1976~89年の執筆物

概要

死後出版の Lawd Today の作品論です。死後出版ですが、シカゴ時代に書かれたものです。習作の域を出ないという評もありますが、文章に勢いがあります。 Native SonBlack Boy を生む直前の作品です。虐げる側への反感と同じくらい、虐げられることに慣れてしまっている人たちへの反発も大きかったのですが、日常を克明に描くことでその反発を表現したかったのでしょう。

「黒人研究」54号33-38ペイジ

本文

リチャード・ライトと『ひでえ日だ』

(Ⅰ)

死後出版ではあるが、リチャード・ライトの最初の長編小説とされる『ひでえ日だ』(Lawd Today, 1963) には、大都市シカゴのサウスサイドに住むある黒人郵便局員を通じて、人種主義を孕むアメリカ資本主義体制が生んだ物質中心文化に毒された黒人労働者の姿が克明に描かれている。そこには、そのような人間を生み出したアメリカ社会に対する激しい抗議と、虐げられ、搾取されながら、なお自分達の窮状に気付かない黒人労働者層への厳しい警告が含まれている。作品自体、多くの批評家が指摘するように習作には違いないが、充分に評価に堪え得る価値と独自性を備えており、その作品を抜きにしてリチャード・ライトと作品の正当な理解はあり得ないというのが本論の骨子である。

(Ⅱ)

ライトは『ひでえ日だ』を希望に燃え、情熱の炎を燃やしながら書いたのではない。或いは、主人公ジェイク・ジャクソンに共感を覚えながら同情して描いたのでもない。いや、反感と嫌悪感から「そうではない!」と心の中で叫びながら敢えてこの小説を描いて見せたのである。

ライトは『ひでえ日だ』の舞台を北部の大都市シカゴに、時を1930年代、リンカーン生誕記念日の2月12日に、そして主人公を黒人居住地区に住む郵便局員の黒人青年に設定した。しかも「もし、リチャード・ライトがジェイクを描いてくれていなかったら、大ぜいの人の中に居れば、こちらに何の責任もなく他の人と区別の仕様がないひとりの黒人としてその人を見過ごしてしまっていたかも知れない」1 という評がぴったりする程極くありふれた黒人青年を敢えて主人公に選んでいる。

又、時をリンカーン生誕記念日に設定したが、主人公ジェイクにとっての「記念日」を必ずしも特別の1日としたのではなく、むしろ極く「ありきたりな」1日として設定したのである。しかも、その1日も、厳密に言えば、目覚めのラジオ放送の流れる朝8時頃から、酔っ払ったジェイクが傷を負って眠り込んでしまう翌日の暁方4時頃までの僅か20時間程の「1日」である。

その「1日」の筋立てには「ビッグ・ボーイは故郷を去る」(1936)の中のリンチ場面に描かれた様な強烈さもなければ、『アメリカの息子』(1940)で描かれたような事件の慌しさもない。主人公が、いつものように朝起きて、妻と痴話喧嘩をしながら朝食を取り、身支度をして仕事に出る。チェック・インまでの暇つぶしに、街をぶらついたりブリッジに興じたりする。局での8時間の仕事をいやいや終え、憂さ晴らしに安酒場へ繰り出すが、前借りした大金をすられた挙句袋叩きにあい、寒空の下に放り出されてしまう。何とか家に辿り着き、酔った勢いで妻にからんで行くが、逆に怪我を負わされて酔いつぶれてしまう。只それだけの、これと言って取り立てる程のこともない筋立てである。見方によれば、筋立てらしい筋立てがないと言えるかも知れない。

更に又、主な登場人物はと言えば、主人公のジェイクと妻リル、それに1日ジェイクにつき合った3人の友人ボブ、アル、スリムくらいなものである。

それらを考え合わせてみれば、ライトは大都市シカゴのどこにでも居る黒人青年の、ありきたりの1日の、取り立てて言う程のこともない話を敢えて取り上げ、それを延々189ペイジに渡って綴ったことになる。しかも、「現実」から目をそらさないで、第3者に語らせる形式を取り、客観的に、冷静に、微に入り細に入り、この小説を書き上げたのであるが、まさにその点にこそ、この作品の独自性が潜んでいる。そこには、「あらゆる毛穴やにきびまでもを情け容赦なく写し出すために急に像を拡大」2 したような現実がある。目をそむけたくても、そむけるだけでは済まし切れない現実が描き出されている。

ライトは物語の最初にジェイクとリルの夫婦喧嘩の場面を持って来て読者にある象徴的なイメージを投げかけている。

ラジオ放送に起こされたジェイクは機嫌が悪い。リルと牛乳配達人との楽しげな会話が気になって仕様がない。甲高い笑い声さえ聞える。堪り兼ねて台所に顔を出すと、牛乳配達の青年は、ばつ悪そうにそそくさと帰って行った。こうして痴話喧嘩が始まる-

「俺は馬鹿じゃねえ・・・・・・・てめえ、俺を見くびるんじゃねえぞ。」

「あんたを見くびったりしてないわよ。」

「奴の喋る事が俺に聞えんようにラジオをつけたんだろう。」

-(中略)-

「後生だから、そんな馬鹿は言わないで、ジェイク。」

「俺を馬鹿呼ばわりするな。」

「バカだと言ったんじゃないわ。」

「俺への口のきき方には気をつけろ。」

「ものごとはちゃんと見て欲しいわ。」

「ちゃんと見てるからお前のやってることがわかるんだ。」3

言葉尻を捕えての詰り合いは側目には滑稽だが、本人達は真剣である。横柄なジェイクにリルも負けてはいない。牛乳配達人との仲を勘ぐられたリルは「あんたが思っているようなことの出来る体じゃないってこと、あんたが一番よく知ってるじゃないの。」(15)とやり返す。ジェイクには、もぐりの医者と組んでリルを騙し、堕胎手術を受けさせたという弱みがあった。手術後の調子が悪くて病院でのつけは500ドルに達していた。盲腸の手術に新たに500ドルが要るという。「もし払わなかったら、先生、あんたの仕事、辞めさせるかも知れないわ。」(17)と脅して来た。夫には妻を扶養する義務があり、もし養ってくれなげれば局の監査課に直訴すると言う。過去に2度直訴されており、今度直訴されたら、職を失うと勧告されている。「お前なんか要らん」「あんたなんか要らないわ」とやり合って、リルが「もうあたいに喋りかけないでよ。」(19)と言った時、ジェイクの堪忍袋の緒が切れた。平手打ちを食らわせ、横腹を蹴り、左手を背中にねじり上げてしまった,冒頭の1章20ペイジまでの場面である。(最後の場面に於いても、ジェイクは酒の勢いを借りてリルに襲いかかっている。)

『アメリカの息子』(1940)のねずみ撲殺の場面や「地下にひそむ男」(1944)のマンホールをめぐる場面などの冒頭部分でもそうであったように、この夫婦喧嘩の場面には、何か主題に深く係わる象徴的なイメージが含まれている。4

その象徴的なイメージを解く一つの手掛りを『アウトサイダー』(1953)の一節が与えてくれる。主人公クロスはジェイクと違って、シカゴ大学中退のインテリだが、同じく郵便局に勤める黒人青年である。不仲の妻と別居中、酒びたりで本ばかり読むクロスを友人ボブがからかう場面である-

「誰かがクロスは連邦政府の真似をしようとしてるって言ってたぜ。」とジョーが始めた。

「クロスの悩んでいる問題は、奴の4Aだってさ。アルコ―ル。堕胎。車。それと別居手当よ。」5

僅か19才のリルに堕胎をさせ、アルコールのカを借りて妻を撲り、家財道具を壊して怪我を負う。「あんたなんか要らないわ。養ってくれさえすればいいのよ」と妻に毒づかれジェイクが別居手当を払うのも時間の問題である。ジョー流に言えば、ジェイクも又、クロスと同様に、連邦政府の4A政策の「真似」をしていたわけで、このシーンを用いて、ライトはジェイクを通して1930年代当時のアメリカが抱える「問題」の、言い換えれば、アメリカ資本主義体制が生み出した「現象」のイメージを象徴的に読者に投げかけたのである。そのイメージはジェイクを通じでの克明な人物描写によって肉付けされ、物語が進むにつれて次第にはっきりした形を取って行く。

ジェイクは自らの泣き所を逆撫でされて妻に暴力をふるったが、暴力は「堕胎」の一件以来妻に信用されなくなったジェイクの憤懣の吐け口でもあった。勿論、妻に手を出せばどうなるかは充分承知してはいたが、結局は自分を抑え切ることが出来なかったのである。それでも心得たもので、妻の「直訴」に備えて、早速サウスサイドの顔役でもある理髪店主の黒人ドック・ヒギンズの所へ出向いている、いつものように監査課の白人役人に鼻ぐすりを効かせてくれと頼み込んだのである。案の定、仕事場で監査課からの呼び出しを受け、苦しい弁解を並べ立てる窮地に追い込まれたが、手筈通りドックの電話の助けを借りて何とか解雇されることだけは免れている。その代償が75ドル、今回で3度目のことである。

外出の直前にジェイクは妻から生活費がないと訴えられたが、3日前にリルに手渡した額は2ドル。「つけで買え」とジェイクは威勢がよかったが、リルはもうこれ以上どこもつけでなんか売ってくれないわと言う。医者へのつけが既に500ドル、新たに手術すればもう500ドル、「家具代に、部屋代にガス代に電気代にボストン・ストアの代金に保険代に牛乳代」(21)、そんなことを考えながら、ジェイクは「リルへの憎しみの涙と自分自身への憐れみの涙」で目をうるませる。ジェイクは、妻との仲だけでなく、金銭面に於いても、抜け出せない泥沼にどっぷりとつかっていたのである。

そんな涙の乾かぬうちに、ジェイクはせっせと身支度にとりかかる。側目には滑稽な程、時間と労力を費している。長年の「朝の大仕事」の髪については手慣れたもので、先ず、髪にたっぷり水をつけて櫛で3分間、縮れた毛と「格闘」する。次に、くるみくらいの大きさの黄色いポマードを手のひらに伸し、髪に塗りつけ、しっかりと毛を押えつけた上、拳骨で叩く。既にその頃には鼻息も荒くなっているが、休まず再び櫛を使って髪を整える。御本人は鏡を覗き込んで「もしこの上にはえが止まりでもしたら、きっと滑って首の骨を折るぜ」(25)と御満悦だ。あとは1時間、妻のストッキングを切って拵えた帽子を被ればおしまいである。(今朝も、これが最後のだからつぶさないでと懇願するリルから腕ずくで奪ったストッキングを被ったのだが。)

次は服装である。10着のスーツから、今日はグリーンのものを選んだ。それに合わせて茶色の革靴、藤色のワイシャツに黄色のネクタイである。指には模造品のルビーの指輪、胸のポケットには紫色の刺繍が入ったオレンジ色のハンカチ、あとはコートの襟にすみれの香りのする香水をふりかけて出来あがりである。(おそらく、それらは総て「ボストン・ストア」から月賦で買い込んだものばかりに違いない。)

身だしなみを整えたジェイクの行き先は,主にナンバー賭博場、ドックの理髪店、友人のアパート、仕事場、それにローズという女の居る安酒場くらいのものであった。ナンバー賭博場では、例の如く賭けた2ドルをすってしまったが、これからは二度と足を運ぶまいという誓いをたてた。ドックの店では足もとを見られて75ドルも巻き上げられるはめになった。どこか他の所へ行きたいとは思いながらも、結局は適当な場所が見つからず、いつものように足の向いた所がボブのアパートであった。それでも、友人達とブリッジをやりながら、ゲームの緊迫した雰囲気の中で、その日初めて充実感を味わうのであった。安酒場では、腹一杯飲んで食べた後、女に言い寄って一夜の契約が成立したかに見えたが、女の口車に乗せられて見せびらかしたのが禍して100ドルの大半をすられた挙句、袋叩きにまであってしまった。その100ドルも、20ドルもの高い利子を払わされて給料から前借りしたものだが、交代でおごり合いをしている仲間への飲み代が調達出来なかったというのが、借りたそもそもの理由である。

