ビジネス英語 I-2(2)

1月16日(水、月曜日振替授業)

今日は何とか今日中に書けそうです。7時から自治会の役員会があり、あかんやろなと思ってたけど。

4班と5班だけ発表。5班のはなかなかよかったね。

もう2回で授業で会うことはなくなるけど、今日も言ったように時間大切にしぃや。

残りの班は、来週はやりや。それと、最終回にももう一回出来るように準備も。

各班のリーダーは、発表のファイル(台湾の分と今回の2回分、計3回分)にそれぞれ全員の感想をつけて、印刷物の形で(メールではなく)、最終日までに提出すること。

それをもとに、①発表と②トーフルのスコア、を半々で成績をつけて、1週間以内に登録するつもり。

全部提出があれば、最低70以上はつけようと思ってるけど、提出物がなかったり、不完全な場合は、僕の判断で勝手につけて出すんで、悪しからず。

もちろん、それ以降でも、進路や英語の話など、僕で力になれるように対応するんで、いつでもどうぞ。

また、来週に。

 

英語 Ra2(2)

1月16日(水、月曜日振替授業)

今日は何とか今日中に書けそうです。7時から自治会の役員会があり、あかんやろなと思ってたけど。

13回目、映画「招かれざる客」(Guess Who’s Coming  to Dinner)の続きを1時間余り、ゴスペルとブルースを少々聴いてもらいました。

お母さん役のキャサリン・ヘップバーンがタイトルのGuess Who’s Coming  to Dinnerと言ってたん聞けたか?

ドライブに行く前に、靴紐を結びながらご主人と遣り取りして居るときにその台詞を言ってたけど、誰が来ると思います?くらいのいみやろな、タイトルの「招かれざる客」の日本語訳はなかなかええと思うけどね。(晩年のシドニー・ポワチエ ↓)

映画の解説を最後に貼っておきます。→★

残りの時間、そうなかったけど、ワシントン大行進のときのテーマソングWe Shall Overcomeのゴスペルの女王マへリア・ジャクソン(写真 ↓)の歌、ミシシッピのguitar evangelistの演奏と歌、シカゴブルース2曲、普段はなかなか聴けない歌を聴いてもらえました。

その辺りの歌については ↓

<17>→「アフリカとその末裔たち2(4)アフリカ系アメリカ人の音楽」(No. 90  2016年2月9日)

時代背景については ↓

「アフリカ系アメリカ小史④公民権運動」

を読むとよりわかりやすいと思います。(前回もリンクを貼ってるけど)

来週、また。

たま

★「招かれざる客」

GUESS WHO’S COMING TO DINNER (1967)

【解説】「アメリカ上陸作戦」のウィリアム・ローズのオリジナル・シナリオを、「愚か者の船」のスタンリー・クレイマーが製作・監督した。撮影は「手錠のままの脱獄」のサム・リーヴィット、音楽は「真昼の衝動」のデヴォル。出演は、これが遺作となった「おかしな、おかしな、おかしな世界」のスペンサー・トレイシー、「いつも心に太陽を」のシドニー・ポワチエ、「去年の夏突然に」のキャサリン・ヘップバーン、そのほか、キャサリン・ホートン、セシル・ケラウェイなど。
サンフランシスコ空港で飛行機から降り、タクシーに乗った若いカップルが、人目をひいた。だが、人々のぶしつけな視線など気にしないかのように、黒人青年と白人女性は親しげに語り合っていた。青年はジョン(シドニー・ポワチエ)といい、世界的に著名な医師。女性の名はジョーイ・ドレイトン(キャサリン・ホートン)。2人はハワイで知り合い、互いに愛し合う間柄となったのである。ジョーイの母クリスティ(キャサリン・ヘップバーン)は、娘の婚約者が黒人であることを知り、驚いたが、娘の嬉々とした様子に、動揺は次第に喜びに変わっていった。だが、父のマット(スペンサー・トレイシー)は、そうはいかなかった。新聞社を経営し、人種差別と闘ってきたマットも、自分の娘のこととなれば、話はちがってくるのだ。ジョンは、学界でも有数な人物であり、近くジュネーブの大学院に迎えられることになっているということは、マットも知ってはいるのだが、黒人と白人との結婚には、想像を絶する困難がある。結婚を許しながらもマットは割り切れなかった。ジョンのジュネーブ行きの時間が迫っており、2人はその前に、互いに両親の了解を得たがっていた。息子の見送りと嫁に会うため、ジョンの両親プレンティス夫妻が空港に着き、ジョーイは出迎えたが、夫妻は嫁が白人であることを知り愕然とした。やがて、夕食の時が訪れた。ジョンとジョーイ、ドレイトン夫妻、プレンティス夫妻。そしてドレイトン夫妻の友人であるライアン神父。母親同士は結婚には賛成だったが、父親同士は反対し、とくに、マットは頑固だった。だが、そのマットも、若い2人のどんな困難にも立ち向かおうとする真剣さとその情熱に、かつての自分の青春を見、その尊さに気づき、2人の結婚を認めた。一同はそろって、夕食の席に着くのだった。→「招かれざる客」

 

 

南アフリカ概論(前期用)

