つれづれに

つれづれに:畑を始め‥‥

家の近くの百日紅(さるすべり)

 畑を始め‥‥ようと、蚊取り線香を6つ用意して、溜まった生ごみを持って外に出て、東の端の胡瓜(きゅうり)と茄子(なす)を片づけて、蔓(つる)を登らせるために立てていた竹を片づけ始めたら、急に暗くなって突然大粒の雨が降り出した。こりゃだめだ、と糞切りがついて作業を切り上げて入って来た。荒れ放題の畑で、絹莢(さや)豌豆(えんどう)の畝(うね)と大根の畝をつくる予定の場所(↓)である。

 今年は9月の初めに畑を再開したが、去年は十月の半ば(→「畑も始めたが」、2022年10月19日)だった。作業もし易い10月の半ばに蒔(ま)いたレタスと葱(ねぎ)2袋ずつがほとんど芽を出し、植え替えたら、野菜スープに使うために冷凍している葉っぱはまだ残っているし、刻んで冷凍して置いた葱もつい先日までもった。今年も来年用までつくっておくとしよう。大根の芽が出た頃に、去年は近くの家の白い猫が畝をトイレ代わりに使っていた。

 一昨年はわりと早い時期に(→「大根の芽も」、2021年9月6日)ブロッコリーの種を蒔いている。この年は、最後の苗まで植え替えて、大きいのがたくさん生った。

 2020年はこの頃の記述はなく、2019年は十月(→「2019年の後期が始まりました。」、2019年10月8日)に入ってからだ。早めに蒔(ま)いた大根の芽が虫に見事にやられている。授業が始まって1週間くらいのことで、後期の準備で畑に出る時間も少なく、希釈した酢も撒(ま)けなったということである。

2018年の記述はなく、2017年は9月1日(→「9月になりました。……」、2017年9月1日)に「つれづれに」を更新している。

蚊の大群にやられる覚悟で、陽射しの強い畑に出る勇気が持てず、一面のかぼちゃ畑にしたものの、葉っぱばかりが生い茂り、肝心のかぼちゃの収穫は、大きなのが一つ。
 元々荒れ地にでも出来るかぼちゃ、肥料をやったのがいけなかったのか。そろそろレタスや大根の下準備もしないといけなし、と、かぼちゃの葉っぱを切り始めることに。十月になってまた授業が始まると、畑をする余裕も、たぶんなくなりそうなので。

 生い茂る葉の中に、かぼちゃがぶらり    我鬼子

とあるところを見ると、授業にだいぶ時間を取られていたようである。

授業が終わる前から始めて一月半、ようやく8クラス、七百数十人の成績が終わり、しばらくぼーっとしてたら、九月になってしまいました。

教養の大きなクラスの成績にかなりの時間を取られていた時期である。

「久し振りの更新です。」(2016年9月28日)が示すように、あまり「つれづれに」も書けなかった。この頃はまだホームページなので写真はなく、文字が並んでいるばかりだった。

「彼岸花が咲き出しました。」(2015年9月10日)は定年退職の年で、→「サーバーが復旧しました。」(2014年10月6日)、→「猛烈な暑さも和らいで少し秋らしくなって来ました。」(2013年9月18日)→「1日が始まるのだろう、」(2012年10月3日)、→「お彼岸花が」(2010年10月14日)、→「通草に吾亦紅、」(2009年10月25日)、→「肌寒き朝、飯田高原にいる」(2008年10月15日)は、海外実習でタイやアメリカと学生交換をやっていた頃で、外部資金や全学や学部から常に予算が出ていたので、国内の医者や提携校の臨床医に来てもらったケーススタディなどを休みごとにやってもらっていた。来た人の接待は自腹で、時間もお金もかかって大変だった。卒業生に来てもらえたのは有難かった。卒業生で、コロナでテレビに露出した研究者を何回か誘ったが、大学によほど嫌な思いしかなかったのか、来てもらえなかった。

農産物店を開いた人が会社の前に育てている黄色いハイビスカス、今年も咲いている

つれづれに

つれづれに:9月になって

「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬~」9月<サルーキー犬と子犬と猫>(サントリーニ島)

 9月になった。旧暦の立秋の期間(8月7日~22日)が過ぎ、23日には処暑(しょしょ)の期間が始まっているが、今年は次から次に台風が発生するので、まだ雨が多く、蒸し暑いままである。「厳しい暑さの峠を越し、朝夕には涼しい風が吹き、心地よい虫の声が聞こえてくる」処暑の期間とは言い難い。

