つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:顧問

 今日は朝から雨が降っているが、二日間晴れてくれたので、畑も乾いてずいぶんと助かった。二つ目のとまとの柵とブロックを使って畑周りの通路を継続して造っている。畑には溜枡が4つある。長雨でも水が溜まらないように、うまくその溜枡に雨水を流し込めればいいのだが。元は庭だったので、全体の畑用の土が基本的に足りない。少しでも他から土を運ぶ必要がある。たまたま道路に流れ出ている黒土を見つけたので、少し前からせっせと土を運んでいる。土が肥料だと考えれば、補強も大切である。特に霧島の火山灰で出来た田野や清武の黒土は、きめが細かく栄養は満点のようだ。金曜日に胡瓜の初生りを3本(↓)収穫した。細長いタイプとずんぐりむっくりのタイプだ。種からはタイプは見分けがつかない。たくさん花を咲かせているので(↑)、生り始めると二人ではとても食べきれない、またお裾分けの毎日である。

 卒業した年の夏に→「採用試験」(5月8日)、秋に→「面接」(5月9日)と→「大学院入試」(5月10日)を受けたあと、→「街でばったり」(5月13日)教育実習の時の教頭に会い、その人が校長をしていた新設校に誘われた。歳の瀬に校長から電話があり、産休に入る人の代わりを頼まれ、→「3ケ月早めに」(5月14日)→「初めての授業」(5月15日)もやった。放課後、バスケットボール部の練習に混ぜてもらっているうちに試合にも行き、顧問みたいにベンチに座り、女子チームの→「県大会」(5月16日)にも同行した。4月に新校舎に移って→「新任研修」(5月17日)を終え、→「新採用一年目」(5月18日)が始まった頃には、そのまま女子のチームの顧問になっていた。最初の職員会議では校長から「新任です」ではなく、「旧職員です」と紹介された。一年目は担任がなく→「ホームルーム」(5月24日)はなかったが、学校全体を見渡せる教務の雑用と、授業、それに課外活動の日々が始まった。非常勤の3ケ月があったせいか、ずいぶんと前からいる古株のような大きな顔をしていたように思う。

校長にばったり出会った駅前通り

 スポーツにどう取り組むか、楽しむためにやるのか勝つためにやるのかは難しい問題である。参加する人の数や年齢などにもよるので、団体競技の場合は尚更難しい。結局5年と3ケ月の間、顧問としてバスケットボールのチームといっしょに色々させてもらったが、最後まで結論が出なかった。それに顧問の立ち位置も曖昧である。法的には顧問の扱いは今も変わっていないと思うが、実際はすべて顧問任せだった。一応全員が顧問を持つことになっていたが、毎日放課後に時間を割いている人は僅かだった。全学共同体制は、無責任体制でもある。もちろん職務上、対抗試合などで責任が生じる場合など、最低限は関わっていたが、ほとんどが必要以上には関わっていない、それが実際の状況だったと思う。だから毎日放課後に練習に付き合い、土日に試合に同行する人は、あの人熱心やな、と言われていた。授業や担任を持ってのホームルームをしないわけには行かないが、課外活動はしてもしなくてもいい、少なくともしないから責任を問われることはない領域だった。
非常勤の時に練習に混ぜてもらった女子チームが初めて県大会に出て、いっしょに淡路島で一泊した時は楽しかったが、新任で顧問としてかかわるようになってからは、その楽しさの質が変わっていった気がする。チームを優先して勝てるように練習をするのか、部員一人一人にあったように練習メニューを考え、試合に負けても楽しむのか、振り返ると、どうもどっちつかずだった。旧校舎には外のコートしかなかったが、新校舎にはきれいな二面コートがあった。バスケットボールは人気があったので、たくさんの新入生が入部して来た。体育館はバレー、バドミントン、卓球なども使うので、実際には週に3日、男女で一面、それぞれ半面が使えるだけだった。2、3年はそれぞれ10人近くいたし試合も近かったので、新学期は新入生も交えていっしょに練習するのも難しかった。希望に燃えて入って来ても、コートも使えず基礎練習や見学ばかりの毎日は楽しいはずがない。特に、中学校の3年生で試合に出て活躍した人たちには不満の多い時期だったに違いない。一年目は県大会に行った女子のチームの顧問で出発したが、女子チームを見ていた男子からも顧問をせがまれた。生徒からの声が強かったので、前に顧問をしていた人に相談したら、いいですよ、男子もやって下さいということだったが、本当によかったのかどうか、今は心許ない。顧問を奪ってしまったのかも知れない。男子のチームで身長は低かったものの、3人ほど抜群に出来る人が集まった学年は、レベルも高かった。本当にバスケットが好きで、練習したくてしたくてうずうずしていた。そのチームで、スポーツで選手を集めた私学に勝って県代表で近畿大会に行こう、そんな気持ちを選手とともに持って、公式戦も含め年間に100試合近くもやったが、結果は、少し及ばなかった。最高で174センチ。180センチ台が何人かいて、私のコーチのレベルが少し高ければ、分厚い壁も破れていたかもしれないが、過ぎてしまえば何とでも言える。元々、中学、高校、大学でコーチまがいのことをやったてはいたが、勝負師になれないのを誰よりも自分がよく知っていた。
「職務上、対抗試合などで責任が生じる場合など、最低限は関わっていたが、ほとんどが必要以上には関わっていない」状況の中で、「毎日放課後に練習に付き合い、土日に試合に同行」したが、生徒のためだったのか、自己満足のためだったのか。成り行きだったとはいえ、かなりの時間だったので、すべてを諦めたつもりの割には、未練がましく悔いが残る。このままずるずると引き摺りたくない、高校を辞める決心がついたのは、顧問をしたお陰だったかも知れない。
次回は、修学旅行、か。

