つれづれに

つれづれに:南瓜の柵に苦戦中

「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬~」7月「馬の親子(カフェとモカ)とねじ花」

 7月になった。1年の半分が過ぎたわけで、今日から後半である。

紫陽花(あじさい)も梔子(くちなし)も終わった。この前、咲き終わった花の方が多めの梔子の何本かの樹から辛うじて蕾を見つけて持ち帰り、花瓶に生けた。たくさんあったので、残りは雨水を貯めたポリバケツの中に浸けて置いた。それで、少し寿命が延びたようだが、それももう終わりかけである。花が一杯の時は、甘酸っぱい香りでむせるようだった。なぜか梔子の花は描いてもらっていない。本の表紙に残っているだけである。→本紹介56 『ジェームズ・ディーンの『エデンの東』のようで』

瓢箪南瓜(ひょうたんかぼちゃ)の柵に苦戦したままである。心配していた通り、畑に出るのが億劫になる時期に入ってしまったからである。一昨日の夕方は、雨の合間に外にしばらく畑に出て、柵の横軸の竹を針金で固定する作業をしていたら、案の定、3か所ほど藪蚊に噛まれてしまった。高い場所で作業するので脚立を立てて、下に4つも蚊取り線香を置いていたのに、である。そのあと、また大雨になった。

きのうは雷も伴って相当降ったので、きれいに洗っていたポリバケツに雨水が溜まっている。雨が止んで、明日は降らないような予報なので、何とか柵をしてしまいたいが‥‥。そろそろ蔓に勢いがついて来たので、これ以上は先延ばしに出来ないし。

 カレンダーの6月のイリスは、宮崎では季節と合ってないが、7月の捩花(ねじばな)は、大体合っている。大体というのは「咲き始めの花もあり、枯れかけの花もある状態なので、ぴったりかどうかは怪しい」くらいの意味である。鮮やかな花なのに、小さいし雑草の中に生えている時もあって、単独で撮られた写真のように見えることも少ないし、雑草という範疇(はんちゅう)の扱いなので「昨日ここで見たのに‥‥」ということも多い。花の盛りと契約する業者の草刈りの時期が同じ場合が多いからだろう。

「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬~」6月「アヌル猫とイリス」

その感覚は通草(あけび)を探している時によく味わった感覚である。蔓植物は他の樹からすれば厄介物なので、草を刈る時期になくなることも多い。実がなるようになるまでに数年はかかる。実を見つけて採るようになったある日、採りに行ったらなかったということが多かった。大学のグラウンドのフェンス高くに登っているのを見つけた時は「こんなとこにもあるんや」と変に感心しながら、フェンスに登って採った。3年くらい後に、刈り取られてなくなっていた。そのあと、そのフェンスごと消えてしまった。

個展会場→九州芸術の杜(大分県飯田高原)近くで見たあけび

 看護学科が出来て人と車が増え、それまでの駐車場では収まり切れなくなったからである。最終的には運動場が駐車場になった。あれから、だいぶ年月が経つ。統合で大学が学部になって、メインキャンパスの一番西端の空き地を医学部の運動場に代替して、学部の運動場が駐車場になった。統合相手の大学が全国で一番近い距離にあったのと、医学部から学長が出ていたのでそういう流れになった。

本来は大学内で揉めてもおかしくない状況だったが、学生との話し合いを経て実現した。テニス場は残ったが、野球とラグビーとサッカーはその運動場を使っている。ときが過ぎるとその経緯を知っている学生もいないし、医学部の学生はほとんどが車に乗っているので、移動に大きな問題もないし、何もなかったように、当たり前に学生は行き来している。

通草も駐車場も、メインキャンパスが医学部と家の間にあって、自転車で往復しながらずっと経緯を見て来たので、より身近なものだったのかも知れない。

「私の散歩道2014~犬・猫・ときどき馬」11月(企業採用分)

つれづれに

つれづれに:脱稿

「のうぜん葛」

 脱稿した。小説の4作目である。30×40字で128枚、400字詰め原稿用紙に換算して384枚の作品である。

「脱稿間近」をきのう書き、6月一杯くらいはかかりそうな気配だったが、意外と最後はすんなり行った。これから、読み返して7月の中旬にはウェブで原稿を送れそうである。

ここ一月ほどは時間も不規則になり、運動も少し足りていない。畑に出る時間が増やせると、自然に生活も立て直せるような気がする。ただ、暑くなって次の節気7月7日の小暑(しょうしょ)の頃には外に出るのも億劫になりそうなので、せめてそれまでに瓢箪南瓜(ひょうたんかぼちゃ)の竹の柵を完成させ、伸び放題のとまとや茄子の添え木はやっておきたい。

