられるのだ。8

電話の音が余音に力点が置かれているなら、「鋭敏・急速等を象徴する」9 母音 [i:] を含み、「大きさ」を特徴とするclangで2度言い換えられた時計の音は、喧しさ,慌しさに力点が置かれている。わずか3日間の間に,2人の殺害、逃亡、逮捕を軸にめまぐるしく展開される事件の慌しさを考えれば、喧しさ、慌しさを象徴して余りあるこの時計の躁音は、まさしくこの物語の幕開けの鐘の音にふさわしいものであろう。その意味では、佐伯氏の次の評は言い得て妙と言える。

Brrrrrrriiiiiiiiiiiiiiiiiinng! という金切り声が、冒頭の第一行目の開幕の合図だが、この長編の結末にいたるまで、この耳にきしむ金属音が鳴りつづけている。作中のあらゆる動きがこの目ざましい時計の音にせきたてられるような目まぐるしさで進行する。10

時計の音を主役とするなら、他の様々な音が脇役で、それぞれ引き立て役を演じている。現実に音声を発したのは、時計、ベッドのバネ、少年の足と床、母親、それに少年である。時計の音と会話文を除く7つの文章を主語+動詞の形で簡略に示すとclock+clang / spring +creak / voice+sing / grunt+sound / feet+swish / clang+cease / mumble+come となる (下線部は擬声語)。又、Brrrrrrriiiiiiiiiiiiiiiiiinng! は音そのものであり、その動作が動詞clangで、その音がthe tinny ring of metal, the clangでそれぞれ言い換えられている。A woman’s voiceが “Bigger, shut that thing off!" であり、それがA surly gruntで表現されている。最後の “Awright," はa sleepy mumbleと同格である。こうして見ると、最初の9行に含まれた時計の音、3つの会話文、及び7つの文章は、すべてが音声そのもの、もしくは音に係わる表現であることに気付く。しかも、7文のうち6文までが擬声語(clang, creak, grunt, swish, clang, mumble)を含んでおり、それらはすべてO. E. D. に [Imitative.] の表記がある自然音を模した擬声語である。この場合、それらの音が快音ではなく、耳ざわりな大きな音、又は神経に障る噪音であるのは注目に値する。

一つ目の大きな音(clang)ときしみ音(creak)が、母親のいらいらに関する語(impatiently)を、更に不平の表現(A surly grunt)を引き出し、大きな音ときしみ音と「いらいら」にせかされた少年の動作が、「鋭敏・急速等を象徴する」母音iを含む摩擦音swishを生んだことになる。そのような状況であるから、ねむいのに意に反してせかされた少年の口から洩れた不平を表現したmumbleが、この場合、生きてくる。継続的な物の響きに関係する鼻音 [m] 2個と「濁った噪音的な感じを出す」11 有声破裂音 [b] を含むmumbleは、喧しい時計の金属音が突然止んだ静けさの中で、ねむけ眼をこすりながら洩らした少年の不平の響きを言い当てている。そのmumbleと同じく不平を表わすgruntは微妙に違う。喧しい金属音の鳴り響く室内では、当然低い不平の音声は掻き消されるが、その様子が「後に響きを残さぬ瞬間的な」12 感じを表わす末尾の破裂音 [t] に感じられる。

更に、短かく、鋭い摩擦音swishに含まれている短母音目 [i] がiを19個並べた時計の"超" 長母音 [i:] と著しい対比をなして、時計の喧しさの効果を増す働きをしていることも忘れてはならない。

喧しすぎる時計の音の存在のかげに隠れてはいるが、確かに聞えるベッドのバネのきしみ音creakと、少年の足と床の間の摩擦音swishの働きも見逃せない。それらが設備の貧しさを暗示しているからだ。ビガーが寝ていたベッドは決してふかふかの豪華なものではなく粗末な堅い鉄製のものだ。おそらく錆のきたバネがきしみ音を立てたのだろう。又、少年が横切ったのは柔かいじゅうたんの敷き詰められた床の上ではない。色々な汚れと臭いのしみついた硬い床板("the planks")の上である。設備の悪さをほのめかす為にライトは敢えてベッドのバネをきしませ、少年にきしむ床の上を素早く横切らせる場面を設定したということである。それらの設備の貧しさは、のちに暖房器の修理をしてくれない家主への不満をビガーが友人に洩らした一節からも窺える。凍死者も出たと報じられる厳冬のシカゴでの小さなストーブ("a small stove")に対する次の嘆きはあまりにも切なすぎる。

“Kinda warm today."

