つれづれに

つれづれに:青島→白浜

 →「白浜に」(↑)

「白浜に2」(↑)

「青島と少年」(↑)

の続きである。「今日も白浜に手入れをしてもらいに行って来ました」と1回で短く書くつもりが、4回になるとは思わなかった。たぶん、「白浜」の最終回である。

白浜の鍼灸整骨院を見つけたのは偶然である。宮崎は利用できる温泉が多い。今の家に引っ越しをしてからは、青島の温泉に出かけることが多かった。ただ、ときたま知り合いと出くわすことがあって、その確率の低い温泉を探して、少し南の白浜のホテルサンクマールに行くようになっていた。

白浜から見たサンクマール、今回撮った写真である

 サンクマールでは、夜勤明けの卒業生といっしょになったことが1度あったが、誰も合わなくて済むし、2階の大浴場から一望できる日向灘も素敵だったし、サウナも人が少なくて快適だった。ただ、湯の温度が下がり、かなりぬるくなってからは行かなくなった。湯がぬるくなるのが、鍼灸整骨院を見つけた後だったのは幸運だった。

ホテル正面玄関

 いつものようにサンクマールの湯に浸かって自転車で帰っていると、左手に鍼灸整骨院の看板が目に入った。何度も通っていたので気がついてもいい筈だったが、そのとき目にしたのが初めてだった。無理が祟って→「体の悲鳴」を感じたとき、たまたま弟に薦められたマッサージ屋さんに出かけて→「手入れ」をしてもらって、また普段の生活が出来るようになった。明石からバスで通った。気がつけば、30代で半分が白髪だった頭も元に戻っていた。そのあと、宮崎の話が決まったので、それからは2ケ月に1度くらいの割合で、飛行機でその人に手入れをしてもらうために通っていた。しかし、その人が60代で亡くなってしまった。そのあと、揉んでもらえるところを探したが、指まで入れてしっかり揉んでくれる人は見つからなかった。有名な野球選手も来たことがあると宣伝するスポーツマッサージの店にも行ってみたが、表面をなぜるだけだった。唯一、有名な渋谷の交差点の近くの人が指までいれて揉んでくれたが、東京は距離があり過ぎた。たまに出張したときに世話にはなったが、その間も、通える範囲で何とかいい人が見つかればと探していた。看板を見つけたとき、さほど期待をしてはいなかったが、一度揉んでもらうことにした。

「指まで入れて揉んでもらえますか?」

言ったのはそれだけだったが、きっちりと筋肉の間に指を入れて揉んでもらえた。奇跡の出遭いのように感じた。その後、2週間に一度の割合で通うようになった。揉んでもらったあとは、近くのサンクマールで温泉に浸かった。湯がぬるくなったあとは、旧パームビーチホテルの温泉に寄るようになった。コロナ騒動が始まってからは温泉には行けずじまいだが。

 鍼灸整骨院の前の浜が白浜である。他よりも白いから白浜と呼ばれているが、今は砂浜の砂がそう多くないし、叢(くさむら)や流れて来た枯れ木などで砂の見える部分が少ない(↓)ので、白浜だと実感するのが難しいほどである。海水浴場の海開きの前には、ブルドーザーで砂の移動をさせている。青島から少し離れているせいもあってか、海水浴客は例年そう多くない。地元の人が仕切っているらしいが、採算が取れているのか心配になるほどである。最近は週に1度手入れをしてもらっている。原稿で稼げるようになれば、もう少し頻繁に通うかも知れない。それだけ歳を取って、恢復力が劣って行くということだろう。しかし、揉んでもらえる人に出遭えたことに感謝したい。

今日は8時台に雨が降り始めた。そう多くはないが、これで今日も水遣りをしなくて済む。ほんとうに恵みの雨である。こういう風に水を撒く手間を省いてくれる程度ならいいが、そのうち外に出てはいけないほどの雨風ややってくる。すでに先日も台湾や沖縄が台風にやられたという報道があった。雨のために出るのが遅くなったが、10時台にまた歩きに出た。今日も木花神社→農産物店→木花駅→木花小中学校脇を歩いて来た。1時間余りである。今日も2箇所でどくだみを摘んできた。汗もかけたし、風呂に浮かべて汗を流すとしよう。