去年の瓢箪南瓜

 農薬は使えないが、20倍くらいに希釈した酢をかけているせいか、茄子の葉っぱが生き生きとしている。少し油断するとすぐに虫の天国になって、葉も枯れてしまうので、根気よくやれるといいんだが。

去年の茄子

 今年は娘の薦めで、どくだみ(↓)を集めている。採ってきれいに洗い、何日か陰干しをして酒に浸けるだけだが、皮膚病にはいいらしい。娘と妻は気に入ってる。なぜか北側の花壇やと砂利を敷いた通り道はどくだみだらけだ。娘がウェブで調べると、「無農薬」を記したどくだみの束が売られているらしい。どこにでも生えるわけではなく、家屋敷の周りに多いようである。近くの空き家にぎっしりと生えている場所を見つけた。家の分をすべて取り終えたら、空き家からもらってくるつもりだ。

庭から摘んできたどくだみを雨の貯め水ですすいでから、お風呂にもいれている。妻と2人で、なんだか効きそうといいながら、毎日湯に浸かっている。どくだみを摘んでウェブで売ろうと思わなくて済む生活が出来るのは、有難いんやろか?

つゆ草もいいらしい。ただ、ことしはどくだみだけで精一杯かも知れない。午前中の散歩の途中に見かけたつゆ草を、夕方確認しに行ったとき、花が見当たらなかった。夕方には花を閉じるらしい。

つれづれに

つれづれに:脱稿間近

 6月(↓)も中旬を過ぎている。先日はじめて、散歩の途中に「のうぜん葛」(↑)の朱色の花が垂れ下がっている光景に出くわした。

「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬~」6月「アヌル猫とイリス」

 小説の4作目の脱稿が間近になった。あと30×12字か×30×42字くらいにまとめれば仕上がる。400字詰め原稿用紙に換算して400枚足らずの小説になりそうである。

今回はわりと変則的な書き方になった。大きな3つの山の1つ目はわりとすんなり進んだが、2つ目の山の途中で長いこと先に進まなくなった。仕方なく先に3つ目の山を書き、最後に終章をつけ足して、それから2つ目の山に戻った。そこでも最後手前でまた長いこと停滞したが、書いていた部分を大幅に削除したら、一気に最後まで行けそうな気配になった。やっと、脱稿が間近になったというわけである。余り長くなると、気持ちもだれる。今月中には終わり、2週間ほどまた見直して7月の中旬にはウェブで送信できればいいが。今回は300万、そううまいこと行くかいな、ほんまに。

5作目を書いておくつもりだが、少しだけ塊りが心の真ん中辺りにあるような気がするので、それを膨らませたらと考えてはいるが、今はさっぱり先が見えない。

 長いことその渦中にあって周りが余り見えなかったが、気がついたら前回の更新からひと月以上が経っている。その間、旧暦では5月21日の小満(しょうまん)、6月6日の芒種(ぼうしゅ)の2節気をやり過ごし、6月21日からは夏至(げし)に入っている。小満は「あらゆる生命が満ち満ちていく時期」、「芒種は蚕が桑の葉をたくさん食べて成長する頃」、「夏至は1年で1番に昼の時間が長い日」らしい。次の節気7月7日の小暑(しょうしょ)の頃には、梅雨も明け、暑さが本格的になっていて、外に出るのも億劫になっていそうである。

散歩の途中でみかけた捩花(↑、ネジバナ)は、次に歩いたときには業者が入ってすでに刈り取られてなくなっていた。季節は着実に移っている。

 瓢箪南瓜(ひゅたんかぼちゃ)の柵(↑)も、何回か竹取爺さんをやって、縦の杭と竹だけは何とか用意できた。あとは横の竹を針金で固定すれば、何とか出来上がりである。南瓜は植え替えても枯れることは少ないので、何本か植え替えれば、あとは蔓(つる)が延びて実をつけてくれるのを待つだけである。穴掘りの機材(↓)でしっかりと穴を掘って木の杭を打ち込んだので、たぶん台風の雨風でも大丈夫だろう。いやいや、台風を侮ってはいけない。また竹が傾いてしまう可能性もある。ここが宮崎だということを忘れてはいけない。台風前に稲刈りを終える知恵を生み出した土地で、昔から台風の通り道なのだから。

