英語 Ra1(2)

課題の講評です。もっと早くと思ってたけど。昨日は早く寝た分、今朝は早く目覚めて。さっきやっと読み終えました。

全般の講評は、全体によう出来たてたと思います。感心しました。たぶん自粛期間も長かったので時間をかけた人も多かったようで。四分の三ほどが英語というのも異常事態、初めてです。毎年一割あるかないかやから、やっぱり異常事態、やなあ。

しかも、英語は充分に読めたんで、アウトプットの機会を増やして、書いたり、読んだり、聞いたり、話したり、どんどんやれば気づいたら使えるようになってる、ということかもねえ。

僕は、戦争に負けて無理やりやらされて・・・という意識が強かったせいか英語に対していまだに抵抗があるけど、高校の教員の採用試験が受験出来たのも、38で大学職に就けたのも、受験勉強をしないでたまたま行き着いた先が英米学科で、教員資格も取れたし、(アメリカの半ば支配下にあって)全般に英語と関係のある仕事が圧倒的に多かったからやと思う。もちろん、結果論やけど。

原爆を落とされて無条件降伏をつきつけられ、色々な局面でアメリカを強要されてから久しい今となっては、英語が使える方が圧倒的に有利なのは事実、みたい。

仮説を立てて客観的に論証するという作業は、大学ですべき大事なことの一つ、教養、専門基礎では特に大事やと思います。

秀を3段階(満点、SS、S)、優を2段階(AA、A)に分けました。あんまりひどいのはB、Cをと思ってたけど、それはつけずに済みました。

満点 8人、SS 1人、S 10人、AA 3人、A 5人、未提出3人。計30人。

英語で書いてたのは20人。満点は、ある一定の水準を超えていそうで、短い期間によう書けたなあ、と感服した課題につけました。

仮説が曖昧なのが結構ありました。~が~であるという明確な仮説を立ててはっきりと論証するのが大切やと思います。感想文に近いのや、調べたものをまとめて自分の意見をつけたのもあったように思います。

最終的には言いたい気持ちが強いのがこちらに一番伝わって来ると思います。課題に限らず、書いたものはすべてそうやと思うけど。

わかりやすいのは、きちんと章立てが出来(もちろん、論理的な展開一目でわかるものがベスト)、参考文献もきちんとついているもの。図や統計のような客観的な資料や、言ってることをまとめているような画像や地図も効果的やと思います。

その辺りは形式の問題なので、読む側の視点も考慮して書ければ自ずから何が読みやすいかは見えて来ると思います。

個人的に講評が必要な人は連絡してもらえればメールでも、Zoomでも、課題を見ながら、意見も聞きながら話出来ると思います。7~8割は後期も授業で会う機会がありそうなので、遠慮なくどうぞ。

なんとか、やっと書けました。

住んでるのは学園木花台の高台にあるんで、家からも木花の研究室からも、加江田の山が見えます。今は梅雨もあけた真夏の加江田の山やね。ひさしぶりに木崎浜に自転車で行って、真夏の砂浜を歩くかな。

英語 Rb1(3)

前期もあと2回になったねえ。確認してや。

* 課題は8月6日(木)までにWebclassで

* 12回目→8月6日:『金のフレーズ』、(続き)、(時間があれば)映像「アフリカシリーズ」冒頭

* 最終授業→8月13日:いろいろ聞かせてや。

* 「授業についての感想」のワードファイル(参考ファイルに)、最終日までにWebclass(「授業についての感想」)に出してや。

オンライン授業と対面授業についての質問も入れてあります。後期もオンラインが続きそうな気配なんで、みんなの気持ちも知りたいし、9月末締め切りの新人賞に送るつもりで小説も仕上げるつもりで、その中に使うかもしれないんで、予め諒承のほどを。受ける側の気持ちを聞いてみたいです。

* オンライントーイックの成績がメールで送られて来てると思うので、そのファイルをWebclass(「トーイックオンライン」)に出してや。

急遽無理やり実施した割りには事務処理も遅いので、成績を出すのが遅れそう。そこで、協力要請です。成績を送ってもらえれば詳細もわかるし、後期の参考にもなりそうやし、成績(課題半分、トーイックスコア半分)も最終日までに出せそうやし。松元さんにLineを流してもらった通りです。よろしく、ね。

Zoomトーイック→希望者がいれば、前期試験が終わった頃から先ずは後期が始まる前(9月末)まで、週一回くらいのZoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3を編集しての過去問演習、前回希望者でやった要領で)につき合ってもいいと思っています。希望者はメールしてくれたら、Zoomの招待状を送ります。(人数にもよるけど、他の希望者と合同で)新Zoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3を編集)の問題を作っときます。

授業は

* 課題、ブログの確認。

* 『金のフレーズ』①の11~40の解説→ブレイクアウトセッション

演習用シートを使って日本語を見てすぐに英文がスムーズに出て来る練習をくり返して英語に慣れや。⑥~⑨の希望者がいれば、いつでもどうぞ。~⑫も必要なら作るけど。

次回

* 『金のフレーズ』①の41~100の解説→ブレイクアウトセッション

授業一覧を作ってるけど、13回分でも全部の授業をまとめると、いろいろやったんやなあと思うね。始める前は授業もどうなるか全くわからんかったし。オンラインは初めてやったしね。でも、その時その時に出来ることはやったという気がするな。ま、過ぎ去ってみないと、ほんまのことはわからんかも知れんけど。来週、また。

クラス名簿(再掲載) 英語 Rb1(3)クラス名簿(32名)

30190700 西田 侑暉 ニシダ ユウキ
30200063 岩切 佑理可 イワキリ ユリカ
30200074 岩根 穂乃花 イワネ ホノカ
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200119 大重 滉輝 オオシゲ コウキ
30200191 川越 千尋 カワゴエ チヒロ
30200281 古藤 凜 コトウ リン
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200409 杉村 拓志 スギムラ タクジ
30200418 田代 歩 タシロ アユム
30200436 田中 ひびき タナカ ヒビキ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200485 堂前 虹太 ドウマエ コウタ
30200515 得能 万里奈 トクノウ マリナ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200544 長倉 由依 ナガクラ ユイ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200641 平原 鈴華 ヒラバラ スズカ
30200658 樋脇 千可子 ヒワキ チカコ
30200694 福田 美南 フクダ ミナミ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200780 松本 望 マツモト ノゾミ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200845 森山 友渚 モリヤマ ユウナ
30200852 安田 龍司 ヤスダ リユウジ
30200883 由地 紀一郎 ユウヂ キイチロウ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200911 渡邊 凌一朗 ワタナベ リヨウイチロウ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

 

ビジネス英語 I-1(2)

<連絡事項>

* 8月3日(月)が最終回

* 「授業についての感想」のワードファイルを参考ファイルに置くんで、次回までにWebclass(「授業についての感想」)に出してや。

オンライン授業と対面授業についての質問も入れてあります。後期もオンラインが続きそうな気配なんで、みんなの気持ちも知りたいし、9月末締め切りの新人賞に送るつもりで小説も仕上げるつもりで、その中に使うかもしれないんで、予め諒承のほどを。受ける側の気持ちを聞いてみたいです。

* オンライントーイックの成績がメールで送られて来てると思うので、そのファイルをWebclass(「トーイックオンライン」)に出してや。

急遽無理やり実施した割りには事務処理も遅いので、成績を出すのが遅れそう。そこで、協力要請です。成績を送ってもらえれば詳細もわかるし、後期の参考にもなりそうやし、成績も最終日までに出せそうやし。さっき松元さんにLineを頼みました。よろしく、ね。

* 当座9月末まで、希望者にZoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3の過去問演習、編集中)、希望者はメールしてや。

授業は

* 個人発表(続き)

確認:発表まだの人(このままやと再試験か再評価の可能性あり、単位が要る人は発表はしてもらわんと評価するものがトーイックのスコアしかないんで);家城くん、甲斐さん、小林くん、小松くん、迫田くん、中川くん、林くん

次回

* 個人発表(続き)

 

いよいよ来週で前期も終わりやな。授業一覧を作る予定やけど、いろいろ大変やったなあ。オンラインて初めてやったし。でも、出来ることはやったという気がするな。ま、過ぎ去ってみないとわからないけど。来週、また。

クラス名簿(再掲載)2020年前期 ビジネス英語I-1 (2) クラス名簿(34名)

30190034 足達 陽向 アダチ ヒナタ
30190070 安藤 由貴 アンドウ ヨシキ
30190083 家城 真志 イエキ マサシ
30190098 市谷 奈菜 イチタニ ナナ
30190133 岩井 駿空 イワイ シュンスケ
30190197 奥村 直也 オクムラ ナオヤ
30190225 甲斐 彩香 カイ サヤカ
30190249 香川 百萌子 カガワ モモコ
30190263 河口 暁 カワグチ アキラ
30190274 河野 紘進 カワノ コウシン
30190287 河野 多恵 カワノ タエ
30190292 河野 舞香 カワノ マイカ
30190313 喜多 あやめ キタ アヤメ
30190359 小出 響 コイデ キヨウ
30190366 小金丸 拓哉 コガネマル タクヤ
30190405 小林 里雄人 コバヤシ リユウト
30190414 小松 晃大 コマツ アキヒロ
30190429 佐伯 直樹 サエキ ナオキ
30190432 迫 優花 サコ ユウカ
30190443 迫田 信慈 サコダ シンジ
30190478 里中 優太 サトナカ ユウタ
30190496 清水 優成 シミズ ユウセイ
30190539 田中 碧 タナカ アオイ
30190557 塚元 健太 ツカモト ケンタ
30190588 徳留 未来 トクドメ ミライ
30190609 中川 大夢 ナカガワ ヒロム
30190661 中平 悠稀 ナカヒラ ユキ
30190719 羽田野 夢華 ハタノ ユメカ
30190755 林 聡一 ハヤシ ソウイチ
30190762 原口 智衣 ハラグチ チエ
30190786 春山 大輔 ハルヤマ ダイスケ
30190803 藤野 百香 フジノ モモカ
30190841 松原 光弥 マツバラ コウヤ
30190946 與那嶺 明里 ヨナミネ アカリ

 

英語 Ra1(2)

英語 Ra1(2)授業一覧 目次

今年度はすべてが普段と違いました。オンライン75分授業、学生食堂の混乱を避けるために昼休みは2時間。授業ごとに授業の記録を取り、すべてをまとめました。13回と希望者による時間外1回と14回でしたが、大変な1年やったと思います。ほぼ全員が参加してくれたことには本当に感謝しています。みんなの授業でもあるけど、僕の時間でもあるから。ま、当たり前のことやけど。以下の17回を書いたわけで、毎週7クラス分を書くのは、なかなかでした。

 

(1) 英語 Ra1(2)1回目授業案内→1回目授業案内

(2) 英語 Ra1 (2)1回目授業(授業前)→1回目授業(授業前)

(3) 英語 Ra1 (2)1回目授業終了→1回目授業終了

(4) 英語 Ra1 (2)2回目授業終了→2回目授業終了

(5) 英語 Ra1 (2)3回目授業終了→3回目授業終了

(6) 英語 Ra1 (2)4回目授業終了→4回目授業終了

(7) 英語 Ra1 (2)5回目授業終了→5回目授業終了

(8) 英語 Ra1 (2)6回目授業終了→6回目授業終了

(9) 英語 Ra1 (2)7回目授業終了→7回目授業終了

(10) 英語 Ra1 (2)8回目授業終了→8回目授業終了

(11) 英語 Ra1 (2)9回目授業終了→9回目授業終了

(12) 英語 Ra1 (2)10回目授業終了→10回目授業終了

(13) 英語 Ra1 (2)11回目授業終了→11回目授業終了

(14) 英語 Ra1 (2)12回目授業終了→12回目授業終了

(15) 英語 Ra1 (2)13回目授業終了→13回目授業終了

(16) 英語 Ra1 (2)課題講評→課題講評

(17) 英語 Ra 1 (2) 前期最終メッセージ→前期最終メッセージ

***********

⑥クラス名簿(学生支援課からのファイルをコピー、毎回の授業報告に貼附。)

