概要
横浜の門土社の「メールマガジン モンド通(MonMonde)」に『ジンバブエ滞在記』を25回連載した17回目の「ジンバブエ滞在記⑰モロシャマリヤング」です。
1992年の11月に日本に帰ってから半年ほどは何も書けませんでしたが、この時期にしか書けないでしょうから是非本にまとめて下さいと出版社の方が薦めて下さって、絞り出しました。出版は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、出版は出来ずじまい。翻訳三冊、本一冊。でも、7冊も出してもらいました。ようそれだけたくさんの本や記事を出して下さったと感謝しています。連載はNo. 35(2011/7/10)からNo. 62(2013/7/10)までです。
本文
「モロシャマリヤング」
次の日、私はニューホールにアレックスを訪ねました。ショナ語と英語の家庭教師を頼むためです。ジンバブエに来る前は考えてもみませんでしたが、いざ住み始めてみますと、折角遠くまで来たのだからショナ語をやってみてもいいなあ、幸いショナ語で本を書いているツォゾォさんにも出会ったのだし、短期間に多くは望めないにしても、せめて辞書がひけるようになれば、帰ってから何とか独りでやっていけるかも知れない、と考えるようになっていました。
子供たちも、生活の中で英語の必要性を感じていますし、学校の授業を補うような形で楽しく教えてもらえれば有り難いと考えていました。事情を話してみましたら、アレックスは即座に快よく引き受けてくれました。
学生のアルバイトも見つけにくいうえ、1日に8時間半働いても月に500ドルも貰えればいい方らしいですので、取り敢えずは、月額500ドルで私のショナ語と子供たちの英語を3時間教えてもらうことにしました。子供たちはまだムランボ教室がありますので、私の方が先にショナ語を始めればいいでしょう。
さっそく、アレックスを家に案内して3人に紹介しました。内気な長女は少し恥ずかしそうでしたが、長男の方は一面識で大いに気が合ったようです。ゲイリーにも紹介しましたら、2人はしばらくショナ語で楽しそうに話をしていました。
いよいよ、アレックスのショナ語教室の始まりです。
長女とアレックス
教室を始める前に、2人で本を探しに行こうという話になり、タクシーを呼んで街の本屋に出かけました。これから始めましょうとアレックスは小学校の教科書を何冊か選んでくれました。ゆくゆくは読めるようにと、ツォゾォさんのショナ語の本なども買っておきました。
本屋にはすでに何回か足を運んでいましたが、欧米や日本のように、多数の本が並んでいるわけではありません。一番大きな本屋で大量に本を買って、店の方から直接日本に送ってくれるように頼みましたが、そういうサービスはしていませんと断わられました。ジンバブエで大量に本を買い込んで自分の国まで送る人はそう多くはいないからしょう。結局、重い荷物を家に持ち帰り、質の悪い紙で梱包をして、郵便局で長い列に並んで順番を待つという過程を経なければなりませんでした。本を送るのも、ひと仕事です。
ツォゾォさんのショナ語の本
本屋を出たあと、アレックスは酒場に案内してくれました。中心街より少し南にあるので、ほとんどがアフリカ人です。入り口のガードマンらしき人と何やら話をしています。見学をしたいという 外国からきた友人を連れて来たといって2ドルを渡しましたと、席に着いてからアレックスが耳打ちしてくれました。アフリカ人以外の人がここに入るのは難しいのでしょうか。
アレックスは友人とよくここに来るそうです。酒場とは言っても、あまり清潔そうでない暗い部屋に何組かの椅子とテーブルが置いてあるだけです。食べ物が出るわけでもなく、ただビールを買って、そこで飲んで喋るだけです。グラスもありません。瓶も汚れている場合が多く、この前など、瓶の中に小さな蛇が入っていたらしいですよ、多分瓶を洗う時の検査がいい加減だったんでしょうねと吉國さんが話しておられたのを思い出しました。瓶の汚れ方を見ていますと、そんな事件が起こっても不思議はないなと思えて来ます。
それでも誰もかれも、話に花を咲かせて楽しそうです。エリザベスホテルというらしいのですが、これでホテルなのかと思えるほど、うらびれた感じでした。すすんでここに来る白人は、おそらくいないでしょう。
街で長女とアレックス
グレートジンバブエ行きやお別れ会や小学校の手続きなども重なって、ショナ語教室はすぐには始められませんでしたが、それでも8月中に2度機会を持つことが出来ました。
アレックスは陽気な青年です。来ると必ず片手を上げながら子供たちに向かって「ハロー、マイフレンド」とやります。陽気な長男はすぐにそれを真似て「ハロー、マイフレンド」とやり返すようになりました。
ある日、長女は「ハロー、マイフレンド」に相当するショナ「モロシャマリヤング」をゲイリーから聞き出して、アレックスやゲイリーを相手に「モロシャマリヤング!」とやり始めました。それ以来「モロシャマリヤング」がみんなの合い言葉になりました。