そんなジェイクを失業中ではあるが黒人解放に燃える共産党員デュークに、ドックが次のような紹介をする。

「ここに立派なしっかりした仕事に就いている分別ある若者が居る。君と同じ年令の青年だ。こいつに聞いてみるといい。おい、ジェイク、このうるせえ世間知らずに何か言ってやれ」(54)

ドックの「分別ある若者」という紹介に胸を張るジェイクが、読者には「滑稽」を通り越して、むしろ「哀れ」にさえ映る。

冷徹な第3者の目を通して描かれたジェイクは粗暴で、経済観念に乏しく、短絡的で、虚栄心が強く、安易に享楽に身をまかせがちな人物である。そんなジェイクは言わばアメリカ資本主義の生んだ「問題児」なのだが、ライトはジェイクを白人、黒人をも含めた一般のアメリカ人として描いたのではない。あくまで黒人として、それも、かつて自由にあこがれて南部を捨て北部にやって来た黒人として描いている。

ジョー・ルイスやジャック・ジョンソンの事を誇らしげに友人と話すジェィクは、紛れもない黒人である。ジェイクは同じ職場で働く白人を見遣りながら「黒人が郵便局の仕事に就いたらもう頂上に着いてしまったことになるのさ」(103)、「そうさ、白人の奴ら、景気さえよけりゃ、こんな仕事、したがったりゃしなかったぜ」、「白人の奴ら、誰一人として夜働いたり、こんな挨を吸いたがらなかったぜ」、「いま不況が続いているから、奴ら俺達をクビにしたがっているのさ」(156)と友人達と嘆き合う。更に、南部の昔を懐しく思い出しながら「北部と南部の唯一の違いは、南部じゃ、奴ら、俺達をその場で殺そうとするが、ここ北部じゃ俺達を餓え死にさせようとしやがるぜ」、「全くぅ、じわじわ死ぬくらいなら、ぱあーっと死んだ方がましだぜ」とこぼし合う。そんなジェイクは法律にこそ明記されてはいないが、巧妙で目に見えない北部のジム・クロウ体制が確かに身に汲み込んでいる黒人労働者である。その意味では、虐げられ、搾取されている側の人間に間違いないのだ。

しかし、ものの見方、考え方は果たしてどうだったのだろうか。ライトは、リルと或いは3人の友人と語らせることによってジェイクの考え方を明らかにしている。

ジェイクは、朝食の際、新聞に目を通しながらリルと次の様な会話を交す-

「人々は、ここ北部でも飢えてるのよ。」

「ふん、わかった風な口をきくな。」

「新聞でそう書いてあるわ。」

「この国じぁ、怠け者の他は飢えたりはせん。」

「でも、仕事がないのよ」

「奴ら、働きたくないのさ。」

「あの人たち、この前黒人を焼き殺したわ。」

「誰がだって?」

「この国の白人たちよ。」

「うるせえ。自分の言ってることがわかってるのか。」

「でも、奴らはやったのよ。」

「なんでわかるんだ。」

「新聞にあったわ。」

「ふん、南部のことじゃねえかよ。」

「でも、南部もこの国の一部よ。」

「おまえ、アカか?」(31-32)

又、昨今の移民の激増に大いに不満げな様子で、リルに向って「もし政府が奴らを締め出し続けてたら、俺たち黒人の今の暮らし向きだってずっといい筈だぜ」(31)とジェイクは言う。

更に、3人の友人とブリッジをやりながら、白人のある金持ち婦人が南部のある大学に百万ドルの寄付をしたことを話題にして「俺達黒人は金持の役人にしがみつくべきだと俺はいつも言ってたのさ」(58)と言った上、党活動に熱中するデュークを持ち出して「奴はおかしいぜ」と非難する。(ドックの店でジェイクは、黒人達が飢えに苦しんでいる現実を必死に訴えるデュークに10セント硬貨を取り出しながら「おまえ、腹が減っているのか」(55)とからかった上、おまえは党に利用されているだけで,要らなくなったら捨てられるだけだと罵っている。)

そのように語るジェイクの考え方が「白人中産階級の見方」6 かどうかは別にしても、少なくとも現に搾取されている労働者の、或いは虐げられている黒人の側に立つ人間の持つ考え方ではない。実はライトが本当に問題にしたかったのは、既に取り上げたジェイクの外から見える現象面もさることながら、むしろそれらの現象面下に潜む、換言すれば、「現象」を導き出したジェイク自身のこれらの物の考え方だったのである。中でも、ライトが最も反発し、反感を覚えたのは、側目から見ればどう仕様もないと見える程の窮地に居ながら、本人にその自覚がない点である。口では将来の希望のなさや自分の不運を嘆きながら、ジェイクは自分に対して、或いは自分の現在に対してまんざらでもないという気持ちを抱き、結構楽しみ方を心得ている。酒を飲んだり、プリッジをやったり、互いに相手の家族についての悪口を言い交すダズンズを楽しんだり、5ドルも出して買ったというエロ写真に歓声を上げたり・・・・・・ジェイクなりに日頃の憤懣を解消する術を充分に心得ているのだ。大金をすられ、袋叩きにあった後でさえ、居酒屋で一杯ひっかけ「ともかく、結構楽しかったぜ」と言いながら、又ウィスキーを回し飲み・・・・・・独りになって残された僅か85セントの金を見て、ドックに支払わなきゃならないしと思いながら「しかし飲んで浮かれりゃ、浮かれ馬鹿だったのさ!」(185)と声を限りにわめき散らす。そんなジェイクに悲愴感はない。明日は明日で何とかなるさという楽観があるのだ。「堕胎」の件以来、自らの不運を嘆き、慰めを求めて宗教書に耽るリルをジェイクは罵るのだが、逃避の手段としてのリルの「宗教」と憤懣の吐け口としてのジェイクの「酒」或いは「享楽」とに一体どんな差異があると言うのだろう。実は「セックス」と「宗教」は、ライト自身が常々指摘していたように、隔離された窮状の実態を見えなくする体制側の強力な手段に他ならなかったのだ。7 図書館を「ピクニック」の場と考えるジェイクには現実を認識するための教育の「必要性」など無縁のものである。8

ジェイクに対するその反感が、あくまで第3者の立場からの容赦のない「現実」の描写の原動力となっているのだが、そう考えてみれば『ひでえ日だ』はライトの同胞黒人の真の解放を願う悲痛な叫びであったと言える。

そのライトの叫びは、1930年代のシカゴのサウスサイドの実態を考えれば、尚一層真実みを帯びてくる。小説の中ではジェイクの人となりに焦点があてられていたので、ジェイクや友人のアパート、ドックの理髪店、安酒場などの場面で僅かに仄めかす程度にしか触れなかったが、作品の背景にかすかに見え隠れする環境のひどさを抜きにしてはこの物語を語ることは出来ない。後の作品で作者が取り扱ったシカゴのサウスサイドの「現実」が、その悲惨な実態をより明確なものにしてくれる。9

『アメリカの息子』の冒頭部にねずみを登場させたのは、ライト自身が実際にシカゴの街中をたくさんのねずみが走り回るのを見たり、就寝中の赤ん坊がねずみに噛まれたりという噂を聞いたり、新聞記事を読んだりしたことからヒントを得たものだと後に語っているが、それらは下水も含めた生活環境のひどさを象徴したものである。10 同書には、主人公が逃亡中に隠れていた廃屋の一室で、家族と共に住んでいたアパートを強制的に追い出された2日後にその建物が崩れ落ちた噂を耳にしたことを回想する場面が描かれているが、11それは取りもなおさず住宅事情の悪さを物語るものだ。同書には又、黒人居住地区で5セントで売られている同じパンが、すぐ向こうに見える白人居住地区では4セントで売られているのを主人公が苦々しげに見つめる場面があるが、12現実に黒人と白人との間には決して越える事の出来ない「ライン」があって、それがサウスサイドの経済状態をますます悪化させている実情を示唆したものである。

又、ライト自身、不況時に失職して移り住むことを余儀なくされたスラム街の部屋のあまりのひどさに、同行した母親が泣き出してしまったという体験について書き記しているが、その体験も現実のサウスサイドの悲惨さを如実に物語るものの一つである。13

中でも、ライトがサウスサイドの実態を最も強烈に描き出しているのは、写真家エドウィン・ロスカムとの共作『1200万の黒人の声』(1941)の一節であろう。元白人用の1戸を7部屋に区切って黒人に貸した「キチンネット」(簡易台所式アバート) の家賃の法外さについて述べたあとの次の件であるー

「キチンネットは我々の監獄であり、裁判なき我々への死刑宣告である・・・・・・

「キチンネットは空気が淀んで穢れ、30人かそれ以上の住人に対してトイレが1つ・・・・・・

「キチンネットは猩紅熱、赤痢、腸チフス、結核、淋病、梅毒、肺炎それに栄養失調の温床である。

「キチンネットは我々の間に余りにも広範に死をまき散らすので、今や死亡率は出生率を越えてしまっている・・・・・・

「キチンネットは混み合って、絶えず騒しいので、あらゆる種類の犯罪を誘発する場となっている・・・・・・

「キチンネットは伸び盛りの子供達の人格を挫いている・・・・・・

「キチンネットは未だ10代の田舎娘を都会の騒音やネオンに刺激されて落ち着きをなくした男たちと一緒に部屋に押し込んでいる。だから町の他のどの地区よりも多くの私生児を生んでいる。

「キチンネットは黒人の少年たちをいつも苛々させ何かしたいという気持にさせている。その結果、少年たちは家から飛び出し、他の落ち着きをなくした、徒党を組んだ少年たちと一緒になることになる・・・・・・14

そんな「現実」を目の当たりにしていたからこそ尚のこと、自らの窮状にも気付かず、享楽に身を費やし、安易に借金を重ねて収入を越えた生活に走る「中産階級化」された黒人労働者層を見るに忍びなかったのだ。ライトはどうしても「そうではない!」と叫びたかったであろうし、叫ばざるを得なかったであろう。

当時親しく交際し、ライトのよき理解者であったマーガレット・ウォーカーの次の手紙がその辺の事情を教えてくれる-

「私は日毎に『ひでえ日だ』の悲劇がますますわかり始めて来ました。私の目の前ではその通りなのです。あの本の賢明さとあの種の本の必要性が私にはわかります。あらゆるものがあなたの書かれた通りなのです。借金にお酒に欲求不満の女性、浅はかで、何にも気付かないで。酒にブリッジに収入以上の生活、歪んでて、大げさで。それが黒人達の暮しの一部なんです。あの人たちは本当に可哀そうだと思います。それでいて、あの人達の家に行かれたら、あの人達が楽しそうなのも、そんな贅沢な暮しをするのもあたりまえだときっとお考えになると思います。」15

(Ⅲ)

『ひでえ日だ』は『アンクル・トムの子供たち』(1938, 140)とほぼ並行して書かれている。北部の大都市シカゴのサウスサイドに蠢く黒人労働者層を扱った長編を描きながら、―方では南部を舞台に、白人の暴挙の世界で必死に生きようとする虐げられた黒人達を描いた短編を次々に書き上げていたわけである。それら2つの作品がほぼ完成していたと考えられる1937年にライトは「黒人の著作のための青写真」を発表している。それは「アフロ・アメリカンの著作に関するライトの理論を最も完全に、首尾一貫して述べたもの」16だが、生活苦と闘いながら、虐げられた同胞黒人の解放を願って共産党活動にも従事していた、当時のライトの生き方、考え方を次の一節がはっきりと浮き彫りにしてくれる-