 砂の多い部分を探して取った

同じ日に撮った青島の砂浜のこの写真と比べると白っぽい気がするが‥‥

つれづれに

青島と少年

 7月も24日になった。今回の月末の締め切りまで、あと8日になった。あと5回原稿のチェックをと考えてからだいぶ日が経つのにまだ1回目が終わっていない。予定通り行かないものである。食べることと眠ることと歩くことに毎日精一杯である。→「暑中」(今年は小暑の初め7月7日~大暑の終わり8月6日)の暑さも先が見えてきた。もうすぐ、少なくとも朝晩は凌(しの)ぎやすくなるだろう。あと一息である。さっき雷が轟いて、直後に雨が降り出した。すでに青空が見えてきたが、これで水遣りをしなくて済む。恵みの雨である。

青島では4種類の写真を撮った。1つ目は花嫁が写真を撮ってもらっていた青島の砂浜(→「白浜に2」)、2つ目は砂浜から青島神社への参道(↓)、3つ目は旧道(→「白浜に」)から青島神社への参道の途中の店や植物園が集まっている通り、4つ目は「青島と少年」を撮った辺りである。折角それぞれ何枚か撮って来たのに、カメラからパソコンに移す際に、どうも2つ目と3つ目の写真を消してしまったようである。従って、比較する写真がない。以前に撮った写真しか載せられない。

 コロナ騒動の前で比較的観光客が多かった時に撮った写真(↑)である。この頃はまだ、油津からの大型観光国際船の中国人をたくさん運んで来ている時期で、時折集団で移動する姿をみかけた。晴れていて、空気も澄んで明るかった。

 3つ目は旧道からの参道(↑)で、角の土産物屋が改装した時に撮った。宮交系列と知って「こんな大きい土産物屋を作ったら、他の店屋どうなるんやろ?」と思ったのである。しかし、屋号を見て、前からあった店を新装しているだけと知った。全体に、だいぶ観光客も戻ったようである。

4つ目は「青島と少年」の元の写真を撮った場所探しである。歩いている砂浜の右手が鬼の洗濯岩、左端に叢(くさむら)、その奥に燈台、それだけあればすぐに見つかるだろうと軽く考えていたが、結局同じ位置で撮れなかった。来週場所を特定できるように絵を印刷した。

この写真を撮ってからもう30年以上になるので、砂浜の地形が変わった可能性もある。何個所かで写真をしつこく撮っていたら、浜辺で遊んでいた高校生の女性2人に怪訝(けげん)な顔をされてしまった。一人と目があって挨拶をしたとき「怪しいものやないで」と目で合図を送って微笑んだら、微笑み返してくれた。辛うじて撮れたのが、やっと下の写真である。何ともはかなげな記憶の曖昧さよ。

つれづれに

つれづれに:青島

 今日もまた歩けた。朝ごはんを済ませてから、公園→木花神社→農産物店→量販店→木花駅→小学校と中学校横の道を歩いた。1時間余りである。一昨日は白浜に自転車で行ったので、昨日一日は体を休めて、陽が落ちてから畑に出た。生ごみを埋めて、大きくなり過ぎた胡瓜(きゅうり)の実を落として埋めた。食べごろの胡瓜と茄子(なす)を採った。それと葱(ねぎ)である。この時期まで虫にやられないで残っているのは奇跡である。初めての経験だった。半分ほど剪定鋏(せんていばさみ)で茎をある程度残して切った。まだ半分ほどが残っているので、今日も作業が出来ればいいんだが‥‥。暑中に外にでられなくて、丸鞘(さや)オクラが大きくなり過ぎていた。半分は固くて、包丁が入らなかった。惜しいことをしたが、外に出るのが躊躇(ためら)われるほど→「暑中」の勢いが凄(すご)いということだろう。今年の暑中は、小暑(7月7日~22日)と大暑(23日~8月6日)を合わせた期間である。今はその期間中なので「暑中お見舞い申し上げます」ということだろう。

