つれづれに: 歩くコース4木崎浜3(2022年1月7日)
つれづれに: 歩くコース4木崎浜3
意識下になかった「遠い」木崎浜に行ったのは、越して来て住み始めた家から真東に行けばどこに行くんだろう、という好奇心からだ。そして、行ってみたら、木崎浜だった。元々名所や人の集まる場所を避ける傾向があるようで「キムタクが来て近くのジョイフルに入ってたらしいよ」と聞いた時点で、木崎浜は意識から除外されていたように思う。しかし、行ってみたら、きれいな砂浜だった。無理が祟って血圧の上が120、下が15という状態で頭の上まで痺れていたときに救ってもらった按摩さんが「焼けた砂浜を歩いて足を海に浸ける、また砂浜を歩いて海に浸ける、ちょっと間やってみなはれ、血が巡りまっせ、下駄履きがよろしいな」と勧めてくれた忠言に素直に従って、砂浜をしばらく歩いた時期がある。34の頃で、高校を辞めて大学の職を探しながら、あちこちで非常勤をやっていた時期である。明石市の中朝霧丘という優雅な地名の家のすぐ南が大倉海岸で、その砂浜を歩いた。
西の方角、明石の街が見える
南向き、対岸は淡路島である
それから木崎浜に行くようになって、たまに砂浜を歩くことがある。下駄ばきで行って、熱い砂浜を歩いて海に足を浸けることもある。按摩で救ってもらって、二年ほどで上が110、下が60の今の血圧に落ち着いた。「すべて血液とリンパの流れでんな、私の場合、ブルドーザーでがーっとと言う感じでっしゃろか」という按摩、とにかく痛かった。「体に異常がある場合」は特に痛かった。「脹脛の後ろはようなってもいつも痛いでんな」と言いながら、お構いなしに太い指を深くまで入れてくれた。一度卒倒したような気がする。しかし、血流が戻ると、半分ほどの白髪頭が黒髪に戻った。この前の研究室の写真(↓)は指を入れてもらい始めてから4~5年後のものである。宮崎に来てからも3ケ月に一度は、揉んでもらうために夜行列車か飛行機で行き来した。毎回2~3時間、痛さとの闘いだったが、そのうち脹脛以外はそう痛く感じなくなっていた。
その按摩さんを薦めてくれたのは、一時同居していた上の弟の奥さんで、看護師をしている時に人から噂を聞いたらしく、兄さんに薦めてみたらと弟に言ってくれたらしい。行ったとき、最初に足の甲を押さえて感触を確かめたあと血圧を測ってくれて「もう2か月ほどで、くも膜下でしたな、危なかったでっせ」と一言。神戸新開地の繁華街で30分程度の短いマッサージ(ショート)で数をこなしていたらしいが、一日にせいぜい6組くらいをじっくりとやりたいと神戸市の西隣の新興住宅に開業したと聞く。いつも予約は固定客で詰まっていた。その人も70にならずに、死んだ。通っていた人の体に指を入れて血やリンパの流れをよくは出来たが、自分の体は揉めなかったということだろう。宮崎で指を入れてくれる人を探してみたが見つからず諦めかけた頃にたまたま入った鍼灸院で、指を入れて揉んでくれませんかと言ったら、指を入れて揉んでくれた。大阪の繁華街でマッサージのショートで数をこなしていた人で、サーフィンをするために移住して来て開業したらしい。その人からいろいろサーフィンの話を教えてもらっている。木崎浜は上級者用、青島は初心者用の波が来るらしい。呑気に砂浜を歩いているときに見かけるサーファーは、上級者の人たちのようである。
2日の木崎浜
初心者向けの青島の砂浜、去年の11月頃?に撮影
次回は歩くコース4木崎浜4である。