・・・黒人作家にとり、マルキシズムはほんの出発点にすぎない。人生そのものに取って替わる人生論などあり得ない。マルキシズムによって、社会の骨組みがさらけ出されたら、後はその骨組みに自らの意志で肉付けをして生命を吹き込むという仕事が作家には残されている。作家は嫌悪感と反感を抱きながら「そうではない!」と断言して、人類を蝕みつつある資本主義のぞっとする恐しさを描くかも知れない。又、希望と情熱に燃え「そうだ!」と肯きながら、新たに生まれ来る生命の幽かな胎動を描くかも知れない。しかし、自らが選んで語るとすれば、たとえどんな社会的意見を述べるにせよ、それが積極的なものであれ、消極的なものであれ、その意見の中に、直接的に、或いは間接的に、作家は自分の信条を、自分の必然性を、そして自分の判断を、いつも語らねばならない。17

ライトは物質中心文明に毒され、ジム・クロウ体制の下で坐かれながら、尚自らの窮状に気付かない黒人労働者達を目の当たりにして「そうではない!」という「自分の判断を」、そんな現状を生み出したアメリカの実態を暴かねばならないという「自分の信条を」、そしてその様な窮状を正しく把握、認識出来る教育の必要性を思う「自分の必然性を」、この小説に託して「間接的に」語ったのである。

数々の出版拒否にあい、当時出版されることはなかったが、そのことでライトは二ューヨークに出る決心を固めた。そして『ひでえ日だ』の反感と『アンクル・トムの子供たち』の共感がやがてあの『アメリカの息子』を生む。

「過去」によってもたらされた「現在」を描いたライトが、やがては未来を生み出すべき「現在」を描き出そうとする、そんな後のライトの推移を考えるとき、「現在」を描いて余りあるこの「ひでえ日だ」は、ライト自身の出発点であると同時に、リチャード・ライトの人と作品の正当な理解への第一歩である、そう思えてならないのである。

<註>

1 Lewis Leary, “Lawd Today: Notes on Richard Wright’s First/Last Novel," CLA Journal, XV (June 1972), pp. 411-420; rpt. in Critical Essay on Richard Wright ed. Yoshinobu Hakutani (Boston: G. K. Hall, 1982), p. 166.

2 Leary, p. 166.

3 Richard Wright, Lawd Today (New York: Walker, 1963), pp. 14-15. これ以降の本書の引用については、括弧内にペイジ数を数字で示す。

4 Michel Fabre, The Unfinished Quest of Richard Wright, tra. Isabel Barzun (New York: William Morrow, 1973), p. 132. 出版されなかったが、のちにライトが一幕ものの戯曲を書くのにこの場面を用いたのも興味深い。

5 Richard  Wright, The Outsider (1953; rpt.New York and Evanston: Perennial Library, 1965),p. 3. (4A – Alcohol, Abortion, Automobile, and Alimony)

6 Leary, p. 160.

7 Cf. “The Ethics of Living Jim Crow, an Autobiographical Sketch,” American Stuff (Federal Writers’ Project anthology), New York,1937, pp. 39-52; rpt. in Uncle Tom’s Children (1940; rpt. New York: Harper & Row, 1965), p. 14.

8 Cf. Lawd Today, p. 62. 図書館で本を読む少年を見て、本の読みすぎは頭によくない、頭に虫がわくとジェイクは考えている。又、いつか弁当持参でピクニックに来て、そのことを友人に自慢してやろうという「妙案」を思いついている。

9 ライトは、この作品に当初は “Cesspool” (汚水溜) というタイトルを考えていたらしいが、当時のサウスサイドの環境のひどさと無縁ではないだろう。

10 Richard Wright, “How 'Bigger’ Was Born,” Saturday Review No. 22 (June 1, 1940), pp. 4-5,17-20; rpt. in Native Son (New York: Harper & Row, 1965), p. xxxiii.

11 Richard Wright, Native Son (New York: Harper & Brothers, 1940), p. 210.

12 Wright, Native Son, p. 211.

13 Fabre, p. 92

14 Richard Wright, 12 Million Black Voices: A Folk History of the Negro in the United States (1940; rpt. New York: Arno & The New York Times, 1969), pp. 106-111.

15 Fabre, p. 155.

16 Fabre, pp. 143-144.

17 Richard Wright, “Blueprint for Negro Writing,” New Challenge II (Fall, 1937), pp. 53-65; rpt. in Richard Wright Reader, ed. Ellen Wright & Michel Fabre (New York: Harper & Row,1978), P. 44.

 

 

 

 

 

 

12 Million Black Voices

執筆年

1984年

収録・公開

「黒人研究」54号33-38ペイジ

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リチャード・ライトと『ひでえ日だ』(140KB)

1976~89年の執筆物

概要

ライトがパリに移り住んで、普遍的なテーマを模索して書いた作品のひとつ Savage Holiday (『残酷な休日』)の作品論です。

普遍的なテーマを模索していたライトを知る上には欠かせない作品と位置づけて作品論を試みましたが、今から考えると、やはり作品自体に勢いがないように思えます。もともと、作家が逃げるような形でその地を離れて何かのテーマを追うのは、難しいのでしょう。この作品に関する論評や作品論なども少なく、日本にも紹介すべきだと考えて作品群の中で捉えようとしましたが、もともと芸術作品自体は自己充足的なもので、その作品に力のない限り、作品論にするのは限界がありました。たくさん取り上げた作品のなかでは、駄作だったと思います。どの作品も取り上げないと気が済まない、僕自身の性格のなせる業だったのでしょうか。ほろ苦い思いの残る作品論となりました。

「黒人研究」(1983) 53号1-4ペイジ。

本文

リチャード・ライトと『残酷な休日』

『残酷な休日』1Savage Holiday,1954)は、リチャード・ライト(Richard Wright, 1908-1960)がパリ亡命の後に出版した長編小説『アウトサイダー』(The Outsider,1953)の直ぐ後を受けて出された「白人を扱った」2中編小説である。「人種問題に係わりなく、罪そのものを扱った」3この作品は、主人公アースキン・ファウラー (Erskine Fowler)の“罪”にまつわる物語を通じて、過度の物質文明の発展に精神文明が伴なって行かない現状の中で、キリスト教を基盤にした西洋文明が、如何に社会に於ける個人の存在を蝕んでいるかという一面を描き出している。本論では、白人プロテスタントアースキンの犯した2度の罪を通して、ライトの描こうとした問題が一体何であったのか、又、それがライトにとってどの様な意味合いを持っていたのかを探って行きたい。

<トウニーの死> アースキンは、トウニー・ブレイク (Tony Blake) の墜落死を招き、その母親メイバル・ブレイク(Mabel Blake)をナイフで惨殺するという2度の犯罪を犯すが、この2つの犯罪は決して同じ次元のものではない。トウニーの死は言わば偶然の事故であった。アースキンが後に侮んだように、散らばった新聞を拾うために廊下に出た際、突然風が吹いてドアーが締ってさえいなかったら、或いは浴室の窓をよじ登って自室に戻ることを思い着いてバルコニーに駆け込みさえしていなかったら、或いはトウニーがバルコニーでそのとき遊んでさえいなかったら、おそらくトウニーが墜落などすることはなかっただろう。その意味では、墜落の責任が総てアースキンにあったわけではない。にもかかわらず、彼は警察に出向いては行かなかった。いや出向けなかったのである。その理由は事故の現場を誰にも目撃されずに、うまく自室に戻ることが出来たことにもよるが、何よりも保険会社の相談役であり、4万ドルの預金者であり、ロータリーの会員であり、日曜学校の校長である自分が、こともあろうに日曜日の朝に、うろたえながら裸で廊下を走りまわった挙句、バルコニーで遊んで居た5才の子供を誤って墜落死させてしまったなぞと到底他人には信じてもらえないと考えたからである。自首できなかった彼には、結局事実を隠し通すしか他に道は残されてはいなかった。勿論、トウニーに対する後ろめたさから良心の呵責に苛まれるが、現実にはトウニーが中途半端に生きて居るより、むしろ即死していてくれと願い、自分の運命が、すべてトウニーの落ちた一地点にかかっているとさえ考えたのである。その彼は、以後事故について他人に疑われはしないかと終始不安に苛まれることになるが、その時、彼の心の中には既に別の<不安>4 が見え隠れしていた。その不安とは、突然会社に見限られ、無理やり退職させられたことによって誘発されたものだった。確かに、彼は13才の時より43才に至る30年の間、心身を傾けて忠誠を尽し、自分の事以上に熟知した保険会社に突然見限られ、捨てられたことで表現出来ない程の疎外感を味わった。又、自分の後釜に事もあろうに、大学出たてのわずか23才にしかならない社長の愚息が座ると聞かされて憤慨もした。又、社長と副社長に退職のことで抗議を申し込んだ時、彼の唯一の誇りである仕事上の手腕を時代遅れだと非難されたばかりか、既に契約済みの退職金と年金、更に相談役として会社に残るという契約を楯に脅された末、退職記念会で会社発展の為のピエロ役を強要されたにもかかわらず、結局抵抗すら出来なかったという屈辱感を味わった。しかし、そんな疎外感や屈辱感よりも、もっと彼を苛立たせたのは、退職して自由になった今、一体自分自身をどう始末してよいのかわからないというところから来る不安感であった。平穏だったお決まりの生活に波風が立ち退職の噂が流れ始めて以来、彼の心の中には得体の知れぬ敵が見え隠れするようになっていた。平穏な生活を支えていた会社に捨てられて初めて、会社や教会や財産等を含む日常性の中に埋没させていた何ものかが頭をもたげ始め、心の中に不安感として広がり始めたのである。「毎週新たにもう丸6日間の日曜日が恐ろしく彼の前に姿を現わし、仕事中心の生活の中で長い間うまく閉じ込めでいた彼自身が拒んでいた部分に、何とか吐け口を見い出さなければならなくなった」5 のである。言い換えれば、今まで彼は仕事を含む平程無事な生活の中に、把み切れない自分や、触れたくない過去の自分の一切を封じ込め、自分自身と直接対話することをうまく避けて来たのである。彼が10年間遅刻すらしないで通い続けた教会を通じて、宗教の中に安らぎを求めたのも,やはり自分自身との対話からくる得体の知れぬ不安を隠すためであった。その意味では、彼にとって仕事と教会は得体の知れない不安を覆い隠すヴェールの役割を果たしていたと言える。自らの意思に反した退職を強要されたことによって感じ始めた不安は、言わばその不安を覆っていたヴェールが外的な力によって剥がされた為にもたらされたことになるが、トウニーの事故によって感じ始めた不安は、むしろ平穏な生活を支える役目をしていたヴェールそのものによってもたらされたと言ってよい。なぜなら、彼が裸の狂態を演じた末、隣家の少年を死に追い遣った事実を他人に信じてもらえないと考えたのも、又、その事実を隠し通す決心をしたのも、平穏な生活を支えていた社会的地位や財産のなせる業であったから。又、事実を隠し、人から嫌疑をかけられない様ように、いつも通りに正装をして教会に出かけたり、トウニーの事故の知らせを聞いて狂乱する母親や彼女を取りなす隣人達に何食わぬ顔で立ち振舞ったり、或いは、事件発覚のどさくさに紛れて血で汚れた自分の新聞をメイバルのものとすり替えたのも、総て30年間携わった保険という仕事から得た経験のなせる業だったからである。ともあれ、退職を契機に感じ始めていた得体の知れぬ不安は、トウニーの事故に引き起こされた不安によって、再び徐々にアースキンの心の中に<潜伏>し始める。勿論、トウニーの死は偶然の事故によってもたらされたものには違いなかったが、結果的にはそれがアースキンとメイバルを接触させる契機となる。