丸鞘オクラはすべて去年の種から苗を作り植え替えたものなので、例年より収穫が遅い。普通サイズのオクラの苗は出回るが、丸鞘オクラの苗はどこにも売られてない。今年も大きくなり過ぎたオクラから種を取って大事に取っておこう。

 木花神社の戦没者の忠魂碑裏の空き地で明日の分のどくだみを20本ほど摘んだ。それから車を避けて小道を通り、農産物店に行った。山芋とレタスと大根を買った。今の時期、野菜の値段が上がっている。葱は倍以上している。昨日上部を切った根の部分は、植え替えておこう。そうすれば、1~2週間すれば食べられる。ただし、暑中に水をやり、希釈した酢を丹念に撒(ま)けるかどうかである。

いつもは木花駅経由で戻るのだが、今日はスポーツドリンクを持って来ていないのに気がついて、冷やしてないのを買うために量販店に寄った。昔は運動するときに水を飲むなと言われていたようだが、炎天下給水しないのは今から思うと恐ろしいことである。その点、今はスポーツドリンクもよく出来ている。量販店に行く途中に、この前の空き地(↓)で明後日分のどくだみを採った。

 今日は小学校と中学校の途中の道路脇で、えのころぐさ(↓)を見つけて摘んだ。白浜の帰りに稲田の脇で摘んでいたが、今日はコンクリートの隙間の土の部分から咲いている分を摘んだ。今の時期、家に生ける花を見るけるのは難しい。ひめゆりを採って飾ったが、花粉がTシャツに着くと洗っても取れないのを忘れていた。3枚やられた。妻はおでこについた赤い花粉を鏡で見て「帯状疱疹?」と一瞬慌(あわ)てたそうだ。最近ご近所の夫婦がそろって帯状疱疹にやられて大変だったという話を聞いた矢先だったからだろう。

 →「白浜に」と→「白浜に2」の続きである。青島への旧道からの脇道と加江田川の河口と曽山寺浜の橋の写真の他に、青島の写真を何枚か撮ろうと思ってカメラを持って行った。以前撮った写真と比べてみたかったからである。

曽山寺浜の橋を過ぎると右手にホテルが見える。今は長い名前になっているが、宮崎に来た頃はパームビーチホテルと呼ばれていた。その名前が気に入っているので、まだその名前を使っている。そのホテルの先から青島の砂浜で、冬に通ったときに、浜に下りて白いドレスを着た花嫁(↓)の写真を撮っていた。遠くて顔も見えなかったが「そう言や、風の強い日に息子と彼女も同じように写真を撮ってたなあ」と思いながら、シャッターを切ったのである。

 その時はコロナ騒ぎで、青島海岸や神社の周りでも人影はほとんどなかった。下は白浜に行く時に取った写真である。サーファーがちらほら見える。

 海開きも済んで、海水浴場(↓)にも少し人がいた。土日は賑(にぎ)わうのかもしれない。油津から観光船の中国人観光者がどっと押しかけることはなくなったようだが、だいぶ観光客は戻っているようである。

 今は青島にも近いので生活圏内の感じがするが、宮崎に来た当初は宮崎神宮より北側の借家に住んでいたので、青島は生活圏外だった。それでも家族4人で、何回か出かけている。たぶん宮崎に来て2年か3年か経った頃に出かけた時に撮った写真を元に妻が絵(↓)を描いて、個展に出した。その場所を見つけ出して、写真を撮るつもりだった。しかし、難航した。三十数年も経つと、記憶が実に曖昧である。次回はその絵についてである。