「私の散歩道2009~犬・猫ときどき馬~」8月(企業採用分)

つれづれに

つれづれに:水平方向と鉛直方向

 立夏(りっか)が始まった5月5日くらいから次の節気小満(しょうまん)が終わる6月6日くらいがこの辺りでは一番過ごし易い季節のようである。散歩の途中で見かけた「薊」(あざみ、小島けい絵のブログ「Forget Me Not」)や「花菖蒲」(はなしょうぶ)が終わり、「紫陽花」(↑あじさい、「額紫陽花」↓)が咲き始め、もうすぐと梔子(くちなし)が咲いて、甘酸っぱい匂いを漂わせてくれる。

 畑も胡瓜(きゅうり)と茄子(なす)とビーマンが少し大きくなり始めた。オクラは出遅れているが、そのうち勢いをつけるだろう。とまとの柵(↓)は出来た。あとは苗を植えて完成である。だいぶ前に買って、大きくなっているものもある。今年は何とか実をつけてくれるといいが。雨よけを作ったので、これで生らなかったら、また工夫するしかない。この辺りはとまと農家も多いので、聞けるといいんだが‥‥。

(写真は追加予定)

 あとは南瓜(かぼちゃ)の柵である。穴を掘る機材(↓)は多少時間はかかるが、わりと使い勝手がいい。西瓜(すいか)は芽が出ないので、もう一度蒔いてみるか?お花市場の店先に勢いのいい苗が出ていたが、300円と値札があった。1本だけ、買ってしまうかもしれない気配である。次に行くときまで残っていれば、だが。

今年は、冬野菜の葱(ねぎ)とレタスがまだ少し残っているので、葱は虫にやられていない部分は取ってあとは根から何センチかを残して違う場所に植え替えている最中である。結構な数があるので、虫の勢いに追い付かないかも知れない。無駄を承知で、レタスと葱の種を蒔いた。希釈した酢で、虫に対抗してみよう。藪蚊と炎天で出られなく前に終わるといいんだが‥‥。

(写真は追加予定)

 小説4作目の2つ目の山をゆっくりと進んでいる最中である。何日か停滞気味でしばらく先に進めなかったが、何とか先が見えそうな気配である。水平方向か鉛直方向か、そんな大きな問題とぶつかっている。これを越えたら、あとは何とかなりそうな気もする。2つ目の山が終われば、1つ目と3つ目に繋がって出来上がる。400字で400枚前後くらいになりそうである。

医学生に苦戦したのは出席と評価の問題だった。

医科大に初めて来た年、何人かが部屋に来てくれるようになったが、中の1人が5年間「おかしい学生は落とさないと駄目です。落とさないと知っててやってるんですから」と言い続けてくれた。

僕は「まあな。授業に出ずに単位を取った方やし、自分が出来んかったことを学生に強要すんのも気が引けるし。それで出席も取らへんし、誰もよう落とせんのやけど。それに今の周りの教員も酷いのが多いやろ?何人かの箍(たが)の外れた馬鹿教師の噂もしょっちゅう聞かされるし。この前部屋で面接したら、10人が10人とも『入る前にこんな酷いと知ってたら受験しなかったのに‥‥』と言ってたで。異常やろ?そんな状況で、僕まで落とせるか?」と答えていた。

しかし、相手が落とさないと見ると、医学生は相手に容赦しなかった。「この頃、顔見ぃひんなあ」、「そんなに顔見せんで、大丈夫か?」とやんわり言っても、言うことそのものに意味がなかったらしい。提出物も出さないで単位が出るとわかると、出さないのである。「出さんでええんか?」と聞いても、大丈夫と踏むんだろう。何年かそんな状態が続いたが、落とせずに、最後の日に目をつぶって60を記入した。最初の年はまだ学力検査主体の入試だったので、2年生も1年生も既卒者が少なかった。特に1年生は数人だった気がする。ある日授業に行ってみるとやけに来ている人が少なかった。「どうしたんやろ?」と来ている人に聞いてみたが「どうなんでしょうね?」と言われた。そんなことが続いて「大丈夫やろか?」と思ったとき、何だか既卒組の2人に学年全体が顔色をうかがっている気配がした。2人は自己紹介に京大卒と東大院卒と書いてあった気がする。私は短気なので、推論で京大院卒の人を部屋に呼んで「奨学金停めたろか?」と一言だけ言った。関西弁は、特に播州弁は充分にきつい。