<メイバルの死>アースキンがメイバルと直接接触を持つようになったきっかけは2つある。1つはアースキンが教会から帰ったとき、管理人夫人のウエスタマン (Mrs. Westerman)から、メイバルが事故の起った頃に自室の窓から宙に浮いた裸の足を見たわと口走ったのを聞かされたことである。もう1つは、彼が教会から自室に戻った際に、2度電話が掛ったことである。1度目の電話は、相手が何も告げずに切ってしまったが、2度目の電話では「私は起った事を見たわ」(114ペイジ) というか細い小さな女の声がした。誰にも見られていないと考えていたアースキンにとって、それら2つの出来事は、結果的にはメイパルを訪れる決心をする引き金となった。しかし、本当に彼をメイバルに近づけたものは、不安を覆い隠す役目をしていた宗教であった。トウニーに対する後ろめたさや他人に事故の真相を知られないかという不安を感じながら、敢えて平静を装って教会に出かけたアースキンは、それでも教会に足を踏み入れたとたん、流れる賛美歌にこれが自分の世界だとほっと安堵感を覚える。その日の<神の永遠の家族>という話題で取り上げられたマタイによる福音書12章46-50節を見ながら、トウニーの事故の忌まわしいイメージを頭から拭い去るのに適しい話題はないものかと考え始める。この福音書はメイバルを神の姉妹と見るべき神のお声ではなかったか。又、トウニーの事故は迷えるふしだらな母親メイバルを救う為の神のお思し召しではなかったか。その福音書を眺めながらそう思い着いた時、彼は神の名の下に、自らの罪のすり替えを始める。神がトウニーを天国に召されることによって母親メイバルを罰したのであり、彼はその神に遣わされた使徒にしか過ぎなかったのだと考える。その思いを自分に言い聞かせるかのように、説教では、マタイによる福音書からのキリストの言葉を借りて、神の教えを行なうものはすべて母であり、姉妹であると熱っぽく会衆に語りかける。彼は説教をしながら、隣人のメイバルは実は神の家族となるべき人であり、彼女を神の道に導いてやることこそが彼の使命なのだと自らの心に言いきかせようとしたのである。彼はトウニーの死によってもたらされた不安から逃れる為に、自らの罪をうまく神の道へ転嫁したわけである。罪の転嫁は更に重ねられて行く。彼は教会からの帰途、心を鎮める目的も兼ねてセントラルパークに立ち寄るが、そこで事故の時のトウニーの驚き方に疑問を持ち始める。確かに、突然裸の大男がバルコニーに現われたのだから、トウニーが驚いたのは無理もないことだったが、それにしてもその驚き方が彼には異常すぎると思われたのである。というのも日頃母親にかまわれないトウニーを見兼ねて何かと気をかけてやっていたアースキンは、トウニーから父親のように慕われていたからである。アイスクリームやおもちゃをねだられては買い与えてやった日々の事を思い浮かべているうちに、アースキンはふと意外な事実に思い当たる。トウニーは男性の裸に、特別に恐怖心を抱いていたのではなかったか・・・・・・彼には思い当たる節があった。かつて彼はトウニーから子供がどうして出来るのかと与ねられたことがあった。彼は神様がお作りになったのだよと説明したが、トウニーは納得しなかった。トウニーは男と女が取っ組み合い (“fight”) をした結果赤ちゃんが出来るのだと言い張った。そして自分は決して大人になんかなりたくない、母さんのように裸で取っ組み合いをしたくないと付け加えたのだ。トウニーは、夜の仕事を終えて帰った母親が、ベッドで男と享楽に耽る姿を盗み見て、裸の男が母親と争っていると考えて、裸に対して異常なまでの恐怖心を持ったに違いなかった。隣に住む彼が明け方に何度かリズミカルに軋むベッドの音に起こされてなかなか寝つけないで悶悶としたことを考え合わせてその思いを深めるのだった、トウニーが突然手に持っていた親子2台のおもちゃの戦闘機をこわがって放り出したまま逃げ出したのも、常に大人の暴力の中に晒されることにより感情が損われ、情緒が不安定になっていたからであろう。のちに隣人からトウニーがいつも突然何かに怯え出し、おもちゃを投げ出して逃げて帰るということを聞かされてその見方はますます強まって行く。トウニーがバルコニーで異常に驚いた謎が解け始めた時、本当の意味でトウニーの死に責任があるのは彼自身ではなく、むしろトウニーに裸の恐怖心を抱えつけた母親メイバルではなかったかと彼には思えてくるのだった。そして、トウニーとメイバルの関係が、彼と彼の死んだ母親のイメージと重なり始めた時、その思いは強まっていった。3才で父を亡くした彼も又、トウニーのように男出入りの激しかった母親に疎まれて育った。友達からはふしだらな母親の悪口を浴びせられて相手にされなかった。彼が高熱でうなされている夜でさえ、母親は彼をひとり部屋に閉じ込めたまま男と出かけて行った。そんな彼の過去は、トゥニーの現状とあまりにも似通っていた。彼がトウニーのことを理解すればする程、トウニーの罪のつぐないをすることこそが自らの痛ましい過去をつぐなうことにもなる・・・・・・その為にも、どうしても、哀れな母親を神の道へ導いてやらねばならないと思えて来るのだった。こうして自らの罪を完全に神の道にすり替えたアースキンはメイバルと接し始める。

彼はメイバルをふしだらな女だと考えながらも、子供をなくして打ちひしがれる彼女への同情を禁じ得なかった。彼女の慎み深い仕草に、ある種の純粋さすら感じ始め、いつしか彼女を所有したいと考えるようになった。目にあまる彼女のふしだらさを責めた時、彼女は興奮のあまり卒倒して気を失ない彼の手の中に倒れ込むが、そんな彼女が彼にはこの上もなく愛しいものに思えるのだった。彼は衝動的に結婚を申し込む。自分でも気持ちがはっきりしていたわけではなかったが、彼女が奔放であればある程、彼女に魅かれて行く自分を抑えることが出来なかった。しかし、仕事と教会中心の安穏な生活を送って来た中年独身のアースキンとナイトクラブで働き、人から娼婦と陰口を叩かれる若い未亡人メイバルは、生き方、考え方に於いてあまりにも違いすぎた。子供が墜落死したその日に、その母親が何故若い男を自室に連れ込めるのか、或いは美容室やバーに出かけたり出来るのか、或いは、頻繁にかかって来る男からの電話にどうしてあんな風に楽しげに応対出来るのか彼には解らなかった。彼の心の中では愛と憎しみが交錯した。なぜ、ある瞬間には彼女を愛していると思うのに、次の瞬間には彼女を憎しみ始めているのか自分でも解らなかった。結局、彼は台所から肉切りナイフを持ち出してメイバルをメッタ突きにするが、アースキンにとってその行為は唯一の、メイバルを所有する手段に他ならなかった。同時にそれは自堕落なメイバルの振舞いを見ているうちに彼の心の中に蘇って来た彼の母親のイメージを消し去る手段でもあった。このように考えると、メイバルの死は彼にとって、彼女を永遠に所有する唯一の方法であると同時に、絶えず付きまとって彼を苦しめ続けた不安を完全に拭い去る唯一の方法でもあったのである。退職を強いられ、会社から疎外されて初めて、それまでの平穏な生活の中でうまく封じ込めていた不安を感じ始めたアースキンの自由は、ウェブの指摘を待つまでもなく「教会と仕事、アイビーリーグの服、及び銀行の預金とイーストサイドの彼の住まいという関係の中に存在していた」6 ことになる。彼は主に仕事と教会を通して社会と通じ、その中で自らの存在価値を見い出していたと言える。それが30年間も忠誠を尽して来た会社に、わけもなく捨てられた時、彼は疎外感を感じる同時に社会に於ける自らの存在価値について不安を抱き始めた。仕事や教会を含む生活の中で自らの存在価値を信じて疑わなかった彼は、疎外されて初めて社会での自分の存在に不安を覚えたことになる。その不安が契機となり仕事を含む日常性の中で忘れていた得体の知れぬ不安と彼は対面することを強いられたのだ。その不安はのちに正体を現わした様に、かつて母親に疎まれた過去の経験から生まれたものである。子供にとって母親は神にも似た存在であったから、その人がたとえ自堕落な母親であれ、彼は従わざるを得なかったわけだが、7 母親に愛されずに疎まれた我が身の存在は、子供ながらにも忌まわしいものに感じられたに違いない。そしてその忌まわしさは、やがては自らの存在に対する後ろめたさに、更には生まれて来た自らの存在に対しての憾みにさえ発展して行ったのではなかったか。そう考える時、アースキンの感じた得体の知れぬ不安の正体が、実は母親に疎まれた為に自らの存在価値を見出せなくなった自分、又そんな存在に対して後ろめたさを感じずには居られなかった自分自身であったと思えて来るのである。

トウニーの事故で自らの罪を神の道に、或いはメイバルに転嫁したのは、言わば自らの存在のあかしを確かめる為の自己防衛の行為だった。彼が宗教の中に安らぎを求めたのも、母に疎まれた後めたい我が身の存在を、神の存在によって埋め合わせたいと願ったからであったし、メイバルを神の道に導いてやることに使命感を抱いたのも、神の名の下に世の中で自らの存在を確かめたいと願ったからだった。メイバルと彼の母親のイメージがだぶり始めた時、彼は母親によって疎まれ,存在に対して後ろめたさを感じるようになった我が身の救済をメイバルに求め始めたのだ。つまり、彼にとってメイバルは、疎外された自分を救ってくれる唯一の手掛り、自分と社会を繋いでくれる唯一のかけ橋であり、換言すれば、これから彼が生きて行く上で社会の中に於ける自分の存在価値を確かめる最後の望みだったことになる。しかし、その一縷の望みもぷっつりと切れた。トウニーの事故についての真相を互いに告白し合い、トウニーの為にも結婚し助け合って生きようと誓い合ったにもかかわらず、彼はメイバルを本当の意味で所有出来ないことを肌で感じた。彼は、男からの電話の対応に出ようとしたメイバルを制して、結婚したら誠実 (“faithful”) であれと言ったが、メイバルは2人がお互いに満足すればそれで誠実なのよと制止を振り切って自分を押し通そうとした。結局メイバルを所有出来ないと知った時、又、母親にもそうであったようにやはりメイバルにも愛されないと悟った時、アースキンにとってメイバルを永遠に所有する術は、自らの手で彼女を殺すしか他に残されていなかったのである。してみれば、メイバルの殺害は、理想と現実、夢と現実との間のひずみから生まれた所産であったと言える。

このように考えて来ると、この「残酷な休日」で扱われた問題は、前作『アウトサイダー』で取り扱われた問題と非常によく似通っていることに気付く。退職によって疎外されて初めて、日常性の中に埋没していた問題に気付くという視点は、肌の色、裏切り、身体的欠陥等の故にアウトサイダーとなった時、初めて日常性の中で見えなかったものが見えて来るという<アウトサイダーの視点>に通じるものである。盲信するが故に自らの姿を見失なうギル (Gil)、ヒルトン (Hilton) のコミュニズム,ハーンドン (Herndon) のナショナリズムは罪のすり替えに使ったアースキンのキリスト教に置き換えることが出来る。又、生きて行く上での最後の望みとクロス (Cross Damon) がその夢を託したエヴァ (Eva Blount) は、アースキンがその望みを託したメイバルに相当すると考えられる。その意味では、マーゴリーズの「ある意味では、その小説は『アウトサイダー』の問題をもう一つ別の形で提示したにすぎない」8 というこの作品についての評は当を得ている。『アウトサイダー』と同様に、この作品には現代文明の抱える疎外、不安等の問題が提示されている。それら諸問題を交えながら、ライトはアースキンの犯した罪の問題、特に彼がその罪のすり替えの手段として利用したキリスト教の問題を通じて、暗にキリスト教を基盤にして築き上げられた西洋文明が、社会に於ける個人の存在を如何に蝕んでいるかという一面を描き出している。その意味では、3年後に出された『白人よ、聞け!』(White Man, Listen!, 1957)  の中の一節は興味深い。自分は西洋人であるが、完全には西洋人に同意出来ないと言明した後の次の一節である。

