つれづれに

つれづれに:奴隷船一等航海士

 18世紀の半ばが始まりのテレビドラマ→「『ルーツ』」の中では、アフリカで捕まえられた奴隷が家畜のように扱われていた。鎖に繋がれたまま甲板に連れて行かれ、運動不足を解消するために、奴隷の一人が鳴らすドラムに合わせて「ほら踊れ、ほら跳ねろ」と船員が周りで甲板に鞭を打ち付ける。船長(↑)が臭いが酷いと一等航海士に不平をこぼすと「わかりましたと、きれいにしましょう。清潔が一番です」と返事して、部下に海から汲み上げた海水を奴隷たちにかけさせる。傷口に塩水が当たって、奴隷たちが苦痛に悲鳴を上げる。そんな場面が続く。

 当然、船員も船長もアフリカ人が自分たちより劣った人種だと見下していた。船長と一等航海士の言葉の端々から、その見方が感じ取れる。船長は奴隷船は初めてだったので、アフリカ全般やアフリカ人奴隷については、一等航海士よりは一般の人々の見方に近かったはずである。敬虔なクリスチャンを自任している船長にとっては、想像以上の日々だった。目の前で繰り広げられる非人道的な扱いを目の当たりにして、こんなことをしてもよいのかと良心の呵責に苦しんで、来る日も来る日も眠れない苦しい夜が続く。心の底を見せるわけにはいかなかったが、18回の奴隷船乗船の経験がある一等航海士(↓)に、あれこれと質問を投げかける。アフリカの西海岸に向かうまだ奴隷が積み込まれていない船倉(slave ship hold)での船長と一等航海士の会話の一場面である。

 「どんな人間だ?黒人とは?」

「種類が違うんです。犬に狩猟用の品種とペット用の品種があるように、黒いやつらは頭はトロいが、奴隷に向く。あなたが船長に向くように、自然の秩序(natural order)ですよ」

「そうか、何となく分かるよ」

「それにアフリカから連れ出す方が連中のためです」

「それはどういう意味かね?」

「つまり、キリスト教の国へ来るんですから、アラーの国にいるよりいいですよ。それだけじゃない。共食いから助ける事にもなる。みんな人食い人種だから」

「それぞれの領分で責任を果たそう」

「了解です。積荷はお任せを。言葉も知ってます」

「黒人の?」

「一種のね。連中に言葉などないですよ。うなるだけで」

中世ヨーロッパではアフリカ人とヨーロッパ人が対等で、人種的な偏見はなかったのに、奴隷貿易の最盛期には、黒人を劣ったものとみる意識が定着していたということだろう。

つれづれに

つれづれに:奴隷船船長

 今でも船長か船舶会社かが→「積荷目録」(Cargo Manifests)を作成して、入港する税関に提出する義務があるらしい。大学(↑、→「大学入学」、→「夜間課程」)でいっしょにバスケット(→「運動クラブ」)をした先輩は卒業後三井汽船に就職したらしいので、ひょっとしたらそんな仕事もしていたのかも知れない。卒業後会ったことはないが、一度会って話してみたいと思う一人である。たぶん、芦屋の両親の家を引き継いで、そこに家族と住んでいるような気がする。会えずじまいで終わりそうだが‥‥。4年の夏休みにアメリカに短期留学もして、将来設計が立てられる人だったのだろう。185センチほどあって、プレイのレベルも高かった。いっしょにプレイして、いつも気持ちよかった。練習のあと、並んで話をしながらモップがけをした記憶が残っている。

 →「『ルーツ』」(↑)は奴隷貿易が一番盛んな18世紀の半ばの話なので、今ほど法律的にうるさくはなかっただろうから、たぶん船舶会社も一番事情を知っている雇った船長に積荷目録を書いてもらっていたに違いない。税関が今の制度とどう違うのかは知らないが、入港先のアメリカの奴隷商会に積荷の詳細を書いた積荷目録を渡していただろう。その積荷目録が資料として残り、ヘイリー(↓)が図書館で船舶記録とともに目にした可能性が高い。その当時、積荷目録に商品価値があったかどうかはよくわからないが、連邦政府の作家プロジェクトなどを通して図書館に収められて今に残っているようである。