移転先の新校舎

つれづれに

 

金芝河さん5

『不帰』の扉写真

 金芝河(きむじは)さんの5回目で、「東京で開催された韓国問題緊急国際会議」でのグギさんのスピーチの日本語訳の紹介である。ちょうど昨日の新聞に詩人金時鐘さんの「金芝河さんを悼む」という記事が出た。訃報のあと、誰かに原稿を依頼して出した記事が、そのメディアの金芝河さんの評価というわけである。ノーベル賞級の作家なら、いつでも記事を出せるように準備をしていたはず、1929年生まれの金時鐘さんが書いた時の刻まれた記事である。(↓)

「金芝河さんを悼む」(画像保存→拡大で購読可)

 グギさんは『作家、その政治とのかかわり』を三部で構成している。一部(文学、教育―国を思う国民文化のための闘い)と二部(作家、その政治とのかかわり)でケニア国内での作家活動と作品、その政治とのかかわりについて書いている。そしてその延長線上に、三部(政治的な抑圧に対して)の韓国とアフリカ系アメリカ文学を置き、すでに本や雑誌で書いたものも加えて作家と政治のかかわりを明らかにしている。会議で読んだ内容は三部の十二章に「韓国民衆の闘いはすべての抑圧を受けている国国の闘いである」という題で収められている。発表者も多く、それほど時間がなかったはずなので、草稿を軸に会場の反応も見ながらしゃべり、全文は後で本に収載したというわけである。その場にいなかったので、草稿と比べようがないが、グギさんの伝えたかったことを尊重して、草稿の私の日本語訳をそのまま載せたいと思う。グギさんの本も量が半端ではないので、読むのに難儀をしたが、この草稿も長い。気持ちがないと、とても読めない。本の日本語訳を2年で終えたのが不思議なくらいである。過ぎてしまえば、何とでも言える。

グギ・ワ・ジオンゴ『作家、その政治とのかかわり』

 「私は韓国問題緊急国際会議を準備して下さった方々に感謝したいと思います。国の統一と民主化に向けての韓国の人たちの闘いについて私はほとんど知りません。もちろん、韓国の人たちがアジアでもアメリカ帝国主義に致命的な打撃を与えている国民の一つだということは知っています。また、国が分断され、半分がアメリカ帝国主義の影響下にあり、もう一方の半分は解放されて、人民共和国になっているとも知っています。しかし、私が知っているのはそれだけです。私は報道機関を外国人が所有し、常に帝国主義と並んで歩んでいる国からやってきました。したがって、国内では抑圧されていますので闘いや出来事についてはほとんど知らされていないのです。そのような出来事が報じられる時には、真実を曖昧にしたり、帝国主義的な支配は正しく、反帝国主義的な闘争は間違っているという見方で報道がなされるのです。だから私は知るためにここにやってきました。国民解放のための朝鮮の人々の正当な闘いについての何かを我が国に持ち帰りたいと思っています。出来れば、ケニアか朝鮮の特定の機関のために語っているのではないことを、また、この会議の目的に沿って私が非同盟の立場にいることを明確にしておきたいと思います。しかし、この会議は非同盟の立場にいる人たちのためのものであり、コロンボではこの会議と並行して非同盟諸国会議が行なわれていると聞き及んでいます。私は作家という立場でこの会議に参加して、自分自身について語り、帝国主義や外国支配から完全に解放される民衆の闘争から創作へ自分を駆り立ててくれる手がかりを得ようとしています。つまりは、私は作家として非同盟の立場には立っていられないということです。祖国の資源や人的資源を自らの手で管理し、自らの汗の結晶、自らの労働の産物を統制する権利を求めて百万の大衆が声をそろえて叫ぶ中にいて、どうにして作家が非同盟の立場を取ることなど出来るでしょうか?帝国主義や人々を食い物にするあらゆる階級によって体に巻きつけられた鎖を百万の筋肉が断ち切ろうとしている光景を目のあたりにしてどうして人が非同盟のままでいられましょうか?