2020年前期 英語 Ra1(2)クラス名簿(31名)

30170030 井戸 颯人 イド ハヤト
30200049 池ノ上 将基 イケノウエ シヨウキ
30200092 梅山 愛梨 ウメヤマ アイリ
30200100 押領司 尚美 オウリヨウジ ナオミ
30200137 尾崎 ちひろ オザキ チヒロ
30200186 加藤 大地 カトウ ダイチ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200232 北村 詩歩 キタムラ シホ
30200250 串間 怜央 クシマ レオ
30200278 小島 楓華 コジマ フウカ
30200322 迫田 凜々香 サコダ リリカ
30200335 佐々木 ルナ ササキ ルナ
30200423 田代 直哉 タシロ ナオヤ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200461 堂下 つばさ ドウシタ ツバサ
30200506 時松 桃花 トキマツ モモカ
30200533 戸高 みなみ トダカ ミナミ
30200551 永友 阿耶里 ナガトモ アカリ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200676 福瀬 一真 フクセ カズマ
30200713 藤田 涼 フジタ リヨウ
30200728 淵脇 紅南 フチワキ アカナ
30200731 古田 紋子 フルタ アヤコ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200766 松田 美月 マツダ ミヅキ
30200777 松元 彩夏 マツモト サヤカ
30200816 御沓 帆志 ミクツ ホシ
30200834 宮脇 駿介 ミヤワキ シユンスケ
30200870 山田 凌平 ヤマダ リヨウヘイ

 

(1)1回目授業案内

<連絡事項>

1回目授業は5月11日10:15~11:30、Zoomも試してみます。10分前くらいから参加出来るように準備しときます。木花キャンパスのオンライン授業の授業時間は75分。

<Zoomについて>

予め、zoom アプリをインストールして下さい。パソコン、タブレット端末、スマートフォンのいずれかがあれば参加が可能です。参考までに、インストールの仕方を紹介したサイトです。
→https://zoom.nissho-ele.co.jp/blog/manual/zoom-install.html

zoomアプリのインストールの際は、アカウントの名前の設定を学籍簿の名前で設定して下さい。例: 鈴木太郎(スズキタロウ)

このクラスの招待状を貼っておきます。↓

……………………………………………………………………………………………………..

玉田吉行さんがあなたを予約されたZoomミーティングに招待しています。

トピック: Ra1(2)授業
時間: こちらは定期的ミーティングです いつでも

Zoomミーティングに参加する
https://us04web.zoom.us/j/78078166295?pwd=My9IeGlNQVpteU82N1I1bkFsZDJCdz09

ミーティングID: 780 7816 6295
パスワード: 1EDwJC

………………………………………………………………………………………………………

Zoomをスマホでする人へ

Zoomをスマホでする人が発表するのに使うスマートフォン版のPowerPoint等を調べてくれた人が、スマートフォンの方からWord文書を作成して送ってくれました。(メール添付で送ります。)
「利用するにはMicrosoftのアカウントが必要となるようです。
アカウント登録やアプリのインストールは無料で行うことができます。
無料版のままですと少々機能制限があるようなのですが、基本的には問題なく使用できると思います。zoom上で予め動作確認をする必要がありますが、発表も可能だと思われます。」ということでした。

<資料配付について>

* 印刷物を渡せるのであれば、印刷物を用意するつもりです。だめな時は、ファイルに置く予定。

8日か9日に説明会があれば、その日に僕の研究室前に置いときますので、各自持って帰ってや。研究室は教育棟328。教育棟正面から向かって左側(東側)3階です。

***********

①自己紹介、②Covid 19、③授業予定、④課題と課題図書、⑤トーイック、⑥クラス名簿

**********

①自己紹介(メールにも添付しています)

資料に印刷物が入ってるけど、一部紹介

玉 田 吉 行(たまだよしゆき)

玉田です。たまさんか、たまちゃんでよろしく。

1949年、兵庫県生まれ。

大学が一番書く時間がありそうやなと思って30を過ぎてから転職、38歳で宮崎医科大学に。・・・・

いい出会いでありますように。

ホームページ→「ノアと三太」

奥さんの絵のブログ→「小島けい絵のブログ」、のぞいてみて下さい。

***********

②Covid 19

誰も予想しなかった事態になっているけど、終息には時間がかかりそうやし、これからスペインやアメリカのような事態になる可能性も大いにあると思います。ただ、ものは考えようで、かつてのペストやスペイン風邪のようにな脅威的な状況は、とても大切な経験になるかも知れないんで、歴史から、いろいろ学べるとええね。

ウェブの情報は玉石混合やけど、すっとこちらに伝わってくるのも時々。三つほどすとんと心に落ちました。読んで、自分で判断してや。なぜオンライン授業をする事態になってるのかなども含めて。

「これで『軽症』と言うのか。新型コロナ感染で入院中、渡辺一誠さんの手記」(入院患者の手記はなかなか)

「『とっとと感染しちまえ』 京大准教授、ツイートの思い」

「日本の緊急事態宣言が遅すぎる理由、コロナ最前線の米医師が戦慄の提言」(アメリカで医者になった日本の人の手記も本気度が伝わって来るね)

***********

③授業・授業予定

授業自体がどうなるか先行きはわからないけど、すべてオンラインの可能性が高いと想定して、大まかな予定を考えました。

<あくまで予定>

<1回目> 授業概要・自己紹介

<2~14回目> トーイック関連・教養関連

<15回目> まとめ

トーイックは過去問と『金のフレーズ』の演習

教養関連は今回の感染症騒動にひっかけて、エボラ出血熱などを軸に、先進国とアフリカの関係などを含めて、僕らがいる世界と自分について考える機会にしてもらえればと思っています。資料は印刷物で渡すか、参考ファイルにファイルを置くかして準備するつもりです。

***********

④課題と課題図書、発表

資料が届いたら、印刷物の形で確認出来るけど、抜粋を載せときます。

<評価について>

評価は ①提出物(課題5割)と授業への関わり(発表、トーイック演習、感想文などプラスα)、②トーイック5割(演習2割、試験3割)、を総合的に評価する予定です。

<課題について>(提出日は変更の可能性もあります。)

課題は、7月27日(12回目)に、メールで提出して下さい。早くてもOKです。定期試験に代わるものなので、未提出の場合は未受験扱いです。期日は厳守。Webclassを使うかも。授業の中で連絡します。

<エセイについて>

 エセイは自分で仮説を立てて論述的に書く科学的な論証文です。感想文ではなく、立てた仮説を客観的に論証するもので、仮説の設定の仕方、着眼点や洞察力、問題の取り上げ方や分析の仕方、論証の仕方や表現の仕方などによってレベルが決まります。

 まず、「~は~である」という仮説を立てて、それを資料など(個々の事実)を使って科学的に、論理的に証明していく具体的な例をひとつ。平和について、アフリカとエイズ、南アフリカとアパルトヘイトといった大きなテーマでは、一生かかっても論証出来ませんから、たとえば、「作田信がネオ・タウに突然殴られたのも仕方がない」というような小さな仮説を立てて論証して行く方が説得力があります。誰が読んでも納得できる、読んでなるほどなあ、と感心するものが一番やと思います。

一番多い勘違いは、調べたものをコピーぺーストして並べる、やと思います。資料は必要に応じて集めます。どの資料を拠り所にするか、どの資料を選ぶかも大事です。課題図書も資料の一つです。 折角の機会ですから、個々の事実を使って論理的にある仮説を論証する、というのをやってもらいたいと思います。

<発表について>

「自己紹介」、「好きなこと」、「大学で何がしたいのか」、「やりたい専門分野」、「将来の進路選択」などについて、英語で発表。アウトプットの機会にしてもらえると嬉しいです。

詳しくはプリントで。

***********

⑤トーイック

この学部はトーイックは必須で評価の50%と決めてるようなので、トーイックもやる予定です。役に立てると嬉しいです。

トーイック協会から出ている唯一の過去問の一部と、『金のフレーズ』(テキストを応用してプリントにしたもの)を使って演習するつもりです。必要に応じて、適宜Listening Comprehension Practiceもしようと思います。

トーイックテストについては、教育文化の卒業生寺井くん(名古屋大博士課程1年生)が作ってくれた解説をもらってますので、それを使って案内します。

 

(2)1回目授業(授業前)

<連絡事項>

*1回目授業→5月11日10:15~11:30。10分前くらいからZoomの準備をしときます。75分。

<1回目にやること> 盛りだくさんなので最後まで行かないかも、行ける所まで。以降は次回に。

資料を見ながら解説するんで、資料と、可能ならこのブログのぺージも見られるといいけど。

① 名前とオンライン環境の確認。→<①の説明>

② 簡単な自己紹介などのコメント。→<②の説明>

③ 配付資料の確認と解説→<③の説明>

④ 次回の授業予定、それ以降の授業予定、発表者の決定。→<④の説明>

⑤ 課題・課題図書解説→<⑤の説明>

⑥ トーイック→<⑥の説明>

……………………………………………………………………………………………………..

配付した資料一覧:①(B4表裏2)2020年度前期 地域資源創成学部1年 英語Ra1 (2) 、②(A4表1)自己紹介、③(A4表1)自己紹介用紙、④(B4表裏6)地図(The Hot Zone)/ Ebola virus returns~ / Ebola Outbreak (CNN) / Zaire in 1976 / Outbreak (1) / Outbreak (2) / Deadly Ebola virus ~ / Nature of the killer virus /  Zaire’s Turmoil~ / Pushing Kabila ~ / Music in Kenya ~ (表裏)、⑤ The colonization of Africa、⑥(B4表裏2)奴隷制度を詳細に~ / アフリカシリーズ / ODA (1) / ユッスー・ウンドゥール、⑦(B4表裏1)トーイックについて / TOEICテストについて / ⑧(B4表裏2)①8品詞と5文型 / ③副詞 / ④分詞(表裏)、⑨(A4表裏14)『金のフレーズ①~⑤』、⑩(A4表裏9)過去問Sample Questions

…………………………………………………………………………………………………….

