英語 Rb2(3)

12月5日8回目の授業でした。あと年末までに3回、年明けに3回です。1月16日(木)は金曜日の時間割です。

Part 7のリーディング(与那嶺さん)一問だけ。いろいろ付随した話、特に読むためのこつみたいなものについて。

それと、音声がうまく繋がらなかったけど、クンタ・キンテの逃亡の映像(少年時代と大人になってからの2回)。

南北戦争の北部と南部の対立の構図みたいなものも。少しまとめときます。↓

奴隷制と奴隷をめぐって北部産業資本家と南部の荘園主が対立

→1860年の大統領選で北部はリンカーンを共和党の大統領候補に立てて成功

→、南部は合衆国を離脱

→リンカーンは南北合一のために南北戦争を開始

エイブラハム・リンカーン

→奴隷解放を約束をして北部の自由黒人の参戦を得て辛うじて勝利

→奴隷解放宣言が実質的ではなかったので、実際の会報は100年後に持ち越し

→奴隷は小作人に

→荘園主は貧乏白人との間にカラーラインを引いて人種差別を利用。

<次回>は

Part 7のリーディングの続きを5問155~164(羽田野さん、香川さん、佐古さん、中平さん、岩井くん)

南北戦争、再建時代、反動の話と映像。

来週に、また。

南北戦争、再建時代、反動についてメールマガジンの連載で書いたことがあるんでリンクしときます。↓

「アフリカ系アメリカ小史①奴隷貿易と奴隷制」「モンド通信 No. 67」(2014年3月10日)

「アフリカ系アメリカ小史②奴隷解放」「モンド通信 No. 68」(2014年4月10日)

「アフリカ系アメリカ小史③再建期、反動」「モンド通信 No. 69」(2014年5月10日)

寒うなって来たから、気ぃつけや。

南アフリカ概論

12月5日8回目の授業でした。あと年末までに3回、年明けに3回です。1月16日(木)は金曜日の時間割です。

今日は、1992年に行ったジンバブエの話で時間切れ。北畑くん(アパルトヘイト政権)と渡辺さん(国民会議)、申し訳なかったです。次回は是非。

ハラレに行く前に寄ったロンドンでお会いしたラ・グーマの奥さんのブランシさん(写真↓)の話。1985年にキューバでご主人を亡くされたあとロンドンに一人住まい。その家に招待されました。1990年にマンデラが釈放されてたけど、まだロンドンに亡命中。このあとすぐに生まれ育ったケープタウンに戻られました。でもマンデラの政権が出来る前のどさくさ、1966年の亡命以来久しぶりに帰国した時は、空港で一晩待機。ANCもひどいですよねと手紙で書いたら、今はいろいろ大変な時期、大目に見て下さいね、と逆に窘(たしら)められました。

スイス人の八十過ぎの一人暮らしの女性から借りた家の家賃は10万円、500坪。↓家の中にジャカランダの大木が植えてありました。

すぐに仲よくなったガーデンボーイとして雇われていたゲイリー。給料は一月170ジンバブエドル(4200円ほど)それと番犬のデイン。白人には吠えないで、黒人には激しく吠えてました。僕らはデインに白人と分類されたようで、誰も吠えられなかったねえ。

冬休み(北半球では夏休み)を利用して父親の元に来ていっしょに過ごしていた家族。普段は敷地内に家族を泊めることは出来なかったみたいやけど、僕らが借りてたので、南西の小さな部屋、コンクリートの床に毛布を敷いて寝たたみたいです(南半球では北側が陽当たりがいいので南西にある部屋は陽当たりがよくない)長女と長男とゲイリーの子供3人は一日中遊んでました。どっちも言葉もわからないのに、笑い声が絶えず、楽しそうやったねえ。蹴ってるバスケットボールが199ジンバブエドル、ゲーリーの一月の給料より高く、複雑な気分になりました。

