つれづれに:明石(2022年6月16日)

2022年6月16日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:明石

 梅雨に入ると、雨の合間に晴れてくれる日があるとほんとうに助かる。日曜日の晴れ間は有難たかった。雨が続くと地面の乾く暇がない。畑の表面の土が流されるし、虫を追い払うためにせっせと撒く希釈した酢も流されて効き目がなくなってしまう。梅雨前に何とかとまとの柵をと思って2つ目の柵(↑)も出来た。不要になったカーポートの重たい鉄製の門扉と竹製の座机の厚いガラス板を使った。排水を考えないといけないがそれでも何とか雨よけにはなってくれるみたいで、とまとも順調に大きくなっている。どんな実がなるのかわからないが、少しは生ってくれることを願うばかりである。

 結婚を機に家を出て、東隣の明石に移った。婚姻届けは明石市に出し、今後の手続きのことを考えて、ついでに本籍も同じ住所に移した。最初は朝霧駅の近くのマンションに2人で、子供が出来てからは新しく出来た職員宿舎に3人で、そのあと宮崎に移るまで、妻が父親と暮らしていた中朝霧丘の家に転がり込んで4人で暮らした。マンションと中朝霧丘の家は明石市の東端にあり、少し東に行けば神戸市の舞子である。職員宿舎は市の西の端にあり、すぐ西側が隣の市で、田圃や空き地も多かった。明石は生まれて育った地域と大学のあった神戸の東端とのちょうど真ん中辺りにある。マンションと中朝霧丘の家の最寄り駅は朝霧駅(↑)で、一つ西に行けば明石駅だった。その先が西明石駅、そこまでが複々線で、新幹線の駅もある。海岸線に沿って私鉄が走っていて、便利なところである。

 明石駅の北側には赤松藩の明石城(↑)があり、広い公園になっている。最近県が一方的に大木を切り倒すことを決めて明石市側とずいぶんと揉めていた。よく散歩にでかけていたが、樹を切り倒す必要性の全く感じられない静かで緑豊かな公園である。海側には明石港があり、淡路島の南端の岩屋とを結ぶフェリー乗り場がある。バスケットボールの県大会の付き添いでは、女子のチームとこの乗り場からフェリー(↓)に乗った。(→「県大会」、5月16日)舞子から岩屋に架かる明石海峡大橋が出来たのが1998年、宮崎に越してきて10年ほど経った頃らしい。大橋が出来ててっきりフェリーはなくなっているものと思っていたが、航路廃止を反対した自治体が出資して運行を続けているそうである。

 駅から港に行く間に、魚の棚(↓)がある。水揚げされた魚や蛸が売られている。昼網とよばれ、新鮮で生きて動いている海老や蛸や魚も並べられていた。海産物は臭いが苦手なので食べないが、ここで買っためいた鰈(かれい)や海老は、生きたまま料理をしてくれていた。ほとんど臭いがしなかったので、食べていた時期もある。海産物以外にも野菜や干物や和菓子などの店もあった。もちろん、名物の明石焼きの店も何軒かあった。二人で帰りに寄ったり、週に何度かは出かけていた。

 生まれて育った家ではあまりいい思いをしなかったし、学校にも地域にも疎外感しか感じなかったが、明石ではその凝り固まった気持ちが、少しずつほぐれて行った気もする。大学が決まったときは、家族で宮崎に来て借家を借りて暮らし始めた。
 次は、中朝霧丘、か。

借家からよく行った宮崎神宮