<①の説明> 名前とオンライン環境(Zoom、大学のメール、僕のブログ、Webclass)の確認。

<②の説明> 双方向で実際に使ってみるために、簡単な自己紹介。Zoomの使い方などの説明も。

<③の説明> 配付資料を見ながら確認と解説。まだの人は僕の研究室(教育棟328)に置いたままにしてるので取って来てや。

<④の説明> 授業は、教養関連(④~⑥)とトーイック関連(⑦~⑩)を半々くらいで進めようと思っています。最初は④⑤を使ってエボラ出血熱とコンゴを軸に、色々考えてもらえれば。発表もしてもらいながらいっしょにやってこ。参考ファイル(ファイル置き場)に置くファイルも実際に見てもらってダウンロードしてや。

僕が一方的にしゃべるのではなく、みんなが調べて発表したり、意見をたたかわせたり出来れば一番やと思っています。Zoomではグループワークも出来るし。④の1:Ebola virus returns~ / 2:Ebola Outbreak (CNN) / 3:Outbreak (2) の三つの発表です。1は要約か日本語訳、2、3は聞き取りです。聞き取りシートは資料の中に入れてあります。

<⑤の説明> ①を見ながら説明します。

<⑥の説明> ⑦~⑩を見ながら説明します。

 

(3) 1回目授業終了

初めてのZoomでの授業が無事に出来てよかったと思います。Lineを作ってくれた松元さんや、最初にクラスのLineから連絡を流してくれた2年生の中原さんや、Line作りに協力してくれたみんなのおかげで何とかやれました。いっしょにやれることも含め、とても感謝しています。ありがと。クラス全体のLineやったみたいで、3人ほど違うクラスの人がメールをくれたけど。

ほぼ全員が揃うのも嬉しいね。参加出来なかった池ノ上くんからはメールがあり、Zoomを試してみたんで、次回から大丈夫やと思います。井戸くんと田代くんとはまだ連絡を取ってないんで、誰かLineで聞いてみてくれると嬉しいです。

14日(木)に木花の5クラスが何とか終わってほっとして、少し気持ちが緩んだようです。工学部の2クラスは20名ほど再履修の人もいて、参加してない人が6、7人ずつ、毎年最初から来ない人がその程度いるんで、新入生はほぼ参加してくれて、顔も確認出来たということのようです。いづれにしても、何とか始まったなあ。嬉しい限りです。

でも、始まったばかり、第二波が来る確率も高いし、何とか凌ぎながらやり切れることを祈ります。協力して、折角の授業、楽しんでやれるとええね。

<連絡事項>

*2回目授業→5月18日10:15~11:30。前回と同様、10分前くらいから参加出来るように準備しときます。75分です。前回は勘違いして少し早く終わってしまったみたいで。医学科は90分でやってるんで、開始と終わりの時間がまだ意識に定着してなくて、申し訳なかったです。

<1回目やったこと>

① 名前とオンライン環境の確認。

② 簡単な自己紹介などのコメント。(途中)

<次回>は

① 簡単な自己紹介などのコメントの続き。

② 配付資料の確認と解説→<②の説明>

③ 次回の授業予定、それ以降の授業予定、発表者の決定。→<③の説明>

④ 課題・課題図書解説→<④の説明>

⑤ トーイック→<⑤の説明>

……………………………………………………………………………………………………..

配付した資料一覧:①(B4表裏2)2020年度前期 地域資源創成学部1年 英語Ra1 (2) 、②(A4表1)自己紹介、③(A4表1)自己紹介用紙、④(B4表裏6)地図(The Hot Zone)/ Ebola virus returns~ / Ebola Outbreak (CNN) / Zaire in 1976 / Outbreak (1) / Outbreak (2) / Deadly Ebola virus ~ / Nature of the killer virus /  Zaire’s Turmoil~ / Pushing Kabila ~ / Music in Kenya ~ (表裏)、⑤ The colonization of Africa、⑥(B4表裏2)奴隷制度を詳細に~ / アフリカシリーズ / ODA (1) / ユッスー・ウンドゥール、⑦(B4表裏1)トーイックについて / TOEICテストについて / ⑧(B4表裏2)①8品詞と5文型 / ③副詞 / ④分詞(表裏)、⑨(A4表裏14)『金のフレーズ①~⑤』、⑩(A4表裏9)過去問Sample Questions

…………………………………………………………………………………………………….

<②の説明> 配付資料を見ながら確認と解説。一人だけまだ資料を持って帰ってない人がいるけど、誰やろか。該当者はメールしてや。

<③の説明> 授業は、教養関連(④~⑥)とトーイック関連(⑦~⑩)を半々くらいで進めようと思っています。最初は④⑤を使ってエボラ出血熱とコンゴを軸に、色々考えてもらえれば。発表もしてもらいながらいっしょにやってこ。参考ファイル(ファイル置き場)にファイル(映像ファイル、音声ファイル各4)を置いてますのでダウンロードしてや。

僕が一方的にしゃべるのではなく、みんなが調べて発表したり、意見をたたかわせたり出来れば一番やと思っています。Zoomではグループワークも出来るし。④の1:Ebola virus returns~ / 2:Ebola Outbreak (CNN) / 3:Outbreak (2) の三つの発表です。1は要約か日本語訳、2、3は聞き取りです。聞き取りシートは資料の中に入れてあります。

<④の説明> ①を見ながら説明します。

<⑤の説明> ⑦~⑩を見ながら説明します。

 

(4) 2回目授業終了

<連絡事項>

*3回目授業→5月25日(月)10:15~11:30

<2回目の授業でやったこと>

① コメントの続きは出来ず(音声の調子が悪かったようで)、池ノ上くんは次回に。

出席について、学士力発展科目についても話をしました。自分の意志で出席しぃや、授業に出るかでないかは授業料を払っている学生の自由で、自分の意志を大事にしてや、という話もしました。

② ブログ、ホームページの解説。

③ 配付資料の確認と解説→<③の説明>

④ 発表者の決定。→<④の説明>

⑤ 課題・課題図書解説→<⑤の説明>

……………………………………………………………………………………………………..

配付した資料一覧:①(B4表裏2)2020年度前期 地域資源創成学部1年 英語Ra1 (2) 、②(A4表1)自己紹介、③(A4表1)自己紹介用紙、④(B4表裏6)地図(The Hot Zone)/ Ebola virus returns~ / Ebola Outbreak (CNN) / Zaire in 1976 / Outbreak (1) / Outbreak (2) / Deadly Ebola virus ~ / Nature of the killer virus /  Zaire’s Turmoil~ / Pushing Kabila ~ / Music in Kenya ~ (表裏)、⑤ The colonization of Africa、⑥(B4表裏2)奴隷制度を詳細に~ / アフリカシリーズ / ODA (1) / ユッスー・ウンドゥール、⑦(B4表裏1)トーイックについて / TOEICテストについて / ⑧(B4表裏2)①8品詞と5文型 / ③副詞 / ④分詞(表裏)、⑨(A4表裏14)『金のフレーズ①~⑤』、⑩(A4表裏9)過去問Sample Questions

…………………………………………………………………………………………………….

<③の説明> 配付資料を見ながら資料の①~④を解説。主にエボラ出血熱とコンゴのプリントを見ながら、授業でやるやらないも含めて説明しました。(時間的に全部は出来ないので、さっと解説だけで終わるものもあります。)

<④の説明> 授業は、教養関連(④~⑥)とトーイック関連(⑦~⑩)を半々。最初は④⑤を使ってエボラ出血熱とコンゴを軸に、色々考えてもらえれば。発表もしてもらいながらいっしょにやりましょう。参考ファイルにファイルを置いてますので、自分でやってみてや。

発表は資料④の中のEbola virus returns~の要約(佐々木さん)/ CNNの聞き取り(川越くん) / Outbreak 2の聞き取り(本田くん)

取り敢えず、新聞記事とニュースと映画の一場面を扱うけど、次はその背景。

誰か1:コンゴ、2:1995年のエボラ出血熱騒動、3:1976のエボラ出血熱騒動、4:コンゴの独立・コンゴ動乱、5:コンゴ自由国について調べて来て発表せえへんか。次回発表してくれる人を決めるね。

⑤ 課題・課題図書解説→<⑤の説明>

仮説を立て、インプットした情報を使って論理的に、客観的に論証する→エセイについて話をしました。授業の中でも何回か言いますが、質問などがあればいつでもどうぞ。課題はその論証文で、課題図書についても解説しました。データにしてるものやプリントにしてあるものが必要な人はメールで連絡してくれれば用意して研究室のドアの取っ手にかけるか、郵便受けに入れときます。遠慮なくどうぞ。もちろん、質問などはメールで。

<次回>は

①池ノ上くんのコメント

②発表:佐々木さん→川越くん本田くん(川越くんの聞き取りの前に、CNNを使ってListening Comprehension practiceをやります。聞いた内容がわかってるかどうかを英語で確認。)

そのあと(時間があれば)、On Ebola & Cong in English・・・発表の前に全般の事情を英語で。

European invasion→Slave trade→Industrial Revolution→Colonization→Struggle for Africa→African Division at Berlin Conference→Congo Free State→Two world wars→Independence/ Congo crisis→Mobutu dictatorship→1976 Ebola outbreak→1995 Ebola outbreak→After Mobutu dictatorship

資料⑤The Colonization of Africa(アフリカの植民地化)をさっと読んでおくとわかりやすいと思います。英文のアフリカの入門書を書きましたが、その英文書の1冊目の1章です。

日本語訳役に立ちましたよ、と言った梶原さん(京大で初期研修2年目)の言葉が印象に残ってるので、読んだあと、日本語訳を載せるつもりです。誰か日本語訳せえへんか、添削するでと言ったら、結構な人がやってくれました。それを清書したものです。

今日も時間がなくて触れられなかったけど、次回はウェブ上のフリー辞書も紹介するつもりです。すでに使ってる人もいると思うけど、まだの人は、お気に入りに入れとくとええと思います。役に立つよ。Websterは音も聞けるしね。ま、アメリカ英語やけど。

発音:ウェブ上のフリー辞書のアドレス

「Merriam-Webster」(英英、米)

「英辞郎 on the WEB」(和英・英和)

「Dictionary of Contemporary English」(英英、英)

時間があれば、

トーイック→次回⑦~⑩を見ながら説明します。

 

(5)3回目授業終了

<連絡事項>

*4回目授業→6月1日(月)10:15~11:30

<3回目の授業でやったこと>

トーイックについてのプリントを書いてくれた寺井くんの話をしてたら、大学院のことや留学のことや、そこから僕の教員採用試験、大学院の試験の話やら高校の教員の話やら、結局は、最後は自分でやるしかない、教員の役目は、自分でやれるようになる手助けくらいしかない、ということでした。

池ノ上くんにコメントも言ってもらえず、名前と顔を確認もしないで、申し訳なかったです。佐々木さんの発表の途中までで、時間切れ。次回は、今日予定してたところはやろ。その次に発表してもらう人を聞くんで、よろしくね。いろいろあれこれ考えて、今まで持っていた価値観や歴史観を見つめ直し、自分が大学で何をしたらいいのか、何がしたいのか、その延長として、どんな仕事をしたいんか、そのために何をすればいいのか、など考える機会にしてもらえたら嬉しいです。僕らの出来ることは、そんな機会を設けることと、何かのきっかけになることくらいしかないから。

① コメント(池ノ上くん)出来ずに申し訳ないです。

②トーイックの説明:⑦~⑩を見ながら

③ 発表者決定:コンゴ、2:1995年のエボラ出血熱騒動、3:1976のエボラ出血熱騒動、4:コンゴの独立・コンゴ動乱、5:コンゴ自由国→次回に

④ 発表:Ebola virus returns~の要約(佐々木さん)→途中までしか行かずごめんなさい。次回続きを。<④の補足>

⑤ CNN: Listening Comprehension Practice→次回に

⑥ CNNの聞き取り(川越くん)→次回に

⑦  Outbreak 2の聞き取り(本田くん)→次回に

<②の補足>

最後にやってくれた4つ目のパラグラフは長いけど、主語+blame A on Bという構造で、( )はAがBのせいだと責め立てています、Aはfrequency and lack(しばしば起こることと不足すること)Bはcorruption and mismanagement(腐敗と管理ミス)、あとは長い修飾語句、と把握出来れば読み違えることはないね。そのキーワードを拾って読むのが要約読み、なが~い文章を読むときは不可欠やな。逆に言えば、長い文章を読むのに慣れれば、自然に要約読みを身につける、そらそうやろ、そうでないとたくさんの分量を短時間に読むなんて出来ひんもんな。

トーイックの過去問をやって、基本文をインプットすれば800までは短期間に行けると言ったと思うけど、800以上は、たくさん聞く、たくさん読む、を実践して、自然に聞けるようになる、自然に読めるようになる、しかないと思うよ。

<次回>は

① コメント(池ノ上くん)

② 発表者決定:コンゴ、2:1995年のエボラ出血熱騒動、3:1976のエボラ出血熱騒動、4:コンゴの独立・コンゴ動乱、5:コンゴ自由国

③ 発表:Ebola virus returns~の要約(続き、佐々木さん)

④ CNN: Listening Comprehension Practice→

⑤ CNNの聞き取り(川越くん)

⑥ Outbreak 2の聞き取り(本田くん)