グギさん

 昨日、韓国の作曲家尹伊桑(ユン・イーサン)が朴正煕(パク・チョンヒ)の獄舎で経験したことをつぶさに語ってくれた時、私はその証言に感動して涙がこぼれました。猿ぐつわをはめられた多くの人たちや、拷問を受けている多くの人たちを代弁していると分かっていたからこそ、獄中でオペラを作曲する力が湧いてきたのですと述べていたのが殊に印象的でした。それこそが、抑圧されている側の音楽や芸術が取るべき立場だと思います。完全な解放のために闘っている人たちの力と決意を表し、訴え、はっきりと語りましょう。
それは詩の中で金芝河が取っている立場でもあります。それは金芝河の詩が単に朝鮮の人たちに語りかけているだけでなく、世界中の闘っているあらゆる人たちにも語りかけているわけでもあるのです。金芝河は獄中にいますが、その声は南アフリカやジンバブウェの人たちを、あるいはパレスチナや、新植民地支配の下に苦しむあらゆる国の人たちを奮い立たせているのです。金芝河がアメリカ帝国主義といっしょになって国民から巻き上げたり、殺人の手助けをしたりする五賊について語る時は、私たちすべての国の歴史について語っているのです。
ここで暫らく、私たちすべてに共通しているその歴史について、話をさせて下さい。論理的に見て係わりのある二つの観方があります。ひとつは、それは絶えず西ヨーロッパの支配者階級による収奪と抑圧の歴史であったということです。報酬目当てに雇われたポルトガルの探検家や船員がアジアの富への最短の航路を発見するために派遣されて、十五世紀の終わりにアフリカに上陸したことが先ず頭に浮かんできます。封建的な支配階級と商業に携わる新興の有産階級はともに、この窃盗と掠奪の道を切望しました。その人たちは黄金を、きらきら輝く黄金を切望したのです。このきらきら輝く黄色の金属と煌めく白色の象牙を求めて、多くの文化の進んだ都市、特に東アフリカ沿岸の多くの諸都市をほしいままに破壊しました。その人たちはモザンビークやザンジバルやケニアの街を破壊しました。

1505年のキルワの虐殺

 整備された石造りの町並みを備えた都市ジンバブウェを破壊して廃墟に変えてしまったのも、血眼になって黄金と象牙を探し求めたこのポルトガル人たちでした。その人たちには火薬と、もちろん聖書がありました。朝鮮やアジアの他の地域に宣教師を入植させようとしていた時期に、その人たちがアフリカでも同じことをしていたのは興味深いと思います。自分たちの思うがままに人々の生活を壊すことこそが都市や文化を破壊する上で最も重要だったのです。その人たちが望んだものは、黄金であり、銀であり、象牙や香辛料や、ポルトガルの封建的、有産者階級にただちに利益をもたらすありとあらゆるものであった点を思い出して下さい。この新たに伸し上がってきた有産階級の輝きは、殺戮されたアフリカ人の死体や血がその礎になっていたのです。あの人たちの吹聴するいわゆる文明は高度に進んだアフリカの文明を破壊して築かれたのです。ポルトガル出身の掠奪者たちによって築かれたケニアのモンバサにあるジーザス要塞は、主なヨーロッパの植民地列強として短かい栄光と成功を誇ったその人たちの醜い記念碑として、今なお建っています。ポルトガル人たちは、対等に自慢出来るものと言っても火薬しか持ち合わせはなく、他のヨーロッパ列強の先兵隊にしか過ぎなかったのです。しかし、火薬は十分に役立ちました……アフリカ人も斃れ、家畜も死に、家も倒れて内陸部への大規模な移住や移動が始まりました。アフリカ人は新しい家を、都市を、そして新しい生活を築こうと努めましたが、その努力さえも報われませんでした。植民地支配を夢見る更に多くのヨーロッパ人が大挙して海を渡ってやって来ました。ヨーロッパ人がアフリカの国々や民族を搾取し、支配し、抑圧してきた歴史は、主に次の三つの時代に分けられます。