“Yeah," Gus said.

“You get more heat from this sun than from them old radiators at home."

“Yeah, them old white landlords sure don’t give much heat."

“And they always knocking at your door for money."

“I’ll be glad when summer comes."

“Me too," Bigger said. (13 -14)

又、警官に追いたてられて引っ越した2日後にその建物が崩れ落ちたことをビガーが回想する光景に出合うとき、読者の耳に再びこのcreakの、或いはswishの噪音が聞えてくる気さえするのである。

主役、脇役が相互に働いて、燥しさ、慌しさが見事に凝縮された冒頭のシーンである。

母親に促された少年が電気のスイッチを入れ、明るくなった室内では、しばらく少年と母親と妹による比較的穏やかな会話が続く。が、突然かすかに聞え出した音 “a light tapping" によってその状況は一変する。鼠の登場である。鼠はビガーの投げたフライパンによって殺され、ごみ箱にぽいと捨てられて “退場" してしまうのだが、そのあたりを少し端折って引用してみよう

…Abruptly, they all paused,…, their attention caught by a light tapping….Bigger looked round the room,…and grabbed two heavy iron skillets….Buddy ran to a wooden box and shoved it quickly in front of a gaping hole….A huge black rat squealed and leaped at Bigger’s trouser-leg….Bigger held his skillet;…The rat squeaked….Bigger swung the skillet; it clattered to a stop against a wall….The rat…let out a furious screak….The rat  bared tong yellow fangs, heavy piping shrilly,…Bigger…let the skillet fly with a heavy grunt…."I got 'im," he muttered,…. (4-6, 下線は筆者)

喧しい時計の場面とは対照的に、かすかな音を模した擬声語tapによって始まる鼠の場面には.会話を除いて6度の音に関する記述がある。鼠の鳴き声に関してのsqueal, squeak, screak, pipeと、フライパンについてのclatter, gruntである。このうちsqueal, squeak, gruntはO.E.D. に [Imitative.] の表記があり、screak, clatterもそれに類する擬声語である。"piping shrilly" の記述を待つまでもなく、pipeばかりかsqueal, squeak, screakにもすべてshrill(=piercing & high pitched in sound)の含みがあり、それらは恐怖もしくは苦痛の状態に於いて使われる言葉である。[ski:l], [ski:k], [skri:k] に共通して含まれる無声の摩擦音 [s] 及び破裂音 [k] は、退路を断たれ、身の危険を感じ取った鼠が極度の緊張の為に締めつけられたのどから絞り出したしわがれ声の感じを、母音 [i:] はその音の甲高さ、鋭さを象徴している。又、流音 [r], [l] は鼠の動きを暗示しており、squealは声を発しながらビガーに飛びかかる静から動への動作を、squeakは機を窺いながら待つ静の状態を、screakは動から静の、逃げ回って機を窺う状態を、それぞれ表わしている。この中で特に注目したいのはscreakである。Screak は P.O.D., C.O.D. には収録されておらずO.E.D. に “Now chiefly dial." と表記のある語であるが、日頃あまり用いられない語を使ってまで、恐怖に逃げ惑う、音をも含めた感じをそれぞれ写し分けたいという作者の工夫のあとが感じられる一語である。

ビガーが最初に投げたフライパンの音を写したclatterは、cl- でその音の大きさを、無声音 [k] でフライパンと壁との間に発せられた金属音を、 [l] でその動きを暗示しており、投げ損じたフライパンが大きな音をたてて壁に当った感じをうまく伝えている。それに対して、二投目の音を写したgruntに含まれる有声音 [g] は、フライパンが大きな柔かい鼠に命中した際に、壁との間に生まれた鈍い躁音を、流音 [r] はその動きを、更に、末尾の破裂音 [t] は「響きを残さぬ瞬間的な音」の感じをそれぞれ象徴しており、鼠がしとめられたという感じがよく出ている。