つれづれに

つれづれに:白浜に2

 →「白浜に」 の続きである。今日も昨日と同じように曇りの天気のようだ。おそらく曽山寺浜の橋(↑)もぼんやりと霞んでいそうである。青島への旧道から左に入った脇道で見つけたどくだみの群生の北側の写真が「総合運動公園から続く木崎浜ー曽山寺浜を繋ぐ橋」(↓)である。写真が小さいので確認できないが、中級や上級のサーファーたちにとっては今の時期に見つかる唯一のサーフィンスポットだそうである。この時は15人ほどが波に乗っていた。この時期はどこも波が立たないそうだが、川の河口だけが何とか波が来るらしい。流されて来た土砂で浅瀬が出来る加減らしい。青島でもサーファーを見かけるが、少し沖に波を消すためのコンクリートが埋めてあるので、乗れる波がほとんど来ないという話だった。従って、初心者にはうってうけだというわけである。サーフィンの教室をやっている人たちにも、たまに来る辛うじて乗れる波に挑戦するように文字通り背中を後押しするのにはちょうどいいそうである。体を揉んで手入れをしてもらっている人が筋金入りのサーファーで、コロナ騒動の期間に、一番よくじかに話をしたのがその人だったこともあって、他の人よりサーフィンについては詳しくなった。もちろん、波に乗ったことはない。その人がゴルフを始めて最近かなり腕をあげたお陰で、ゴルフにも少しだけ詳しくなった。それで木崎浜や曽山寺浜や青島の海岸線を自転車で行くときは、いつもサーファーに目が行くようになった。加江田川の河口には明け方は30名も40名も犇(ひし)めいて、波を取り合っているらしい。この日もサーファーを目では確認できたが、残念ながら写真(↓)ではうまく撮れなかった。橋の下から撮った写真に辛うじて人影が見える程度だった。

総合運動公園から続く木崎浜ー曽山寺浜を繋ぐ橋の南側から

木崎浜ー曽山寺浜を繋ぐ橋の下側から

曽山寺浜の橋の上から曽山寺浜と木崎浜を望む、右端はシーガイヤ

 最後の写真の上部左側に写っているのが木崎浜で、下のがその浜から撮った写真(↓)である。いい波が来るそうで、中級者や上級者向けらしい。うまく波に乗っている姿もよく見かける。大きな大会が行われるときは、競技が行われている浜辺は歩けない。一度ガードマンに止められたことがある。最近は砂浜を歩いていないが、砂浜が焼けて熱い頃に一時砂浜を歩いて海水に浸けるのを繰り返すために通ったことがある。「血のめぐりをよくするためにやってみなはれ」とマッサージで危機から救ってもらった人(→「体の悲鳴」、→「手入れ」)に薦められて、→「中朝霧丘」の家の近くの大蔵海岸(↓)でやったことがある。

 家から自転車を来て、歩けるのはせいぜい30分ほどだが。その帰りに、工事の時に砂の中に捨てて行った砂利を集めて洗い、持って帰った。家の周りの通路に敷くためである。なかなか思い重労働だ。木崎浜の北の橋が清武川の河口だ。そこも浅瀬になっていい波が来るらしいが、駐車するスペースがないので、人は行かないようである。

清武川の南側の堤防の上から

木崎浜のスポットへ行く手前のこの場所しか駐車のスペースがない

 昨日白浜に行って片道1時間足らず自転車に乗っていたので、今日は歩けても陽が高いうちには行けない。足が重く、すぐには恢復しないからである。九州まで2度、中国山脈を1度越えた時は、ずっと自転車に乗りっぱなしで、サドルと擦れて鼠径部が痛くなるので、立ってこぐようにしていた。今は「長時間座った状態でこぐと、鼠径部の血の巡りが悪くなるかも知れませんね」と揉んでもらっている時に助言をもらって、立ってこぐようにしている。

「タマさんが立ちこぎもせずに、木花キャンパスの坂を登っているのを車の中から見ましたが、すごいですね」と今は医者になっている女性から言われたことがある。

「今も立ってこいでますが、すごくないんですけど‥‥」

「白浜に」がまた終わらなかった。

冬の晴れた日の曽山寺橋の上から青島を望む