今日から土日と雨は降らないようなので、明日と明後日は意を決して荒れ放題の庭の畑に出ようという気になっている。先ずは、東の方の畝(うね)と畝の間の通路に大根の畝を拵(こしら)えて、去年採った種を蒔(ま)くとしよう。通路には生ごみや雑草を埋めたので、その上に何層か肥料を入れて高い畝を拵えるつもりである。一番東の端は狭い畝になるが、絹莢(さや)豌豆(えんどう)を一層だけ植えよう。連作を嫌うので、今年は植えても大丈夫である。豌豆の種も充分である。どちらも大抵は芽を出してくれる。9月はまだ虫の季節なので、今年はしっかりと希釈した酢を撒(ま)こう。一応、そう思ってはいるが、実際にその通りに行くかどうかは怪しい。

今日も白浜(↓)に行って、手入れをしてもらって来た。最近はマッサージのほかに、鍼(はり)と電気の灸(きゅう)も同時にやってもらっている。自転車をこいで、自力で行けるのは有難いことである。前立腺癌(がん)の疑いを言われて検査をしたが、今のところ癌細胞は見つかっておらず、腫瘍マーカーの数値も少しだが下がっているので経過観察でいいと言われている。食べることや寝ること歩くことで出来ることはやっているので、数値に変化が見られるのは素直に嬉しい。

行きは南東の風が強く、木崎浜、曽山寺浜、青島の浜辺(↓)はけっこう波が高かった。木崎と曽山寺にはサーファーはいなかったが、青島にはたくさんの人が波に乗っていた。木崎は強い風で沖に流されて波に乗りにくいらしく、青島は初心者向けにはいい波だったようである。

先週の火曜日に橘通りのめがね屋(↓)に行ったら、定休日だった。何十年間か前を通っているが店が閉まっているのを見たことがなかったので、まさか開店していないとは思っていなかった。予め、定休日を調べて行けということだろう。バスや車で行くのと少し訳が違う。どちらかというと、年齢や体力や快復力から考えて、今の北限に近い距離にある店である。ま、運動にはなったが。帰りに加納から高台を通って帰ったが、その途中で百日紅(さるすべり)を採って来た。坂道の両脇にたくさん植わっていて、すでに盛りを過ぎている中から咲く前の蕾を選んで持って帰ってきた。

白露(はくろ)の期間が始まる9月8日まであと1週間、いくぶんか過ごし易くなるのか、一気に秋になるのか。そろそろ5作目を書き始めるつもりである。4作目まではどちらかと言えば、自伝的な色彩が強かったが、次は違う形のものを書いてみたい気がしている。意識下にほんの点ほどの個所があって、そこを探って行けば、何かが形になりそうな気が、ある時からし始めている。今までといっしょで、出て来て形になるまで何かはわからないが。

つれづれに

つれづれに:秋立ちぬ

百日紅(さるすべり)

 旧暦では今年の立秋の始まりは8月7日である。すでに秋立ちぬだが、去年と同様に今年も、朝晩も暑いままで、秋立ちぬとは言えない毎日が続いている。23日には処暑(しょしょ)の期間が始まる。ウェブの解説では

処暑とは、厳しい暑さの峠を越した頃です。朝夕には涼しい風が吹き、心地よい虫の声が聞こえてきます。暑さが和らぎ、穀物が実り始めますが、同時に台風の季節の到来でもあります。

とあるので、朝晩涼しい風が吹いてくれることを願うばかりである。

台風の季節はすでに到来している。今回台風6号が西寄りのコースを取ってくれたので、直撃を免れた。そのあと、7号が東の方を通ってくれて、そちらもあまり影響を受けずに済んだ。しかし、気圧の影響で雨の日も多く、蒸し暑い日が続いている。台風一過の秋晴れの気分にはなかなかならない。昨日今日と晴れているが、また明日から天気が崩れるようだ。

 医学科で医療倫理が臨床実習の対象になった頃、担当の人から准教授への推薦書を頼まれた。その後、しばらくして教授の推薦書も頼まれて、書いた。病院評価が厳しくなって、医療倫理の人を逃さないように、執行部が先手を打ったということだろう。結果的には、業績も人物も申し分なかったので、公募と講演会をして公正に選べたのは何よりだった。その人に話を聞きに行ったことがある。録音して小説で使うことも諒承してくれた。原稿が売れると出版社が判断すれば、活字になるかも知れない。

