2010年~の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の22回目で、2011年度に開催したシンポジウム『アフリカとエイズを語る』の報告、6回シリーズの1回目、についてです。

アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告(1)

天満氏によるポスター

→シンポジウム報告書『アフリカとエイズを語る』(作業中)

2011年11月26日に宮崎大学医学部で開催したシンポジウム「アフリカとエイズを語る―アフリカを遠いトコロと思っているあなたへ―」を何回かにわけてご報告したいと思います。(「『ナイスピープル』を理解するために」の解説として)

発表者は北海道足寄我妻病院の医師服部晃好(はっとりあきよし)氏と、宮崎大学の医学部6年生の天満雄一(てんまゆういち)氏、5年生の小澤萌(おざわもえ)さん、4年生の山下創(やましたそう)氏と私の5人で、「翻訳こぼれ話」を連載中の南部みゆきさんが司会進行役でした。(各自の写真はそれぞれの報告の時に掲載します。)

左から服部、山下、玉田、南部、天満、小澤の各氏

文部科学省科学研究費の交付を受けた「アフリカのエイズ問題改善策:医学と歴史、雑誌と小説から探る包括的アプローチ」(平成21年度~平成23年度)の成果を問うためのシンポジウムで、アフリカに滞在経験のある4人に協力を仰いでシンポジウムが実現しました。

天満氏の提案に私が加筆する形で、案内のポスターには「アフリカに滞在した経験のある5人が、アフリカを遠いトコロと思っているあなたに、生物学的、医学的一辺倒な見方ではなく、病気をもっと包括的に捉えて、アフリカとエイズを語ります。」と解説をつけました。

過去に連載した『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳も、解説「『ナイスピープル』を理解するために」も「生物学的、医学的一辺倒な見方ではなく、病気をもっと包括的に捉えて、」アフリカのエイズ問題を問い直そうと考えて書いたものです。きっかけはレイモンド・ダウニング氏の著書『その人たちはどう見ているのか?―アフリカのエイズ問題がどう伝えられ、どう捉えられて来たか―』を読んで心を動かされたからです。

ダウニング著『その人たちはどう見ているのか?』

ダウニング氏はアフリカでの生活の方が長く、日々エイズ患者と向き合っていたアメリカ人の医師です。欧米の抗HIV製剤一辺倒のエイズ対策には批判的で、病気を社会や歴史背景をも含む大きな枠組みの中で考えるべきだと主張しました。大半のメディアを所有する欧米の報道を鵜呑みにせずに、アフリカ人の声に耳を傾けるべきだと提言しています。その提言は、アフリカで長年医療に携わった経験に裏付けられたものだけに極めて示唆的でした。

アフリカ系アメリカ人の文学がきっかけでアフリカの歴史を追って30年近く、医科大学で医学にも目を向けるようになって20年余り、結論から言えば、アフリカのエイズ問題に根本的な改善策があるとは到底思えません。なぜなら、イギリス人歴史家バズゥル・デヴィドスン氏が指摘するように、根本的改善策には大幅な先進国の譲歩が必要ですが、現実には譲歩のかけらも見えないからです。しかし、学問に少しでも役割があるなら、大幅な先進国の譲歩を引き出せなくても、小幅でも先進国に意識改革を促すような提言を模索し続けることだと思います。僅かな希望でも、ないよりはいいのでしょうから。

バズゥル・デヴィドスン

アフリカ文学とエイズをテーマに「英語によるアフリカ文学が映し出すエイズ問題―文学と医学の狭間に見える人間のさが」(平成15年度~平成18年度)で科学研究費の交付を受けていますので、その延長でダウニング医師の提言に応えるべきだと考えて今回の科学研究費を申請しました。前回(2004年)は、(旧)宮崎医科大学の大学祭に便乗してシンポジウム「アフリカのエイズ問題-制度と文学」を開催しました。医学科の国際保健医療サークルの人たちや(旧)宮崎大学農学部獣医学科の学生といっしょに準備をして、四国学院大学のサイラス・ムアンギさんと医師の山本敏晴さんを招いていっしょに発表しました。

報告書「英語によるアフリカ文学が映し出すエイズ問題―文学と医学の狭間に見える人間のさが」

シンポジウムポスター

今回の発表は、服部晃好:「HIV/AIDSとアフリカ:東アフリカでの経験から考える」→玉田吉行:「アフリカと私:エイズを包括的に捉える」→山下創:「ウガンダ体験記:半年の生活で見えてきた影と光」→小澤萌:「ケニア体験記:国際協力とアフリカに憧れて」→天満雄一:「ザンビア体験記:実際に行って分かること」の順で行ないました。