そのあと研究室に来てくれた例の落とすことを説き続けてくれた人にそのことを言ったら「二人で仕切ってるみたいですね。既卒者が仕切りたがる学年はうまく行ってないです。東大院卒の方は学部からではないそうですから、劣等感の裏返しじゃないですか?」と涼しそうな顔をして言っていた。

何年かして「医学生嫌やな」と感じ始めた思いは、この時の既卒組の幼稚さとは別物のようだった。

旧宮崎医科大学(宮崎大学医学部ホームページより)

 最初の年は、「わいABCもわかれへんねん」と学生が言うのを聞いた大学と違って授業は成り立つし、研究室にも学生が来てくれて理系の人は新鮮にも思えたし。授業も映像や音声をたくさん使ってやれてるし。「横浜」で会った出版社の人が引っ越しの日に合わせて分厚い手紙を送ってくれていたが、それはどうも東大の医学生だった先輩からの私が担当する医学生へのメッセージだったようである。その頃は、その手紙の中の一節も、そう現実離れをしているようにも思えなかった。

「‥‥最近の学生は とくに 医学生は 頭の良い子ばかりだそうです なにしろ なんかの方法で 受験勉強をしなかった子は いないというのですから 〝学問〟に対する その真摯な態度と勤勉に 驚かずにはいられません これは頭の良い両親の指導のもとに 水平方向に 己れの行く末を見つめ かっちりと計画がたてられる 頭の良い子であることを意味しています 鉛直方向によそみをすることなど 思いもよらぬ 天才少年です」

「授業中にドミノをしてると言ってた学生が天才少年にはどうしても見えんけど、研究室で話をしていく人の話を聞いてたら、まんざら大げさでもなさそうな気もするな」

その一説にはその前がある。

「‥‥玉田先生が 鉛直下の原言語に乱されて 思考が中断するなら 私のほうは 鉛直上の原言語に吸いとられて思考が消失します 中断と消滅 軽重の違いはあっても 二人とも やはり 頭が悪いのは 確かなようです その点 最近の学生は‥‥」

「水平方向とか、鉛直方向てどういうことなんやろ?たしか『僕はどうも頭が悪くて、受験にも馴染めずに行くとこがなくて‥‥』て話した文脈のなかで出て来たような気もするけど‥‥。東大の理Ⅲを出た超エリートとどこも行くとこがなくて夜間に行ったのを一括(くく)りにして『頭が悪い』て言われても困るけど、すっかり世の中諦めて余生を過ごしてるのを『頭が悪い』、『真摯に』『勤勉に』『己れの行く末を見つめ かっちりと計画がたてられる』のを『頭の良い』として比べるなら、何となくわかる気もするな‥‥」

その一説にも次のような前がある。

「ヒトは〝侵略遺伝子〟を持っています ヒトがすべて侵略者とならないのは この恐ろしい 〝遺伝子〟にも オペロンのおおいがかけられていて 容易には 形質を発現することがないためです ツングースの〝侵略遺伝子〟のオペロンは 窮迫によってはずされてしまったのです それも ほんの七千年か八千年ほど前のことです そして このオペロンのはずれやすい傾向は 連綿と受けつがれ いまなお 子や孫が風を切って 日本じゅうをわがもの顔に歩きまわっています 天孫降臨族の末裔たちです 手っとりばやくのしあがることだけをひたすら思いわずらい 四六時中 蛇(蛇くんに邪気などない)のごとき冷たき眼を油断なく 四方八方にくばる この侵略者たちは もちろん 効率百パーセントの水平思考を好み鉛直思考など 思いもよらぬことなのです」