講義棟

 その中で、医療倫理の大切さや病院評価の経緯を中心に、長年医者が抱えていた問題について詳しく話をしてくれた。アメリカの生化学者が言い出した生命倫理から話が始まった。

「医療倫理の言葉を耳にするようになったのはここ最近やと思うけど、どんな背景があったんやろ?」

「講義で必ず歴史を紹介するんですが、最初に言い出したのはアメリカの人で、1970年代初めですね」

「アメリカねえ。また言いなりか。アメリカで言われ始めてから10年後に日本でも‥‥ということも多いしな」

「この場合、それはちと暴論ですね。アメリカだけではなく、どこの国でも医学の世界では同じ問題を実際に抱えていたんですよ。決して強制されたわけではないです。ポッターという人がバイオ・エシックス、生命倫理という言葉を使い始めました。本の題名に使った造語ですけどね。その背景には当然ナチスドイツへの反省があります。環境倫理も包含するくらいの広い意味として誕生しています」

「具体的にはどんな問題?」

「ポッターさんは腫瘍学者、癌(がん)の研究者です。元々バックグラウンドが生化学で、癌の研究をしている時にあることに気づいたんですね。地球上には色んな生命体が生息してバランスよく生態系を維持しているのに、ホモサピエンスという生物だけがちょっとおかしい。生存可能圏は限界があるというわりには、色んなところに蔓延(はびこ)って、その土地土地の資源を食い尽くしているやないですか。まるで地球という生命にとっての癌細胞ですよ、そんな主張です」

「ホモサピエンスが地球を侵している癌細胞か。言えてるねぇ」

「ポッターさんはまた、ホモサピエンスは自分たちのことを知的生命体と自称しているが、極めて未熟、ホモサピエンスがこのままやりたい放題を続けたら大いに危険、と言っています。パンドラの箱を開けてしまって、先ず核兵器を作ったでしょ。核兵器はだめというコンセンサスを得たのちも、実際にはいまだに核を作り続けていますよね。ある学者は、まるで取り扱いのわからない赤ん坊に拳銃を渡しているみたいなものと評したそうです。平和利用と謳(うた)った原子力発電所を制御できるかどうかの問題も未解決ですし。そうこうしているうちに、今度は生物学の世界でゲノム編集をやり始めて、遺伝子組み換え技術の世界的なルールを作るべきだということになりました。生命の設計図は神の領域だと主張する生物学者の危機意識から生まれたものです。遺伝子改変で生態系を破壊するかも知れないという警告でもあったわけです。ポッターさんと基本的に同じ主張ですね。」

しかし、考えてみると、台風の到来に一喜一憂し、今年は立秋が過ぎても暑さが続いているとぼやいているのは、色んなところに蔓延(はびこ)って、その土地土地の資源を食い尽くしているホモサピエンスの勝手な思い込みに過ぎないのかも知れない。

つれづれに

つれづれに:原言語

百日紅(さるすべり)

一昨日撮ったご近所の百日紅、曇りがちでも少しのぞく青空に映えていた。長いこと居座っている台風が迷走しながら、こちらに来るらしい。

「えらいこっちゃ」

今も朝から雨が降って、雷まで轟(とどろ)いている。自然に勝てるわけがないか?停電や断水しなければいいが‥‥。この時期、停電は致命傷になる可能性もある。明日で大暑の期間が終わるとは言え、まだまだ肌がひりひりする暑さが続く。雨風が激しいとシャッターを降ろして窓を開けることになるが、それでも暑さはすごい。猫たちも音と暑さはきついだろう。何とか被害が出なければいいがと祈るしかない。

原言語について書きたい。その言葉を意識したのは、私が宮崎に引っ越ししてきた日に出版社の人が届けてくれた分厚い手紙だ。

「‥‥闇は光です この眼に見えるものはことごとく まぼろしに 過ぎません 計測制御なる テクニカル・タームをまねて 『意識下通信制御』なるモデルを設定するのは またまた 科学的で困ったものですが 一瞬にして千里萬里を飛ぶ 不可視の原言語のことゆえ ここは西洋風 実体論的モデルを 御許しいただきたい 意識下通信制御を 意識下の感応装置が 自分または他者の意識下から得た情報を 意識下の中央情報処理装置で処理し その結果を利用して 自分または 他者の行動を 制御することと定義するとき 人の行動のほとんどすべては 意識下通信制御によるものだと考えられます 少なくとも東洋人とアフリカ人には あてはまるはずです 私たちの行動のほとんどすべては 意識下の原言語できまるのであって 意識にのぼる言葉など アホかと思われるほど 些末なことです その些末を得意になって話しているのが ほかならぬ 学者文化人であって もう ほんまに ええかげんにせえ と 言いたくなります」

