つれづれに

つれづれに:きんぽうげ

木花神社の展望所から、田植えはほぼ終了

 昨日は曇り空、夜半から天気が崩れている。今は降ってはいないが、今にも降りそうな気配である。天気予報を見ると、ぐずついた天気が続きそうである。☔が多い。金曜日は雨のち曇り、降水確率80パーセントとあるが、自転車で行けるように降らないことを祈るばかりである。

折生迫(おりゅうざこ)の県水産試験場入口の桜

 桜があちこちに咲いているが、春は桜だけでない。花は実に多彩だ。先週と先々週にきんぽうげを摘んで持って帰ってきた。あちこちで見かけるが、毎年群がって生える個所がある。白浜に行く道だと、高台を下りた田圃(たんぼ)の際と、白浜のキャンプ場の手前の道路脇である。今回はキャンプ場の近くで摘んだ。ほかに大学のキャンパスでよく摘んでいた。本学の教育棟と生協の間や、農学部から外に行く道路脇、それと本学から医学部に行く途中の養護学校の手前坂道の脇などである。医学部テニスコートの横の道辺りでも摘める。摘んで、ガラスのコップに挿(さ)して研究室に飾ることが多かった。ただ、数日しか持たずにはらはらと散ってしまう。(→「2019年、4月です。」

 きんぽうげについては毎年のように「つれづれに」に書いて来た。ホームページやブログの授業のページでも折に触れて書いてきたし、毎年配っていたB5版の用紙に印刷した自己紹介にも、妻に書いて貰った似顔絵(↓)と上の画像を貼り付けたりしていた。明石や神戸の都会と違って、きんぽうげも含めて摘める花も多い。

 きんぽうげを見ると種田山頭火(↓)を思い出す。死にきれず得度(とくど)したあと、旅に出て行乞(ぎょうこつ)をしながら各地を歩いた。宮崎にも2度来ている。『行乞記』にもきんぽうげや薊(あざみ)の句が多いのは、あちこちに咲いていたからだろう。(→「 なんで山頭火?」、→「山頭火の生涯」

歩けばきんぽうげ、座ればきんぽうげ

 宮崎では他に有名な句を詠んで、各地に句碑も立つ。医学生といっしょに高千穂神社の句碑の前で句を詠んだこともある。高千穂鉄道があった頃で、手前の日之影駅に降りて温泉に浸かった。(→「高千穂小旅行」

分け入つても分け入つても青い山

高千穂神社脇の「青い山」の句碑

 きんぽうげについては、ホームページやブログにもよく書いている。春の風物詩の一つである。

  • 2014/04/10   充電期間も終わり、今年度の授業も始まりました。
  • 2017/04/20   二日前にきんぽうげを摘んで……

つれづれに

つれづれに:桜まつり

「桜とノア」

「桜」桜が満開である。妻が出版社から装画を頼まれたころ、桜の枝を拝借して来て、絵にしてもらった・装画の他にも、カレンダーにもよく使った。

遠藤康『さくら殺人事件』(小島けい装画、1994/8/4)

 木花神社では3月30日(土)に桜まつりをやったらしい。たぶん、今年初めての催しである。神社にはそれほど桜の樹はないので、何個所かをである。前の日に、若い人が何人か竹を切り、提灯を階段や境内に吊す作業をしていた。

 高台の公園での夏祭りも同じように力を合わせて準備しているんだろう。コロナで3年ほど中止になっていたが、去年は8月に復活させたようだ。開催の掲示板は見たが、実際には見ていない。花火の音も聞かなかった。

金曜日に白浜に行ったときも、折生迫の県水産試験場の桜も満開だった。

帰りに加江田の果樹園に寄ったときも、加江田川の橋の手前の沿道の桜並木もきれいに花を咲かせていた。果樹園では秋の初めに小蜜柑(みかん)と(はっさく)が出たあとしばらくお休みで、そのあと日向夏(ひゅうがなつ)が出る。見た目のよくないのもあるが、味は深みがあっておいしい。丹精込めて作っているのが伝わって来る。金曜日も、東京の息子夫婦に送る日向夏を買いに行った。柑橘類が好きらしく、楽しみにしてくれているようだ。

明石に住んでいたときに、妻と二人で吉野の奥千本(↓)に行ったことがある。昼から出かけたので、西行庵の近くの芭蕉の碑「露とくとく 誠に浮世 すすがばや」を見た時には薄暗くなっていた。(→「無題」 、1978)