『白人よ、聞け!』写真

「プロテスタントは、自分というものが充分に解っていない妙な動物で、自分が未成熟な自由民で、意識を充分に取り戻せなかった、歴史が生んだ申し子であるとは夢にも考えない妙な動物である。今までずっとプロテスタントが抑圧の産物であるということが便宜上忘れられてきた・・・・・・プロテスタントは、自分が心から喜んで受け容れることの出来ない、ある重荷を背負わされた勇敢で、目の見えない人間である。」9

常に自分と社会との係わりの中で自らの存在のありかを問題にして来たライトは「地下にひそむ男」(“The Man Who Lived Underground,” 1944)で、それまで描いて来たレイシズムに対する抗議という色彩の濃い問題を一歩踏み越えて、より広い意味での人間の問題を描こうとした。特に、日常性に埋もれて自らの存在が見えなくなった人間と矛盾に満ちた社会とを、<地下>という視点から透かして見せた。結局は<地下>という排泄溝に葬り去られてしまう主人公ダニエルズ(Fred Daniels)の描き方の中に、疎外された人間が虚偽に満ちた世の中でどう生きればよいのかという具体的な解決策が必ずしも示されているとは言えないが、確かに一つの新しい方向は提示されたと言える。『アウトサイダー』では、その視点やテーマは更に広げられ、肌の色によって疎外されているからこそ逆にアメリカ文化の内・外両側に立ち得るのだという、むしろレイシズムにより疎外された現状を有利な視点と把え、矛盾した世の中で如何に生きるべきかという問題を提起した。主人公を黒人インテリに設定し、特にイデオロギーに焦点を当て、盲目的イデオロギーが個人の存在を如何に蝕んでいるかを書いた。この作品では、主人公を白人プロテスタントに設定し、罪のすり替えに使われたキリスト教に焦点を当て、現代文明の中の社会と個人の一問題を提起した。白人の主人公を扱った悲劇3部作の第1作としてこの作品を発表したが、10 数々の出版拒否にあって、結局ペーパーバックという形でしか世に出せなかった。11 その上アメリカではいい評価が得られなかったから、ライトは再び南部アメリカに舞台を戻し、黒人を主人公にした『長い夢』(The Long Dream, 1958) に於いて、現実と夢というテーマを通じて、広く人間の問題を手掛けることになる。その意味では、現実と夢のひずみが生んだアースキンの罪を扱ったこの小説は『長い夢』の序曲であったとも言える。『アウトサイダー』でエヴァが自殺を遂げて死んだように、この作品でメイバルが惨殺されて死んだ結末に、やはり解決策が示されているとは思えないが、それがアメリカを捨てパリに亡命してまで自らの存在場所を求めて、尚そのありかを模索し続けたライトの苦悶を如実に代弁しているとは言えないであろうか。

そう考える時、この『残酷な休日』がライトの苦悩を蘇らせる上に、又、次の『長い夢』を理解する上に欠かすことの出来ない作品だと思えてくるのである。

<註>

1 本稿は1982年6月26日の黒人研究の会総会で口頭発表したものを加筆・訂正したものである。

2 cf. Michel Fabre, The Unfinished Quest of Richard Wright, tra. lsabel Barzun (New York: William Morrow, 1973), p. 379.ライトは1953年3月6日のReynolds当ての書簡中、この本について以下の様に記している。“…, this deals with just folks,white folks.” 尚、本文中には、セントラルパークのべンチで漫画を読んで居る黒人少年や黒人のメイド等が数ケ所で登場するが、人種の問題として描かれてはおらず、主要人物は総て白人である。

3 cf. Michel Fabre, Quest, p. 376.ライトは1952年12月26日のReynolds当ての書簡の中でこの作品が “completely non-racial, dealing with crime per se” であることを記している。

4 不安 (ANXITY) は、第1部のタイトルになっている。物語は、ライトの得意の3部から成って居り、頭文字がAで揃えられている。第2部潜伏 (AMBUSH)、第3部攻撃 (ATTACK)。

5 Richard Wright, Savage Holiday (1954; rpt. New Jersey: The Chatham Bookseller, 1975), p. 33. 以下の引用はすべてこの版による。

6 Constance Webb, Richard Wright: The Biography of a Major Figure in American Literature (New York: G. P. Putnum’s Sons, 1968), P.316.

7 第3部 (ATTACK) の冒頭に次のエピグラフが掲げられている。

(We must obey the gods, whatever those gods are. – Euripides’ Orestes)

8 Edward Margolies, The Art of Richard Wright (Carbondale: Southern Illinois Press, 1969), p. 138.

9 Richard Wright, White Man, Listen! (1957; rpt. New York: Anchor, 1964), p. 56.

10 Fabre, Quest, pp. 429-432.

11 Ibid., p. 380. Harper’s, World, Collins (London),Pyramids Booksの各社に出版を拒否されている。尚、1954年にAvonから出版された後、1965年にはUniversal Publishing and Distributing Corp.からペーパー版で、1975年にはハードカバー版でThe Chatham Bookseller (New Jersey) から再版されている。

12 cf. Yohma Gray, An American Metaphor: The Novels of Richard Wright, Diss. Yale 1967 (Michigan University Microfilms, 1969), p.169.

執筆年

1983年

収録・公開

「黒人研究」53号1-4ペイジ

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リチャード・ライトと『残酷な休日』(68KB)

1976~89年の執筆物

概要

高校に在籍したままで修士課程に行きましたが、そこでの目標は、「高校での5年間で心身ともに疲れ果てたので出来るだけ寝る」ことでしたが、公費で通っている手前、修士論文も書かないわけにはいかず、その題材に大学の頃に惹かれながらそのままにしていたリチャード・ライトを選びました。

ミシシッピに生まれ、常に疎外感を感じながら自分の居場所を探し求めたライトに惹かれたのは、僕が、家にも、学校にも、地域社会にもいつも疎外感ばかりを感じていたからでしょう。生きる命題も見つからず無為に時を過ごしていましたので、余計に惹かれたのかも知れません。それに、自分を疎外したアメリカ社会への抗議を超えた、もっと普遍的なテーマへの模索を始めていたライトに自らを投影したかったのかも知れません。それに、圧倒的な文章の力を感じたのも、大きな要因だったと思います。

修士論文では、「地下にひそむ男」(“The Man Who Lived Underground”) を手がかりに、そんなテーマの普遍性を追い求めたライトと代表作を扱って『リチャード・ライトの世界』 (Richard Wright and His World) を書きました。

1981年には、はじめてアメリカに行き、ファーブルさん (Michel Fabre) の伝記 The Unfinished Quest of Richard Wright の巻末にある文献目録を片手に、シカゴとニューヨークの古本屋や図書館を巡って資料を探しました。ニューヨークの古本屋のうずたかく積まれた本の山の中からで「地下にひそむ男」が収められている選集Cross-Section を見つけ出しました。今から思いますと、1944年と言えば第二次大戦中で、そんな時に発行された本がはじめて行った古本屋でよくも見つかったものだと感心せざるを得ません。87年に再びその古本屋を探しましたが、すでにありませんでした。

日本ではライトの資料も手に入れ難かったこともあり、神戸市外国語大学を拠点に1950年代から活動を続けていた黒人研究の会に入ったのもその頃で、その機関誌『黒人研究』にこの「リチャード・ライト作『地下にひそむ男』―出版の経緯に触れてー」を寄せました。修士論文を書いたり、初めてアメリカに行った中から生まれたもので、「学術的な」最初の作品、ということになります。

「黒人研究」52号 (1982) 1-4ペイジ

本文

リチャード・ライト作『地下にひそむ男』―出版の経緯に触れてー

この作品が中篇とはいえ、黒人・白人の枠を超えて読者に訴えかけるのは、展開のおもしろさと表現上の工夫に加えて、テーマの普遍性と新しい視点に負う所が多い。この小説は、一部分も含めて、Accent 誌、Cross-Section 誌及び短編集『八人の男』(Eight Men) の中に “The Man Who Lived Underground" のタイトルで作品が収録されているが、この小論ではその出版の経緯に触れた上で、テーマと視点の面から「地下にひそむ男」の評価を試みたいと思う。

ライトは1941年の終りには150ペイジからなるこの作品の草稿を仕上げており、脱稿後直ちに翌年の春を出版のめどに、草稿をHarper’s社に送っているが出版を断られている。注1 同年12月には、Accent誌の刊行を始めていた友人Kerker Quinnにその草稿の一部を与えており、それが翌年の同誌春季号の170ペイジから 176ペイジに「ある小説からの二つの抜粋」と副題が付された小篇として収載されている。注2 1942年度中にはHarper’s社にならったCosmopolitanMacall’s MagazineThe Atlantic Monthlyにも出版を断られているが、それは単行本としては作品が短か過ぎて展開の統一性に欠けている理由からであった。又、その草稿が1940年にベストセラーになった『アメリカの息子』(Native Son) に匹敵するだけの作品かどうかの確信が、出版者側に持てなかった事にもよる。注3 結局、1944年にそれまでライトの出版に尽力して来た友人Edwin Seaverが、新人発掘を目的とした選集Cross-Section誌にこの作品を収載するまでまとまった形では公にされていない。注4 尚、作品は同誌の58ペイジから102ペイジに収められているが、最初の草稿にあったとされる場面が大幅に削られている。その削られた部分には、警察の暴挙により逮捕され不当な拷問を受けた末、無実の殺人罪を押し着せられた主人公の黒人青年が、隙を見て逃亡する場面が扱われている。注5 その後1960年には、Cross-Section誌に発表されたものと同一の作品が、短編集『八人の男』の中に収録されている。その短篇集は同年のライトの死によって翌1961年の出版になっているが、著者自らが編集し、配列した集大成とも言える内容の作品であるので、短編集の中に収められた作品を完成版と呼んで差しつかえないと考える。従って現在、1941年脱稿の草稿、1942年にAccent 誌に発表された小篇、及び1944年にCross-Section誌に収められ、後に『八人の男』の中に収録された完成版とが存在していることになる。草稿が未出版であるので三者を比較考察する事は出来ないが、草稿の一部と見られる小篇と完成版を比べる限り、完成版は小篇にかなりの手が加えられたものである事がわかる。もっとも、小篇には完成版に見られない表現も散見されるし、それが150ペイジの草稿からの7ペイジ足らずの短い抜粋である事も考える必要はある。しかしながら、抜粋という副題から考えて、その7ペイジ足らずがほぼ草稿のままで発表されたと見られる小篇に、完成版ではかなりの加筆が認められる事、更に、先に記したように完成版を発表する際に草稿が大幅に削られた事から判断して、完成版は草稿にかなりの手が加えられたものであると推察できる。

以上の経緯から、完成版を評価する際には小篇に触れるのが妥当だと思えるのだが、その小篇が、「地下にひそむ男」の作品評価の対象には現在なっていない。その理由は、それが草稿の抜粋である上、量が非常に僅かなことによると思う。しかし、逃亡後下水溝に逃れた主人公の地下での場面の一部を扱った小篇が、この作品全体のテーマに係る重要な部分の抜粋であり、「地下にひそむ男」の評価に関する重要な手掛りを握っていると思われるので、ここではまず小篇の考察を終えてから、この<地下作品>の評価をはかりたい。