ゲーリーの奥さんフローレンスにモデルを頼んで僕の奥さんが描いた水彩画。初めての経験で、フローレンスはやや緊張気味でした。

ゲイリーの家族写真。写真は貴重品で、現像して持って行くと、どこでもひとしきり写真談義。それもそのはず、現像費が毎回ゲイリーの給料ほど。写真は贅沢品の一つ。大学で誰かが飲んでた大瓶のコーラが10円。日本円やドルが強いんやとしみじみ思いました。

ゲイリーにインタビューを頼んで、生い立ちなどを聞いた時に撮った写真です。↓

<次回>は

大学、ハラレの街、子供たちの小学校などについて少し話をしたあと、アパルトヘイト政権とアフリカ人の抵抗運動の話を。

* アパルトヘイト政権(北畑くん)

* 国民会議(渡辺さん)

* シャープヴィルの虐殺(橋詰さん)

* リボニアの裁判(小野さん)

の発表を聞いて、時間があれば関連の映像を。大きな流れが掴めたら、ドキュメンタリーや「アフリカの蹄」など、映像も観てもらいたいと思っています。(終わってから橋詰さんと小野さんが発表すると言いに来てくれました。)

また、来週に。

ハラレの話は帰国してから半年後に本を書いたけど出版は出来ず(1冊300万もかかるんで)、あとでメールマガジンに連載したらと言われて、分けて載せました。僕のブログに載せた一冊分のリンクです↓

「ジンバブエ滞在記一覧」(「モンド通信」No. 35、2011年7月10日~No. 59、 2013年7月10日)

今日話をした分のリンクです↓

<2>→「ジンバブエ滞在記②ハラレ第1日目」「モンド通信」No. 36」、2011年8月10日)

<3>→「ジンバブエ滞在記③突然の訪問者・小学校・自転車」「モンド通信」No. 37」、2011年9月10日)

<4>→「ジンバブエ滞在記④ジンバブエ大学・白人街・鍵の国」「モンド通信」No. 38」、2011年10月10日)

<5>→「ジンバブエ滞在記⑤バケツ一杯の湯」「モンド通信」No. 39」、2011年11月10日)

<12>→「ジンバブエ滞在記⑫ゲイリーの生い立ち」「モンド通信」No. 46」、2012年6月10日)

英語 Ma2(4)

12月4日10回目の授業でした。

何とかアメリカの話を終わりました。

奴隷制と奴隷をめぐって北部産業資本家と南部の荘園主が対立、1860年の大統領選で北部はリンカーンを共和党の大統領候補に立てて成功、南部は合衆国を離脱、結果、リンカーンは南北合一のために南北戦争を開始、奴隷解放を約束をして北部の自由黒人の参戦を得て辛うじて勝利、しかし奴隷解放宣言が実質的ではなかったので、実際の会報は100年後に持ち越し。奴隷は小作人に、荘園主は貧乏白人との間にカラーラインを引いて人種差別を利用、

そんな話を英語でしました。

エイブラハム・リンカーン

南北戦争直後と1987年のKKKの場面、反動の一番きつかった1890年に出た「隔離すれども平等」の最高裁の判決、1954年の公立学校での人種差別は違憲という判決に従って黒人が白人の高校に入学した際の白人側の凄まじい抵抗の場面、それと公民権運動の最大の場面ワシントン大行進の映像を観てもらいました。

キング牧師

抗HIV製剤が絡んだゴアとブッシュの大統領選の話が出来ず、いろいろ歌を紹介する時間が取れなかったのは残念。

来週は「遠い夜明け」を観てもらい、オランダ人とイギリス人の抗争と1910年の南アフリカ連邦の成立の部分のテキストを春田くんにやってもらったあと、ヨーロッパ入植者が作った搾取構造の話をしたあと、時間があれば、ジンバブエに行ったときの話をしたいです。