遺跡グレート・ジンバブウェ

 (一)奴隷制‥‥まずは、アメリカ、西インド諸島、ラテン・アメリカの新世界を建設するために、アフリカ人が奴隷として捕えられ、海を横断して輸送された時代です。後に日本に導入されるようになりますが、西洋の産業や技術の発達についてじっくり考える際には、その発展ももとを質せばアフリカ人奴隷の労働力が基礎になっているのを忘れてはなりません。もう一方で、こうして労働力が流出したことによってアフリカの成長に恐ろしいほどの悲観的な結果が生まれた事実も見逃してはなりません。いかなる発展も、所詮は人間につきるからで、自然を変え、その結果自分たち自身を変えてゆくのも組み合わさった人間の労働力なのです。人々を殺したり、閉じこめたり、あるいは人々を四散させたうえ自分の土地や他の土地で乞食になるように仕向けておいて、それでもそれが発展であると呼んだりなどしてはなりません。

奴隷帆船:「ルーツ」より

 (二)古典的植民地主義‥‥その後に、直接の植民地占領の時代がやって来ました。この時期の特徴はヨーロッパ資本によって、アフリカの天然資源とアフリカ人の労働力を収奪したことです。アフリカは原材料と安価な労働力の供給地と同時に、ヨーロッパ商品の市場となりました。この収奪には植民地の軍隊と警察による直接的な政治支配と民衆への直接的な抑圧と弾圧が伴いました。

ベルギーによるコンゴ自由国でのゴムの栽培

 (三)新植民地主義‥‥その次には、大部分のアフリカ諸国が現在もその影響下にある新植民地主義の時代がやってきました。この時期は「国旗独立」の段階とか「国旗独立」の時代とも呼ばれています。それは、アメリカやヨーロッパや日本の資本の配下にある地元の人間で構成される政府がそういった国々の利益のためにその国の人たちを支配したり、抑圧したりする状況を言います。そのような政権は国際資本を護る警官の役目を演じ、武器や主人のテーブルからのおこぼれに与かるために一国を抵当にいれることもしばしばです。そんな政府は不均衡な発展を遂げる植民地経済を変更することは決してありません。

「国旗独立」:ガーナの独立

 すべてこの三段階には暴力と抑圧が伴います。実際、その三段階は異なった局面の奴隷制であるに過ぎません。今このホールでこうして話している間にも、南アフリカではアフリカ人労働者の子供たちが殺されています。今こうしている間にも、私たちのたくさんの子供たちが南アフリカやジンバブウェでは拷問を受けています。ウガンダやケニアを含む新植民地主義の支配下にある多くのアフリカ諸国の監獄では他の多くの人たちが殺されたり、朽ち果てたりしているのは言うまでもありません。しかし、私が今までお話ししてきたのは、朝鮮や他のアジアの国々と共に分かちあう共通の歴史の一つの側面に過ぎないのです。

1976年南アフリカのソウェト虐殺

 もう一方の、より恒久的な観方は、闘争と抵抗という面からの観方です。アフリカにおける数百年に渡る奴隷制によって、収奪や抑圧に決して屈しなかった人々の無限に輝かしく、英雄的な歴史が生まれました。アフリカの人々はイギリス人やポルトガル人、それにフランス人や他のヨーロッパ人の奴隷監督と闘いました。その人たちは植民地占領軍に対抗して闘いを繰り広げました。この時期には輝かしい武勇伝がたくさん残っています。フランスと闘ったアルジェリアの武力闘争とイギリスに対して行なわれたケニアのマウマウ抵抗運動が挙げられます。ケニアのマウマウの解放闘争が朝鮮戦争とほぼ同じ時期に行なわれていたとお知りになって、それは面白いと思われるでしょう。更に最近では、モザンビークとアンゴラとギニア・ビサウでも武力闘争が成果を収めています。南アフリカでも同じような武力闘争が始まりかけています。ソウェトはこれから起こる事態の前奏曲に過ぎません。アンゴラとモザンビークとギニア・ビサウでの人々の数々の勝利がアフリカ諸国の闘争の新しい時代の先駆けであると私は信じています。十五世紀に初めて奴隷制と植民地主義を初めて導入したポルトガル人が撤退を強いられた事実は、アフリカにおける古典的植民地主義の終焉と、新植民地主義の段階に突入した帝国主義に対抗する激しい闘いの始まりであることを象徴しています。新植民地主義はその国の御用商人たちと外国の資産家たちが手を結んでいるために大いに成功しています。その御用商人たちは、ロンドンやパリ、ニューヨーク、アムステルダムや東京にいる、自分たちに報酬を与えてくれる主人のために、拷問や不正手段、投獄や軍事的な残虐行為やテロ活動などによって民衆を抑えて、支配を続けています。敢えて言うなら、その人たちは国際独占資本に雇われた現代の奴隷監督であり、農園の現場監督であります。