次回は最初の発表(服部晃好:「HIV/AIDSとアフリカ:東アフリカでの経験から考える」)のご報告をしたいと思います。

出席者は少なかったのですが、毎日新聞の石田宗久記者が来て下さり、翌日の新聞に報告記事を掲載して下さいました。後ほどご紹介したいと思います。

石田記者

毎日新聞の報告記事

『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』(No. 5[2008年12月10日)~No. 34(2011年6月10日)までの30回連載]は「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(→「玉田吉行の『ナイスピープル』」、解説(1)~(21)は「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(→「玉田吉行の『ナイスピープル』を理解するために」=どちらも元は「小島けい絵のブログ」)にまとめてあります。(宮崎大学医学部教員)

執筆年

2012年2月10日

収録・公開

「モンド通信 No. 42」

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(作業中)

2010年~の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の21回目で、「ニューアフリカン」:エイズの起源(4)米国産の人工生物兵器としてのウィルス、についてです。

アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

『ニューアフリカン』:エイズの起源(4)米国産の人工生物兵器としてのウィルス

雑誌「ニューアフリカン」

今回は「エイズの起源」の4回シリーズの最終回で、「米国産の人工生物兵器としてのウィルス」についてです。

編集長のバッフォ・アンコマーは「ニューアフリカン」で早くからエイズが人工的に生み出された病気だと主張して来ました。信頼のおける科学者に依頼してその根拠を示し、判断は読者に委ねました。原稿を依頼された一人が米国の皮膚科医でエイズと癌の研究者アラン・キャントウェルJrです。キャントウェルは、男性同性愛者に接種されたB型肝炎ワクチンの影響でエイズ患者が生まれ、HIVは癌研究を隠れ蓑に米国政府が継続した生物兵器の開発実験の過程で生み出された人工ウィルスである疑いが濃いと結論づけています。

バッフォ・アンコマー

1978年11月にニューヨーク市で男性同性愛者にB型肝炎ワクチンの接種実験が行なわれたすぐ後に、エイズ患者が大量に出始めたのは事実です。接種実験を実施したのはポーランド系ユダヤ人医師のウォルフ・シュムーニス(Volf Szmuness)で、第二次大戦中、政治犯としてシベリアに連れて行かれた人物です。戦後釈放され、中央ロシアで医学部に入り、1959年にはポーランドへの帰国許可が出て、公衆衛生を専門に肝炎の専門家になりました。1968年に家族でニューヨークに亡命し、1968年にニューヨーク市血液センターに技師として採用されたのち、コロンビア大学に招かれ肝炎の世界的な権威になっています。

性の解放が叫ばれた1970年代初期には男性同性愛者の間で性感染症、特にB型肝炎が急速に拡大して当局の懸念が大きくなり、シュムーニスが開発中のワクチンが実験的に接種されたわけです。シュムーニスは治験の対象に高学歴の白人で、性的に活動的な男性同性愛者を選びました。治療費などで優遇しましたので、志願者を難なく集め、CDC(米国疾病予防管理センター)、NIH(米国国立衛生研究所)や大手の製薬会社の協力を得て治験を実施しました。1978年の11月にマンハッタンのニューヨーク市血液センターで第一グループの1083人にワクチンが接種され、翌年の10月まで治験が続きました。96%の成功率を収めましたが、3ヶ月後の一月に若い白人の男性同性愛者が原因不明の病気になりました。1980年の3月には、CDCの監督の下に、サンフランシスコ、デンバー、セントルイス、シカゴで1402人へのワクチン接種が継続され、その秋にサンフランシスコで最初のエイズ患者が出ました。

CDC(「エイズの時代(3)カクテル療法の登場」、2006年12月20日NHKBS1)