Accent 誌の小篇は、副題の「ある小説からの二つの抜粋」が示す通り、二つの部分で構成されている。前半はほぼ3ペイジ半の分量で、下水溝から主人公が後に隠れ家と決め込む空洞に入るところから始まり、その空洞内で盗んで来た様々な「戦利品」を使って、例えば、天井から電気を引いて電燈をつけたり、膠を塗りつけた壁に紙幣を張りめぐらしたり、タイプライターを打つ場面が中心に描かれている。そして、その遊びに飽きてしまった主人公が、再び下水溝の中へ探険に出かけて行き、その途中で下水の窪みに落ち込むが、持っていた棒きれで九死に一生を得る箇所で終っている。後半は3ペイジ足らずの量で、主人公が空洞内で眠りから醒める場面で始まり、紙幣を張りめぐらした壁に、今度は釘を打ちつけ、そこに時計や指輪を吊り下げたり、ピストルを試射したり、或は泥の床にばらまいたダイヤモンドを踏みつけたりする場面が中心に描かれている。そして、壁をみつめながら道具箱の上に腰を下ろし、莨に火をつけ、深く物事を考えた様子で、主人公が首を横に振る場面で終っている。

抜粋という形式を取った短いこの小篇から受ける印象は全体を通じて非常に曖昧である。例えば、主人公がどういう名のどんな人物で、なぜ地下に居るのか、又、紙幣やダイヤモンドがどこから持って来られたものなのか・・・それらについては殆んど記述がなされていない。只、タイプを打つ時に、「長い暑い日でした」(it was a long hot day)とやったり、契約書に見たてた用紙を手にして架空の人物に向って「はい、明日までに契約書を用意しておきます」と言った後、全く奴ら (they) のやる通りだとつぶやいたりする。或は自らを、朝食後の葉巻きを吸いながら散歩する富豪に仕立てて空洞内を歩いたりするといったことから、おそらく主人公が、いつも金持ちの白人を羨しげに眺めている黒人青年ではと想像するのは可能だが、それも明確なものではない。又、紙幣を張りめぐらした空洞を自分の隠れ家と決め込むところから何らかの理由で逃亡している事はわかるが、その原因は示されていない。或は紙幣にしてもダイヤモンドにしても最初から定冠詞が付されていて、それがどうして地下に持ち込まれたのかは明らかではない。更に、登場人物が主人公一人である上、大半が空洞内での主人公の行動についての記述になっている為、作品全体は単調で緊迫感に欠けている点は否めない。しかし、逆にその描写や記述の為に、かえって二つの姿が浮き彫りにされていると私は考える。一つは、主人公が紙幣を壁に張ったり、ダイヤモンドを踏んづけたりする中で執拗にその価値を問いかけている地上世界の姿であり、もう―つは、地下の空洞内での問いかけを通して、社会や自己について目覚める主人公の姿である。地上で価値あるものとされる紙幣もダイヤモンドも、地下の主人公には壁に張り、泥の床に踏みつける遊び道具に過ぎなかった。又、地上では意識の基準とされる時間も、地下の青年にはもはや意識する必要性のないものに過ぎなかった。壁に紙幣を張り終えた青年は「これで地上世界に勝った」と考える。又、それらの金品は「使う」ために盗んで来たのではなく、人があたかも森から薪を拾って来るように取って来たに過ぎないのだと考える。そう考える主人公には、地上世界が死臭に満ちている荒涼とした森のように見えて来たのである。その地上世界に拒まれた自分、その地上世界から逃れて来た自分とは一体何か。刻明な描写と記述を通して、社会の価値観や社会の中に於ける自分の存在についての問いかけを浮き彫りにしたこの小篇は、草稿からの一部の抜粋である短いものに過ぎないが、完成版のテーマに係る重要な問題部分を扱っており、この<地下作品>の評価への大きな手掛りを含んでいると考えるのである。

Accent誌のこの小篇と同様にCross-Section誌に収められた作品も二つの部分で構成されていて、その前半は、ほぼ30ペイジ分の量から成っている。官憲に無実の殺人罪を押し着せられた主人公の黒人青年フレッド・ダニエルズ (Fred Daniels) が、逃亡中、偶然の出来事からマンホール伝いに下水溝に逃げ込む緊迫した場面で始っている。そして、地下で旧下水道の空洞を発見し、そこを拠点に色々な地下室に侵入して相手に見られることなく地上世界の「現実の裏面」を垣間見たり、そこから持ち帰った紙幣やダイヤモンドを使い空洞内で遊びに興じる場面が中心に描かれている。その体験と遊びを通して地上社会の本当の姿や自分自身の存在に気づいた主人公は、その事を告げたい衝動を抑え切れず再び地上に戻る事を決意する。そして、地上に戻る途中、彼のせいで無実の罪の嫌疑をかけられ咎め立てを受けているラジオ店の少年の姿と、同じ様に咎め立てを受け、その責め苦に耐えかねた末自殺を図って死んで行く宝石店の夜警の姿を覗き見る所で終っている。後半は、ほほ14ペイジの分量で、主人公が地上に戻る所から始まり、無意識のうちに辿り着いた警察署での場面が中心に描かれている。そこで青年は、既に真犯人が捕えられている為に自分が自由の身であることを知る。それにもかかわらず、地下生活を通して知り得た真実を告げたいという思いが捨てられず、警官たちを自分が出入したマンホールの所まで案内する。しかし、地下生活から獲得した視点を明らかにしようとした彼の思惑とは裏腹に、その中の一人の警官の手にする銃に撃たれて、主人公が下水の中に消し去られる場面で終っている。

作品全体は、表現上数々の工夫がなされて緊迫感に満ちている。その中で浮き彫りにされるものは次の三点である。(1) 主人公が地下から覗き見た日常性に埋没している地上世界の人々の姿、(2) そのような人々の生活する虚偽と死臭に満ちた地上世界の姿、(3) そうした地上世界から追われて地下に逃げ込んだ結果知り得た自分の本然的な姿である。その (1) の日常性に埋没している地上世界の人々の姿については、主人公が垣間見た教会と映画館に関する場面があげられる。彼は地下から二度教会で歌う人々の姿を見る。最初、その光景を見て「何かひどく嫌なものを眺めている」(62ペイジ)注6と感じるが、その理由はわからなかった。二度目、その光景を見た時には「あいつらは間違っている」(85ペイジ)とつぶやいた後「あいつらは決して見つけられない幸せを求めようとするから、思い出す事も納得する事も出来ない何か恐しい罪を犯してしまったと感じるんだ」(85ペイジ)と考える。又、人が一旦その罪を感じると「意識では忘れていても、日常生活の中でいつも不安な状態を作り出すんだ」(85ペイジ)と主人公はその理由に気づく。又、映画館に入り込んだダニエルズは、映画に興じる人々を見て、教会の人たちを見て感じたのと同じ衝動を抱く。「この人たちは、自分の人生を嘲笑っているのだ」(65ペイジ)と思い、又、 奴らは自分たちの動く影に向って叫んだりわめいたりしているのだ」(65ペイジ)と哀れむ。更に、「この人たちは子供なのであり、生きている時には眠っていて、死にかけた時に目覚めるのだ」(65ペイジ)と考えてため息をつく。

(2) の虚偽と死臭に満ちた地上世界の姿に関しては、下水に流されている赤子の死体を見た場面、宝石店で、ある男が金庫から金を盗むのを覗き見た場面、或は主人公の盗みのせいで無実の罪の咎め立てを受けているラジオ屋の少年と宝石店の夜警の姿を垣間見る場面があげられる。更に、地上に戻った主人公が警官の手によって下水に流し去られてしまう場面もあげられよう。最初、下水溝を歩いていた主人公は、塵芥に交って流れる赤子の姿を見た時、まだ生きていると考えて一度は救おうとするが、死んでいる事に気づいてぎくりとする。その時、彼は教会で歌う人々から受けたと同じむなしさを味わうと同時に、警官に咎められた時と同じ感情を抱く。赤子は、眠っているように目を閉じ、無言の抗議をしているかの様に拳を握りしめていた。彼を地下に追いやった地上世界は、無垢な赤ん坊を下水に流し去るような人間の住む世界であった。又、宝石店で、偶然から金が一杯詰った金庫の中を覗き得た彼は、一度は大金の感触を味わってみたい感情から「盗み」を思い着き、金庫が再び開けられるのを待つ。閉店時かと思われた時、白い手が金庫のダイヤルに触れ、金庫は開けられ、ある男が金を持ち去って行った。ダニエルズは、自分の「盗み」は単に大金を手にする感動を味わいたい為で、おそらく快楽の為に使うその男の盗みとは違うのだと考える。閉店間際に忍び入って来て、いとも簡単に金庫を開けたその男は、実は店内の事情に詳しい内部の者ではなかったか。注7 その後、主人公が金庫内の金品を総て持ち去った為に、盗みの嫌疑を受け咎められる宝石店の夜警の姿を見るが、主人公は「現実に盗みを働いたその男が咎められていない」(87ペイジ)ことを苦々しく思う。地上世界は、信頼されるべき内部の人間でさえ盗みを働く所でしかなかった。そして、ダニエルズは、彼のせいで無実の窃盗罪を押し着せられ咎め立てを受けるラジオ屋の少年と前述の宝石店の夜警の姿を見ることになる。その夜警を厳しく責め立てていたのは、ダニエルズを拷問し、彼に無実の罪を押し着せた同じ三人の警官たちであった。責め苦に堪えかねたのか、夜警は自殺を図る。その光景を前にして、彼は地下から飛び出して行き彼らに真実を告げてやろうかと考えるが「夜警は罪を犯している。今責められている犯罪については無実であったとしても、彼はいつも罪を犯しているし、今までずっと罪を犯していたのだ」(87ペイジ)と考えて彼は思いとどまる。結局、その夜警は自らピストルを使って死んで行くが、その死体を前にして警官たちは次のように言う。

「わしらの予感は正しかった。やっぱりこいつがやっていたんだ」

「よし、これでこの件も片づいた」(88ペイジ)

そんな光景を目の当りにしたダニエルズは、その後長くその場を立ち去れず暗闇の中に立ち尽す。地上世界とは、無実の人間が咎められない所でしかなかった。最後は、主人公が警官の手により下水に流し去れる場面に関してである。ダニエルズは、自分が地下生活の体験から得たものを立証する為に、先ず自らマンホール伝いに下水溝に降りて行く。下水の流れに立って、マンホールを覗き込んでいる警官たちに、自分に続いて入って来るように叫ぶが、警官のひとりがダニエルズをいとも簡単に銃で撃ってしまう。撃った後警官たちは次のような会話を交す。

「なぜあいつを撃ったんだ、ローソン」

「やらなきゃならんかったんだ」

「どうしてだ」

「ああいう手合いは撃たんといかん。あいつら物事を目茶苦茶にするからな」(101~102ペイジ)

地上世界は、官憲が代表するような体制の暴挙や不条理がまかり通る所で、物事をまるくおさめる為に無罪の人を咎めたり、邪魔者は虫けら同然に切り捨てる所でしかなかった。ダニエルズ主人公が地下から垣間見た地上世界は、そんな欺瞞と死臭に満ち溢れた世界であった。

(3) のそうした地上世界から追われて地下に逃げ込んだ結果知り得た自分の本然的な姿とは一体何であろうか。主人公は侵入した様々の地下室から「戦利品」を空洞内に持ち込んで「遊び」を繰り広げる。紙幣を壁に張りめぐらし、その壁に釘を打ちつけ、指輪や時計を吊り下げる。泥床にダイヤモンドやコインをばらまいて踏んづける。それらは総て、自分に犯罪人の烙印を押した地上世界への挑戦であり、虚偽に満ち溢れた地上社会の価値観に対する烈しい問いかけに他ならなかった。地下の主人公には、宝石店から盗んだ宝石も、肉屋から持ち帰った庖丁も同レベルの遊び道具としての価値しか持たなかった。又、地上では、時を「意識の王座」に着かせているが、昼夜の区別すらない地下にいて、社会から隔絶された彼には,もはや時を意識する必要性もなかったのである。