 「ルーツ」第1部の最初で、入港の準備、アフリカの西海岸での交渉、大西洋上の奴隷船(↓)、入港後の商会との交渉の場面で船長が登場している。会話した相手は、乗船前に説明を受けた船舶会社の所有者、準備段階と船上で色々質問した一等航海士、アフリカ海岸で交渉した奴隷捕獲人、入港後に報告した奴隷商会の代理人である。会話の端々から、当時の奴隷貿易に携わった奴隷船の一員として、船長が持っていた奴隷に対する見方が読み取れる。

 入港準備の場面では、船舶会社の所有者から奴隷船の構造図を見ながら解説を受けている。初めての奴隷船での航海で、戸惑った様子が窺える。一等航海士からは、鉄製のと手枷(かせ、wrist shackles)と首輪(neck rings)や焼きごて(branding irons)、木製の指締め(thumbscrews)などの説明も受けている。初めて見る折檻用の指締めを見て「実際に使ったことがあるか?」と一等航海士(↓)に質問をして確かめていた。予想外の道具に驚きを隠せなかったからだろう。

 初めてのことで戸惑うことも多かった。西アフリカの海岸の砂浜に張ったテントの中で交渉は行われたが、ラム酒を飲んで気合を入れるほど緊張していたようだ。値段の交渉をしようと話を切り出したが「競争相手が多いから、今は奴隷を集めるのも大変だ。先に人数を決めた方がいい。値段交渉はその後だ」と相手の奴隷狩りに急かされていた。

船上でも慣れないせいで寝つきが悪く、敬虔なクリスチャンの船長はこんなことをやっていいのかと寝苦しい夜が続いている。慰めにアフリカの少女を湯たんぽ代わり(a belly warmer)にと薦められているが「姦淫(かんいん)の罪だ!」(Fornication!)と最初は頑(かたく)なに断っていた。船上ではベテランの一等航海士にほとんど任せ切りだった。アフリカ人をどう見ていたのかは、船長と一等航海士の会話からおおよそが窺(うかが)える。次回は一等航海士になりそうである。

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ZoomAA2c:積荷目録

 奴隷船(↑)の積荷目録(Cargo Manifests)が、『ルーツ』(1976)を書いたアレックス・ヘイリー(Alex Haley, 1921-92、↓)が7世代前の祖先を探す手懸かりになったことはよく知られている。主人公クンタ・キンテの子孫のヘイリー役の俳優が、図書館で一心に検索している姿をドラマ→「『ルーツ』」で演じている。

奴隷貿易や植民地支配で繫栄したイギリスからの入植者たちが第3世界から搾り取って潤っているお陰で、図書館も充実している。1980年代の初めにニューヨーク市の公共図書館→「ハーレム分館」(↓)のションバーグコレクションを見に行ったときに、マイクロフィッシュから拡大コピーしながら実感した。ミタやミノルタのコピー機を見て「戦勝国は技術まで持って帰るんや」と歴史の隙間(すきま)を覗(のぞ)き見た気がした。図書館に充分な予算を割かない日本や、大学の図書館ですらほとんど本がないジンバブエなら、ヘイリーでも7世代は遡(さかのぼ)れなかっただろう。

 ヘイリーが自分の祖先を調べ始めたのは、『プレイボーイ』でインタビューしたマルコムXにも大きく影響を受けていたからでもある。奴隷貿易で断たれてしまったアフリカとの繋がりを知ることはアメリカの黒人にとっては自分の存在価値を知るうえでどうしても必要だとマルコムは考えていたのである。暗殺される直前に行った→「ハーレム」での講演でも、アフリカとの歴史的な繋がりを説いて自分自身に自信を持てと熱く語っていた。(→「アフリカ系アメリカの歴史 」)自分のルーツを探す旅はマルコムが果たせなかった遺志を継ぐことでもあったのである。