今日も時間がなくて触れられなかったけど、次回はウェブ上のフリー辞書も紹介するつもりです。すでに使ってる人もいると思うけど、まだの人は、お気に入りに入れとくとええと思います。役に立つよ。Websterは音も聞けるしね。ま、アメリカ英語やけど。

発音:ウェブ上のフリー辞書のアドレス

「Merriam-Webster」(英英、米)

「英辞郎 on the WEB」(和英・英和)

「Dictionary of Contemporary English」(英英、英)

 

(6)4回目授業終了

新聞記事の続きを読んで、聞き取りの最初の部分をやって時間切れ、75分て短いねえ。でも今のコロナの状態でもやれることをやるのと同じ、75分でやれることをやるしかないな。楽しんでやってもらえてるかな。僕はみんなの顔を見ながらやらせてもらってるんで、対面の時よりわりと早うに顔と名前が一致しそう。ただ、みんなにもいろいろしゃべってもらいたいなあという思いは、毎回拭えないな。

庭の紫陽花が咲き出してるな。少し前に九州南部の梅雨入り宣言があったもんな。

<連絡事項>

*5回目授業→6月8日(月)10:15~11:30

<4回目の授業でやったこと>

① 今回も音声の調子がいまひとつやったんで、池ノ上くんに喋ってもらったような、喋ってもらってないような。

② 発表してくれる人:1: コンゴ(淵脇さん)→2:1995年のエボラ出血熱騒動(松元さん)→3:1976のエボラ出血熱騒動(小島さん)→4:コンゴの独立・コンゴ動乱(尾崎)→5:コンゴ自由国(宮脇くん)

1995年に2回目のエボラ出血熱騒動があった時の新聞記事とニュースを見て、聞いたあと、その背景を知るために、国の事情、2回目と1回目の騒動の詳細、独立をめぐる政治・歴史事情、それと最初に植民地となった歴史的、政治的な背景を理解してもらいたいというのが願いです。もし可能なら、ヨーロッパ人が来る前のアフリカの事情についても紹介出来たらと思っていいます。

③ 発表:Ebola virus returns~の続き(佐々木さん)

ほとんどの時間を使ってしまったけど、きっちりと読むのは大切で、佐々木さんが結局日本語訳してくれた分に僕が出来るだけ解説する形になりました。大体理解してるけど、文字や構造もはっきりとはわからないので、曖昧に表現することになる場合もあったんで、思いきって文章の流れの中だ考えるとすんなり行くこともあるので、実際に読む際に、前後から想像して読むという習慣をつけるとええように思うけど。少しでも参考になればと時間を取りました。日本語訳を最後に貼っておくので、細かいところは比べてみてや。→日本語訳

④ CNNの聞き取り(川越くん)→transcription

時間が少ししかなかったけど、その部分のtranscriptionは訳のあとに貼っとくね。川越くんは、この調子で次回も頼みます。

<次回>は

① CNNの聞き取り(川越くん)の続き。

② CNN: Listening Comprehension Practice

③ Outbreak 2の聞き取り(本田くん)

④ 発表:コンゴ、2:1995年のエボラ出血熱騒動、3:1976のエボラ出血熱騒動、4:コンゴの独立・コンゴ動乱、5:コンゴ自由国CNN: Listening Comprehension Practice→

少しでもやれるとええけど、時間的に難しいかも。行けるところまで。その次には全部やれると思う。そのあと、映像を見て、音楽も聴いてもらえたらと思っています。

少しトーイック関連もしないとねえ。

日本語訳

“Ebola virus returns Zaire into world’s spotlight”

Reuter (sic) in The Daily Yomiuri (May 16, 1995)

The Ebola virus outbreak in Zaire has refocused attention on the vast nation of 40 million people in the heart of Africa that has lurched from one crisis to another since independence from Belgium in 1963 (sic).

The virus, for which there is no known cure or vaccine, has killed at least 64 people.

Many Zaireans are openly angry at the government of President Mobutu Sese Seko, who has ruled unchallenged for most of the past 30 years and, according to critics, salted a way (sic) a personal fortune estimated in billions of dollars.

ザイールでエボラウィルスが発生して、1963年(原文のまま)のベルギーからの独立以来、数々の危機に揺れ動いて来た中部にあるアフリカ4000万人の広大な国に再び注目が集まりました。

治療薬もワクチンも知られていないウィルスは少なくとも64人の死者を出しました。

批評家によれば、多くのザイール人が過去30年間無投票で当選し、不正にためこんだ個人の資産が数十億ドルにのぼるといわれるモブツ・セセ・セコ大統領の政府に公然と腹を立てています。

モブツ

Opposition commentators and independent journalists blame the frequency of epidemics and lack of resources to deal with them on corruption and mismanagement of the wealth of a country blessed with just about every strategic mineral known to man.

“Mismanagement of public resources that leads to poor management of the environment create opportunistic factors for the birth and spread of epidemics," lamented an editorial in the opposition newspaper Le Palmares.

“Health facilities are in a deplorable state. We have been heading for disaster for a long time," Lambaert Mende, spokesman for Zaire’s chief opposition leader Etienue Tshisekedi said.

反対派の批評家やフリーのジャーナリストは、流行病が頻繁に起こるのも、取り扱う資源が不足するのも、既知のあらゆる戦略的に重要な鉱物資源に恵まれている国の富の管理ミスと賄賂のせいだと指摘しています。

「環境の管理不備に繋がる、公共資源の管理ミスが日和見的な要因を作り出して、流行病を発生させたり、広げたりしている。」と反対派の新聞ル・パルメール(Le Palmares)の社説は嘆いています。

「医療関係施設は悲惨な状況です。私たちは長い間、大災害が起きてもおかしくない方向に向かって進んできました。」とザイールの野党指導者エティニュエ・ツィセケディ(Etinue Tshisekedi)のスポークスマン、ランバエルト・メンデ(Lambaert Mende)は言いました。

Corruption has eaten deep into the fabric of Zairean society and government and even quarantine measures announced to keep the Ebola virus from the capital of five million people are being undermined by bribery, Kinshasa city officials say.

Public workers are owed several months salary and bribery has become a way of life.

The virus is stretching Zaire’s decrepit medical services, already hard pressed, to cope with the scourge of AIDS, which has hit Zaire harder than most countries.

賄賂はザイールの社会と政府に深く染み込んでおり、500万人が住む首都をエボラウィルスから守るために発令された隔離手段でさえも賄賂がきく有様です、とキンシャサ市職員が言います。

公務員は何ヶ月分もの給料を払ってもらえず、賄賂は生活の一手段となってしまっています。

ウィルスはザイールの老朽化した医療機関に広がっており、医療機関はたいていの国よりも激しくザイールを襲っているエイズ禍の対応追われています。

 

Zaire’s political problems began early: Katanga, which today is the mineral-rich province of Shaba, made a disastrous attempt at secession, 11 days after independence from Belgium. It was forced back after three years of bloody conflict.

The second largest country in sub-Saharan Africa. Zaire has rich farm and watered by the Zaire river, formerly River Congo.

The country is blessed with some of the best copper deposits in the world but the engine of its economy, the state mining collosus Gecamines, has virtually ground to a halt."

Copper production dropped from a peak of 500,000 tons to under 50,000 tons in 1994. Cobalt production slumped too.

The government has dissolved three core companies in the Gecamines group and not said what will become of the state company, which generates over 70 percent of its hard currency.

ザイールの政治の問題は早くに始まりました。鉱物の豊かな現シャバ州であるカタンガ州はベルギーから独立した11日後に、不幸な結果に終わった分離工作が謀られました。その分離工作は血まみれの闘争の3年後に強行されました。

サハラ以南のアフリカで2番目に大きい国ザイールには豊かな農場があり、旧コンゴ川のザイールの川から水の恵みを得ています。

その国は世界でも有数の銅の埋蔵量を誇っていますが、経済のエンジンである国営巨大鉱山会社ゲカマイン(Gecamines)は、事実上操業を停止しています。

1994年には、銅の製造量は最盛期の50万トンから5万トン以下にまで落ち込みました。コバルトの製造量も同じようにひどく落ちみました。

政府はゲカマイン(Gecamines)グループの中の3つの中心会社を解散させ、硬貨の70パーセント以上を製造する国営会社の先行きについては言及していません。

The World Bank, International Monetary Fund and creditors led by former colonial power Belgium abandoned Zaire long ago.

With inflation running close to five digits, the government has periodically reverted to printing mountains of worthless money.

The capital Kinshasa is still recovering from waves of looting by unpaid soldiers in 1991 that forced France and Belgium to send troops to evacuate Europeans.

The United States, which propped up Mobutu during the Cold War as a bulwark against communism in Africa, has been at the forefront of pressure for democracy in Zaire.

世界銀行も国際通貨基金も旧宗主国ベルギーが仲立ちをする債権者たちも、ザイールをずっと以前に見捨てています。

インフレ率が5桁近くなりつつあるインフレで、政府は定期的に価値のない紙幣を山のように印刷するようになっています。

首都キンシャサは、ヨーロッパ人を退去させるための軍隊派遣をフランスとベルギーに強いた、給料を払ってもらえない兵士たちによる1991年の数々の略奪行為から何とか立ち直ろうとしているところです。

アメリカは、冷戦の間アフリカで共産主義に抗する防波堤としてモブツを支援してきましたが、今は最前線に立って、ザイールでの民主主義を求めて圧力をかけています。

transcription

In Zaire the deadly Ebola virus has (claimed) more than one hundred (lives). At least thirty six more are (infected) with the disease. And Gary Striker reports the (source) of Ebola still (eludes) scientists:

eludeは英英辞書で定義を見たら、to escape the perception, understanding, or grasp ofが一番近いかな。少しシカゴ出身の人の説明を紹介したけど、ウナギを捕まえようとしてむぬるぬるしてなかなか捕まえられない状態に似ているというのは、感覚としてようわかるねえ。

infectは感染するという動詞、infectionが名詞、今のコロナ感染症はcorona virus infectious

disease、その頭文字と最初に感染を確認した年2019の19を取って、covid-19やな。これもemerging infection(新興感染症)の一つになるな。実際と言葉が一致するとすんなりと頭に入って、それが使えるようになるね。それが言葉やろな。語彙を派生させて覚えるようにすると、気がついたら、ああだいぶ語彙が増えたなあ、ということになるんやろな。それもあって、いろいろ関連の話が増えて、なかなか予定通りには行かへんな。

 

(7)5回目授業終了

<連絡事項>

*6回目授業→6月15日(月)10:15~11:30

<5回目の授業でやったこと>

① CNNの聞き取り(川越くん)の続き。ほぼ出来てたねえ。→transcriptionの続き

(lying) (dormant)、(fertile) and (forested) (region) 、(vector) (organism) 、(major) (step)、 (financed) は解説をしました。折角出て来たんで、使い方を覚えとくとええね。

② CNN: Listening Comprehension Practice

モブツが首都が危機状態の時にわざわざ北部の小さな村にニュースに流す映像を撮るためにわざわざ出かけ行った理由を英語で聞きました。川越くんがやってくれたように一つ一つの単語を聞き取るのもある程度必要やろけど、内容を取る方がもっと大事、やろな。どっちもやりながら、内容を理解出来るようにやって行けるのがええな。

③ Outbreak 2の聞き取り(本田くん)本田くんもきちんとやってくれました。→transcription

④ コンゴ(淵脇さん、次回改めて)→1995年のエボラ出血熱騒動(松元さん)→1976のエボラ出血熱騒動(小島さん)→4:コンゴの独立・コンゴ動乱(尾崎)→5:コンゴ自由国(宮脇くん)

<次回>は

① コンゴ(淵脇さん、改めて)

② コンゴの独立・コンゴ動乱(尾崎さん)

③ コンゴ自由国(宮脇くん)

④ 映像(「アウトブレイク」「ER」「アフリカシリーズ」次回と次々回にかけて)

配ったプリント(取りに行き難い人は画像送るんで、遠慮なく。帰ってすぐに作りましたので、いつでも送れるで。)

研究室前の椅子の上に置いてある<追加資料>

① B4表裏6 魅惑の資源 / 誰も守ってくれない  / 「アフリカ大戦」再燃に目を  / ジンバブエ インフレ年2億~  /  コンゴ 反政府軍と~ / エボラ出血熱 アンリカを~  /  エボラ最前線の現実上 /  エボラ最前線の現実下 / 性暴力被害の~  /  無差別暴力~ / エボラ出血熱 続く闘い  / Looking back in Anger

コンゴ・エボラについての日本語の新聞記事はこれと思ったのを取っておいた分です。「ジンバブエ インフレ年2億~」は記事で読んだインフレ率のイメージを感じてもらえたらと。

transcriptionの続き

“A thousand kilometers north of the Ebola (outbreak), Zaire’s President Mobutu visits the town of Gimena. He arrived here from the capital where the (population) faces the (threat) of an (epidemic), now less than two hundred kilometers from Kinshasa. For the people here Ebola seems very far away, too far they would say to (affect) their lives. But until last month the world only Ebola (victims) were found in this (remote) (region). For nearly twenty years the only known (outbreaks) of Ebola have been reported here in northern and (neibouring) Sudan. But the latest (epidemic) in the southwest has (convinced) many scientists that Ebola virus is probably (lying) (dormant) over wide area of (tropical) Africa. What scientists do not know is where to find the virus between human (epidemics). When it (flares) up apparently from nowhere, spreads and kills its (victims) quickly, then disappears just as fast."