それらの書き出しである。

「‥‥闇は光です この眼に見えるものはことごとく まぼろしに 過ぎません 計測制御なる テクニカル・タームをまねて 『意識下通信制御』なるモデルを設定するのは またまた 科学的で困ったものですが 一瞬にして千里萬里を飛ぶ 不可視の原言語のことゆえ ここは西洋風 実体論的モデルを 御許しいただきたい 意識下通信制御を 意識下の感応装置が 自分または他者の意識下から得た情報を 意識下の中央情報処理装置で処理し その結果を利用して 自分または 他者の行動を 制御することと定義するとき 人の行動のほとんどすべては 意識下通信制御によるものだと考えられます 少なくとも東洋人とアフリカ人には あてはまるはずです 私たちの行動のほとんどすべては 意識下の原言語できまるのであって 意識にのぼる言葉など アホかと思われるほど 些末なことです その些末を得意になって話しているのが ほかならぬ 学者文化人であって もう ほんまに ええかげんにせえ と 言いたくなります

‥‥生物の成長というのは 細胞が個数を増す 細胞分裂と分裂によって 小型化した細胞がそれぞれ固有の大きさを とりもどす細胞成長とによって 達成されます 生物は本質的に成長するものなのですから 各細胞は 成長の第一条件たる 細胞分裂の傾向がきわめて強いのです しかし 無制限に 細胞の個数が増加して その結果 過成長すると こんどは 個体の生命が維持できなくなります そこで遺伝子の〝細胞分裂欲求〟は 不必要なときには 抑制されています この抑制因子を モノーという人は オペロンと名づけました」

そう言ってもらえると、ずいぶんと気が楽になった。医学生に苦戦する理由が、何とか見えてきそうな気もし始めたのである。

「しかし〝頭の良い〟学生たちと〝頭の悪い〟玉田先生 この両者に虹の橋はかけられないと絶望するのは早すぎます 学生たちの 眠っている 意識以前に 無言で語りかけてください・・・意識下通信制御です‥‥そうすれば 玉田先生の学生のなかから 医者や医学者ではなく 医家が 必ず 生まれることを かたく 信じてください そして もちろん 学生に 好かれるように行動するのではなく いつも 御自分からすすんで 学生のひとりひとりが 好きになるようにつとめてください 〝良い頭の〟学生は 医学生の責任だとはいえません 親はもちろん あらゆるものがよってたかって腕によりかけ 作りあげた〝高級〟人形であっても愛着をもってやれば ある日 ぱっちり眼を開き 心臓が鼓動をはじめ 体のすみずみに しだいに ぬくもりがひろがっていくことが 必ずあることを忘れないでください それと 医学部の学生は 最優秀と考えられていますが実際は 外国語も自然科学も数学もなにもかも まったくだめだということを 信じてください・・・医学部のひとりひとりをじっくり観察すると こいつ ほんまに 入試をくぐってきたんかいな と思う奴ばかりです それでもうんざりして見捨てたりせず この愚劣なガキどもの ひとりひとりからけっして眼をはなすことなく しっかりと 見守ってやっていただきたい なにしろ まだ人類とはならぬこども なのですから‥‥」

そうは言っても一度だけ「落とさないと駄目ですよ」と言い続けてくれた人の助言に従って、落としたことがある。「医学生嫌やな」という思いがだんだん強くなったころ「これはなんぼなんでもあかんやろ」と基準を決めて落としたら、5人になった。そのうち4人は他の教科でも4つか5つ落としていたから、私の教科が1つ加わっただけだったが、あと一人は私の教科だけだった。しかし、3教科までは大丈夫だったので進級し、その次の年に何もなかったかのように平気な顔で課題を出した。私も何も言わずに単位を出した。授業中ずっと、前の学生を壁にして隠れたつもりで毎時間漫画を読んでいたことを注意すべきだったのか?「トランプの遊び方」などの人を馬鹿にした内容の課題が「評価の対象外」だったことをその女子学生に言うべきだったのか?

しかし、現実にはその前の年まで歯止めのなかった勢いが急変した。課題は期日に全員が出すし、きっちりと計算して欠席はするし。しかし、互いの信頼は微塵(みじん)もないので、1年でやめた。医師になるためには教養は要らない、英語は必要なら自分で出来ると考える水平方向と、素養を培(つちか)う大切な空間で自分について考える機会に欲しいと願う鉛直方向が、永遠に交わることはなかったのである。

西明石駅(↑)から新横浜駅まで新幹線に乗った