 ヘイリーは叔母の話に興味を持ち、自分の祖先探しをするようになった。西アフリカのガンビアのジュフレ村に辿(たど)り着き、その村のグリオの口から「ある日、森に木を切りに行っていなくなった」と聞いた。グリオはその村の歴史を口承で語り継ぐ役目の人である。船舶記録と積荷目録から、17歳のクンタ・キンテ(↓)を乗せた船の名前と、船が1767年にアナポリスに入港したことを知った。

今でも入港する船舶は積荷目録を書いているようだが、その頃の積荷目録が残っているのは奇跡に近い。20世紀の初めに連邦政府は連邦作家プロジェクト(Federal Writers’ Project)を組んで散逸する資料の保存を図ったそうである。積荷目録が残っているのもそのお陰かも知れない。プロジェクトにはい人若手をかなり重要な立場で登用したと→「黒人研究の会」の例会で聞いたことがある。

ウェブで調べているとき、積荷目録のコレクションを紀伊国屋書店が売っているを見つけた。「教育と研究の未来」(→「Slave Trade in the Atlantic World」)という題がついているが、そういう貴重な歴史資料を売買していいものなのか?なんでも商売にしてしまう。いつの時代も金持ち層の遣りたい放題である。歴史が証明している。

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つれづれに:畑も冬模様

 畑もすっかり冬模様である。去年は9月中は暑くて畑に出るのは難しかったが、十月に入ると、昼間の暑さを避ければなんとか畑に出られるようになった。去年は9月の初めに畑を再開した(→「畑を始め‥‥」)が、一昨年始めたのは十月の半ば(→「畑も始めたが」)だった。

9月末の畑の様子

 旧暦では、今年は11月7日に冬が立ち(立冬)、 小雪(11月22日~12月6日)、 大雪(12月7日~22日)、 冬至(12月23日~1月4日)の期間を経て、今は小寒(1月5日~1月19日)の期間である。 冬至を過ぎた頃から昼が少しずつ長くなり、だいぶ日が暮れるのが遅くなった。大寒(1月20日~2月3日)をやり過ごせば、2月4日には春が立ち、(立春)、その後しばらくすれば、冬眠していた虫たちもいっせいに動き出す啓蟄(けいちつ、3月5日~)である。

大根の最初の収穫はある程度の大きさのまますでに何軒かにお裾分けをしてしまい、まだ大きくなっていないのを抜いて来て毎日大根おろしにして食べている。ちりめんじゃこを加えて、ポン酢をかける。ちりめんじゃこは生産者直売所が大分から取り寄せているものである。大根と大根葉は、人参、大根葉、大根、椎茸、牛蒡(ごぼう)と根菜が主体の野菜スープの貴重な材料である。本当かどうかを確認する術はないが、昔隣の人が「がんにいいですよ」と言って作り方を教えてくれたので、毎日飲むようにしている。

苺(いちご)も植え替えが終わった。作るのは初めてである。去年苗を3本買って植えたが、ほとんどならなかった。ランナー(親株から分かれた株、言わばクローン?)の子株がだいぶ根付いていたので、それを植え替えた。実に土がついて傷まないように、取って来ておいてある枯れ草を敷き詰めようと思っている。うまく生るといいが。

ブロッコリー(↑)は葉もずいぶんと大きくなった。もうすぐ食べられそうである。種から大きくなった苗も、ほぼ植え替えが済んだ。一度に植え替えられないのが幸いして、時差で収穫出来る。もうすぐ途切れず食卓に乗るだろう。

レタスも葱(ねぎ)も大きくなりつつある。種が細かいが、ほぼすべての種が芽を出してくれる。苗も細いので、植え替えが面倒くさいが、ほぼ枯れずに根を張って大きくなってくれる。お蔭で、どちらも買わずに済む。レタスは毎日食べる直前に、必要な分だけ摘んで来る。

葱を刻むのは結構面倒で先送りして萎れてしまうことも多いのだが、刻んで冷凍しておけば保存が効く。去年は最後辺りに冷凍した分が切れてしまい、生産者直売所で買うことになってしまった。今年は枯れたり虫にやられたりする前に刻んでおきたいと思ってはいるが、そう思い通りに行くかどうか。体のどこにも支障が出ずに、普段通りに生活出来ればの話である。それが一番難しい。