“People (speculate) whether (plants), animals, (insects) or whatever we don’t know. That’s what we really would like to know."

“Somewhere in this (fertile) and (forested) (region) the Ebola virus is carried by an animal or (insect) or maybe even a (plant). A (vector) (organism) carries the virus without (harm) to itself (eventually) passing it to a human (victim). Finding the (vector) for Ebola will be a (major) (step) in understanding the virus and (eventually) finding a way to save the lives of its (victims). The first (priority) now for the international medical team in Kikwit is to (contain) the Ebola (outbreak). Beyond that a long (process) of (investigation) and (analysis) (lies) (ahead). Months and probably years of field work to (track) down the virus on its (homeground). A mission, President Mobutu says will have to be (financed) by other countries, not his. But this is an (era) of (budgets) (cutbacks) for science. And even if money is (available) for (research) on Ebola, finding out where it (hides) and how to kill it could still be at the far end of a very long road. Gary Striker, CNN, Gimena, Zaire."

transcription

Sam: God damn it. Isolate’im. Islate’im.

Marby : Don’t worry. It’s not (airborne).

Sam: Sam Daniels,       .

Murby: Benjamin Murby. We’ve been expecting him.

Sam: We came (as) soon as we could.

Murby: Not soon enough. The village is dead.

Sam: You know the (incubation) (period)?

Murby: No, but it kills in two or three days. The (mortality) (rate) is a hundred percent.

Sam: Jesus. Could an (infected) person’ve gotten out of the village?

Murby: If he was dead or dying in the jungle, and it’s fifty miles to the nearest village.

Sam: The (first) (case), (patient) (zero)?

Murby: A young man called Murazo, worked with a white man to build a, a road into Kinshasa. And when he returned, he was sick….

Sam: I see.

Murby: …and he drank from this (well). From there it spreads to the (entire) village.

Sam: Did you (identify) the (carrier), the (host)?

Murby: No. When we arrived, the boy was incoherent. He died, ah, two hours later. He couldn’t tell us how he got it.

Sam: He’s not sick?

Murby: He is a (local) (juju) man, (witch) doctor. He stayed in his cave a whole week.

Sam: I’d like to talk to him, too.

Murby: No, he talks to me. You see he believes that the gods were awoken from their sleep by the men cutting down the trees where no men should be, and the gods got angry. This is their (punishment)

(8)6回目授業終了

今日(15日)は時間がなくて、あした更新です。

帰ってから、Zoomトーイック(金曜日の分)を拵えてたんやけど、CDの再生ソフトだけやなくて、画面上で録音するソフトもあやしくて、結局全部は完成せず、でした。あしたまたやって金曜日の分の要領も書くつもりです。まだ晩ご飯も食べてないし、あしたは1コマ目からなんで、ここでやめることにします。

(2020/6/21:12:10)

Zoomトーイック(金曜日の分)の報告。10時からRb1 (3)のクラスの人と合同で20人ほどで2時間半ほど。問題・解答をやってもらって僕が解説。

前日に解説、音声のファイルを完成させて参考ファイルにアップロード。

(「Zoomトーイック2解説」、「Zoomトーイック2音声」、「Zoomトーイック2です。」Vol 6 Test 2の五分の一ほどです。)ダウンロードしてやってみるのも可能やで。

<連絡事項>

*7回目授業→6月22日(月)10:15~11:30

① コンゴ(淵脇さん、改めて)

② コンゴの独立・コンゴ動乱(尾崎さん)

③ コンゴ自由国(宮脇くん)

アメリカの介入で惨殺されたルムンバ(小島けい画)

それぞれ発表してくれたあと、「アフリカシリーズ」の独立・コンゴ危機、コンゴ自由国、アフリカ分割の映像を見てもらいました。

この辺りについては、コンゴとエボラ関連で科学研究費を申請した前後に書いてまとめたのがあります。コンゴとエボラでは科研費はもらえず。エイズ関連で2度(通算7年間)もらって、コンゴとエボラはそれ以上やらなかったけど、授業では継続中。

「医学生と新興感染症―1995年のエボラ出血熱騒動とコンゴをめぐって―」「ESPの研究と実践」第5号(2006年)61-69頁。

<次回>は予定変更で

配ってあるトーイックサンプル問題。リスニング(Part 1~Part 4)はその場でやって誰かに答えてもらってチェック。リーディング(Part 5~Part 7)は予めやっとく方がわかりやすいと思う。誰かに答えてもらってから、僕が解説。

先週用意して参考ファイルに置いてある過去問(Vol 6の一部)をやっておくと二種類の過去問が出来るので、大体感じは掴めるんやないやろか。

トーイックに対する学部の対応(中止を覆して、オンラインを実施、学生にも実際に英語を担当している教員にも連絡なし)には学生一人一人のこと考えてへんなという思いしかないけど、学部でも説明会を実施、医学科では対面をすでに4週間実施、部活動も開始、の状況からすれば、可能ではあるかも知れないけど。でも、オンラインに関してももっとやることをやってかから、やっぱりもう少し延期が妥当、と思う。

でも、みんなの立場からすれば、文句だけ言ってても時間を大事にしてるとは言えないんで、割り切って、折角の機会を利用せんと馬鹿みたい→急遽過去問を作り・Zoomトーイック(金曜日の分)を実施。このサンプル問題は一か月ほど先にやる予定を前倒し。いっしょにやろ。

紫陽花(小島けい画)もそろそろ終わりかなあ。

 

(9)7回目授業終了

<連絡事項>

* 8回目授業→6月29日(月)10:15~11:30

* 課題の提出日7月27日(月)

授業では

* 従業日程の確認

授業日程表を見ながら日程の確認をしました。5月11日(月)から開始の日程で、月曜日は8月3日(月)までの14回。

* 課題提出日の変更

1週ずらす日程になるので、課題締め切り日を7月27日(月)に変更。もちろん締め切り前に出してもらっても大丈夫です。どうしても都合が悪い場合は遅れてでも提出してもらえれば成績を出しときます。

* 課題図書の解説

仮説を立てて論証する過程で引用するのが課題図書、出来るだけたくさん読んでもらえると嬉しいです。手に入れ難い場合は、もちろん手伝うんで、メールで申し込んでもらえれば、可能なものは用意するよ。

* トーイックサンプル問題。リスニング(Part 1~Part 4)、リーディング(Part 5~Part 7)

リーディングの解説の時間が足りなかったけど、解説も参考ファイルに置いてあるんで、あとは自分でやってや。

Zoomトーイック用に作ったファイル(「Zoomトーイック2解説」、「Zoomトーイック2音声」、「Zoomトーイック2です。」)は参考ファイルに置いてあるんで、やっておくと二種類の過去問が出来るので、大体感じは掴めるんやないやろか。Zoomトーイック2はVol 6 Test 2の五分の一ほどの分量です。

次回

* アメリカの救急で医者をしているカーターがコンゴのキサンガニの診療所にボランティアで出かけるアメリカテレビドラマを観てもらおうと思っています。今まで新聞やニュースやドキュメンタリーで見てきたものとは違う局面を見てもらえるかもしれないと思っています。続編もあるけど、今回は最初のものだけ。後編を見たい人はいつでもコピーするんで、どうぞ。→ERIX6B・X解説

* 授業についてのコメント、コロナ騒動の中で思ったことや感想意見など、一人一人から聞きたいと思っています。

ERIX6B・X

* IX6『悪夢』(授業で観た分)・・・国際医療同盟の活動に参加していたコバッチュに助けを求められ、アフリカ・コンゴ共和国の難民キャンプでの医療支援活動に参加する。

(10)8回目授業終了

<連絡事項>

* 9回目授業→7月3日(月)10:15~11:30

授業では

* ERIX6B→(続編)X1『失われた友を求めて』

* パパ・ウェンバ→Papa Wemba解説

* 感想:ブレイクアウトセッション

次回

* 授業についてのコメント、コロナ騒動の中で思ったことや感想意見など(続き)

* 映像:「アウトブレイク」

* reading解説:ザイールのその後:最初に配ったプリントのZaire’s Turmoil Invites an African SolutionとPushing Kabila on early election unrealistic、(追加で配った資料の中の)Looking back in Anger: Life in Mobutu’ Zaireは読んでおくとわかりやすいと思います。一部を読んで解説するつもりです。イギリス英語で分かりにくいのもあるけどね。

次々回からは→The colonization of Africa、『金のフレーズ』の2本立て。それぞれ配ったプリントに目を通しておいてや。The colonization of AfricaはPrecolonial Africa, The first colonialists、『金のフレーズ』は①の100題。

X1『失われた友を求めて』

・・・強い意思でコンゴの激戦区に残ったコバッチュが死亡したとの連絡を受け、彼を残してきてしまった罪悪感から再びコンゴに飛び、コバッチュの生存を確認し彼をアメリカへ送った後も、自分の居場所と使命を見出しコンゴに留まる。→いつでもコピーするんで、どうぞ。

Papa Wemba

【ケニア、タンザニアの音楽事情とリンガラ音楽について】

服部晃好くん(北海道新冠郡の新冠町立国保診療所→http://www.niikappu.jp/kurashi/sekatsu/sumai/teijyu/iryo/kokuho.htmlの勤務医)に【ケニア、タンザニアの音楽事情とリンガラ音楽について】を書いてもらいましたが、その中にPapa Wembaについても書いてくれています。一部貼っときます。服部くんは36歳で、宮崎医科大学に入って来たときに一年生の英語の授業で出会いました。相性がいいみたいで、いまだに遣り取りをしています。名古屋工大の院を出てガス会社に行ってたそうで、そこを辞めてタンザニアで3年理科の教師、一年半ほどケニアで調整員をし、その間に6年分のお金を貯めて一発勝負で受験をしたようです。そのころ医学科にはすでに何人かの海外青年協力隊の経験者がいて、誰もが意欲もあり成績もよかったことにも助けられて、高年齢で面接もあったのに合格出来たと思います。写真は定年退職の年に医学部でいっしょにやったシンポジウムで撮ったものです。