「遠い夜明け」の試写会で配られたチラシ

再来週は、Chapter 5の消化器系。解説と発音練習のあと、グループにわかれて30分ほどoral check、そのあと全体でoral check、はどうやろ。

年明けは、エボラ出血熱とコンゴ、資料は次回配ります。

2回目の流行時の南アフリカの週間紙Mail & Guardianの特集記事

アメリカの話は出版社のメールマガジンの連載で書きました。↓

「アフリカ系アメリカ小史①奴隷貿易と奴隷制」「モンド通信 No. 67」(2014年3月10日)

「アフリカ系アメリカ小史②奴隷解放」「モンド通信 No. 68」(2014年4月10日)

「アフリカ系アメリカ小史③再建期、反動」「モンド通信 No. 69」(2014年5月10日)

「アフリカ系アメリカ小史④公民権運動」「モンド通信 No. 70」(2014年6月10日)

「アフリカ系アメリカ小史⑤公民権運動、その後」「モンド通信 No. 71」(2014年7月10日)

寒うなって来たから、気ぃつけや。

英語 Ma2(3)

12月4日10回目の授業でした。

前回言ってもらってなかった人の意見を聞きました。谷口くんには申し訳ないことしました。前の通り一般教養的なことをという意見やったんで、残りの時間はエボラ出血熱とコンゴの話をしたいと思います。

<次回>は

ERで少し紹介した医師のカーターがコンゴにボランティアに行った時のERの1話を観てもらうつもりです。

資料を配って少し解説したように、1995年の2回目の流行があったときの新聞記事とニュース、関連記事、それにその当時の政治状況などの参照になるテキスト、新聞記事などを入れてあります。

2回目の流行時の南アフリカの週間紙Mail & Guardianの特集記事

次回はテレビ映画を観た後、2日目のアウトブレイク時の状況を報じたCNNを使って英語でQ&Aをやって内容が理解出来ているかどうかを聞いてみたいと思います。
それに世界を驚かせる原因の一つとなったアメリカ映画「アウトブレイク」の紹介もするうもり。今日話をした感染症センターのBiohazard levelを紹介する場面や、冒頭の患者から血液サンプルを採ったあと証拠隠滅のために村を爆破してしまう場面など。

少なくとも1995年の最初の三つの新聞記事を読んでおくとわかりやすいかな。授業で言ったようにCNNの音声ファイルをブログの参考ファイルに置いておくんで、やってみるといいね。その場で聞いてやる方がいい人は、それもありやと思います。

再来週はChapter 5の消化器系。解説と発音練習のあと、グループにわかれて30分ほどoral check、そのあと全体でoral check、はどうやろ。

年明けは、新聞記事、テキスト、映像を使って、1995年のアウトブレイクの翌年にザイールが崩壊して政権が変った状況をまず押さえてから、遡って1960の独立、1963年のコンゴ動乱、さらに遡って植民地戦争後のベルリン会議の決定後のコンゴ自由国について見て行きたいと思っています。時間があれば、今日話そうと思ってた1992年に行ったジンバブエの話が少しでも出来るとええけどなあ。

初代首相のルムンバ

アメリカに担がれて後に大統領になったモブツ、30年余り独裁政権を

豊かな資源を持つ広大な国がどのようにして西洋列強の餌食になり、今も先進国に食い荒らされているか、そこから浮かび上がる世界の構図やそれに関わる先進国としての日本の有り様などについても考えてもらえれば有り難いです。

本当は南アフリカの話もしてデンデル・ワシントンの「遠い夜明け」や大澤たかおの「アフリカの蹄」も観てもらうつもりやったけど、ちょっと無理みたいやな。観たい人はいつでもDVDをコピーするんで、是非観てや。

「遠い夜明け」の試写会で配られたチラシ

「アフリカの蹄」の大澤たかお

来週、また。

コンゴ・エボラ関連のプリントは、英文の分と日本語の分を一束ずつ配りました。プリントに関しては、すべてのプリントの解説を少しでもしようと思っています

この一連の流れを書いて活字にしたことがあります。↓

「医学生と新興感染症―1995年のエボラ出血熱騒動とコンゴをめぐって―」「ESPの研究と実践」第5号(2006年)61-69頁