ケニアのマウマウ抵抗運動の農民戦士

 その国の御用商人の階級は民衆を混乱させるという理由で、最も危険です。本当の主人の姿が見えないのです。はっきりと目に見える支配者は、ほかの人たちと同じように、同じ肌の色をし、確かに同じ言葉を話しているように思えます。しかし、その人たちは民主的な社会の命を奪い、国民自身の責任ある決断を抹殺しています。その人たちは共産主義と闘っていると見せ掛けながら国民の連帯を阻んでいます。
しかし、朴正煕と朴に報酬を与える外国の主人に対してだけではなく、同時に地元の御用商人たちによって構成される支配者層と国際的な侵略者に対しても、闘いは続いていくでしょう。それが、民主化と統一に向けての韓国民衆の闘いがすべての抑圧された民衆の闘いでもある理由なのです。
帝国主義を完全に葬り去ることを通じて初めて平和は可能であると私は信じます。ですから、国民の統一と民主化に向けての私たちの闘いは、必然的に帝国主義と外国支配に対する闘いになるのです。しかし、帝国主義列強は手を組み、情報や戦略を共有しています。従って、敵を粉砕し、永遠に葬り去るために、抑圧され、搾取されている国々もすべて手を取り合って進まなければならないのです。
その敵は今、アメリカ帝国主義に先導されています。アメリカがヴェトナムとカンボジアで敗けたあと、帝国主義者たちは退却し、今は地歩を固めようと、アフリカ、中東、ラテン・アメリカと、韓国と他の東南アジア諸国を虎視眈眈と狙っています。ヴェトナムのあと、米国国防省長官が、韓国の人たちが自分たちの土地で奴隷になることをこのまま拒み続けるようなら、核兵器を使用すると脅したことをお忘れではないでしょう。極く最近、米国国防省長官が内密の防衛条約を結ぶために、ケニアとザイールを訪問しました。

若き日の独裁者ザイールのモブツ

 ヒトラーを信奉する南アフリカのフォルスターが以前に、ユダヤ人国家をパレスチナの地に建設しようとする人たちとイスラエルで会談したように、アフリカでの軍事攻撃を仕掛け続けるための企画を更に考え出すために、キッシンジャーはその同じフォルスターと西ドイツで会談をしています。そしてフランスは、ヒトラー信奉者のフォルスターに新核兵器装置を売り付けています。このように明らかになお、帝国主義国家を暴走させる狂犬から核戦争の危機がやって来ているのです。
従いまして、なぜアジア、アフリカ、ラテン・アメリカに住む私たちが国家統一と民主化に向けての朝鮮の人たちの闘いを支援しなければならないかは火を見るよりも明らかです。私たちは自分たちの闘いだけを切り離して考えてはいけません。南アフリカ、ジンバブウェ、パレスチナ、チリ、朝鮮、それは民主化と民族の統一の敵に対する同じ闘いでもあるのです。それ故に、すべての抑圧された世界の国々の連帯感を意識的に強めなければなりません。私は一組織のために話しているのではありませんと言いました。しかしながら、国を分割する立場にあくまで反対し、外国の領土要求の立場に断固として反対してきたケニアの民衆が、国家の再統一と民主化にむけての朝鮮民衆の正当な要求をしっかりと支援するものと確信しています。
朝鮮民衆の闘いに、世界のすべての農民と労働者の闘いに、そして、帝国主義とあらゆる形の外国支配と闘い続ける世界の民衆の連帯に栄光あれと、お祈り申しあげます。」

少しでも読みやすいようにと、授業で使った画像を入れました。次回は、反体制をしばらく離れて、顧問、か。

『金芝河(キム・ジハ)民衆の声』(サイマル出版会)より

つれづれに

 

