『ナイスピープル』理解3:1981年―エイズ患者が出始めた頃1

2020年3月5日2000~09年の執筆物ケニア,医療

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の3回目です。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo.46(2012年6月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

1981年―エイズ患者が出始めた頃(1)

 今回は、エイズ患者が出始めた1980年初頭の状況について書きたいと思います。前回、エイズの特徴として、「エイズはウィルスが原因で起こる極めて質の悪い病気で」「……社会的偏見がつきまとうことなどが特徴です。」と書きましたが、エイズに社会的な偏見がつきまとうようになった経緯について少し触れておきたいと思います。

エイズ患者が最初に出たのは米国西海岸のロサンゼルスで、1981年の春のことです。今は病気の原因がわかっていますが、当時患者を診た医師は得体の知れない病気に相当悩まされたようです。当時の状況を簡潔にまとめた英文記事があります。1994年に横浜で開かれた国際エイズ会議の特集記事です。第1回の国際エイズ会議は1985年に米国のアトランタで開かれました。ロサンゼルスでエイズの症例が報告されてから4年後のことです。それから第10回の横浜会議までは毎年行なわれ、それ以降は隔年で開催されています。1998年のジュネーブ会議(スイス)、2000年のダーバン会議(南アフリカ)、2004年のバンコク会議(タイ)などについては、違う機会に詳しく紹介したいと思います。1994年8月8日の英字新聞「デイリー・ヨミウリ」に掲載された「エイズの発見の歴史」です。

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「エイズ」という言葉が使われるようになって10年余りが過ぎましたが、人類は未だ、この疫病を征服できないままでいます。エイズという命名がなされる以前に、自分の体に何が侵入したかもわからないまま多くの人が死にました。
1981年の春、ロサンゼルスの医師のグループが5人の患者の治療に悪戦苦闘していました。その患者は、肺の感染症の一種で、免疫システムが問題ない人には通常起こり得ない日和見感染症の症状を示すニューモシスティスカリニ肺炎(PCP)に苦しんでいました。

ロサンゼルス

この5人の患者には2つの共通点がありました。 1つは患者が男性の同性愛者であることで、もう1つは、全員が臓器移植を受けた後拒絶反応を防ぐために免疫抑制剤を投与された患者と同様の症状を示したことです。
この医師達は米国疾病予防センター(CDC)が発行する「罹患率と死亡率」(MMWR)の週間報告の6月5日号にそれらの症例を報告しました。

MWR

その後すぐに同様の報告が相次ぎました。ニューヨークの医師のグループが翌月のMMWRで、ニューヨークの20人の患者とカリフォルニアの6人の患者について報告しました。それらの患者は毛細血管の上皮に生じる腫瘍であるカポジ肉腫を発症していました。これは1979年1月から2年半の間に発症していました。更にこの26人の男性はすべて同性愛者でした。また、別の報告によれば、上の報告とは別のカリフォルニアの10人の患者がPCPを患っているということでした。これらの患者もすべて同性愛者の男性でした。

カポジ肉腫の患者

この状況に驚いて、CDCは1981年にジェイムズ・カレンが率いる特別調査チームを発足させました。これがこの未知の疾患に対する系統的研究の始まりでした。この調査チームは、1978年に最初にその症状を示したのはニューヨークのカポジ肉腫の患者だったということを突き止めました。そして、この疫学的研究の焦点を男性の同性愛者に絞りました。

ジェイムズ・カレン

この特別調査チームは、症状がTリンパ球の減少によって引き起こされたことを発見しました。Tリンパ球は病原体の侵入から人の体を守る細胞免疫で重要な役割を果たします。
調査チームは最終的に、この疾患が血液あるいは精液によって感染するという結論を下しました。この疾患が後天性免疫不全症候群(AIDS)と命名されたのはその時です。
一方、患者のタイプはかなり多様になってきていました。1981年末に、ニューヨークの医師が静脈注射による麻薬常用者が同様の症状を患っていることを報告しました。ハイチからの移民もまたそのリストに加えられました。
総計216人の症例が1982年の6月の時点でCDCに報告されていました。84%は男性の同性愛者で、9%が静脈注射による麻薬使用者、2%がハイチからの移民、5%が女性でした。その内、88人は既に亡くなっていました。
この頃、幼児とエイズ患者の配偶者の女性がこの疾患にかかり始めていました。
エイズがあるウィルスによって引き起こされることが完全に証明されたのは、1983年の春のことです。この年、フランスのパスツール研究所の研究者グループがアメリカの雑誌の「サイエンス」5月20日号にエイズウィルスを発見していたことを発表しました。
そのちょうど1年後、アメリカの2つの医学研究グループが、エイズ患者の血液からエイズを引き起こすウィルスを単離したと発表しました。この別々に発見されたウィルスは、後に同じものであることが確認され、現在、一般にヒト免疫不全ウィルス(HIV)と呼ばれています。

HIV

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1981年の夏の終わりには、100を越す発症報告がCDCに寄せられました。特に同性愛者の多い都市で多発しており、マスコミはその病気を同性愛者免疫不全症と呼び始めました。患者は病気の原因さえ分からず肉体的にも苦しいのに、最初から世間の偏見とも闘わなければならなかったのです。患者は世間の冷たい視線に晒されて、孤立してゆきます。
NHKBSドキュメンタリー「エイズの時代」(2006年)は、ロザンゼルスで「患者の治療に悪戦苦闘」した医師二人に取材して、当時の状況を見事に検証しています。次回はその「エイズの時代」を中心に当時の状況を紹介しましょう。
1993年のアメリカ映画『フィラデルフィア』は、エイズで解顧された弁護士(トム・ハンクス)が、エイズ恐怖症の弁護士(デンゼル・ワシントン)助けを借りて、裁判で不当解雇をめぐって社会の差別や偏見と闘うという姿を描いて話題になりました。

<ミニ解説>
「日和見感染症」……正常の宿主に対しては病原性を発揮しない病原体が、宿主の抵抗力が弱っている時に病原性を発揮しておこる感染症です。(サイトメガロウイルス感染症など)(「国立感染症研究所感染症情報センター」http://idsc.nih.go.jp/about/index.html
「ニューモシスティスカリニ肺炎(PCP)」……病原体ニューモシスティス・カリニ(環境中に常在する微生物)により引き起こされる肺炎。具体的な症状は、発熱、倦怠感、息苦しさ、乾性咳など。(「通信用語の基礎知識」http://www.wdic.org/
「カポジ肉腫」……ウイルス性の感染症で、皮膚に紅色の斑点ができ、内部組織が破壊される皮膚がん。(「通信用語の基礎知識」http://www.wdic.org/

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(3)第4章 アイリーン・カマンジャ」「モンド通信 No. 8」、2009年1月10日)
「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(1) 著者の覚え書き・序章・第1章」「モンド通信 No. 5」、2008年12月10日)

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執筆年

2009年6月10日

収録・公開

モンド通信(MomMonde) No.11

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『ナイスピープル』を理解するために―(3)1981年―エイズ患者が出始めた頃(1)