つれづれに:立春が過ぎ(2024年2月13日)
つれづれに:立春が過ぎ
旧暦ではすでに春が立ち、立春(2月4日~18日)の期間もはや半ばである。寒さを覚悟していた大寒(1月20日~2月3日~18日)の時期でも、そう寒い思いをしなくて済んだ。予報によれば、もうすぐ春一番が吹いて、春めいてくるそうである。高台の公園では梅もすでに散り、隣の桃(↑↓)が満開である。
今は、週に1度の白浜(↓)行きや散歩や畑作業の時も含めて、その時どきに感じる日常の情景、月1回のズームAAの報告と補足、漂泊の思いに誘われて出た旅、それに最後の外部資金のテーマにしたアングロ・サクソン系の侵略の系譜について書くことが多い。すべて、定年退職後に再任された後、やっと書き始められた小説の材料でもある。退職の年に、長年HPを使った褒美(ほうび)にと拵(こしら)えてもらったこのブログを、有難く修作に使わせてもらっている。小説の方は、5作目のあと小休止している。今後の進み具合は、出版社次第になりそうである。
いつもの位置(上)、神社を背に青島港に戻る漁船を撮った(下)
今日は日常の情景についてである。この前書いたのが→「快晴」(1月27日)だから、その間にズームAAの報告と補足(→「第3回目報告」、→「口承伝達」)、旅(→「下田」)、侵略の系譜(→「アメリカ1860年」、→「日本1860年」、↓、→「南アフリカ1860年」)と、色々挟(はさ)んだわけである。「口承伝達」のあと、10日ほど書いていない。特別な理由はないが、ぴたっと勢いが止まってしまった。
規則正しく毎日送られればいいが、実際はそうはいっていない。長距離で自転車をこいだ次の日は、なかなか体が動かないし、雨が降れば難儀してまで歩けない時もある。うまく寝られればいいが、布団に入っても眠れないときもある。食べるものが薬だからと思って、できるだけいろいろなものを摂るようにはしているが、食べたくないときもある。退職すればすることがなくて‥‥という人がいると聞いたことがあるが、そんなことはない。起きてから寝るまで、次々とすることがある。妻の作ってくれたおかずに野菜や甘酒などの支度をして時間をかけて食べる、外に出て1時間ほど歩く、洗濯に掃除、今なら体を冷やさない程度に畑に出て作業、生きるのを維持するのに必要なことばかりだ。
今、畑では南側(↑)と東側の通路に正方形のコンクリートを敷いて通路を拵えている。折角なのでコンクリートの下の黒土を畑に入れて、そこに東側の家の脇の道路下から掘り起こした真砂土を運び入れている。通路には上に砂利が敷いてあるので、それを取り除いて水で洗ってからなので、結構手間がかかる。幸い畑には何個所か溜枡(ためます)が拵えてあるので、そこに雨水が流れるような工夫も必要である。新しいものを拵えるのは、それなりにおもしろい。ただ、土を掘り起こし、真砂土や砂利をわけてバケツで運ぶので、体の節々が痛い。最近は、特に指や前腕と両肩の痛みがわりときつい。
春も立ち、下の気温も上がってくるので、体を冷やさずに畑に出られる時間も長くなる。それだけ作業も進む可能性はあるが、それも体が続けばの話である。レタスとブロッコリー(↑)を必要な分だけ摘んで食べられるのは、有難いことである。葱(ねぎ)も大体は植え替えて、順調に大きくなっている。切ってもまた後から生えて大きくなるので、重宝な野菜だ。今年はこまめに刻んで冷凍し、年中途切れないように出来るといいが。ときたま、近くの人たちにもお裾分けをしている。
青島神社参道、キャンプの影響か参詣客が多かった