先に「会話文を除く」と記したが、会話について少し触れておこう。全体を通して会話文だけが示されている場合が多いのだが、引用文末尾の “I got’im," he muttered. の"muttered" のような記述が、この場面には12回あり、妹には wail, whimper、弟には shout、母親には5回の scream、ビガーには call, whisper, ask, mutter が用いられている。そのうちの screamは恐怖もしくは苦痛の状態で用いられ “at the top of one’s voice" の含みがあり、発音とともに先の [ski:l], [ski:k], [skri:k] と極めて類似している語である。ただ泣きじゃくる(wail, whimper)妹、叫ぶ(shout)弟、金切り声をあげる(scream)母親、鳴き廻る(squeal, squeak, screak)鼠。末尾の、余音を残す鼻音 [m] に導かれた短いつぶやき(mutter)は、それらと対照的に配置されており、慌しく、騒々しいねずみの場面の締めくくりの語にふさわしい。

(2)穢ない……<騒々しい>より<穢ない>象徴としての鼠の役割の方がむしろ大きい。音の側面からではなく、少し角度を変えて鼠が登場する場面を再び引用してみよう。

…Abruptly, they all paused,…, their attention caught by a light tapping in the thinly plastered walls of the room…their eyes strayed apprehensively over the floor.

“There he is again, Bigger!" the woman screamed and the tiny, one-room apartment galvanized into violent action. A chair toppled (4, 下線は筆者)

P.O.D. のtapの説明 “strike a light but audible blow" が示すように tapping はかすかにではあるが何とか聞える音である。しかし、かすかな音に対する家族の反応は実に素早く「小さな一部屋式アパートが火のついたように激しく動き出した。」ここで注目したいのは、鼠がitではなくあくまでheと呼ばれていることだ。奴(he)はいつも現れる顔なじみの「一員」である。母親は金切り声をあげ、妹はベッドに這い上がって泣きじゃくり、兄弟は手にフライパンを持って構える。四人の目は<奴>を追う – しかし、それはあくまでいつもの一光景に過ぎない。<奴>はとてつもなく大きい。兄弟のやりとりが如何に大きかったかを教えてくれる。

The two brothers stood over the dead rat and spoke intones of awed admiration.

“Gee, but he’s a big bastard."

“That sonofabitch could cut your throat."

“He’s over a foot long."

“How in hell do they get so big?"

“Eating garbage and anything else they can get."

“Look, Bigger, there’s a three-inch rip in your pant-leg." (6)

人に危害を与え得る程鼠が大きくなったのは、排水設備すら満足にない老朽化した建物に詰め込まれているたくさんの黒人が、鼠に「食べ物」を十分に供給しているからだ。太った鼠の大きさは、環境のひどさの代名詞だと言っていい。環境のひどさは様々な現象を生み出す。

The kitchenette is the seed bed for scarlet fever, dysentery, typhoid, tuberculosis, gonorrhea, syphilis, pneumonia, and malnutrition.

The kitchenette scatters death so widely among us that our death rate exceeds our birth rate, and….13

母親がビガーに向って「おまえに人並みの甲斐性さえあれば、こんなごみ溜めなんかに住まなくていいのにねえ」(7, 傍点は筆者)と嘆く言葉が真実味を帯びる。ライトは本書出版の翌1941年の暮れに初稿を書き上げ、改稿して1944年に公けにした「地下にひそむ男」("The Man Who Lived Underground")の中でも、この太った鼠を登場させている。

He…jerked his head away as a whisper of scurrying life whisked past and was still. He held the match close and saw a huge rat, wet with slime, blinking beady eyes and baring tiny fangs. The light blinded the rat and the frizzled head moved aimlessly. He grabbed the pole and let it fly against the rat’s soft body; there was a shrill piping and grizzly body splashed into the dun-colored water and was snatched out of sight, spinning in the scuttling stream. 14