アレックスと長男の陽気な2人組は、時たま庭に出て、「アチョー!アチョー!」と、すっとんきょうな奇声をあげていました。
カンフー(中国拳法)の真似事のようです。アレックスはクンフー(Kung fu)と発音していたが、その種のアメリカ映画が大流行しているようで、日本人なら誰でもそのクンフーをやるものと信じていたと言います。長男はアレックス直伝のクンフーがすっかり気に入ったようです。2人は人目をはばかる様子もなく、その後も出会う毎に「アチョー!アチョー!」とやっていました。
8月の30日に、出会いの感謝も含めて、アレックスに8月分と9月分の謝礼金を手渡しました。今度はいよいよ、子供たちの英語教室も同時開講です。
しかし翌日、アレックスは現われませんでした。火急の用事でも出来たのでしょうか。それとも体の調子でも悪くなったのでしょうか。電話で確かめる術もありません。
小学校の学期初めで気を遣ったり、私自身の体の調子が思わしくなかったせいもありましので、アレックスと次に会ったのは3日のちでした。
何とか体の調子も戻りましたので寮にアレックスを訪ねますと、友人のムタンデと話し込んでいる最中でした。様子から判断すると、体の調子が悪かったようにも思えません。
教育棟前でムタンデと
アレックスによると、大金を手にしたその日、つい気が大きくなって友人を誘い、例のエリザベスホテルに繰り出して酔っ払ってしまったようです。気にはなっていましたが、約束を果たせなくてすみませんでしたと言います。
ミスタームランボの例もありますので、前金を渡したのがいけなかったのかなという思いが少しは頭をかすめていただけに、経緯を聞き、やはり出会いは嘘ではなかったのだと安堵感を覚えました。そして、何となく嬉しくなりました。
教育棟前でミスタームランボといっしょに
アレックスは煙草を吸います。箱では買えませんので、ばら売りを買って吸っているようです。そこで、百円ライターを一つプレゼントしました。火器類の機内持ち込みは禁止されていますが、百円ライターが貴重品だと聞いていましたので、何個かをトランクの中に忍ばせていたのです。
次の日、ライターを持っているはずのアレックスがマッチを使っているのに気がつきました。その理由を聞きますと、例のホテルの酒場で日本製のライターだと見せびらかしたら、我も我もと取り合いになって、たちまちガスがなくなってしまいましたと言います。その光景が目に浮かびそうで、吹き出してしまいました。アレッスは恥ずかしそうにしています。それまで半信半疑でいたのですが、百円ライターも確かに貴重品の一つだったようです。
アレックスはビールやチキンが大好物です。毎回、お昼を食べながらビールを一緒に飲みました。もともと肌の色が黒いので目立たなのですが、ビールが入ると少し赤くなって、陽気なアレックスが更に陽気になります。私の方も顔を赤くして、陽気になり、話も弾みます。
ビールを飲んで陽気なアレックス
大学の3年間は楽園ですよとアレックスが話します。大学に来るまでも大学を出てからも、どうやって食べていくかの心配ばかりですが、少なくとも寮にいる3年間は、1日に5ドルで3食が保障されていますから、その心配をしなくていいだけでも天国ですよと付け加えました。
妻にとっても、毎回の食事の準備は大変です。ある日、長男も食べたいと言いますので、アレックスにもフライドチキンを買ってきましたら、大好評でした。鳥肉の苦手な妻と長女は敬遠しましたが、それから時折、ビールとチキンが昼食のメニューに加わるようになりました。アレックスも大喜びし、妻も食事の用意の手間が多少軽減されて、まさに一石二鳥です。
ジンバブエでは鳥肉が一番高価です。南アフリカやケニアでもそうらしいようですが、鶏をつぶして客人に供するのが最高のもてなしだそうです。従って、ショッピングセンターや中心街にはチキンインという持ち帰り(テイクアウェイ)の店が必ずありますが、日本のケンタッキーフライドチキンなどよりは高級な扱いです。骨付きの3片にフライドポテトがついて、12ドルほどでした。アレックスも普段はとても食べられませんからと言いながら、おいしそうにチキンを食べていました。
アレックスと長男
ビールにしても、普段はそう飲めるわけではありません。私自身、チキンはあまり好きではありませんでしたが、ビールを飲みながら如何にもおいしそうにチキンを食べるアレックスにつられて、つい食べるようになってしまいました。
アレックスとは色々な話をしました。ゲイリーの場合は、ある程度話題が限定されていましたが、アレックスとは文学を中心にして、話の世界が広がっていったように思います。感性の響き合う部分が重なっていたせいもあるしょう。
ラ・グーマやグギ・ワ・ジオンゴなどのアフリカの作家だけでなく、リチャード・ライトやスタインベックなどのアメリカの作家についても、よく似た受けとめ方をしていました。『怒りの葡萄』に出てくる牧師が僕は好きでねえと私が言いますと、アレックスからジム・ケイシィは私も好きですよという返事が返ってきました。
アメリカ映画『怒りの葡萄』
