つれづれに:春模様
ぐずついた日が続いたが、一昨日はきれいに晴れて白浜の海(↑)も色が鮮やかだった。いつもの位置で砂浜と海の写真を撮った。
高台を下りたら、田圃(たんぼ)に水が張られていた(↑↓)。田植えの準備である。まだ張られてない田圃の方が多いが、今月末には超早場米の田植えが始まる。ほんとうは田に水を張る前にやる田起こしの場面を撮りたかったのだが。耕運機のあとを群がって着いていく烏(からす)か白鷺(しらさぎ)の構図が面白くて、いつも撮りたいと思っているからだ。過去に撮った写真はないか確かめたが、残念ながら画像は残っていない。何回も見たので。その画面は目に焼き付いているのだが、鳥たちの目当ては、耕運機で掘り起こされた地中に眠っていた虫たちである。自然の摂理というところだろう。
家の庭では沈丁花(じんちょうげ)の花もほぼ終わり、北側の庭に植えた藪椿(やぶつばき)のこぶりの花が次々と落ちている。もちろん南側の日当たりのいい場所に植えたかったが、他にも樹があるし、畑の空間も要るので、一本だけしか植えられなかった。北側の樹は、なぜか本調子ではないのに、今年は葉がすっかり落ちているのに、花だけが20ほど咲いている。椿は時機が過ぎるとぼとんと花が落ちる。花の落ち方から嫌がられた向きもあるようだが、→「椿」、特に藪椿は好きな花の一つで、妻のカレンダーや装画の材料の一つである。「椿の花 斬首」でウェブ検索したら、次のような記述があった。
「椿は花が原形を保ったまま地面に落ちるが、その花が斬首にあった人間の首を思い出させるので、江戸時代の武士には嫌われたそうである。
人間の首は地面に落ちたらそれまでであり、桜の花びらもまた然り。しかし椿の花はその誇りを失わず、地面に落ちてもしばらくの間は鑑賞に堪えうる。」
→「私の散歩道2009」の表紙絵の原画
去年の夏ころに近くの家の庭に郁子(むべ)の実が2個(↓)なっているのをみて写真に撮って、→「郁子」と→「郁子と通草(あげび)」について書いたとき、春に花が咲いたら写真を撮ってこようと考えた。
その花が咲き出していたのである。その群生は毎年花をつける。まだ蕾(つぼみ)が多いが、花は咲き出している。自転車の通る道をしばらく海沿いのコースに変えていた。しばらく通らなかったが、また元の道を通るようになっているので、写真が撮れたというわけである。秋に「つれづれに」に書いた時は「薄紫の花」と書いたと思うが、実際はかなり濃い紫色だった。郁子が熟した時の実の表面の色よりも濃い気がする。
春一番も吹いたと誰かが言っていた。その前後はぐずついた天気が続いていたが、その間にすっかり春模様になったようである。田植えの準備と郁子の花が、その時機の訪れを教えてくれている。
今年こそは、稲刈りの後と水張りの前に田起こしの写真を撮りたいものである。からすさん、しらさぎさん、その時はどうかよろしく頼んます。
小島けい「私の散歩道2010~犬・猫・ときどき馬」3月