太った鼠は、下水を流れる死んだ嬰児と並んで<地下>の穢なさ、或いは死臭の象徴的存在である。ライトは暗に、地上世界を白人社会、地下世界を黒人の住む社会になぞらえた。そして隔離され、疎外された状況をむしろ有利な地点と把える<地下の視点>を生み出した。その意味でも、その原形となるべき穢なさの象徴としての巨大な鼠の果たす役割は決して小さくはない。

(3)狭い……時計の音が止み電気のスイッチが入り、母親と妹の着替えが始まる。

“Turn your heads so I can dress," she said.

The two boys averted their eyes and gazed into a far corner of the room….

A brown-skinned girl…fumbled with her stockings. The two boys kept their faces averted while their mother and sister put on enough clothes to keep them from feeling ashamed;…Abruptly, they all paused,…,their attention caught by a light tapping.,..They forgot their conspiracy against shame….(3-4, 下線は筆者)

着替えする度毎に、お互いに恥しい思いをする。狭い部屋の中では避ける術もない。その感じる恥しさの表現 ashamedは元来あくまで受身表現である。もし充分な空間さえあれば、目を逸らす(avert)必要もない。着替えが済むまで部屋の隅をじっと見つめる(gaze) 様子が何ともいじらしい。恥しいと感じさせられる行為が度重なっていつしか恥(shame) という状態に変わる。いかにもそんな感情の機微に触れるashamed, shame の使い分けである。

メアリー殺害後、朝食の席でぼんやり考え事をしていたビガーは、見つめられていると勘違いした妹に責められる。最低限のプライバシーさえ守れないのだ。空間の狭さは、要らぬいさかいを生み、徐々に個々の人間性を歪めてゆく。

The kitchenette throws desperate and unhappy people into an unbearable closeness of association, therby increasing latant friction, giving birth to never-ending quarrels of recrimination, accusation, and vindictiveness, producing warped personalities.15

ありふれた一日の、ありふれた一場面ではあるが、目覚し時計が鳴り、鼠が殺される「小さな部屋」は、<騒々しい><穢ない><狭い>いうイメージを確実に伝えている。

  1. ii) “Bigger, his family," and “their relationships"(「ビガーと家族」)

<騒々しさ>は人の心に苛々を募らせ、<穢なさ>ゆえに種々の病気がはびこる。空間の<狭さ>は家族の間に要らぬ衝突を生み、「人はただくる日もくる日も,わめき合い,ののしり合うばかり。」 (11) そんな中で生まれてくるのは、ぎすぎすした人間関係だけである。狭い部屋の中で、母親は顔さえ合えば「おまえに甲斐性さえあれば…」[“we wouldn’t have to live in this garbage dump if you had any manhood in you,"(7, 下線は筆者)] などとビガーに不平を並べ、南部で暴徒に殺された夫の替わりに “manhood" をビガーに求める。家族の苦しみが、ビガーにはわかりすぎる程わかってはいたが、同時にその家族に何もしてやれない自分を視ていたから、よけいに家族の存在がうとましかった。ビガーは、そんな生活の中で、すでに自らの生き方に結論を出していた。

…So he held toward them an attitude of iron reverse; he lived with them, but behind a wall, a curtain. And toward himself he was even more exacting. He knew that the moment lip, allowed what his life meant to enter fully into his consciousness, he would either kill himself or someone else. So he denied himself and acted tough. (9)

