つれづれに: 烏瓜(2021年9月23日)

2021年9月24日つれづれに

つれづれに:烏瓜(からすうり)

 

きのう散歩している時に、烏瓜を見かけた。色鮮やかな朱色である。9月も半ば過ぎ、今日は秋分の日で、暮れるのも随分とはやくなった。三十度を超す昼間の畑作業は無謀なので、陽が落ちる前頃から始めることが多い。秋の日のつるべ落とし、すぐに暗くなってしまう。

なかなか原稿の清書が進まない。パソコンを使う前はワープロ、その前は手書きで書いていたわけだが、その時はそれが当たり前で、長い手紙も手で書いた。久しぶりにやってみると、手がいうことをきいてくれない。二百枚くらいの原稿用紙が手に余る。手に余ることが増えすぎる、それが年を取ると言うことだろう。悪戦苦闘している時に「歴史をどう見るか」の続きは手に余る。「続モンド通信」も手付かずのまま、それで、烏瓜(からすうり)である。

三十数年前に宮崎に来るとき、それまで常勤職と二人の子供で一杯一杯で、絵を描く時間も取れなかった妻は、仕事を辞めて絵を描くことにした。最初は花を書いた。宮崎神宮の少し北辺りに一軒家を借りていたので、市民の森が近くで、そこの菖蒲園に毎日自転車で出かけていた。

花を集めるは僕の役目で、そのうち秋には実も集めるようになった。都会から来ると、草花は豊富である。春先はことに多彩だ。最初の秋は、木通(あけび)と烏瓜に明け暮れた。出版社から本の表紙絵のシリーズも描くように言われて、大忙しだった。今回花菖蒲の画像を探してみたが、まだパソコンを使ってない時期で、画像は見当たらなかった。辛うじて、本の表紙絵の画像があった。表紙絵用に送った原画はまとめて出版社の方が返送して下さっているので、そのうち画像にしておこうと思う。

● 出版された本の一覧です→「本の装画・挿画一覧」(門土社)

烏瓜の実は食べられない。色が鮮やかなのは、空を飛ぶ鳥に見つけてもらい易くするためだそうである。鳥たちが啄ばんで食べた種が排泄されれば、種を運んでもらえるからだろう。種(しゅ)を保存するための共存共栄の営みの一環のようである。

宮崎に来た当初、絵の材料を集めるためにいつも花や実を探していたせいか、烏瓜がやたら目についた。しかし、最近はあまり見かけなくなったような気がする。

次は通草(あけび)である。