このように見てくると、この作品には主人公が黒人である必然性が必ずしもないとも考えられるが、それはライト自身が意図したことでもあった。ライトはこの作品の草稿を書き終えた後の1941年12月13日に、友人Paul R. Reynolds に当てて「自分がまともに黒人・白人問題を超えて一歩踏み出したのは初めてのことだ・・・」という手紙を送っているのである。注8又、この作品は数々の問題を提起している。虚偽に満ちた社会への疑問、日常の惰性に気づかぬ人々への批判、権力の暴挙に対する抗議、或はその社会の価値観に対する問いかけ、或はそんな社会の中で現に生活し、苦悶している自分の存在への不安、これら総ては、現在の社会にも相通じる問題である。従って、この作品の中で扱われているテーマは、ライト自身が意図したように,人種の枠を超え時代を超えた普遍性を備えていたと言える。更に、テーマの普遍性に加えて見逃してならないのは視点の問題である。つまり、主人公が多くの体験を通して社会や自己の存在について考え、その本当の姿に気づき目覚めたのが、日常性に埋没した地上世界に於いてではなく、むしろ異常とも言える地下世界からであり、主人公が垣間見たものは「さかさの現実」ではなくて、「現実の裏面」であったという新たな視点である。先にライトは『アメリカの息子』に於いて、黒人青年ビガーが白人娘メアリーを殺害したのは、黒人を隔離し続けて来た白人のアメリカ社会が産んだ所産だと決めつけ、烈しく白人社会に抗議した。この作品に見られるテーマの普遍性と新たな視点は、その『アメリカの息子』に見られる抗議的色彩の濃いテーマや視点を一歩踏み超えたものであったとは言えないであろうか。

又、そのテーマの普遍性と新たな視点からメタファーが生まれている。例えば、虚偽に満ちた地上世界が、あの「アメリカの息子」を生んだアメリカ社会の姿であるとすれば、悪臭に満ちた地下の排泄溝の世界は、白人には見えない、隔離された黒人社会の姿であると考えられる。或は夜警を死に追いやり、ダニエルズを虫けらの如く下水に流し去った権力の横暴が、正に不条理を孕む白人アメリカ社会の象徴であるとすれば、下水溝の中を塵芥に交って流れ去る黒人青年ダニエルズは、その白人至上主義社会で何の力も持たない黒人社会の化身であるとも考えられる。

完成版としての中篇作「地下にひそむ男」が、普遍的なテーマを扱い、新たな視点を備え、しかも黒人社会を暗喩(メタファー)として扱った点で、ライト自身の黒人作家としでの自己意識も失われていない作品であり、人種の枠を超え、時代の枠を超えて人々に訴えかける小説であると考えるのである。Edwin Seaverは1945年のCross-Section誌の序文で、前年に収載したこのライトの小説を 'excellent’ という語で形容しているが、注9 私もそれに賛成の意を表したいと思うのである。最後に、この作品が、既に1956年には、ハックスリー、トルストイ、モーパッサン、サロヤンと並んで『クインテット-世界最傑作中篇小説5篇』(Quintet – 5 of the World’s Greatest Short Novels) の中に収録されていることを付け加えてこの小論を終えたいと思う。注10

<注>

注1 Michel Fabre: The Unfinished Quest of Richard Wright,William Morrow & Company, 1973.

注2 Ibid., pp. 241, 575. 尚、Accent 誌は1940年の秋から開始された季刊誌で、この作品が収載されている春季号はVol.Ⅱ (Autumn, 1941 – Summer, 1942) に含まれている。

注3 Ibid., p.241. Michel Fabreは以下の記述をしている。

“It may also have been too short or tracking unity, considering the abrupt change from the realistic style of the police brutality in the first chapters to the more metaphoric,・・・”

注4 同誌にはA Collection of New American Writingの副題が付きれており、その序文で Edwin Seaverは、その語彙 'American’ は、アメリカ人によって書かれたというだけの意味であり 'New’ は今まで出版されていないという意味に過ぎないと予め断り、色々な事情から出版されない主として1940年代の作品の発掘が出来ればとの主旨を述べている。

注5 Michel Fabre: op. cit., p. 240.

注6 引用文はCross-Section (ed. Edwin Seaver, L. B. Fisher, New York, 1944) 誌中の本文による。以下、括弧内にペイジ数を記している。尚、日本語訳は赤松光雄・田島恒男訳『八人の男』(晶文社、1969年)を参考にした。

注7 この点は、古川博巳氏の直接の御指摘による。

注8 Michel Fabre: op. cit., p. 240.

注9 その序文には次のような記述がある。"I don’t mean to say that if I had not included Richard Wright’s The Man Who Lived Underground and Ira Wolfert’s My Wife The Witch in the first Cross-Section, these excellent novelettes would have gone unpublished forever."

注10 古川博巳著『黒人文学入門』 (創元社、1973年), 202ペイジ参照。

執筆年

1982年

収録・公開

「黒人研究」52号1-4ペイジ

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リチャード・ライト作『地下にひそむ男』のテーマと視点(78KB)

2000~09年の執筆物

概要

日本と深い繋がりのある南アフリカを、南アフリカの歴史を軸に、エイズなどの諸問題を通してすかし見える人間の哀しい性について論じたものです。20年近く英語やアフリカ文化論の授業の中出で取り上げて来たテーマの一つを、南アフリカという題材を通して論じたものでもあります。

本文(写真作業中)

目次1章(はじめに)15章(哀しき人間の性)南アフリカ小史奥付けを載せています。↓

目次

1章 はじめに 3
2章 「アフリカの蹄」 4
3章 南アフリカ概観 6
4章 アフリカ史のなかで 9
5章 ヨーロッパ人とリザーブ 12
6章 アパルトヘイトと抵抗運動 15
7章 ロバート・マンガリソ・ソブクウェ 19
8章 武力闘争 24
9章 アレックス・ラ・グーマ 26
10章 バンツー・スティーヴン・ビコ 28
11章 セスゥル・エイブラハムズ 30
12章 体制を支えたもの 35
13章 ネルソン・マンデラの釈放 39
14章 エイズと『アフリカの瞳』 43
15章 哀しき人間の性 52
註 57
南アフリカ小史 62

1章(はじめに)

この小冊子は、「アフリカ文化論」「南アフリカ概論」などの授業で話した内容をまとめたものです。

書く空間を求めて辿り着いた宮崎医科大学は旧宮崎大学と統合して宮崎大学となり、今はそこで英語と一般教養の科目などを担当しています。

授業では、折角大学で学ぶ空間を得た人に、価値観や歴史観を問い直してもらえればと考えて、アフリカなどを題材に取り上げています。アフリカ史を辿れば、英語が一番侵略的だった英国の言葉であることも、白人優位・黒人蔑視の思想が都合よく捏造されて来たことも判ります。アフロ・アメリカ史を見れば、今日のアメリカの繁栄が奴隷貿易や奴隷制の上に築き挙げられたことも分かりますし、全てが過去の出来事の羅列ではなく、過去から繋がっている現在の問題であることにも気づきます。

元来、自由な空間で培う素養は大切なものです。素養が価値観や歴史観の基盤でもあり、生き方を決める要素でもあるからです。大学に入学するために大量の知識を詰め込んできた人に、今までの歴史観や考え方そのものを揺さぶるような話をして、「さすがは大学だ」と思ってもらえるような授業がしたいといつも思っています。この小冊子が、自分自身について考えるための一助になれば嬉しい限りです。

1章ではこの小冊子の生まれた経緯を、2章では「アフリカの蹄」の中の問いかけを、3章では南アフリカの地理や言語などの紹介を、4章ではアフリカ史の中での南アフリカを、5章ではヨーロッパ人入植者が打ち立てた搾取機構を、6章ではアパルトヘイト体制とアフリカ人の抵抗運動を、7章では抵抗運動を指導したソブクウェを、8章では武力闘争の経緯を、9章ではアパルトヘイト体制下の作家ラ・グーマを、10章ではカナダで出会った学者エイブラハムズさんを、11章では黒人意識運動の指導者ビコを、12章ではアパルトヘイト体制を支えた実体を、13章ではマンデラの釈放とその後の実状を、14章ではエイズの実態を、15章では人間の性についての正直な思いを綴っています。

最後に、註と南アフリカ小史を載せました。

15章(哀しき人間の性)

哀しき人間の性

長々と南アフリカの歴史を辿って来たわけですが、そこに浮かび上がって来るのは、侵略という行為を通して透かして見える哀しい人間の性です。

最初は、直接侵略に関わったオランダ人、イギリス人入植者においてです。ヨーロッパ人はある日、片手に聖書、もう片方の手に銃を携えて南アフリカに現われました。力ずくでアフリカ人から土地を奪って無産者に仕立て、種々の税を課して、大量の安価な労働力を産み出しました。そして、アフリカ人に金やダイヤを掘らせては巨万の富を築きます。搾取体制を守るために連合国家を作り、反対するものは自分たちの作った法律で罰して「合法的に」排除、抹殺してきたのです。いいものを食べたい、広い土地に住みたいという個々の欲望が集まって総体的な意思となりました。植民地政策は本国を潤し、世論にも支持され続けました。

次にその白人王国に群がり、手を携えて共に甘い汁を吸い続けて来た多くの「先進国」においてです。「先進国」は、これ以上はあからさまな搾取体制を維持出来ないことを悟ると、アパルトヘイト政権に自らが決定した法律を反故にすることを強いて「政治犯」を釈放させ、基本構造を替えない形でアフリカ人政権を誕生させました。

そして、新アフリカ人政権においてです。未曾有のエイズ禍に苦しむ国民に抗HIV薬を供給出来ないと見るや、まだ治験の済んでいない薬を無料で配布したり、安価で販売するという暴挙に出たのです。欧米の製薬会社はエイズまでも食い物にしたわけですが、新政権の担い手の大半は、長く苦しいアパルトヘイトとの闘いを続けて来たはずです。その人たちはどうして、欧米の製薬会社の言いなりになったのでしょうか。エイズに苦しむ同胞をどうして苦しませることが出来たのでしょうか。

最後に、日本人においてです。授業で出会う学生が、「暗黒大陸」や「未開の地」というあからさまな偏見は持たないにしても、多くは「アフリカ人はかわいそう」「アフリカに文学があるとは思わなかった」「日本は、ODAを通じてかわいそうなアフリカに支援してやっている」(註27)と考えています。貿易や投資でアパルトヘイト政権を支えて莫大な利益を得たばかりか、今も形を変えてIT産業に不可欠な希少金属や電力供給に欠かせないウランなどを通して利益を得続けている現実に無関心を装い、積極的に深くを知ろうとはしません。そして、「遠い夜明け」を見ると、たくさんの人が「日本に生まれてよかった」と胸をなで下ろし、私たちに何か出来ることはありませんかと言います。アパルトヘイトの抑圧の中でも、外的要因によって自己否定して自らに見切りをつける人たちに自己意識の大切を説き、自分への希望を捨てず、国に対しても希望を育もうと語りかけたソブクウェやビコの崇高さに比べて、その無知と無関心と傲慢さに虚しさを覚えます。

そんな狭間に立って現実と直面していますとつい悲観的になって、授業の最後に「もう溜め息しか、出ませんね」と呟きましたら、受講生から次のような反論が届きました。

「『人間について考えれば考える程に絶望的になる』『人間の問題の現状について努力することは大切だけれども、ほんの少ししか変わらないか、全く変わらないかのどっちかだろうな。』という考えは十分にわかります。が、それで終わってしまうのはどうでしょうか。もちろん絶望を知ることは大切なことです。絶望と向き合うこと無しでは、何も理解出来ません。しかし、先生は、折角教壇に立てる機会を持つことが出来ているのです。私達生徒に絶望だけ、無力感だけを叩き込むのではなく『行動することで、現状はほんのわずかしか動かない。けれども、そのほんのちょっとが大事なんだ。』という方向も教えたほうが、私には社会や国にとって有益だと思えるのです。こんな考え方は短絡過ぎるでしょうか?」