アフリカ人やアメリカの同性愛者のHIV感染源としてワクチン接種に最初に注目したのは米国人医師ロバート・ストレクターで、「エイズは実験室のウィルスを遺伝子操作して造られた病気で、そのウィルスが故意に、或いはたぶん偶発的に、世界の人口を制御するための殺人因子として人間集団に注入された」と指摘しました。政府の遺伝子組み換えによる超強力細菌兵器開発計画疑惑については、前号の<20>→「『ナイスピープル』を理解するために―(20)『ニューアフリカン』:エイズの起源(3)アフリカの霊長類がウィルスの起源」「モンド通信 No. 40」、2011年12月10日)で、「遺伝子操作で、細菌に対して免疫機構が働かなくなる、極めて効果的な殺人因子となる超強力細菌の開発は可能である」と1969年に医師ドナルド・マッカーサーが国会で証言したこと、国立癌研究所が生物兵器開発研究の批判をかわすために1971年に大統領ニクソンが米国陸軍生物兵器研究班の主要な部分を移した施設であったこと、アフリカ起源説を主張するギャロやエセックスが学問的に重大な間違いをおかしたにもかかわらず政府や製薬会社やマスコミに守られたことなどについて書きました。シュムーニスによる男性同性愛者へのB型肝炎ワクチンの接種実験がCDCやNIHや製薬会社と連携した癌研究の一環であり、1971年以来癌研究を隠れ蓑に生物兵器の研究が続けられたことを考えれば、HIVが人工的に米国政府に造られたウィルスであるという主張は空論ではありません。(キャントウェルは、後に政府によって公開された情報から、1940年代の冷戦時代の初めから70年代まで政府が秘密裏に行なった放射能実験が著名な大学で実施され、非常に高い評価を受けている医者や科学者が研究に関わっていた事実が明るみに出たこと、犠牲者がしばしば貧乏人や病気の人、恐らくはアフリカ系アメリカ人やいわゆる「アメリカインディアン」に多いことから推測すれば、エイズについてもその可能性は極めて高いと指摘しています。)

製薬会社や政府と密接な関係にあり、資金提供も得ている主流派は「米国産の人工生物兵器としてのウィルス」を「陰謀説」と切り捨てますが、資金獲得のためには製薬会社はもちろんのこと研究者やNGO、国連さえもエイズ患者やHIV感染者のデータを水増しして利用して来た、などの根本にも関わる政治的な思惑や経済的な絡みなど、これまでの歴史的な経緯を総合的に判断すると、HIVが米国で人工的に作られたウィルスである可能性は高いと言わざるを得ません。

製薬会社(「エイズの時代)

次回からは、11月に宮崎で行なったシンポジウム「アフリカとエイズを語る」についての報告記事をシリーズ(「ナイスピープルを理解していただく為に」)でお伝えしたいと思います。(宮崎大学医学部教員)

執筆年

  2011年12月10日

収録・公開

  →「モンド通信 No. 40」

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  (作業中)

2010年~の執筆物

概要エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の200回目で、『ニューアフリカン』:エイズの起源(3)アフリカの霊長類がウィルスの起源です。

アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

「ニューアフリカン」:エイズの起源(3)アフリカの霊長類がウィルスの起源

雑誌「ニューアフリカン」

今回は「アフリカの猿の仲間、霊長類がウィルスの起源である」という「先進国」での通説に対する「ニューアフリカン」で展開された反論について書きたいと思います。エイズのアフリカ起源説についての4回シリーズの3回目です。

早くから「ニューアフリカン」は「アフリカ人の性のあり方」、「アフリカの猿の仲間がウィルスの起源」、「米国産の人工生物兵器としてのウィルス」の3点を軸に、「先進国」の通説に対して反論を展開して来ました。

アフリカ起源説もミドリザル説も政府や製薬会社やマスコミとの関わりが強く、論証に使ったウィルスも信憑性が薄く、説を唱える人たちが学問的に重大な間違いをおかしてきている、などが反論の中心です。

1984年、世界的にもエイズ研究者として知られ、国立癌研究所でエイズウィルスを発見したと主張していたロバート・ギャロは、エイズのアフリカ起源説を言い出しました。(ギャロは著書の中で、ジャーナリストのアン・フェットナーから、中央アフリカでの経験と観察に基づき、エイズの起源がヴィクトリア湖の近くで、ウィルスがアフリカの猿から来ていると話しているのを聞いたと書いています。)国立癌研究所は、生物兵器開発研究の批判をかわすために1971年に大統領ロバート・ニクソンが米国陸軍生物兵器研究班の主要な部分を移した施設です。ギャロの意見は一般に学会やメディアでは歓迎されました。当時、ギャロはパリのパスツール研究所からウィルスを盗んだと告訴されて係争中でしたが、評価は下がるどころか、1983年にウィルスの共同発見者の権利と血液検査機器の使用料を分け合うことで合意し、1994年までに使用料だけでも35万ドルの利益を得たと言われています。