【リンガラ音楽】

「リンガラ」という呼び方は、ケニア、タンザニアなど「外国」(日本を含む)での呼び方であり、コンゴでは単に「ルンバ(Rumba)」と呼ばれる。また、欧米では「リンガラ」よりも「スークース(Soukous)」という名称の方が一般的である。元々、リンガラというのはコンゴの商用語のことであり、コンゴ川流域にそれぞれ独自の言語を持つ民族が多数共存する状況において、特に商取引の便宜を図るために自然発生的に形成されたものと言われている。1960年のコンゴ共和国の独立後、現地で流行したポピュラー音楽の多くがリンガラ語で歌われるようになったため、ケニアやタンザニアなどでは、そうした音楽を「リンガラ(音楽)」と呼ぶようになったのである。

地元(コンゴ)の人々が「ルンバ」と呼ぶように、リンガラ音楽のルーツにはキューバ音楽がある。ただし、これは何も「リンガラ」に限ったことではなく、ナイジェリアの「ジュジュ(Ju Ju)」、ガーナの「ハイライフ(High Life)」、カメルーンの「マコッサ(Makossa)」、そして、ユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタの音楽等々、現代アフリカン・ポップスのベースには、たいていキューバをはじめ中米やカリブの音楽の影響があるという。「(伝統的な音楽を持つ)アフリカ人がなぜキューバ音楽を?」と不思議に思ってしまうが、キューバで生まれた本来のルンバは、アフリカから強制的に連行された奴隷たちが、休憩時間にだけ小屋で踊ることを許されていたという状況の中で生み出された、打楽器と歌(コーラス)だけで構成された(いわゆるアフリカ色の強い)音楽であるということを考えると、アフリカの人々がキューバ音楽を取り入れるのは至極当然のことであろう。キューバやカリブ諸国の(いわゆる)ラテン系音楽は、1920年代から主として白人入植者によってアフリカへ持ち込まれたが、1950年代半ばにはヨーロッパからアフリカに輸入されるラテン音楽のレコードが、コンゴを含む中部・西部アフリカにおいて非常に売り上げの大きい重要な商品であったということから、現地の人々にとってこうした(ラテン)音楽の衝撃が如何に強烈だったかが想像できる。その衝撃は、目新しい衣装をまとって突然目の前に現れたのが、実は音信不通になっていた古くからの友人であったことを知った時のようだったのかもしれない(ちなみに、この時期、ヨーロッパの大手レコード会社が次々に現地へ進出し、キューバやアメリカで既に発表されていた音楽を低コストで再生産・再発売することで、莫大な利益を上げていたという)。

現在、一般に「リンガラ」と呼ばれている音楽は、キューバン・ルンバをベースにしながら様々な民族のリズムを融合したリズム体の上に、複数のエレキ・ギターによる高音域の繰り返しフレーズが絡み合い、主に高音域で歌うヴォーカルとコーラスが載るというのが最も一般的なスタイルであり、多くの楽曲は、①ルンバ、②サカデ(Sakade)、③セベン(Sebene)という3つのパートから構成されている。①ルンバは歌やコーラスを聴かせるゆったりしたパート、②サカデはソロ・ヴォーカルとコーラスの掛け合い(コール&レスポンス)で盛り上げていくパート、そして、③セベンはダンスのためのテンポの速いパートであり、ライブでは5分、10分と続くことも珍しくない。それぞれのパートは、同じようなリズムやリフレインの繰り返しが基本であり、「リンガラ」の目的が踊ることにあるのが一目(一聴?)瞭然である。ライブにおけるヴォーカルの掛け合いやセベン・パートでのダンスは、初めて見る人にはかなり奇異に写るかもしれないが、現地では聴衆も一緒になって盛り上がるのが普通である。そして、こうした構成はまさに伝統音楽を現代の楽器を用いて再現したものであり、夜を徹して延々と繰り返しながら盛り上がり、集団でトランスに入っていくような要素も伝統音楽と同様であるように思われる。ただ、1960年代までの初期(いわゆる第一世代や第二世代)の「ルンバ」は、ゆったりとしたキューバン・ルンバのカラーが強く、楽曲も歌が中心であった。それを上記のような主としてダンスを楽しむための音楽として変革したのが、1969年に結成されたザイコ・ランガ・ランガ(Zaiko Langa Langa)であり、現在のリンガラもその延長線上にあると言える。そして、そのザイコ・ランガ・ランガの中心人物であり、現在も「リンガラ」のシンボル的存在であるのが、欧米や日本でも有名なパパ・ウェンバである。

近年のコンゴの混乱を反映してか、現在のコンゴのリンガラ・シーンは1970~80年代の全盛期に比べてずいぶん沈滞しているという。しかし、ラップの要素なども取り入れた新たなスタイルも生み出されており、特に中部・東部アフリカにおいては依然として最も影響力の強い音楽であることは間違いない。

パパ・ウェンバ Papa Wemba –<リンガラ・ポップの伝道師>

中央アフリカに位置するザイールからアフリカ各地へと広まっていったリンガラ・ポップ、このサウンドをアフリカからヨーロッパへ、そして世界中へと広めていった伝道師の役目を果たしたのが、ヴィヴァ・ラ・ムジカを率いて何度も日本を訪れているパパ・ウェンバです。彼はミュージシャンとして、ザイールの音楽シーンを引っ張っただけでなく中央アフリカ最大の都市キンシャサという大都会に住む若者たちのファッション・リーダー、トレンド・リーダーとして、そのライフ・スタイルにまで影響を与える存在でした。そのサウンドは都会の文化、ストリートから生まれた数少ないアフリカン・ポップスと言えます。

 

(11)9回目授業終了

<連絡事項>

* 10回目授業→7月10日(月)10:15~11:30

授業では

* 授業についてのコメント数人(続き)

* 映像:「アウトブレイク」

* ザイールのその後:Zaire’s Turmoil Invites an African SolutionとPushing Kabila on early election unrealistic、(追加で配った資料の中の)Looking back in Anger: Life in Mobutu’ Zaireで解説。長いけどなかなかおもしろいので読んでや。ニエレレについては二冊目の英文で書いたことがあります。本文と日本語訳を貼っときます。→Africa and its Descendants 2

次回

* 授業についてのコメント数人(続き)

* 発表:The colonization of Africa: Precolonial Africa(恒吉さん)

* 発表:西アフリカの王国(戸高さん)、トワレグ人(小島さん)、カイロ(梅山さん)

* 発表:The colonization of Africa: The first colonialists(田代くん)

* 時間があれば「アフリカシリーズ」の映像

* 時間があれば『金のフレーズ』①の解説。

Africa and its Descendants 2

The fundamental problem is a matter of structure and system, something which so many Africans have tried to address. But most of them, like Nkrumah, failed. Julius Nyerere, Kenneth Kaunda, and other African leaders also tried in vain.

根本的な問題は、構造と体制の問題で、本当にたくさんのアフリカ人々が何とかその問題を解決しようと努めてきました。しかし、エンクルマのように大抵の人が失敗してきました。ジュリアス・ニエレレやケネス・カウンダやその他のアフリカ人指導者も挑戦しましたがだめでした。

In Tanzania, Nyerere adopted his new policy called 'ujamaa’ in 1967. It was a kind of African nationalism based on the traditional values of sharing and co-operation that existed among African families. Unfortunately the policy was unsuccessful. He shared his recollections in the MBTV program:

タンザニアでは、ニエレレが1967年にウジャマーという新しい政策を採用しました。その政策は、アフリカ人家庭に生き続ける分かち合うことと協力し合うことという昔ながらの価値感を基にしたある種のアフリカ民族主義でした。運悪く、その政策はうまく行きませんでした。イギリスMBTVの番組の中で、ニエレレは当時を振り返って語っています:

When we were preparing our first five year development plan, the price of our sisal was a hundred and forty eight British old pounds before devaluation, a hundred and forty eight pounds per ton. We felt this price would not likely to continue, so we planned on the basis that we might average ninety five pounds per ton. It dropped down to less than seventy. We can’t win. . . . What can we do? What really can we do? What can a primary producer do? What do we do with our sisal, eat it, I mean, what can we do with sisal, we produce the sisal, we have to sell sisal. If the world market price goes down, what can we do? I mean, really, in a world of vultures, what can you do? I mean, really, we have to suffer.

1回目の開発計5年画を準備していた時、サイザル麻の値段は1トンにつきの通貨切り下げ以前の旧イギリスポンドで148ポンドでした、トン当たり148ポンドだったんですよ。この価格はそう続かないだろうと考え、1トンが平均で95ポンドなるようにという基準で計画を立てました。しかし、実際には70ポンド以下に下がりました。とても太刀打ち出来ませんよ・・・。私たちに何ができます? 本当に何が出来ますか。第一次生産者に何が出来ます?サイザル麻をどうしろと言うんです、食べるんですか、一体サイザル麻をどうしろと言うんですかね。サイザル麻を生産したら、売るしかないんですよ。もし、世界市場の価格が下がったら、私たちに何が出来るんですか。弱肉強食の世界で、一体私たちに何が出来ると言うんですか。苦しむのは、いつも私たちですよ、ほんとに。

By the mid-1980s the country was crippled by a huge foreign debt and declining agricultural and industrial production. Tanzania was forced to accept a drastic program of 'structural adjustment’ so as to qualify for continued foreign loans from the World Bank. The government was forced to cut back on those aspects of its policy that had been relatively successful under ujamaa, like health and education. Nyerere retired from the presidency in 1985.

1980年代の半ば頃までに、国は巨額の外債と農業、産業製品の生産が落ち込んで立ち行かなくなっていました。タンザニアは世界銀行からの外国債継続の資格を得るために「構造上の調整」という思いきった計画を受け入れざるを得なくなりました。政府はウジャマー政策の下で比較的うまく行っていた医療や教育のような政策の見方の見直しを迫られました。1985年、ニエレレは大統領職を退きました。

(12)10回目授業終了

<連絡事項>

* 課題提出:出来るだけ7月27日(月)授業時までにWebclassで提出。遅くとも29日(水)までに。(次回画面を共有して、Webclassでの提出の仕方を確認出来るように準備しときます。)

* 授業日程確認:

11回目→7月20日(月):映像「アフリカシリーズ」、『金のフレーズ』

12回目→7月27日(月):映像「ルーツ」、『金のフレーズ』

13回目→7月29日(月):第二次世界大戦後:映像「アフリカシリーズ」、『金のフレーズ』

14回目(最終回)→8月3日(月):まとめ

授業では

* 課題提出日、課題の再確認

* 発表:The colonization of Africa: Precolonial Africa(恒吉さん)、西アフリカの王国(戸高さん)、トワレグ人(小島さん)、カイロ(梅山さん)、発表:The colonization of Africa: The first colonialists(田代くん)

みんなそれぞれしっかりと調べて発表してくれました。ほんとはすぐあとに映像を見てもらえればより具体的にイメージ出来たと思うけど、映像は次回に。何とか全員発表してもらえてよかったです。

二つのクラスともほぼ全員が授業に来てくれてるけど、すごいなあ。僕の大学の時とえらい違いや。

もうあと4回と先も見えて来ました。何かばたばた授業を始めて、週に7コマの授業をするだけでアップアップ、何とかあと一月で一息つけるんやろか。

出来れば、最終の週までに成績をつけて、授業が終わったあとは、今回の感染症騒ぎで中断することになって小説を書き上げて、9月末の新人賞に応募出来ればええけどな。

 

The colonization of Africaの日本語訳

次回

* 授業についてのコメント数人(続き)

* 「アフリカシリーズ」の映像

* 『金のフレーズ』①の解説→ブレイクアウトセッションで確認し合い、出来れば覚え合う。

授業で、また。

 

Precolonial Africa, The first colonialistsの日本語訳

Africa and Its Descendants (アフリカとその末裔)

Chapter One: The Colonization of Africa(アフリカの植民地化)

PRECOLONIAL AFRICA 植民地化以前のアフリカ

Africa has been of great importance to the development of mankind. It has been found that the earliest beings able to make tools once lived in the Rift Valley in East Africa.