1月7日

12回目でした。

この辺り、毎日体を崩さないようにするだけでいっぱいいっぱい、毎回ブログを書くのもなかなか。

もう1週間が経って、授業の前々日になってしまいました。何とか書いとこうと思います。

先に「アフリカの蹄」を50分余りみてもらいました。次回もそのくらい。3回にわけてみてもらうね。

著者についての新潮社のプロフィールです。

帚木蓬生

ハハキギ・ホウセイ

1947(昭和22)年、福岡県生れ。東京大学仏文科卒業後、TBSに勤務。2年で退職し、九州大学医学部に学ぶ。2018年1月現在は精神科医。1993(平成5)年『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞、1995年『閉鎖病棟』で山本周五郎賞、1997年『逃亡』で柴田錬三郎賞、2010年『水神』で新田次郎文学賞、2011年『ソルハ』で小学館児童出版文化賞、2012年『蠅の帝国』『蛍の航跡』の2部作で日本医療小説大賞、2013年『日御子』で歴史時代作家クラブ賞作品賞をそれぞれ受賞。『国銅』『風花病棟』『天に星 地に花』『受難』『守教』といった小説のほか、新書、選書、児童書などにも多くの著作がある。

幅広く書いてるね。次回新聞記事を印刷して持って行くね。

 

かなり走って紹介したけど、補足の意味で、アパルトヘイト体制とアフリカ人の抵抗運動に関して箇条書きにしておくね。

第二次世界大戦で大きくヨーロッパの国力が低下

→それまで抑圧されていた人たちが独立・自由を求めて闘争

→南アフリカでも、旧世代に飽き足らない若者がANC青年同盟(1943)を結成してデモやストライキなどで激しく闘争を展開

→当時の与党イギリス系の統一党は事態の収拾が出来ず

→1948年に総選挙→アフリカナーの野党国民党はアパルトヘイト(人種隔離)をスローガンに掲げ、人種によって賃金の格差をつけ、本来社会の最底辺のプアホワイト=アフリカーナーの大半の農民を優遇することを約束

→白人人口の60%のうちの大半のプアホワイトが国民党に投票→オランダ系アフリカーナーが議席の過半数を獲得

→アパルトヘイト政権の誕生

ここらくらいまで前回に話をしました。その続きです。

→体制を強化(人口登録法で人種の明確化、集団地域法で居住区を限定、共産主義弾圧法で反体制勢力を弾圧)

→アパルトヘイト政権に対抗してANCの闘争は激化

→1955年にクリップタウン郊外で全人種による国民会議、自由憲章を採択→指導者156名を逮捕して裁判にかけ、全員の死刑をはかる

→結果的には無罪

→ANCの中でアフリカ人だけで戦うという理想派(ソブクエがリーダー)とアパルトヘイトを廃止するためなら白人とも共産主義者とも共闘する現実派(マンデラ・タンボがリーダー)が1959年にANCを分裂させる(白人にとっては願ってもないチャンス、アフリカ人側の抵抗力が半減)

この辺りまでは話をしました。次回は映像とあわせて詳しく話を出来る時間があるとええけどね。

→1960年3月ソブクエがパス法不携帯で警察に出頭して法改正を迫る戦略を開始、マンデラは時期尚早と不参加

→シャープヴィル・ランガなどで警官が無差別に発砲(シャープヴィルの虐殺)

→社会は騒然、ソブクエは逮捕され、政府はソブクエ一人のためにソブクエクローズを制定してロベン島に孤独拘禁

→騒乱に乗じてANCがパス法を焼く闘争を展開

→それまでの非暴力戦略を捨てて武力闘争・破壊活動を開始

→政府は非常事態宣言を出して弾圧を強化

→国連は非難決議・経済制裁を開始

→白人政府は親書を各国に送り協力を要請→日本と西ドイツだけが要請に応じて通商条約を再締結

→見返りに白人政府は居住区に関する限り白人並に扱うという名誉白人の権利を附与

→マンデラは国外に出て資金集め・ロンドンのBBCで武力闘争開始宣言

→アパルトヘイト政権は弾圧を強化

→帰国後マンデラは逮捕され裁判にかけられる

→1964年マンデラ他8名に終身刑、以降1990年まで獄中生活。指導者は殺されるか、国外逃亡か、獄中かのいづれかで、指導者はいなくなる暗黒時代に

→日本は東京オリンピックを開催して高度経済成長の時代に突入

 

最初と授業のあとに課題を集めました。英語のクラスの分と併せて読んで、一月中に成績が出せるとええんやけどな。毎年そう言ってます。

授業の時にも言ったけど、仮説を立てて論証をするというのは、今の時期、大事なことやし、理系の人には、文系のテーマでそれが出来る稀有な機会、しっぱなしにしないで、自分のやったのを確かめたいときは、いつでも連絡しぃや。

前期で切れてしもうて、来年から南アフリカ概論もそれ以外の学士力発展科目も持たないけど、英語のクラスでは、引き続き、同じようにやるつもりです。ま、お節介のボランティアをやめて、頼まれた地域の英語のクラスに専念(ま、工学部の2クラスと医学科の4クラスは、ずるずるボランティアが続きそうやけど。)というところかな。

また、あした。

たま

ビジネス英語 I-2(2)

1月7日

12回目でした。

この辺り、毎日体を崩さないようにするだけでいっぱいいっぱい、毎回ブログを書くのもなかなか。

もう1週間が経って、授業の前の日になってしまいました。何とか書いとこうと思います。

この前各班に行って確かめたように、あしたは各班発表してや。

台湾との発表がもうちょっとみんなのためになるかと思ってたけど、それほどでもなくて申し訳なかったという気持ちもあって。あと3回で、みんなの学年の授業も終わりやね。

3年では進路のことや英語もことなど、僕で手伝えることがあれば喜んでやらしてもらうんで、いつでもどうぞ。

出来れば次回と最終回、少し各班時間をかけて、せめて原稿を見ずに楽しみながら聞けるように準備しぃや。

また、あした。

たま