金芝河さん4

『不帰』の扉写真

 金芝河(きむじは)さんの4回目で、金さんが風刺詩の中で描いた農民安道(アンドゥー)と、会議でのグギさんのスピーチの日本語訳を紹介しようと思っていたが、かなりの量になりそうなので、グギさんのスピーチは、次回に。
グギさんは『作家、その政治とのかかわり』の「十一章 韓国内の抑圧」のなかで、七十四年の大統領緊急措置令で死刑を宣告された金芝河さんの風刺詩「根も葉もなき噂」を、朴政権の国家をあげてのテロ行為を見事に描いている作品として引用している。小心な農民安道(アンドゥー)の口を借りて、抑圧されている国内の理不尽さを風刺したわけである。グギさんが引用した英語訳からの私の日本語訳である。「小心な農民安道(アンドゥー)は、ソウルに出て仕事を探していました。栄えているように見えるこの近代都市の隅々を回っても仕事が見つからず飢え死にしかけた時に、安道は自らの両足で立ち、生まれて初めて世の中に反抗して『くそっ、なんていう世の中だよ!』とつぶやいたのです。
安道は朴の秘密警察に尋問され、国に対する流言飛語流布罪で起訴され、裁判所に投げこまれます。ここで、その詩を引用させて下さい。」(「十一章 韓国内の抑圧」)

「口からその言葉が飛び出るやいなや
手錠が安道の手に架けられ、安道は
法廷に引っ張り出された。
三度小槌を打ち鳴らし、
判事は訊問を開始した。
『罪状は何か?』
『罪状は自らの両足で立ち、
根も葉もない噂を広めた罪でございます。』
『うむ、実に大罪である。』
『被告は、自らの両足で地面に
立ち、根も葉もなき噂を広めることによって、
自らの両足で地面に触れる罪を
犯し、その体を休める
罪、心を沈める罪、
貧乏な身分にもかかわらず立ち
上がろうとした罪、
考えながら時間を浪費
した罪、恥ずかしさも感じないで空を見上げた
罪、空気を吸い込み胸廓を広げた罪、
自らの身分を忘れ、特権階級に
だけその権利が与えらている直立の姿勢を取った罪、
一瞬も休むことなく更に生産し、輸出し、建設する
という国家の政策を傲慢にも回避した
罪、頭に『不』のつく罪状三件、『無』七件、『反』七件、『非』九件を
犯した罪、
罪もない人々を誤った方向に
導く根も葉もない噂を考え出した罪、
同じ噂を声に出そうとした罪、同じ
噂を声に出した罪、同じ噂を広め
ようとした罪、同じ噂を広げた
罪、祖国を蔑ろにした罪、母国の
言葉の名誉を汚した罪、祖国を
ある動物に例えた罪、祖国を
ある動物だと見做す世界をつくる
可能性を生み出した罪、資本投資の土壌を掻き乱した
罪、社会の混乱を助長し、社会不安を
引き起こした罪、人々の心を
扇動した罪、生きることに
倦み疲れた罪、現にあるしきたり
から逃れようとした罪、
敵を助けたと思われる罪、反
体制の思想を心に抱いた罪、
テレパシーの手段で反政府組織を
作ったと思われる罪、
反政府暴動陰謀の
罪、強靭な精神力を
もった罪、そしてその上に世論操作
特別法を犯した罪。』
『有罪。』と判事は宣告し、
改めて小槌を三度打ち鳴らした。
『よってここに厳粛に
憲法に則って以下の如く宣告する。
根も葉もなき噂を思いつき
人々に広めることがこれ以上出来ぬように、
被告の身体より頭を一つと、
傲慢にも自らの両足で
地面の上にこれ以上立てぬように、足を二本と、
被告に似たもう一人の扇動的な人間を
生めぬように、陰茎一本と睾丸二個とを、
本廷閉廷後ただちに切断すること。
そしてそののちも、被告が抵抗を試みる
危険性が極めて高いので、
被告の両手は背中で縛り、
濡れた革の胴着を着せ、喉に
硬くて持続型の発声防止装置を
詰めこんで、本日よりむこう
五百年のあいだ独房に拘禁すること。』

『いやだ!』被告が叫び声を上げる。
ぱさっ。
『ああ、俺の一物(いちもつ)がない!』ぱさっ、ぱさ。
『おお、おお、俺の睾丸(きんたま)がない。』ぽろっ。
『首が、おお俺の首がない。』ばさっ、ばさっ。
『いやだ、足が二本ともない。』手錠、革の胴着、発声防止装置。
そして同志安道は荒々しく
独房に放りこまれた。」