そんなビガーと家族、特に女性(母親と妹)との関係を鼠の場面が象徴的に表わしている。うろたえ、金切り声をあげる母親、ただ泣きじゃくる妹と、あくまで冷静なビガー。両者の対処の仕方が対照的だ。その特徴を暗示しているのがその動作を示す動詞 (若干、名詞を含む) である。<騒々しい>の中で既に少し触れたが、ビガーが外出するまでの冒頭の場面(pp. 3-11)では、母親についてはscreamが6回、sobが3回、cryが1回、妹については whimper が2回,wail, cry, scream が各1回ずつ用いられている。窮地であくまで冷やかなビガーと、泣き、叫ぶ女性 – その図式は第2部,第3部でも再現される。第2部、愛人ベシィー(Bessie)を連れ出し、殺害するまでの場面(pp. 190-201)では、ベシィーについての語の使用はcry 8、whimper, moan, sigh各5、sob(sobsも含む)4、wail, scream各1 (数学は回数を示す)である。更に第3部、ビガーの独房で、検事はじめ家族やドールトン夫妻などが一堂に会する場(pp. 251-257)では、母親についてはsob (sobsも含む)7、 cry 5, wail 2, mumble, whimper各1、妹についてはsob 1である (ビガーが妹に質問を1度だけしているが、妹の発言はない。) それに対しビガーには、冒頭部と第3部の場面でshout がそれぞれ1度ずつ – 冒頭部では、母親がビガーにドールトン氏の提供してくれる仕事に就けと執ように繰り返した時に、又、第3部の場面では、母親がドールトン夫人にひざまづいてビガーの命乞いをした時に用いられているだけである。

女性に共通して使われた sob, cry, wail, whimper などの “泣く" 意の言葉が象徴的イメージを読者に与える意味でのキー・ワーヅの働きをしている。それらのキー・ワーヅを用いてライトが強調したかったのは、惨状に黙従する黒人像、例えば、もはやこの世に希望をなくし酒や宗教に逃避の手段を求めるベシィーや母親の姿である。そのイメージを通して暗にライトはそんな現状への憤りと警告を示している。その憤りや警告は、惨状を生んだ白人社会への抗議とともに、この作品の大きな主題の一つになっている。その意味では、この冒頭の場面で象徴されたビガーと家族との人間関係は、ライトが読者にそのイメージを投影しようとした「物語の組立ての骨組み」のひとつと言えるだろう。

Ⅲ.『アメリカの息子』とサウス・サイド

『アメリカの息子』の舞台シカゴは、かって南部で、「ミシシッピで知事になるよりはむしろシカゴで街灯柱でいる方がいい」16 としばしば歌われた、言わばあこがれの地だった。第一次大戦前後には莫大な数の黒人が南部農村を離脱して北部の大都市へ移住したが、ライト自身もそうであったように、その人々にとってシカゴは決して約束の地ではなかった。黒人はゲトーと称する隔離された貧民街の一角に追い遣られ、「雇われるのは最後だが,クビ切られるのは先ず最初!」("Last hired, first fired!")に示された極めて不安定な経済状態を強いられた。黒人と白人との間には目に見えぬカラー・ラインが厳然と引かれ、黒人は実質上、そのラインを決して越えることは出来なかった。かつて南部でプランター達が黒人奴隷を食いものにしたように,北部の大都市では、一部の大資本家が多数の黒人を搾取し、暴利を貧っていた。作品の中で、ビガーの部屋の所有者が、実は慈善事業の一環としてビガーに仕事を提供してくれたドールトン氏であることが判明すると、読者はいやでもその構図を知らされる。ライトはマルキシズムの歴史的、経済的分析を借りて、何世代にもわたって白人が築きあげたアメリカ社会の抱える歪みを指摘し、アメリカの息子ビガーの犯した犯罪の本当の責任の所在を解明することによって、黒人を隔離し、抑圧し続ける白人社会への痛烈な抗議をしてみせたが、サウス・サイドを含むシカゴは、隔離の実態を或いは搾取の経済構造を明らかにする舞台としては最適の場所だったのである。

Ⅳ.象徴と隠喩

「小さな部屋」に住むトーマス家の人間関係、家族構成は特殊なものではなく、サウス・サイドではむしろありふれたものである。その手掛りに、再び『1200万の黒人の声』の一節を引用してみよう。

The kitchenette injects pressure and tension into our individual personalities, making many of us give up the struggle, walk off and leave wives, husbands, and even children behind to shift as best they can….