ラ・グーマもグギさんもライトも亡命作家ですが「亡命後に書いたものはやはり勢いがないですよ、だから例えばラ・グーマなら、南アフリカにいる間に書いた処女作『夜の彷徨』が、やっぱり一番いいですね、また、グギさんが最近出した『マティガリ』も、長い間ケニアを離れているせいか、少し観念的で勢いがないように私には思えます。人物描写にも信憑性がないですよ。」とアレックスは言います。3人とも私の好きな作家ですが、私自身も日頃から同じような感想を持っていましたので、これだけ違った環境で育った2人がこんなにも似通った感覚を持ち得るものなのかと、驚いてしまったほどです。社会主義を掲げている南部アフリカの国で、こういった話が出来るとは夢にも思いませんでした。
グギさん(小島けい画)
子供たちに英語を教えてもらうようにと話は決めたものの、ほとんど英語が聞き取れない2人にどうやって英語を教えるのか、ミスタームランボの時と同じように、心配でもあり興味もありました。
いざ始まってみますと、そんな心配は不要でした。子供の柔軟性は大人の想像をはるかに超えていました。それぞれ1時間ほど英語で英語の説明を受けて、結構反応しています。よく笑い声も聞こえてきました。おかしくもないのに笑ったりはしないでしょうから、それなりに言われている内容を理解し、心も通わせていたのでしょう。初めは恥ずかしそうにしていた長女も、毎日を楽しみにするようになりました。学校で出された宿題をアレックスに聞いたり、日本から持ってきた学校の教科書を読んでもらって録音したり、なかなか積極的に楽しんでいる風でした。時にはウォークマンを持ち出して、尾崎豊やイギリスの歌手グループテイクザットなどの歌をかけて、アレックスに聞かせていました。アレックスも初めて見る高性能のテープレコーダーに目を見張りながら、ヘッドフォンをかけては独り、音響の世界に浸っていました。ジンバブエの音楽とは随分とリズムが違うようですが、アレックスは日本の歌を大変気に入ったようです。長女は日本から持ってきていた音楽テープを録音して、アレックスにプレゼントしていました。
ウォークマンで音楽を聴くアレックス
寮でアレックスは、ジョージやイグネイシャスやメモリーなどの友人を何人か紹介してくれました。それぞれ国中から集まってきた精鋭ですが、日本ではいまだに忍者が走っていると本気で信じ込んでいました。街には日本のメイカーの自動車が溢れていますし、ハイテクニッポンの名前が知れ渡っているのに、です。
ジョージ(小島けい画)
アメリカのニンジャ映画の影響のようです。アフリカ人がいまだに裸で走り回っていると思い込んでいる日本人もいるし、今回私がジンバブエに行くと言ったら、「野性動物と一緒に暮らせていいですね」とか、「ライオンには気をつけて下さい」とか言う人もいたから、まあ、おあいこですねと説明しましたら、なるほど、それじゃ日本について教えて下さいと誰もが口を揃えて言い出しました。さすがに精鋭の集団です。言われて即座に、ハイテクの国に忍者がいるのはやはりおかしいと気付き、自分たちの誤った認識をただしたいと考えたのです。しかし考えてみますと、精鋭の集団ですらこうなのですから、西洋の侵略を意図的に正当化しようとする力や、自分達の利益を優先するためにあらゆるメディアを巧妙に操作しようとする自称先進国の欲が抑えられない限り、お互いの国の実像が正確に伝わるのは難しいでしょう。日本でのアフリカの情報にも、この国での日本の情報にも、欧米優位の根強い偏見がしっかりとしみついています。
大柄なイグネイシャスは、小さい頃に大人から聞いた民話を書いたり、自ら詩を創ったりしている文学青年です。ヨシの奥さんに絵を描いてもらって、日本で僕の作品を紹介してくれませんかと真剣な顔つきで話します。日本に留学出来ませんかとも言います。
童顔のメモリーは空手に興味があるらしく、しきりに空手についての質問を浴びせかけてきます。経験のない私は、メモリーの質問にはお手上げでした。
アレックスの夢は新車(ブランドニューカー)を買って、ぶっ飛ばすことだと言います。周りの者も頷いています。私が車に乗っていないと言いましたら、アレックスが怒り出しました。日本なら簡単に車が買えるはずなのに、どうして車に乗らないのか、車に乗らないなんてどうしても理解できないと言い張ります。ほぼ詰問です。
車なしでもやっていける、確かに車は便利だが、スピード感が変わってしまうし、今の季節感も失ないたくないなどと私なりに説明を加えてみましたが、アレックスは最後まで不服そうでした。
車中心のこの社会では、車は必需品には違いありませんが、アフリカ人にとっては車を持つこと自体が、同時に一つの成功の証なのかも知れないと思いました。車を手に入れたいというアレックスの願いと、出来れば車文化の渦中に巻き込まれないでいたいという私の思いの間には、想像以上の隔たりがあるように思えてなりませんでした。(宮崎大学医学部教員)
アレックス
執筆年
2012年11月10日
収録・公開
→「ジンバブエ滞在記⑰モロシャマリヤング」(No.52)