2000~09年の執筆物

概要

2005年4月開設予定の専修の準備状況についての速報で、ゲストさんに手伝ってもらって、横山さんと作ったものです。

本文

あとがき・・・統合という名のリストラ、予算の削減、学生
数の減少などの厳しい状況下で、何とか生き残りをかけた試
みとして、日本で初めての日本語支援教育専修が何らかの成
果を出せますようにと祈っています。 (編集:玉田、横山)

執筆年

2004年

収録・公開

4ペイジ 大学HP公開

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宮崎大学教育文化学部大学院修士課程日本語支援教育専修速報日本語版(118KB)

2000~09年の執筆物

概要

横山さん、ゲストさんと編集したものです。

執筆年

2005年

本文

収録・公開

8ペイジ 印刷物、大学HP公開

ダウンロード

宮崎大学医学部留学生ニューズレター2号(173KB)

2000~09年の執筆物

概要

研究協力課から依頼があって書いたものです。

宮崎大学における研究の成果等を、広く地域社会にPRするための広報誌(平成15年度版冊子)に収載され、大学のホームペイジにも掲載されました。

本文(写真作業中)

宮崎大学における研究活動紹介

「エイズを主題とするアフリカ文学が描く人間性(さが)」

研究助成種目: 科学研究費補助金 基盤研究(C)(2)「一般」

研究代表者: 医学部 教授 玉田吉行

交付金額: 2500千円(平成15年~平成18年)

研究課題名: 『英語によるアフリカ文学が映し出すエイズ問題-文学と医学の狭間に見える人間のさが』

研究の内容と展望 : [-エイズを主題とするアフリカ文学が描く人間の性(さが)-]

英語によるアフリカ文学が「エイズ」をどう描いているのかを探りたいと思っています。「エイズ」を正面から取り上げている作品はまだ多くはありませんが、文学作品を通して、病気の爆発的な蔓延を防げない原因や、西洋的な価値観とアフリカ的な見方の軋櫟などを、明らかに出来ればと考えています。

社会や学校にいつも疎外感を感じながら生きてきましたので、疎外された状況下での自己意識について考えることが多かったのですが、同じような問題意識をもったアメリカ人作家リチャード・ライトの祖先の地として、たまたまアフリカについて考えるようになりました。その過程で、英語は侵略者の使っていた言葉で、侵略が形を変えて今も続いていると思い始めてから、妙な空間をうろつく羽目になりました。

昭和64年度に「1950-70年代の南アフリカ文学に反映された文化的・社会的状況の研究」で科学研究費をもらったのですが、今回の「エイズ」と「アフリカ文学」、前回の「アパルトヘイト」、どちらも国の政策や利害と深く関わりがあるようです。

授業でもアフリカを取り上げていますが、偏見や無知や傲慢には、人間としての恥ずかしさを覚えます。アフリカにもすぐれた文学があり、すてきな人がいるという当たり前のことを伝えるのは、妙な空間にはまり込んだ人間の務めかも知れません。

http://tamada.med.miyazaki-u.ac.jp/tamada/)に書いたものを掲載しています。

(この研究を代表する著書・論文)

“AIDS epidemic” in Africa and Its Descendants 2 Neo-colonial Stage (Yokohama: Mondo Books) by Tamada Yoshiyuki, 1998, pp. 51-58.

「アフリカとエイズ」、「ごんどわな」22号、2~13ペイジ、2000年。

“Ngugi wa Thiong’o, the writer in politics: his language choice and legacy,” Studies in Linguistic Expression, No. 19 (2003), pp. 12-21.

執筆年

2004年

収録・公開

「2003 Research研究活動紹介 宮崎大学」 56ペイジ

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[ーエイズを主題とするアフリカ文学が描く人間性(さが)-](29KB)

2000~09年の執筆物

概要

宮崎医科大学大学祭すずかけ祭実行委員会の委員から依頼があって書いたものです。

本文

速達便 

英語科  玉 田 吉 行

四国に住むムアンギさんから速達便が届いた。中にはある論文のゼロックスコピーと一冊の本が入っていた。

サイラス・ムアンギさんはケニアのギクユ人で、かれこれ20年のつき合いになる。70年代の半ばにナイロビ大学の学生として京都大学法学部に坂本竜馬の研究に来ていたと聞く。政治が専門らしい。76年に、現大統領の金大中氏や詩人の金芝河氏の死刑に反対する「韓国に関する国際緊急東京会議」に出席した同郷の作家グギ・ワ・ジオンゴさんの世話をしたために国のブラックリストに乗って以来、祖国に帰れないでいる。今は、四国学院大学で平和学や女性学を担当しているらしい。

動物王国やサヴァンナのイメージが強いケニアは恐ろしい国である。アパルトヘイト下の南アフリカの人に「ケニア人が何か出来ることはありませんか」と聞いたら、「そちらこそ大変ですから」と言われてしまったと、いっしょに行なった「アパルトヘイトを巡って」というシンポジウムでムアンギさんはケニアの惨状について紹介していた。

コピーはある歴史学会で発表されたもので、永年政治犯を閉じ込めていた悪名高いロベン島が、実は遠い昔はハンセン病患者の隔離施設に使われていた史実を掘り起こして、ハンセン病と人種差別の関係を論じたもので、本はケープタウンのカラード居住地区第6区についての思い出を綴った著者からムアンギさんに託されて私に寄贈されたものである。しかし、著者について私は知らない。日付けは18-02-1999とある。

ケープタウンでの知り合いは2人だけである。一人は、作家アレックス・ラ・グーマ夫人のブランシさんと、亡命先のカナダでお会いした学者のセスゥル・エイブラハムズさんである。第6区はブランシさんがかつて住んでいた所で、1966年に政府は5万人の住人を一掃して白人居住地区にしようとしたがうまく行かず、以来更地のままだと聞く。恐らく、ラ・グーマの編註書2冊と翻訳書を日本で出版した日本人として、ブランシさんが著者に私のことを紹介して下さったのだろう。

20年もつきあっていると、2年以上も前に託された本を速達便で届けるアフリカ流にも、驚かなくなった。もちろん、今回のカメルーン騒動も、さもありなんである。92年に家族で2か月半ハラレに滞在した時に、充分免疫が出来たせいかも知れない。

お礼の手紙を書きたいのですが、著者と住所について少し教えてもらえませんか、と近々ムアンギさんに手紙を書こうと思っている。もちろん、速達便でである。

執筆年

2002年

収録・公開

宮崎大学医学部すずかけ祭第27回パンフレット 43ペイジ

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速達便(26KB)