アフリカはこれまで人類の発展のためにとても重要でした。ごく初期の頃に道具を作るが出来た人たちが、かつて東アフリカのリフトバレー(大地溝帯)に住んでいました。

A big leap forward was taken when man learnt to sue iron for tools. Another big step was taken when cultivation started on a large scale. Large scale cultivation in Africa began in about 2000-3000 B.C. in both West Africa and Ethiopia.

人々が道具を作るために鉄を精錬するようになって、ひとつの大きな文明の飛躍がありました。大きな規模で耕作が始まって、更に飛躍を遂げました。約紀元前2000年から3000年頃、西アフリカとエチオピアの双方で、アフリカでは大規模な形での耕作が始まりました。

Between the years A.D. 700 and 1400 Europe developed rapidly. But for all this time European society was in many ways inferior to that of its African neighbours. Cairo was the foremost trade centre in the world and gold was used as the means of payment. Some of this gold was brought from West Africa, and some from Central Africa. The gold of Africa kept world trading going. World trade was stimulated by the spread of Islam. The gold from Zimbabwe was transported from the interior by Muslim middlemen to the African East Coast.

700年から1400年の間に、ヨーロッパは急速に発展しました。しかその期間の間も絶えず、ヨーロッパ社会は様々な点で、近隣のアフリカ諸国よりも劣っていました。カイロは世界の最大の貿易拠点で、金が支払いの手段として使われました。このとき使われた金は、西アフリカや中央アフリカからきたものもありあました。アフリカからの金が世界の交易を発展させ続けました。世界貿易はイスラムの広がりによって刺激を受けました。ジンバブエからの金はイスラム教徒の仲買人によって内陸からアフリカの東海岸へ運ばれました。

In West Africa, too, long-distance trade gave birth to new and powerful societies. The West African kingdoms were ruled by kings who appointed local noblemen to collect taxes from the peasants.

西アフリカでは、また、長距離貿易が、新しくて強力な社会を生み出しました。西アフリカの王国は王によって統治され、王に指名された地方の貴族が農民から税を集めました。

西アフリカの王国を訪れたポルトガル商人イブン・バトゥータ

Not only in West Africa, but also in Central Africa a centralized organization of society emerged on the basis of surplus production, trade and a growing population.

西アフリカだけでなく、中央アフリカでも、余剰生産と交易と人口増加を基礎にして、中央集権社会が現れました。

Parallel to the development of large kingdoms in Africa many groups of people learnt to control nature without kings and kingdoms. Their political systems may be called 'village rule.’

アフリカでは、大きな王国の発展と併行して、多くの人々の集団は王や王国なしに自然を制御するようになりました。その人たちの政治制度は “村落共同体支配” と呼べるかも知れません。

In Africa, as elsewhere, migrations of cattle-raising people took place when they had to find new pastures, and new places to live for a growing population.

アフリカでは、他の所と同じように、人口が増えて新たな牧草地を探し、生活するための新たな土地を見つけなければならなくなった時、遊牧民の移住が始まりました。

THE FIRST COLONIALISTS 最初の植民地支配を目論んだ人達

Portuguese adventures were the first Europeans to 'discover’ Africa south of the Sahara. The first voyages along Africa’s west coast were little more than an extension of the piracy. The Portuguese took away people from the coasts they plundered and brought them home as slaves. As yet slave trade and economic exploitation were on a small scale.

ポルトガルの探検家がアフリカサハラ以南のアフリカを最初に「発見した」ヨーロッパ人でした。アフリカの西海岸に沿った最初の航海は、海賊行為の延長に過ぎませんでした。ポルトガル人は略奪行為を行なった海岸地域から人々を連れ去り、奴隷として母国に連れて帰りました。しかしそれでも、奴隷貿易と経済的な搾取の規模は小さなものでした。

They started to buy gold directly at the coast. In time they also wanted to find a sea route to India. Their aim was to take away from the city-state of Venice their control over the profitable spice trade with the East Indies.

ポルトガル人たちは海岸線で、直接金を買い始めました。やがてはインドへの海上ルートも発見したいと望んでいました。その人たちの目的はベニスの都市国家から、儲けの多い東インドとの香辛料貿易の支配権を奪うことでした。

Portugal wanted to start trade by exchanging goods with East Africa. But the project failed as the goods that Portuguese had to offer were inferior to those of the East African tradesmen. The Portuguese seafarers and merchants then decided to achieve for themselves the East African trade monopoly by force. With their superior arms the Portuguese managed to destroy the East African civilization.

ポルトガルは東アフリカと商品を交換することによって貿易を始めたいと思っていました。しかし、ポルトガルが持っていった商品が東アフリカの貿易商人の扱う商品よりも劣っていたために、その目論見は失敗しました。その時、ポルトガルの船乗りと商人は、武力を使って自力で東アフリカの貿易を独占しようと決めました。ポルトガル人は、優れた武器を使って辛うじて東アフリカの文明を破壊することに成功しました。

In Western history Vasco da Gama, d’Almeida, and Tristan da Cunha have been estimated as 'great discoverers,’ but they were nothing but destroyers for Africans. A Germany who was present when d’Almeida destroyed Kilwa gives us the following eyewitness report:

“In Kilwa there are many strong houses storeys high. They are built of stone and mortar and plastered with various designs. As soon as the town had been taken without opposition, the Vicar-General and some of the Franciscan fathers came ashore carrying two crosses in procession and singing Te Deum. They went to the place, and there the cross was put down and the Grand-Captain prayed. Then everyone started to plunder the town of all its merchandise and provisions. Two days later the city was set on fire."

西洋の歴史では、ヴァスコダ・ガマやダルメイダやトゥリスタオ・ダ・クンハはこれまでずっと「偉大な発見者」として評価されて来ましたが、アフリカ人にとってその人たちは破壊者以外の何ものでもありませんでした。ダルメイダがキルワを破壊した時に立ち会ったあるドイツ人は、次のような目撃証言をしています。

「キルワでは2階や3階の高いしっかりとした家がたくさんあります。家は、石とモルタルと漆喰で出来ていて、様々な模様をしています。町が抵抗もなく占領されるとすぐに、司教総代理と何人かのフランシスコ会の神父が上陸をして、一列になって十字架を運び、賛美歌を歌いました。それからその場所に行き、十字架が降ろされ、総督が祈りをささげました。それから、その町の全ての商品と食料品を略奪し始めました。2日後、街に火をつけました。」

栄えていた商業都市タンザニア沖合の島キルワ、1505年廃墟に

The main interest of these first colonialists was in spices, cloth, gold, and ivory. They dominated the sea but on land only some narrow strips of the coast. Other countries soon began to compete with the Portuguese for the trade with the East; first the Dutch, then the English and the French gained control over this rich trade.

こうした植民地支配を目論んだ人達の主な関心は、香辛料と布と金と象牙でした。その人達は海を支配しましたが、陸では海岸線の岸の狭い僅かな地域を支配しただけでした。やがて他の国々も東洋との貿易を求めてポルトガルと競争をし始めました。最初にオランダ、次にイギリスとフランスがこの豊かな貿易の支配権を手にすることになりました。

THE SLAVE TRADE 奴隷貿易

The European conquest of South America suddenly changed the character and importance of the slave trade. With brutal force the prospering cultures of Peru, Bolivia and Mexico were stamped out by the Spanish conquerors and their silver and gold were stolen. Many Spaniards who set out for this Eldorado found no metals but settled as farmers.

ヨーロッパ人が南アメリカを支配したことで、奴隷貿易の特徴と重要性が一変しました。ペルー、ボリビア、メキシコの繁栄した文化はスペインの侵略者に力ずくで踏みにじらされ、金や銀が盗まれました。理想郷を求めて出発したスペイン人たちは金銀を見つけられませんでしたが、そのまま住み着いて農民になりました。

In 1518 a Spanish ship brought the first cargo of Africans directly from Africa to America. This was the start of a trade in slaves which was to continue for three and a half centuries and to bring millions of Africans to America.

1518年、スペイン船が初めてアフリカ人の積み荷を直接アフリカからアメリカに連れて行きました。これがその後3世紀半にも渡って続き、何百万人ものアフリカ人をアメリカに連れ出すことになる奴隷貿易の始まりでした。

The merchants’ profits and the products from America were exchanged in Europe for guns and cloth which were brought to Africa and exchanged for slaves. These humans were sold in America where they produced the goods to be brought to Europe. This was the so-called 'triangle trade.’ The riches of the capitalists grew while Africa suffered.

奴隷商人の利益と、アメリカからもたらされた産物は、ヨーロッパでアフリカへ連れて行かれて奴隷と交換される鉄砲や布に交換されました。これらの人間はアメリカで売却され、そこでヨーロッパに運ばれる商品を作り出しました。これが所謂「三角貿易」でした。資本主義者たちの富が増えて、アフリカが被害を受けました。

奴隷船(帆船)

European, above all English and American capitalists had gained enormous profits from the trade in slaves and the work performed by the slaves. Slavery was an essential part of the international capitalist market. By this trade the first large-scale collection of wealth was accumulated to speed up the development towards capitalism. The 'triangular trade’ was one of the foundations of the Industrial Revolution in Europe.

ヨーロッパ、とりわけ、イギリスとアメリカの資本家たちが奴隷貿易と奴隷が行なう労働から莫大な利益を手に入れました。奴隷制は国際資本市場で重要な役割を担っていました。この貿易によって、大規模な初期の富の集積が行なわれ、資本主義への発展の速度を加速させました。「三角貿易」はヨーロッパの産業革命の基礎の一つでした。

For Africa the consequences of the slave trade were ruinous, not only in the terms of the boundless suffering of the millions who were taken as slaves, and their descendants, but also for those left behind.

アフリカにとって、奴隷貿易によってもたらされたものは、奴隷として連れ出された何百万もの人々とその子孫の際限ない苦しみという意味だけではなく、後に残された人たちにとっても、壊滅的でした。

 

(13)11回目授業終了

<連絡事項>

* 課題提出:7月27日(月)授業時までにWebclassで提出。遅くとも29日(水)までに。

* 授業日程確認:

12回目→7月27日(月):『金のフレーズ』、映像「アフリカシリーズ」

13回目→7月29日(月):『金のフレーズ』、映像「アフリカシリーズ」

14回目(最終回)→8月3日(月):まとめ(全員のコメントが聞きたいです。いろいろ聞かせてや。頼みます。)

* 希望者がいれば、前期試験が終わった頃から先ずは後期が始まる前、希望があれば継続して11月の2回目のトーイックの試験まで週一回くらいのZoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3を編集しての過去問演習、前回希望者でやった要領で)につき合ってもいいと思っています。ただし、11月の試験では、最低5000円はもらえる650はクリアしてもらわんとあかんと思うけど。希望者はメールしてくれたら、Zoomの招待状を送ります。(人数にもよるけど、たぶん他の希望者と合同で)試験最終日が8月の20日くらいやろから、それまでに連絡してくれたら。一人でもメールが届いた時点から新Zoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3を編集)の問題を作ります。

授業では

* 課題提出日、課題の再確認

* 前回、やってくれた発表のThe colonization of Africa: Precolonial Africa(恒吉さん)、西アフリカの王国(戸高さん)、トワレグ人(小島さん)、カイロ(梅山さん)、The colonization of Africa: The first colonialists(田代くん)の「アフリカシリーズ」の映像。(西アフリカの王国の映像が壊れてたんで見てもらえなかったけど)

1992年に家族で行ったジンバブエ遺跡の画像も。英語で解説。

* 『金のフレーズ』①の10までのブレイクアウトセッション。

次回

* 『金のフレーズ』①の11からのブレイクアウトセッション。①が終わるとええね。

* 「アフリカシリーズ」の映像、それと1980年代のライブエイドの音楽を少々、時間があるとええけどね。

授業で、また。

 