パスツール研究所

ギャロのアフリカ起源説を押し進めたのがハーバード大学のエイズ研究者・獣医師マックス・エセックスで、1988年にアフリカのミドリザルで二つ目のエイズウィルスを発見したと発表して評判になりました。そのウィルスは後に、マサチューセッツ州のニューイングランド霊長類研究所でエイズに似たウィルスから感染した「汚染」ウィルスだったことが判明しました。(エセックスが最初のエイズに似たウィルスを発見したのは中央アフリカのミドリザルからではなく、東南アジア、日本、北アフリカに分布するオナガザル科のマカクという猿からだとも報告されました。)後に、HIVと猿のウィルスが余りにも違うためにミドリザル起源説自体が否定され、本人も間違いを認めざるを得ませんでした。(ギャロも1975年に新しい人間のエイズウィルスを発見したと発表しましたが、後に自分の研究所の猿のウィルスだったことがわかりました。)元々推論の域を出ないウィルスの起源に意味があるとも思えませんが、1988年には、パスツール研究所の所長リュック・モンタニエも、当時世界保健機構のエイズ特別プログラムの委員長だったジョナサン・マンも、色々な説による情報が出れば出るほど、ウィルスの起源については謎が深まるばかりであると認めざるを得ませんでした。

ジョナサン・マン

1999年2月、今度はチンパンジー説です。米国バーミンガム市のアラバマ州立大学のウィルス学者ビートリス・ハーンが率いるチームがシカゴのレトロウィルスと日和見感染の年次学会で発表したものです。後にマリリンと名付けられるチンパンジーは、1995年にアフリカで(国名は不明)捕まえられ、生涯の大半を米国陸軍の研究施設で過ごし、死後、遺体はメリーランド州のフォート・デトリックにある国立癌研究所(先述の1971年に米国陸軍生物兵器研究班の主要な部分が移された施設です。)に送られました。「ニューアフリカン」の編集長アンコマーは「エイズは本当にアフリカが起源だったのか?」(1999年4月号)でチンパンジー説の一貫性のなさを指摘し、次のように締めくくっています。

バッフォ・アンコマー

「つまり、アフリカがエイズの起源だとしてアフリカにエイズの責任を転嫁するための、また別の『政治的な』証拠に2月の発表が使われていると考えて、私たちは気持ち安らかに眠りにつけるというわけです。」

研究者の意図が「純粋に」科学的であっても、深く文化や政治の影響を受けていても、科学者の意図とは関わりなく、多くのアフリカ人は研究の結果でエイズの責任をおしつけられていると感じるわけですから、欧米や日本の人にはアフリカのエイズの起源の問題は、アフリカとアフリカのエイズ問題を理解する上での小さくはない手掛かりだと思います。

次回は4回シリーズの最終回で、「米国産の人工生物兵器としてのウィルス」について書きたいと思います。(宮崎大学医学部教員)

執筆年

2011年12月10日

収録・公開

「モンド通信 No. 40」

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→(作業中)

2010年~の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の19回目で、「ニューアフリカン」:エイズの起源(2)アフリカ人の性のあり方についてです。

アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

「ニューアフリカン」:エイズの起源(2)アフリカ人の性のあり方

雑誌「ニューアフリカン」

エイズの起源についての4回シリーズの2回目です。

前回の<18>→「『ナイスピープル』を理解するために―(18)『ニューアフリカン』:エイズの起源(1)アフリカ人にとっての起源の問題」「モンド通信 No. 38」、2011年10月10日)でも書きましたが、エイズのアフリカ起源説にこだわるのは、「アフリカ人が性にふしだらである」と思い込んでいる人たちです。欧米では主に男性同性愛者と麻薬常用者の間で、アフリカでは異性間で感染が拡大していましたし、アフリカでは欧米よりもかなりの速さで広がっていましたから、両者の流行の違いを説明するのに「アフリカ人は性にふしだら」が好都合だったのでしょう。つまり、「性にふしだらなアフリカ人」がコンドームもつけないで「過度なセックスをして」急激に感染を拡大した、アフリカでの爆発的なエイズ感染の拡大の責任はアフリカ人にある、というわけです。

アフリカの歴史を研究する米国人チャールズ・ゲシェクター(Charles Geshekter)は「ニューアフリカン」の1994年10月号の「エイズと、性的にアフリカ人がふしだらだという神話」(”Aids and the myth of African sexual promiscuity”)の中で、日本の学者塩川優一を「アフリカ人が性にふしだらであると思い込んでいる人たち」の典型として冒頭に取り上げています。
塩川優一は1994年8月に横浜で行われた第10回国際エイズ会議の組織委員長で、会議で「アフリカ人が性的欲望を抑制しさえすれば、アフリカのエイズの流行は抑えられます。」と発言しています。(東京帝国大学医学部卒、当時順天堂大学教授で厚生省お抱えの学者、厚生省エイズサーベイランス委員会委員長をつとめ、薬害エイズ事件では第1号患者の認定をめぐって批判された人物です。)(「(1)アフリカ人にとっての起源の問題」に書きましたが、ゲシェクターは主流派の言う「HIV/エイズ否認主義者」の一人で、1994年にエイズ会議を主催して主流派を学問的にやりこめました。ムベキの大統領諮問会議にも招聘され、「ニューアフリカン」でも執筆しています。しかし、政府も製薬会社も体制派もマスコミ(資金源は体制派)もこぞってその会議を黙殺しました。)