その学生が指摘する通りです。溜め息をついていても、問題が解決するわけではありません。現状を正しく受け止めたうえで、少しずつでもやれることをして行くしかないでしょう。アフロ・アメリカの小説を理解したいという思いでやり始めて気がついて見れば、妙な空間に踏み入ってしまいました。以来、大学の英語や教養の授業でアフリカやアフロ・アメリカを取り上げて二十年以上になりますが、余りにも出口の見えない現実に、悲観的になり過ぎているようです。

意識や発想を変えて

人が持つ哀しい性と無力を思い知ったうえで、何が出来るかを考えたいと思います。これだけ規模が大きくなった今、世界の構造の枠組みを変えるのは不可能に近く、実質的ではありません。しかし、意識や発想を変えて枠組みの中でやれることをやって、結果的に少しは変わるというのは可能です。

ボツワナのエイズ対策事業に取り組んで成功したアーネスト・ダルコー医師の例は参考になります。

ボツワナは、四三ペイジの表にも示しましたが、極めて絶望的な状況にあった国です。ダルコーさんは医療とビジネスを両立させて、多くのエイズ患者を社会復帰させています。(註28)

三六歳のダルコーさんは、アメリカに生まれ、タンザニアとケニアで過ごしました。ハーバードで医学の資格を、オクスフォードで経営学の修士号を得た後、ニューヨーク市の経営コンサルタント会社マッキンゼー社に就職して、二〇〇一年にエイズ対策事業のためにボツワナに派遣されました。(註29)

派遣された当時、三人に一人がHIVに感染していたと言います。最初の一年間は、「夜明け」という意味の国家プロジェクトMASAの責任者として「一日最低二十二時間」は働いたそうです。感染者数を知るためにモハエ大統領にテレビでエイズ検査を受けるように呼びかけてもらう一方で、医療体制を把握するために国じゅうを隈無く調査しています。その結果、絶対的な医師不足を痛感しました。周辺国に呼びかけ破格の給料を出して数年契約で医師を雇い入れると同時に、国内でも医師を育成し、現場に二千二百人の医師を配置しました。

最大の問題は薬でしたが、アメリカの製薬会社と交渉し、患者の資料を提供する代わりにほぼ無料で薬を確保し、半数以上の患者の治療を可能にしました。

政府の資金では足りませんでしたので、「エイズ撲滅のためのプロジェクト」を展開するマイクロソフト社のビル・ゲイツと掛け合い、一兆円を引き出しています。その薬と豊富な資金を基に、ネットワークシステムを構築します。プロジェクト本部の下に四つの支部を置き、それぞれの支部にコーディネーターを配置、コーディネーターはその下にある多くの拠点病院と連携し、現場の状況に応じて薬を届けるというシステムです。ダルコーさんは学んだ経営学の知識を生かし、ウォルマートの最先端の納品システムを参考にしたと言います。二〇〇〇年に三六歳までに落ち込んでいた平均寿命は上昇に転じ、二〇二五年には五四歳に回復する可能性も出てきたと言われています。(註30)

ダルコーさんは今、エイズ対策を専門に行なうブロードリーチ・ヘルスケア社を設立して、最大のHIV感染国南アフリカのケープタウンでエイズと闘っています。現在、アフリカ十二カ国がダルコーさんのエイズ対策モデルを取り入れていると言います。

ダルコーさんは、永年のアパルトヘイト体制の影が色濃く残っている南アフリカで医師や病院に頼らずにエイズ治療が出来るシステムを開発しました。白人の利用する民間病院に医師が集中し、アフリカ人が利用する公立病院に医師が極端に少ない現状の中でシステムを機能させる必要性に迫られたからです。そのシステムでは、感染者の多い地域で雇い入れられた現地スタッフが、定められたマニュアルに従ってエイズ患者の簡単な診察を行ないます。その診断結果がファックスで出先事務所に送られます。出先事務所では、情報をパソコンに入力してデータベース化され、必要に応じてケープタウンのセンターの医師に相談します。センターでは、医師が情報を総合的に判断し、現地スタッフが患者に薬を届けるのです。医師が現場にいなくても治療が出来、一人の医師がたくさんの患者を治療するという、南アフリカの現状に即した体制です。

そのダルコーさんに、かつて「国境なき医師団」で活動した医師貫戸朋子さんがケープタウンの事務所を訪れてインタビューを試みました。「私たちはエイズとの闘いに勝てますか?」という貫戸さんの質問にダルコーさんは次のように答えました。

「もちろんです。私は不可能なことはないと自分に言いきかせています。四千万人の感染者を救うのは無理だと言う人もいます。でも、然るべき時に然るべき場所で指導力を発揮すれば、実現できます。そもそも私たちは、何故失敗するのでしょうか。それは、私たち自身の中に偏見が潜んでいるからです。その偏見に打ち克つことが出来れば、エイズは克服できるのです。恐れることなく、国民に正しいメッセージを伝えれば、必ず前進できます。一人一人が精一杯呼びかけるのです。明日は、明日こそはエイズを食い止めることが出来るのだ、と。」

インタビューを終えた貫戸さんは、困難に立ち向かっている人たちのために再び現場に立つ意欲をかき立てられたと言います。(註31)

ダルコーさんは、壊滅的な医療体制を考えれば予防を最優先すべきだと主張して欧米の製薬会社が目を向けなかったエイズ患者を救い、帚木蓬生が『アフリカの瞳』の中で託したメッセージ「私は人類の英知として、特定の国、つまりHIV感染が蔓延している国では、治療薬を無料にすべきだと訴えたいのです。無料化の財源は世界規模で考えれば、どこかにあるはずです。戦争が仕掛けられ、数百億ドルの戦費がただ破壊のためだけに空しく費やされています。その何分の一かの費用を、エイズに対する戦いにあてれば、私たちは確実に勝てるのです。」を実践したわけです。

ダルコーさんのようには出来なくても、体制の枠の中で意識の持ち方を少し変えるだけでやれることもあります。八十年代の後半に、朝日放送がジョハネスバーグの日本人学校を取材したことがあります。有名企業から派遣された「名誉白人」に話を聞いたわけです。校長は治安の悪さから子供を如何に守るかについてだけを語り、母親たちは政治的無関心を貫き通し、子どもたちは、自分の家にいるアフリカ人のメイドたちのことを「住むかわりにやっぱり働かせてあげるっていう感じで」と答えていました。(註32)もし、同じ立場に立った時に、「折角の機会なのですから、子供たちにはこちらの子供たちと友だちになって、次の時代の橋渡しをしてもらいたいと思います」と校長や母親が言い、「一緒に遊んで友だちになり、将来いつかまた戻って来て何かのお役に立ちたいと思います」と子供たちが言えれば、親の世代が続けてきた損得だけの南アフリカとの関係を少しは変えて行けます。先ずは自分を大切にし、身近な回りを大切にして行けば、相手のことも敬えてたくさんのことを学ぶことが出来るでしょう。

絶望の淵にあっても、ダルコーさんのように、まだ出来ることはあると信じて、十年一日の如く語り続けられたらと思います。

後世は畏るべし、なのですから。

南アフリカ小史 (二〇〇五年九月現在)

一六五二 東インド会社、ケープに中継基地を建設。

一七九五 イギリスの第一次ケープ占領。

一八〇六 イギリス、ケープ植民地政府樹立。

一八三三 イギリス、ケープで奴隷を解放。

一八三五 ボーア人、 内陸への大移動(グレイト・トレック)を開始。

一八三八 ブラッド・リバーの戦い (ズールー人対ボーア人)。

一八六七 キンバリーでダイアモンドを発見。

一八八〇 第一次アングロ・ボーア戦争 (~八一)。

一八八六 ヴィトヴァータースランドで金を発見。

一八九九 第二次アングロ・ボーア戦争 (~一九〇二)。

一九一〇 南アフリカ連邦成立。

一九一二 南アフリカ原住民民族会議〔後に、アフリカ民族会議(ANC)と改名〕結成。

一九一三 「原住民土地法」制定 (リザーブの設定)。

一九二一 南アフリカ共産党結成。

一九三六 「原住民代表法」・「原住民信託土地法」制定。

一九四八 国民党マラン内閣成立 (アパルトヘイト体制強化)。

一九四九 「雑婚禁止法」制定。

一九五〇 「共産主義弾圧法」制定。南アフリカ共産党禁止。「住民登録法」、「集団地域法」制定。

一九五五 クリップタウンの人民会議で自由憲章を採沢。

一九五六 「反逆罪裁判」事件開始 (~六十一)。

一九五八 パン・アフリカニスト会議(PAC)結成。

一九六〇 シャープヴィルの虐殺。ANC、PAC禁止。

一九六一 共和国宣言。ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)創設、ANC武力闘争を開始。

一九六二 ネルソン・マンデラ逮捕。

一九六三 リボニア裁判開始 (~六十四)。

一九六七 「反テロリズム法」制定。

一九七六 ソウェト蜂起。

一九七七 バンツー・スティーヴン・ビコ獄中死。ANC、ゲリラ闘争を開始。ピーター・ボタ首相政権発足。

一九七八 ロバート・マンガリソ・ソブクウェ死去。

一九八二 統一民主戦線 (UDF) 結成。スワジランドと不可侵条約締結。

一九八四 ボタ、執権大統領に就任。三人種体制発足。モザンビークと不可侵条約締結。

一九八五 アレックス・ラ・グーマ、キューバで客死。「背徳法」、「異人種間結婚禁止法」廃止。

一九八六 「パス法」廃止。

一九八七 オリバー・タンボANC議長来日し、中曽根首相と会見。

一九八八 ANC東京事務所開設 。国連総会で対南アフリカ貿易に関する日本非難の決議を採沢 。

一九八九 南アフリカ外相、米国務長官にアパルトヘイト廃止を約束 。マンデラと初会談のボタ大統領、マンデラの声明を発表 。ボタ辞任 、フレデリック・デ・クラーク、大統領に就任 。

一九九〇 マンデラ釈放。

一九九一 アパルトヘイト関連法の廃止。

一九九四 全人種参加の総選挙を実施、マンデラ政権成立。

一九九五 地方選挙を実施。

一九九七 新憲法発効。

一九九九 第二回目の総選挙実施、タボ・ムベキ大統領就任。

二〇〇四 第三回目の総選挙実施、ムベキ大統領再任。

奥付け

玉田吉行(たまだよしゆき)

四十九年、兵庫県生まれ。宮崎大学医学部医学科社会医学講座英語分野教員。英語、EMP (English for Medical Purposes)、南アフリカ概論、アフリカ論特論(教育文化学部日本語支援教育専修)などの授業を担当。

著書にAfrica and its Descendants 1 (1995), Africa and its Descendants 2 (1998) など、訳書にラ・グーマ『まして束ねし縄なれば』(九十二年)、注釈書にLa Guma, And a Threefold Cord(1991)などがある (いずれも門土社)。

「アフリカとエイズ」(二〇〇〇年)、「医学生とエイズ―ケニアの小説『ナイス・ピープル』」(二〇〇四年)、「医学生とエイズー南アフリカとエイズ治療薬」(二〇〇五年)、「医学生と新興感染症―一九九五年のエボラ出血熱騒動とコンゴをめぐって」(二〇〇六年)など、感染症に関わるエセイもある。

 

 

 

 

 

執筆年

2007年

収録・公開

横浜:門土社 64ページ

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アフリカ文化論(一)ー南アフリカの歴史と哀しき人間の性(341KB)