二週間毎にマッサージをしてもらってる西口さんから、玉田さん、左脚の筋肉が少し落ちてますねと言われたんで、左脚に力を入れて三段変速の一番重いので坂道を立たないで2往復(一年のクラスが終わったあとお昼を食べに家に帰ってるんで)、汗だくになったね。
日が落ちる頃に歩けるとえんやけど。70過ぎても筋肉はつくそうやけど、生きてるだけで、大変や。
一つ葉の砂浜ではしゃいでいた三太(ブログの名前の片われ)。最近木崎の浜で歩いてないけど、自転車で浜まで行って歩きたいねえ。冬の砂浜もええけど、夏はサーファーとは違う動きで砂浜を歩くのもそれなりに楽しいね。サーフィンの大会があると、警備員に締め出されるけど。
木崎浜から曽山寺浜にかけられた橋。総合公園からのマラソンコース。青島の旧パームビーチホテルのとこら辺まで。道は青島から、青島港まで続いてるけど。

 

(14)12回目授業終了

<連絡事項>

* 8月3日(月)が最終回、いろいろ聞かせてや。

* 「授業についての感想」のワードファイルを参考ファイルに置くんで、次回までにWebclass(「授業についての感想」)に出してや。

オンライン授業と対面授業についての質問も入れてあります。後期もオンラインが続きそうな気配なんで、みんなの気持ちも知りたいし、9月末締め切りの新人賞に送るつもりで小説も仕上げるつもりで、その中に使うかもしれないんで、予め諒承のほどを。受ける側の気持ちを聞いてみたいです。

* オンライントーイックの成績がメールで送られて来てると思うので、そのファイルをWebclass(「トーイックオンライン」)に出してや。

急遽無理やり実施した割りには事務処理も遅いので、成績を出すのが遅れそう。そこで、協力要請です。成績を送ってもらえれば詳細もわかるし、後期の参考にもなりそうやし、成績も最終日までに出せそうやし。さっき松元さんにLineを頼みました。よろしく、ね。

* 当座9月末まで、希望者にZoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3の過去問演習、編集中)、希望者はメールしてや。

授業は

* 課題、ブログの確認。

* 映像:We Are the →We Are the World

* 『金のフレーズ』①の30から60までのブレイクアウトセッション。

演習用シートを使って日本語を見てすぐに英文がスムーズに出て来る練習をくり返して英語に慣れや。⑥~⑨の希望者がいれば、いうでもどうぞ。~⑫も必要なら作るけど。

次回

* 最終回、授業についての感想や意見、もちろん個人的な質問なども含めて、一人一人いろいろ聞かせてや。

いよいよ来週で前期も終わりやな。授業一覧を作ってるけど(作業中)、まとめてみると、いろいろ大変やったなあ。オンラインて初めてやったし。でも、出来ることはやったという気がするな。ま、過ぎ去ってみないとわからないけど。来週、また。

We Are the World

“We Are the World” 日本語字幕、53分(DVD)

イギリスで活躍するミュージシャン、ボブ・ゲルドフが提唱したバンド・エイドの成功に触発されてアフリカの飢餓と貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソングで、作詞作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー、プロデュースはクインシー・ジョーンズ。

1985年当時、アメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚を売り上げた。最終的にはアメリカだけで750万枚のシングルが売れ、シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティとして寄付された。ビルボード(Billboard)誌では、1985年4月13日に週間ランキング第1位を獲得。1985年ビルボード誌年間ランキングでは、第20位。

そのほかドキュメンタリーも制作され、2004年には20周年記念DVDとして「We Are The World THE STORY BEHIND THE SONG」がリリースされた。

We Are the World

There comes a time when we heed a curtain call

When the world must come together as one

There are people dying

And it’s time to lend a hand to life

The greatest gift of all

 

We can’t go on pretending day by day

That someone, somewhere will soon make a change

We are all a part of God’s great big family

And the truth, you know,

Love is all we need

We are the world, we are the children

We are the ones who make a brighter day

So let’s start giving

There’s a choice we’re making

We’re saving our own lives

It’s true we’ll make a better day

Just you and me

 

Send them your heart so they’ll know that someone cares

And their lives will be stronger and free

As God has shown us by turning stones to bread

So we all must lend a helping hand

 

When you’re down and out, there seems no hope at all

But it you just believe there’s no way can fall

Let us realize that a change can only come

When we stand together as one

 

Harry Belafonte originally wanted to put together a benefit concert featuring black musicians to raise money for Africa. Ken Kragen (who became president of the organization United Support of Artists for Africa) thought an American version of “Band Aid" would be a better idea. Ken Kragen is an owner of a personal management and television production company. One of his clients was Lionel Ritchie, so he called him with the idea. Lionel’s wife talked to Steve Wonder’s wife and arranged to line him up for the song.

Quincy Jones was lined up as the producer, and Michael Jackson and Lionel Ritchie were the song writers. The recording took place on the night of the American Music Awards, January 28th, 1985. This was the perfect way to assure that most of the artists would all be free on a single date.

The instrumental tracks were recorded ahead of time and sent out to the interested musicians. With each tape, he sent a letter that stated they should “check their ego at the door." When they arrived in the studio, there was a piece of tape on the floor for each person to stand on, arranged around six microphones in a semi-circle.

800,000 copies arrived in stores on Tuesday, March 7th 1985. There were sold out by the first weekend. It entered the Billboard Hot 100 on March 23rd, at number 21. At the time it was the highest debuting single since John Lennon’s “Imagine" and was number one in three weeks, which at the time was the fastest rising chart-topper since Elton John’s “Island Girl" in 1975. It was the eighth consecutive year the Lionel Ritchie had written a number one song. It won Grammys in 1985 for Song of the Year and Record of the Year.

Dan Aykroyd also sings on We Are the World. You can see him in the top row in the video. Dan Aykroyd was in the Blues Brothers was a band before it was a SNL sketch (and then a movie), hence he was a musician. VH-1’s “Pop-Up Video" states he’s there to represent the American film industry.(http://www.inthe80s.com/weworld.shtml

 

13回目授業終了

全員から授業についてのコメントなどを聞かせてもらいました。75分いっぱいいっぱいでした。高校や大学のことや、アメリカやカナダやハラレに行った時のことも話出来たらと思ってたけど、時間なかったね。後期は最初アフロアメリカの話だけにと思ってたけど、南アフリカの話もしようかな。課題でdiscriminationの話でBlack Lives Matterや南アフリカのアパルトヘイトについて書いてる人も結構いたんで。その時に合わせて、アメリカやカナダやハラレに行った時のことも紹介出来たらええね。

(16)課題講評

課題の講評です。もっと早くと思ってたけど。昨日は早く寝た分、今朝は早く目覚めて。さっきやっと読み終えました。

全般の講評は、全体によう出来たてたと思います。感心しました。たぶん自粛期間も長かったので時間をかけた人も多かったようで。四分の三ほどが英語というのも異常事態、初めてです。毎年一割あるかないかやから、やっぱり異常事態、やなあ。

しかも、英語は充分に読めたんで、アウトプットの機会を増やして、書いたり、読んだり、聞いたり、話したり、どんどんやれば気づいたら使えるようになってる、ということかもねえ。

僕は、戦争に負けて無理やりやらされて・・・という意識が強かったせいか英語に対していまだに抵抗があるけど、高校の教員の採用試験が受験出来たのも、38で大学職に就けたのも、受験勉強をしないでたまたま行き着いた先が英米学科で、教員資格も取れたし、(アメリカの半ば支配下にあって)全般に英語と関係のある仕事が圧倒的に多かったからやと思う。もちろん、結果論やけど。

原爆を落とされて無条件降伏をつきつけられ、色々な局面でアメリカを強要されてから久しい今となっては、英語が使える方が圧倒的に有利なのは事実、みたい。

仮説を立てて客観的に論証するという作業は、大学ですべき大事なことの一つ、教養、専門基礎では特に大事やと思います。

秀を3段階(満点、SS、S)、優を2段階(AA、A)に分けました。あんまりひどいのはB、Cをと思ってたけど、それはつけずに済みました。

満点 8人、SS 1人、S 10人、AA 3人、A 5人、未提出3人。計30人。

英語で書いてたのは20人。満点は、ある一定の水準を超えていそうで、短い期間によう書けたなあ、と感服した課題につけました。

仮説が曖昧なのが結構ありました。~が~であるという明確な仮説を立ててはっきりと論証するのが大切やと思います。感想文に近いのや、調べたものをまとめて自分の意見をつけたのもあったように思います。

最終的には言いたい気持ちが強いのがこちらに一番伝わって来ると思います。課題に限らず、書いたものはすべてそうやと思うけど。

わかりやすいのは、きちんと章立てが出来(もちろん、論理的な展開一目でわかるものがベスト)、参考文献もきちんとついているもの。図や統計のような客観的な資料や、言ってることをまとめているような画像や地図も効果的やと思います。

その辺りは形式の問題なので、読む側の視点も考慮して書ければ自ずから何が読みやすいかは見えて来ると思います。

個人的に講評が必要な人は連絡してもらえればメールでも、Zoomでも、課題を見ながら、意見も聞きながら話出来ると思います。7~8割は後期も授業で会う機会がありそうなので、遠慮なくどうぞ。

なんとか、やっと書けました。

住んでるのは学園木花台の高台にあるんで、家からも木花の研究室からも、加江田の山が見えます。今は梅雨もあけた真夏の加江田の山やね。ひさしぶりに木崎浜に自転車で行って、真夏の砂浜を歩くかな。

前期最終メッセージ

(17) Ra 1 (2) 前期最終メッセージ

* 前期Zoomで大変やったけど、授業してて楽しかったです。

* 今日か明日かに成績登録しときます。

* たぶん4回くらいになると思うけど、Zoomトーイック(夏休み版)やる人は、今からでもメールしてくれたら招待状送るよ。

(2007年10月小島けいカレンダー、手書きのカレンダー)

トーイックの奨学金については、学生からの問いあわせもあり、副学長の段階で検討中です。結果が出たら該当者にはメールするね。

事務局からは以下のメールが届いています。 ↓

ご担当の先生より、6月に地域資源創成学部で実施された「TOEIC-IPオンライン」の試験結果も成績優秀者奨学金の申請可能であるかという問合せがありました。

担当部局(学生支援部学生生活支援課)に確認をしておりましたところ、「テスト形態(問題数・時間)が異なることから、奨学金の対象外とさせていただく」との回答がありました。

※2020年度宮崎大学「夢と希望の道標」奨学金については下記URLをご参照ください。

http://gakumu.of.miyazaki-u.ac.jp/gakumu/campuslifeinfo/2015-12-22-01-52-39.html

 

前期のスコアと換算スコアの分布を書いとくね。3年まであと5回受験が必須で、成績の50%をトーイックのスコア、が学部の方針なんで、英語で良い成績をと思う人はトーイックのスコアを伸ばすしかないと、ということになるかな。

授業でも繰り返し言ったけど、トーイックのスコアがよくても必ずしも英語が使えるというわけではないけど、英語を使うモードにするなら、トーイックも役には立てられる、と思うよ。いいスコアを取れば励みにもなるしね。くり返していうけど、過去問をくり返してやり、基本文をくり返してインプットすれば800まではそれほど不可能やないと思う。500前後の人は、一踏ん張りすれば奨学金をもらえるライン(650)に行くと思うよ。希望者には夏休みもZoomトーイック、後期が始まってからも11月の試験に向けてのZoomトーイックも考えてるんで。就職活動で使う履歴書に高得点の証明が要る人はお金を出してトーイック講座に通うと聞くけどね。

このクラスのスコア、換算点(成績の50%)の分布

スコア

600~ 4人

550~599 0人

500~549 7人

450~499 9人

400~449 0人

350~399 3人

~349 7人

換算点

46~50 4人

41~45 11人

36~40 5人

31~35 5人

25~30 5人