グギさんの使った英語訳を日本語訳するのは少し骨が折れた。詩は手に余る。詩で何とかすっと心の隙間に入り込んで来たのは、萩原朔太郎と種田山頭火くらいなもので、他はどうにも手が出なかった。もし遺伝子は配列で決まっているとしたら、たぶん、詩に対する感覚の遺伝子情報は私にはないようである。元々無理だと諦めてしまえばいいものを、本の中に一部含まれている詩を除いて日本語訳するわけにもいかない。本当に苦肉の策である。
ただ、韻文はリズムもあり、英語訳の工夫を出来る限り反映させようと腐心したが、実に心もとない。キムさんの風刺の幾分かでも伝われば幸いである。
次回は金芝河さん5、グギさんのスピーチ、か。

『金芝河(キム・ジハ)民衆の声』(サイマル出版会)より

 昨日の海は雲一つなしというわけではなかったが、久しぶりの晴れた空で少し風のあるきれいな海だった。サーファーもそこそこ、観光客もだいぶ戻った感じだった。

曽山寺浜から、青島がはっきりと見えている

つれづれに

 

金芝河さん3

『不帰』の扉写真

 金芝河(きむじは)さんの3回目である。
グギさんが「東京で開催された韓国問題緊急国際会議」と書いた川崎市の会議については、招待者の一人として参加したグギさんが書いた「十一章 韓国内の抑圧」の日本語訳の一部を是非紹介したい。折角2年もかけて日本語訳したので、少しでも読んでもらえれば嬉しい限りである。

グギ・ワ・ジオンゴ『作家、その政治とのかかわり』

 「八月十二日から十四日にかけて東京で開催された韓国問題緊急国際会議に参加していた人たちは、金大中(キム・デジュン)や民主化運動の指導者たちが俄に軟禁されたという報せを聞いて、皆一同に大きな衝撃を受けました。
会議の重要な決議の一つは、韓国の軍事独裁者朴正煕(パク・チョンヒ)の「虎の檻」の中で今まさに朽ち果てようとしているすべての市民の指導者、学生、宗教家、作家、大学の教員や、他の無数の政治犯の即時釈放を求めて呼び掛けることでした。会議はまた、四万二千人のアメリカ軍や核兵器要員の退きあげを要求し、民主主義的な諸権利と、言論、組合、集会と宗教の自由を求める運動と平和裡の南北統一を支援することを表明しました。
会議は、小説家小田実を代表とする日本の作家グループの支援のもとに『民主主義と南北統一を求める国民会議』によって召集され、アルジェリア、オーストラリア、カナダ、イギリス、フランス、香港、マレーシア、メキシコ、シンガポール、韓国、スリランカ、タイ、アメリカ合衆国と西ドイツのすぐれた学者や作家が出席しました。その中には、ハーヴァード大学教授でノーベル生理学賞を受賞したジョージ・ウォールドのような著名な人もいました。ほかにも、横浜市長の飛鳥田一雄、歌手のジョーン・バエズ、小説家のノーマン・メイラーや言語学者のノーム・チョムスキーなども支援者として会議に参加しました。
私は東アフリカから参加したただ一人の作家でしたが、会議は私の目を開かせてくれる体験でした。すでに私は、ソウルとピョンヤンで同時に発表された一九七二年七月四日の共同声明文を読んでいました。そこには、外国人ではなく朝鮮人が主導権を握ること、平和的な手段を採ること、統一は社会制度の違いを超越することという南北統一の三原則が述べられていました。また、続いて出された一九七二年十月十七日の韓国内の戒厳令や『韓国の運命を一枚の紙切れに委ねることは出来ないし、統一が百年以内に達成されることはないだろう』という朴の冷たい声明についても読んでいました。そしてまた、カトリック信者の詩人で、世界でも一流の作家のひとり金芝河(キム・ジハ)の投獄についても聞いていました。その詩人の罪状は、朴には気にいらないものでしたが、それでもなお民衆の間で圧倒的に人気のある詩を書いたというに過ぎませんでした。英語に翻訳されて『民衆の声』(ミンジュンエソリ)の題で出版されている詩のなかに、自由でいたいと願う韓国の人々の総体的な決意だけでなく、民衆の悲痛な叫び声が聞こえてきます。恐るべき韓国中央情報局が一九七三年に日本のホテルから金大中を誘拐したことも私は読んでいました。あの人の罪状は?票の不正操作や脅迫があったにもかかわらず、大統領選で朴を負かしそうになったからなのです。もしアメリカの支援がなかったら倒れかけていた、国民に人気のない南ヴェトナム政府を支持する四万二千人のアメリカ陸軍と核兵器要員についても私は知っていました!