The kitchenette blights the personalities of our growing children, disorganizes them, blinds them to hope, creates problems whose effects can be traced in the characters of its child victims for years afterward.17

トーマス家は父親が南部で殺され、白人の家であくせく働く母親が一家を支え、街に飛び出して問題を起こす不良少年を抱える典型的な母子家庭である。サウス・サイドにならどこにでも見られるそんな家族が生活を営む「小さな部屋」は、まさにサウス・サイドの縮図であった。

サウス・サイドを我が物顔に横行する鼠は「小さな部屋」と並んで、環境の劣悪さの象徴でもあるが、ビガーは、退路を断たれ、逃げまわる鼠を追いつめて殺し、ごみ箱に捨てた。そのビガーは、サウス・サイドの廃屋を逃げ回り、追いつめられ、捕えられ、電気椅子にかけられて殺されて行く。両者の運命はあまりにも酷似している。サウス・サイドが「鼠」を生み、アメリカが「アメリカの息子」(ビガー)を生んだ。そして,両者はともに社会の存在悪として抹殺されて行く。

ライトは「黒人はアメリカの隠喩である」("The Negro is the metaphor of America.")とよく言ったが、その言葉を借りて言えば、「小さな部屋」はサウス・サイドの隠喩であり、「鼠」はビガーの隠喩であると言うことになろう。

「小さな部屋」とビガーと鼠。象徴的、隠喩的表現を用いてそれぞれに役割を演じさせた冒頭部のシーンである。

<注>

1 Richard Wright, “How 'Bigger’ Was Born," Saturday Review, No. 22 (June 1, 1940), rpt. in Native Son (New York: Harper & Row, 1965), p. xxix.

2 “How 'Bigger’ Was Born," p. xxxiii.

3 12 Million Black Voices: A Folk History of the Negro in the United States (1941; rpt. New York: Arno & The Times 1969), pp. 104-105.

4 Native Son (New York: Harper & Brother, 1940), p. 3; 本書の引用については、ペイジ数のみを (  ) 内に記す。

5 P.O.D. のClangの項には “1. Loud resonant metallic sound" とあり、clangが「大きな、響く金属音」を表わすことがわかる。

6 Richard Wright, The Long Dream (1958; rpt. Chatham: The Chatham Bookseller, 1969), p. 54.

7 乾亮一、「擬声語雑記」(『市河博士還暦祝賀論文集』第二輯、研究社、1947年)、3ペイジ。

8 読者には「ビッグ・ボーイは故郷を去る」(“Big Boy Leaves Home," 1936) で、偶々泳いでいた現場近くに白人女性が居合わせていた為に、悲惨な運命を辿った4人の少年の姿が浮かぶ。更に、この物語 (『長い夢』) では,この事件のすぐあとで、白人の女性と係わりのあったという主人公の友人が暴徒に惨殺される場面がある。読者は “不安" が的中することを知って、この場面がその一つの伏線となっていることに気付く。

9 乾亮一、「擬声語雑記」、6ペイジ。

10 佐伯彰一、『文学的アメリカ』(中央公論社、1967年)、193ペイジ。もっとも、同氏の『アメリカ文学史』(筑摩書房、1969年、156ペイジ) には「シカゴのスラム街生まれの黒人主人公が,二人の白人を殺害して、…」(傍点は筆者) とあるから、本書がきっちりと読まれてはいないのだが。

11 乾亮一、「擬声語雑記」、2ペイジ。

12 同上、3ペイジ。

13 Wright, 12 Million Black Voices, pp. 106-107.

14 “The Man Who Lived Underground," in Cross Section, ed. E. Seaver (New York: L. B. Fisher, 1944) , p.60.

15 12 Million Black Voices, pp. 108.

16 Cf. Richard Wright, Lawd Today (New York: Walker, 1963), p. 154. (“Lawd, I’d ruther be a lamppost tin Chicago than the President in Miss’sippi…")

17 Wright, 12 Million Black Voices, pp. 109-111.

執筆年

1986年

収録・公開

「言語表現研究」4号29-45ペイジ

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Native Sonの冒頭部の表現における象徴と隠喩(186KB)