明石からでも、奈良は遠い。国鉄で大阪に行き、どこかで近鉄に乗り換えて吉野に行ったと思う。相当な時間がかかった。昼から出かけたので、すぐに夕暮れになった。うす暗くなっている中で遠目に見る中千本(↓)も、幽玄で見応えがあった。結婚したすぐあと辺りだったと思う。結婚を決めてすぐにいっしょに暮らし始めたのはよかったが、次の年には娘が生まれたので、二人の時間が短かった。その頃、授業やホームルームやクラブにと、時間に追われる毎日だった。今ならもう少し時間の使い方も違ったと思うが、その時はそれが精一杯だった気もする。

白浜の鍼灸(しんきゅう)整骨院で揉(も)んでもらいながら「観音池に電話をかけて開花状況を聞いたら、まだ3分咲きということでしたね。桜並木もものすごいきれいですよ。ロープウィもあって、山肌一面の桜も見事です。観覧車もありますね」と言うのを聞いた。 観音池をウェブで調べたとき、堀切峠も桜(↓)の名所に上がっていた。堀切にはよくでかけるが、桜の名所という認識はなかった。来年くらいは、桜を見にでかけるのもいいか。

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つれづれに:4月になった

<犬(もえちゃん)とアザミ> (SM号)

 今日から4月である。カレンダーにある→「薊」(あざみ)はまだ盛りではないが、高台の公園に登る坂の土手で前に見かけた。また薊の季節かと思ってからしばらく経つ。一昨日、来年用の種に必要な分の花だけを残して、大根の花(↓)をかたづけた。畑の通路が白い花で覆(おお)われて、歩くのが難しくなったからである。

 それに、そろそろ瓢箪南瓜(ひょうたんかぼちゃ、↓)の柵の準備もしないといけない。だいぶ前から、竹取の翁(おきな)になって、今年は3メールの太い竹を切り出して持って帰っている。2年続きで台風で傾いたので、今年は太い竹とその支えの木の杭を添えてみるかと思いついたのである。3層くらいの棚を作り、その上に南瓜を這(は)わせてみようと思っているが、うまく行くかどうか。南側と西側半分ほどの金木犀の樹の上を這うように、橋渡しの竹もつけてみるか。去年は南西の端に拵(こしら)えたとまと用の温室の上に這って、最終的にはそこにも数個の実がなっていた。樹の間にぶら下がって大きくなる実もそこから落ちる実も、結構な数になる。去年瓢箪南瓜の原産が南アフリカだと知って、少し親しみも増した。近所のお裾分けや、個展に来てくれる人に送るのにも重宝している。都会では、結構高い値段がついている。出来れば柵の下に西瓜(すいか)を作ってみたいが。去年は西瓜も瓜(うり)も芽が出ずに、うまく行かなかった。諦めて今年は苗を植えてみるか。去年は1本300円にしり込みしてしまったが。

 金曜日は晴れていたので、折生迫(おりゅうざこ)の水産試験場で桜の写真を撮ったあと、海の写真も撮った。青島港の船置き場を過ぎた辺りから試験場を過ぎると、突然眼の前に海がわーっと広がる。その視界の変化も、海岸線の雰囲気や道路の曲がり具合なども気に入っている要因なんだろう。

 平日だったが、青島の参道は人がたくさんだった。大きな観光バスが停まっていたし、それ以外にもたくさんの車があった。すっかりコロナ騒動以前に、客足はもどったようである。

 海岸にはサーファーが多かった。揉んでもらいながら、いい波だったので、午前中に木崎浜に入ったと教えてもらった。青島ビーチは沖に波を消すコンクリートの塊を沈めてあるので、あまりいい波は来ないらしく、初心者向けだとも教えてもらった。波に乗るまでの練習といったところか。たまに波に乗っている人を見かけるが、極めて短い時間で波に消えている。サーフィン教室用にはうってつけの波のようである。

手前は青島ビーチ、ドームの辺りが木崎浜

 自転車で白浜に通えるのは有難いことである。調子が悪くなると、その有難みは増す。おまけに、きれいに晴れていたし、風は少々出てはいたが気持ちよかった。そして、いつものようにみらいはし(↓)で一枚写真を撮って帰ってきた。

つれづれに

ZoomAA5第5回目報告

 5回目は、西アフリカの教育・音楽とアフリカとアフリカ系アメリカのゴスペルに絞った。男子は15歳で大人と見なされ、自分の小屋をもらう。「ルーツ」の映像をみてもらった。15歳の少年たちに指導する人が語りかける。儀式のあとは村総出で出迎える。ドラムと歌声に乗って、女性たちが踊る。大人たち全員が子どもたち全員を大切に育てているのがわかる。ドラムは森で木を切り、獣皮を張って拵(こしら)える。ゴスペルはソウェト・ゴスペル・クワイア(↑)とディオンヌ・ワォーウィック(↓)の曲を聴いてもらった。(YT)