今回4作目を書きながら、この「意識下の感応装置」が察知した情報を如何に形而上の言葉で表現するかを意識した。いつも思う「心のどこかに塊りみたいなものがあって、書いているうちに形になって行く」という感覚である。小説の中で大学で取った→「第2外国語」について少し書いた。塊としてあったのは、怒鳴られた時に感じた担当者の傲慢さである。

「学生がいて職にありつけてるのに、『授業をしてやっている?』あんた、それはちょっとおかしいやろ」

意識下の感応装置が察知した情報を如何に言葉にするか?書き出して修正しながら、それが結果的に言葉になった。

「ロシア語を取ったのは入学後5年目である。大学で運動を再開してから始めた中学校でのコーチの真似事を優先して、2年留年していたからである。5回目くらいに初めて授業に出たら、受講生が私以外に2人、人数は申し分なかった。当てられても素直に謝ったあとは黙っているつもりだったのだが、成り行きとは言え、最初から思いとはまるで違う方向に進んでしまった。6時過ぎに遅れて入って来た担当者が息せき切ってしゃべり始めた。

『京都での授業のあと、名神高速を100キロ以上でぶっ飛ばして来たんだが‥‥』

どうやらロシア学科の専任らしかった。

『私は世界的な学者で、名前も知れ渡っている』

従って、私は忙しい、専任の教授だがⅡ部にも授業に来てやっている、それも世界的に有名な学者がである、だから少しくらい遅れても仕方がない、私にはそう聞こえた。偉くない人が偉そうにする、あれか?ひとこと「すみません」と言えば済むのになあ、そんな風に考えているうちに授業が始まった。当てられて、訳すように言われた。ひと月以上も経ってから、準備もせずに授業にのこのこやって来た、それがどうにも許せなかったらしい。その通りだから、私としては謝るしかない。

『初めてですいません。やって来ていません』

『やって来てない?おまえ、昼間は何をしてるんだ?』

『昼間は、寝てますけど‥‥』

『授業から帰ったあとも興奮して寝られずに、夜中じゅう起きて本を読んでますので‥‥』を意図的にとは言え、省いたのがよろしくなかったらしい。

『若いのに、惰眠を貪るとは何事か!』

烈火のごとく怒り始めた。ここで止めればよかったが、ぷいと壁の方を向いた。火に油を注ぎたかったらしい。怒りは収まらず、怒鳴り続けていたようだった。次の時間からが大変だった。大人数だと避(よ)けようもあるが、3人だけである。初回のこともあるし、自分で責任を取るしかない。

『購読?』

どこまで進むかわからないが、準備するしかない。

『母音の数が13もあるみたいやし、格の変化も面倒臭そう。言われっぱなしも癪(しゃく)に障るし‥‥」

準備に毎回何時間もかかった。根に持つとは相手も大人げない、授業ではいつも喧嘩腰で、細かいことろまで質問して来る。

『初修やねんから、そんなとこまで知らんやろ』

20数回も続いた。最後のころ、冬場だったと思うが、いっしょに授業を受けていた女子学生2人が授業前に揃って私の席までやって来た。

『またやってもらえませんか?』

『?』

『あのう、最近やってくれはらへんので、進むのが早くて、早くて。このままやったら、試験範囲がどんどん広がって試験の時に大変そうなんで、またやってくれませんか?』

毎回毎回体力を消耗し、必要以上に気も遣ったが、授業はなんとか終わった。単位は無事取ったものの、後味は悪かった。後に、博士課程の試験で第2外国語が要るのがわかって、ロシア語も考えたが、役に立ちそうになかった。結局、フランス語で受験した。」

この手の作業が続く。

出版社が売れると判断するかどうかはわかわないが、自然と書き始めたのだから、このまま書き溜めておくとしよう。活字になって溜まった原稿が売れてお金になる、かも知れない。立原正秋の場合は、押し入れに積み上げていた原稿がやがては売れて金になると言い切り、実際に売れていたが、私の場合はやっぱり、「かも知れない」である。「生きても30くらいまでやろ」と思いながら生き在(なが)らえて来たのだから、何が起こってもおかしくないとは思うが。

昨日通った時は、まだ稲刈りの済んでいないところもあったが、この土日で雨の中でも作業をすることになりそうである。大変だあ。一昨日撮った写真(↓)では、まだ半分ほど、刈り入れが済んでいなかった。

刈り入れ前の写真