『金芝河(キム・ジハ) 民衆の声』(サイマル出版会)

 私が知らなかったのは、国内での弾圧や無残に人々の命を軽視する程度についてだったのです。その程度から言えば、朴政権は恐らく世界でも唯一南アフリカと並ぶ最も厳しい政権の一つだと言えるでしょう。それは病的なまでの反共思想の上に繁栄する警察国家で、有権者の支持を巧みに操作して地盤を固めており、アメリカ軍の支持も受けているのです。私はまた、民主主義の回復を求めて力強く運動が展開されていることもよくは知りませんでした。その運動は、主義や主張にこだわらない色々な人たちの様々な形での広がりと、南北統一に向けてのその人たちの係わりの深さを見せています。韓国のあらゆる年令の、あらゆる違った考え方の人たちからそのことを聞き、その表情や身振りから人々の苦しみと真剣さを看て取らなければなりませんでした。今の私には、その背後にある、人々の間で広く支持された団結と情熱を理解することが出来ます。
朴は一九六一年の軍事クーデターによって政権を握り、張勉の自由主義政権を終わらせました。張勉は民主的な選挙で首相に選ばれ、六十年に李承晩(リ・スンマン)独裁政権が崩壊したあと執務を行なっていました。つまり韓国は、四十五年に永年の日本の植民地支配を脱したあとの短かい期間を除いて、平和と民主主義と自由を知らなかったということになります。朴は軍事力を主張して、北朝鮮人民共和国からの想定し得る攻撃に対抗するために強力な政権を打ち建てる必然性を公然と説きました。朴はただちに反体制勢力を抹殺するために色々な手段を取りました。反国家派と思われる組織を支援する陰謀や扇動や組織的な宣伝活動を禁止するために国家保安法が可決されました。共産主義的と政府が判断する方針に沿って活動していると思われるか、その疑いがある組織を厳しく罰するために、あるいはそのような組織に他人を勧誘したり、その組織を称賛したり、組織に助成したり、いかなる方法であれ組織に利益を供与していると疑われる者をすべて処罰するために、反共法も施行されました。
この二つの法の下に、汚職や縁故腐敗、失業や低所得や国民の生活条件について国を批判した自由主義者や作家、宗教的指導者の大多数は刑務所と拘禁によって沈黙させられてしまいました。しかし、もうすでに充分に厳しい統制が、いわゆる七十二年の維新憲法(ユシンホンポップ)の宣言によって更に強化されました。この基本法の第五十三条では、緊急時の権限を担い、諸法令によって支配する権利が朴に与えられました。七十四年一月八日の大統領緊急措置令第一号によって、維新憲法の拒否や批判あるいは中傷を禁じました。同日発令された第二号では、緊急措置令に違反する犯罪を裁く緊急時の軍事法廷の制度を作りました。七十五年五月十三日の第九号では、噂の流布、憲法の反対、学生の集会、緊急措置令に対するすべての批判を禁じました。政府は、いや、つまり朴は、違反した者を学校や職場から追放し、出版を禁止したのです。法令は再度修正され、その人の所在が国の内外にかかわらず、国に対する名誉毀損罪が導入されました。この法律の下に、アメリカの中央情報局のように世界的な情報網を持つ韓国中央情報局によって、多くの韓国人がヨーロッパと日本から誘拐されています。」
金芝河さんは七十四年の大統領緊急措置令で死刑を宣告されたわけです。グギさんは朴政権の国家をあげてのこのテロ行為を見事に描いている作品として金芝河の風刺詩「根も葉もなき噂」を上げ、その中の小心な農民安道(アンドゥー)を紹介しています。私はグギさんが引用した英語訳を日本語訳したわけです。韓国語を英語訳した際と、その英語訳を私が日本語訳した際に金芝河さんの込めたニュアンスをどの程度まで汲み取れたかは甚だ怪しいのだが、朴政権の理不尽さと金芝河さんの風刺詩のニュアンスの幾分かでも表現できていればと願うばかりである。
次回は、金芝河さん4、か。安道(アンドゥー)を描いた風刺詩と、会議でのグギさんのスピーチの日本語訳を紹介したい。

『金芝河(キム・ジハ) 民衆の声』(サイマル出版会)より