『ナイスピープル』理解17:雑誌「ニューアフリカン」

2020年3月2日2010年~の執筆物アフリカ,医療

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の17回目です。アフリカ人の声が聞ける雑誌『ニューアフリカン』についてです。

アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

「ニューアフリカン」

今回から雑誌「ニューアフリカン」について書きたいと思います。

「ニューアフリカン」はロンドン拠点の英語による月刊誌です。<7>→「『ナイスピープル』を理解するために―(7)アフリカのエイズ問題を捉えるには」「モンド通信 No. 15」、2009年10月10日)などでも繰り返し紹介した米国人医師ダウニングさんの『その人たちはどう見ているのか?―アフリカのエイズ問題がどう伝えられ、どう捉えられて来たか―』(2005年出版)の中では購読者は3万2千人と紹介されていますが、アフリカ大陸で広く読まれている雑誌です。2005年の夏からはウェブでも配信されているようで、ウェブサイトNEW AFRICAN「毎月、二十二万人がアフリカ大陸での最新の情報を逃さないように『ニューアフリカン』を購読している。1966年創刊の英語によるこの月刊誌は、アフリカ人の見方を国際ニュースに提供しており、官僚やビジネスマン、医師や弁護士などや、アフリカに関心のある人たちには大切な雑誌である。」という解説が載せられています。

アフリカ大陸では広く読まれているとは言っても、日本では、特に地方では、アメリカの雑誌「タイム」や「ニューズウィーク」のようにはいきません。雑誌のバックナンバーの一部はウェブNEW AFRICANでも読めますし、定期購読している図書館から過去の記事の複写を取り寄せるのも難しくはありませんが、今回ダウニングさんの本で紹介された記事、特に九十年代の記事を探すのに、大阪吹田の万博会場跡にある国立民族学博物館まで足を運ばなければなりませんでした。(民族学博物館にある図書室は、毎回入室の予約も必要ですし、建物も入館手続きも何となくものものしくて、行くのにやっぱり少し気が引けます。インターネットでバックナンバーの一部が手に入りますので比較的手に入れやすい資料ではありますが、それでも日本では、特に今私が住んでいる宮崎のような地方では、「資料を探すだけでも大変な」の部類にはいります。)

編集長はバッフォー・アンコマー(Baffour Ankomah、発音には自信がありません。)です。永年英国に住むガーナ出身のパンアフリカニストで、「中立を保つために」英国籍を取得したとWikipediaに紹介されています。

バッフォ・アンコマー

1999年に英国人アラン・レイク(Alan Rake、この人も発音には自信がありません。)に代わって編集長になり、現在も編集長を務めているようです。同じ年にタボ・ムベキが大統領になっています。ダウニングさんによれば、ムベキと歩調を合わせたように、アンコマーは「ニューアフリカン」の傾向を大きく変えたようです。エイズに関する記事が大幅に増え、それも四分の三がアフリカ人による執筆で、大抵はムベキに言及しています。扱うテーマも、それまでの統計やエイズ検査の不正確さに加えて、抗HIV製剤やその製剤の副作用についてや、ムベキのメディアでの取り上げられ方や、アフリカのエイズ問題の底流となる貧困についてなど、幅が広がりました。2003年に国際連合エイズ合同計画(Joint United Nations Programme on HIV and AIDS、UNAIDS)の長ピーター・ピオット(Peter Piot)の政策演説(西洋の主流の伝統的な見方の演説)を載せる頃には、どのような演説を雑誌に載せるかについてのしっかりとしたアフリカ人的な展望を確立させていたようです。

ピーター・ピオット

それは<11>→「『ナイスピープル』を理解するために―(11)エイズと南アフリカ―2000年のダーバン会議」「モンド通信 No. 19」、2010年2月10日)でも書いたように、ダーバン会議でムベキが西洋中心の社会に向けて改めて発信した内容や方向性と重なります。

その後の十年ほどの間に出された記事は、

①エイズの起源、②統計の正確さ、③検査の正確さ、④製剤の毒性(副作用)、⑤メディア、⑥貧困

についてです。それは生物医学的な考え方を基にした西洋の見方とは範疇が異なります。

「ウィルスの起源はアフリカだというのが西洋の主流だが、エイズ患者が最初に出たのはアメリカで、アフリカ人はその主張によって西洋社会から責められているように感じる」というような、誰がみても自然なアフリカ人の素朴な問いかけです。それは、「南アフリカにおいてはエイズの原因を単にHIVだと捉えるのではなくて、食べ物や住まいなどの社会環境も含むもっと総合的な立場からとらえないと、本当の解決策は見つからない」と言うムベキの主張と、基本的には同じです。

タボ・ムベキ

世界のエイズによる犠牲者の3分の2がアフリカ大陸の人たちだと言われています。第二次世界大戦後再構築した搾取機構では、開発や援助の名の下に、多国籍企業による投資や貿易で「先進国」は第三世界から莫大な利益を得続けていますが、このままエイズによる犠牲者が増え続ければ搾取するはずの安価な労働力の確保は難しくなります。(たとえば、南部アフリカでウランを掘るアフリカ人労働者の確保が難しくなれば、原子力エネルギーの確保はたちまち難しくなり、地震による被害の影響とは別に、基本的に国のエネルギー政策の見直しを迫られます。)

資本主義社会では、資本をたくさん持った方がマスメディアも支配し、大きな声で一方的に自分たちの主張を押しつけがちになります。世紀の変わり目当たりに西洋のメディアが盛んに報じた「エイズによってアフリカ大陸そのものが滅びる」といった一方的な論調はもうこの辺でやめ、アフリカ人がエイズをどう考えているのかに素直に耳を傾ける必要があります。当事者のアフリカ人から教えてもらうがやっぱり筋でしょう。(過去の経緯を考えれば、希望は、とても持てないと思いますが・・・・。)

次回は①エイズの起源についてのアフリカ人の主張に耳を傾けたいと思います。(宮崎大学医学部教員)

HIV構造式

執筆年

  2011年6月10日

収録・公開

  →「『ナイスピープル』理解17:雑誌『ニューアフリカン』」(「モンド通信 No. 34」

ダウンロード・閲覧

  →(作業中)