チャールズ・ゲシェクター

ゲシェクターは欧米のアフリカ人に対する偏見は別に目新しいものではなく、植民地時代の初期にヨーロッパの探検家が持ち帰り、自分たちの植民地政策を正当化するために思想家や知識人が協力して作り上げた神話であると指摘しています。日本でも、すでに1983年にNHKで、英国の歴史家バズゥル・デヴィソスンが編集したアフリカシリーズ(8回)の中でも紹介されています。イギリス人探険家リチャード・バートンが言った「黒人の研究は、未発達の精神の研究にほかならない。黒人は文明人に近づこうとしている野蛮人、というより文明人が退化したもののように見える。無知蒙曚、大人になり切れず堕落する、幼稚な人種に属しているらしい。」、探険家サミュエル・ベイカーが言った「アフリカの未開人の人間性は、非常に未熟で、まさに野獣同然、ただ貧欲で恩知らずで自分本位なだけだ。」、ドイツ人哲学者フリードリッヒ・ヘーゲルが言った「アフリカは幼児の土地である。自我の意識に照らしだされた、歴史のない、夜の闇に閉ざされた土地である。歴史とは無縁の土地なのである。」などです。「第1回、最初の光り、ナイルの谷」

アフリカシリーズ

植民地時代に探検家が持ち帰った神話としては「異常に大きな陰核のゆえに性的に飽くことを知らない黒人女性と性の饗宴にふける黒人男性の話」などが有名ですが、今回は、「猿の血を媚薬として切り傷に擦り込んだザイール人の話」、「潰瘍のある性器の苦情が広まっている話」、「売春婦からHIVをもらい、自分の妻にうつしているアフリカのトラックの運転手の都市伝説」など、範囲が広がり、新たに「割礼や一夫多妻制などのアフリカの伝統的な習慣が流行に拍車をかけている」という神話まで付け加えられました。市場拡大を目論む製薬会社にも、「開発」や「援助」の名目で利益を貪る多国籍企業や政府にも、貿易や投資で生活が潤う先進国の人にも、今も「神話」は不可欠なのでしょう。

ゲシェクターはいくつかの根拠をあげて「神話」に反論しています。

「過度の性行為」については「エイズ地帯のルワンダ、ウガンダ、ザイール、ケニア人々がカメルーン、コンゴ、チャドの人たちより性的に活動的だと証明した人もいないし、精力を計る基準の男性ホルモン(テストステロン)の値は世界中どこでもそう大差はないので、ある大陸や地域の男性が他の所の男性より過度に性行為にふけるということはないという概念を忘れてしまっている。」と科学者の一方的な主張を戒めています。

「アフリカ人が性にふしだらである」については、1991年のウガンダ北部モヨ地区の性行動の調査を引用して、性行動が西洋人と大して違わないと指摘しています。調査の結果は、女性の初体験は女性が平均17歳、男性が19歳、結婚前の性体験は女性で18%、男性で50%でした。

割礼については、女性の間でもっとも広く割礼が行われているソマリア、エチオピア、ジプチ、スーダンでエイズ患者が一番少ない事実を科学者が無視していると指摘し、そもそも公の場で性的な感情を表わすのが女性の「資質」を貶めると考える地域と、ボーイフレンド、ガールフレンドが当たり前の西洋を同じ基準で論じること自体がおかしいと述べています。

トラックの運転手についても、性的な行動面から見てアフリカ人の運転手はアメリカやヨーロッパの運転手と大差はなく、東アフリカのトラックの運転手だけを非難するのは片手落ちであると指摘しています。

エイズのアフリカ起源説については、アフリカ人と欧米人・日本人との捉え方が違うと書きましたが、現在の悲惨な状況を作り出した張本人の欧米や日本の人たちから「アフリカ人が性にふしだらである」とか「アフリカ人が性的欲望を抑制しさえすれば、アフリカのエイズの流行は抑えられす。」などと、根拠のない言いがかりをつけられているわけですから、欧米人や日本人がエイズ流行の責任をアフリカに押しつけようとしているとアフリカ人が憤りを感じるのも当然でしょう。

次回は「エイズの起源(3)「アフリカの霊長類がウィルスの起源」について書きたいと思います。(宮崎大学医学部教員)

出芽するHIV

執筆年

2011年11月10日

収録・公開

「モンド通信 No. 39」

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→(作業中)